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2017年 撮影場所:浜松出世の館井伊直虎・井伊直正・徳川家康・浜松城が描かれています『直虎ゆかりの地 浜松』の文字浜松は徳川家康と井伊直虎ゆかりの地です浜松出世の館はNHKの大河ドラマの放映に合わせて開館した施設でした(平成30年に閉館)にほんブログ村にほんブログ村...
仁王門本堂の真南、寺全体の正面に位置している仁王門は、昭和62年(1987)清山和尚代に建立されました。さて、龍潭寺の本堂に入ってみましょう。庫裡 丈六の釈迦牟尼仏 丈六の釈迦牟尼仏 この仏さまは遠州地方第一の大仏さま、丈六仏です。丈六とは一丈六尺(5米)の寸法をいいますが、お座りですから三米ほどの高さです。 静かに己の心を深く見つめておられる、座禅のお姿の仏さまです。 この仏さまのお体には黒い...
後醍醐天皇の皇子・宗良親王の菩提寺である龍潭寺は、古くは地蔵寺といい、天平5年(733)に行基によって開創されたと伝わっています。井伊家は藤原鎌足の後裔とされ、藤原共資公(元祖共保公の父)の時、遠江国守として遠州村櫛に下り、共保公より井伊谷の地に移り、約五百年間にわたり、井伊谷の庄を治めました。保元の乱では源義朝に、鎌倉時代には源頼朝に仕え、南北朝時代では御醍醐天皇皇子・宗良親王を迎え北朝と戦いました...
井伊谷城は、標高約115m、丘陵に築かれた井伊氏の城館です。井伊氏の本拠地は、井伊谷城とその山麓にあった居館に加え、最終的な詰め城である三岳城で構成されていました。現在は城山公園として整備されており、土塁などの遺構が見学できます。井伊谷城跡(城山公園)井伊氏は、平安時代の在庁官人からはじまり、中世には国人領主として、浜松市北区一帯(引佐、細江、都田)などを治めました。南北朝の動乱期(1336~1392)には、...
大河ドラマ「おんな城主直虎」の舞台にもなった奥浜名湖の北にある浜松市北区引佐町井伊谷。 井伊谷は、かつて井伊家が治めた土地です。 井伊といえば、家康幕下の名将・直政や幕末の大老・井伊直弼を輩出した家として知られています。 遠州の名刹・龍潭寺門前の田んぼの一角にあるのが「井伊共保出生の井戸」です。 広い通りから、一本入りますが、白壁の塀を目印にすれば、見つかります。共保公とは、平安時代から戦国時代までの...
浜松市北区引佐町川名にある渓雲寺は、永禄6年(1563)、今川氏真の命令で天野氏の犬居城攻めに行く途中に急死した井伊直虎の曽祖父・井伊直平を祀る菩提寺です。直平は、1489年(諸説あり)に井伊谷城主、直氏の嫡男として生まれました。『井伊家伝記』では今川氏真が織田信長への弔い合戦をしかけ、直平は氏真と共に出陣するも白須賀で陣を敷いていた直平の軍勢から南からの強風が原因で出火し白須賀のあちこちの集落が焼き払われ...
永禄5年(1562)、家老の小野但馬守が、「井伊直親が松平元康(のちの徳川家康)と内通して謀反を起こそうとしていると、今川氏真に讒言をしたため、直親は、弁明に駿河へ向かう道中、掛川城主・朝比奈備中守によって謀殺されました。享年27。直親の首は、南谿和尚が蜂前神社の宮司を使いに出して掛川城からもたい受け、首と体を一緒にして、棺に入れ、都田川の河畔で火葬にされました。直親の墓は都田川と堤防の中間になった平場に...
大河ドラマ「どうする家康」、公式のホームページを見ると徳川家康の家臣団に井伊直政がいます。※画像はお借りしました直政の登場は、まだ先だねこの直政の説明で「女城…
新年あけましておめでとうございます。昨年も、たくさんの応援ありがとうございました。今年は、浜松がまた大河ドラマ「どうする家康」の舞台のひとつになります。浜松城の前身は、引馬(曳馬)城といい、1560年、今川義元が桶狭間で織田信長に討たれた後、徳川家康が引馬城を攻め落としました。1570年、岡崎城を息子の信康に譲り、曳馬城に入城。しかし、引馬という名は馬を引く=敗北を思わせ、縁起が悪いということで、浜松荘と...
- not impress - TOMICA TOMMY KAIRA ZZJAPAN / VIETNAMw ebCGの試乗記によると、先進のEVながら、かなりスパルタンな性格のトミーカイラZZ。→コチラそんなトンがったZZを凛々しく仕立て上げたのが、トミカ御前コレクション。諸兄ご存知、トーハンとタカラトミーが手を組んだ企画で、トーハンがMVPブランドと呼んでいる商品群に位置付けられている。そのターゲットは言うまでもなくトミカのバリエーションを追い求めるミニカー...