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#井伊直弼
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春のウォーキング-2 東大駒場、松陰神社、豪徳寺、世田谷八幡宮
息子が演奏会に出ると知り親馬鹿を演じた。東大駒場キャンパス15年位前には「駒場祭」見物でよく来たものだが、最近は本郷の「五月祭」をたまに見に行くぐらい。それも息子が演奏するときだけで他には用がない。でも今回は能楽研究会の宝生流の立て看板がないか、
2025/04/20 18:52
井伊直弼
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#4554 あふみの海磯うつ波のいく度か御世にこころをくだきぬるかな
令和7年3月24日(月) 【旧 2月25日 友引】 春分・「雀始巣(すずめはじめてすくう)」あふみの海磯うつ波のいく度か御世にこころをくだきぬるかな ~井伊直弼 『柳廼四附《やなぎのしづく》』近江の湖の磯を打つ波のように幾度も今の御代のことに心を砕く日々であることよ
2025/03/24 23:31
<彦根城>の”城門”を巡るー城域内に現存する重臣たちの屋敷門
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中で、未掲載だった中部地方以北の「城門」に戻って掲載していましたが、現在は「…
2025/03/22 09:08
***”【ボサノバ調】井伊直弼が歌う「桜田門外の変」の歌❤️”
パディントンさん 井伊直弼 ボサノバも歌うんですね:)なんか素敵リブログさせて頂きました ”【ボサノバ調】井伊直弼が歌う「桜田門外の変」の歌❤️” 日の本…
2025/02/20 22:10
”【ボサノバ調】井伊直弼が歌う「桜田門外の変」の歌❤️”
2025/02/20 06:28
<彦根城(前編)> 城郭建造物”御殿(居館)”を巡る-現存槻御殿や地震の間、八景亭が素晴らしい!
全国の城郭建造物「御殿(居館)シリーズ」をお届けしています。 「御殿」については、「はじめに」の中で、軽く触れましたのでどうぞご覧ください。 全国「御殿」を巡…
2024/08/05 09:59
茶の湯と僧侶の正装について
いわゆる「一期一会」という用語の典拠として知られる井伊直弼(1815~1860)による『茶湯一会集』を見ていくと、茶席に着く際の服装が示されているのだが、出家者(僧侶)は当時の文化人の一角を占めていたと思われ、そのための指示もあった。今日はそれを見ておきたい。一法躰は十徳、これ礼服なれば真なり、ひら羽織は行、草を兼るなり、尤も、十徳、羽織の紐を解くもの、ままあれども、解くに及ばず、何かの取扱、邪魔ならぬよう結びたるがよし岩波文庫本、20頁上記一節は、「十徳」という服についての取り扱いを述べている。しかし、現状、「十徳」という名称の服を用いている宗派などはあるのだろうか?覚えていることとしては、「十徳」というと、江戸時代初期の盤珪永琢禅師(1622~93)の語録に、或る逸話が載っている。身どもが年三十のとき...茶の湯と僧侶の正装について
2024/06/23 12:19
例外編12/御三家なれど将軍家より天皇家
戦国群雄の世を最終的に把握した徳川家康(1543-1616年)には高齢になってから 儲けた三人の男子がありました。 長幼の順にこうなります。 〇九男・義直(1601-1650年)/尾張名古屋藩の初代藩主。 〇十男・頼宣(1602-1671年)/紀伊和歌山藩の初代藩主。 ...
2024/04/05 06:55
彦根城 茶屋の窓
彦根城登城の途中に茶屋があります。桜田門外で暗殺された井伊直弼は安政の大獄で有名ですが、一方茶人としてもとても有名でした。一期一会の精神を実践しました。そんな井伊直弼を思い出して茶屋によりました。そんな茶屋の窓です。宜しければポチお願いします🙇⤵️にほんブログ村過去の投稿記事です。色鉛筆16区バルザックの家の窓-リタイアじーじの徒然絵日記パリ市内で庭付き一戸建てを見ることほとんどありません。唯一知っているのが、ここバルザックの家です。16区の高台にあります。とても地味な家🏡とシンプルな庭です。立地...gooblog再掲載水彩画パリの窓-リタイアじーじの徒然絵日記よろしければポチお願いします。にほんブログ村操作ミスにより消失しましたので再掲載いたします。ヨーロッパの家々の窓は花に飾られて魅力的です。窓をテ...彦根城茶屋の窓
2024/02/11 08:59
豪徳寺に行ってきましたの巻②
こんばんは〜!昼間に台風みたいな強風が吹いたそうで。帰ってから大奥に聞きました。屋内で仕事をしていたので全然分かりませんでした。これも平和なんですかねぇ?でも仕事の方は最近、息子と同じくらいの女上司に怒られっぱなしでどうも嫌われてしまったようです。胃酸を
2023/12/07 20:32
彦根の龍潭寺と石田三成の像
天正18年(1590年)佐和山城主となった石田三成は、当時荒廃していたという佐和山城に大改修を行い、山頂に五層の天守が高くそびえたつほどの近世城郭を築き、人をして「治部少に過ぎたるもの二つあり 島の左近と佐和山の城」と言わしめました。三成は伏見城に滞在することが多く、実際に城を任されていたのは父の正継であったといいます。慶長4年(1599年)大老・前田利家が病死すると、三成と対立関係にあった武断派の加藤清正、福...
2023/10/23 00:21
羽子板絵馬:愛宕神社
入手場所:愛宕神社東京都港区愛宕1-5-3 TEL:03-3431-0327バナー↓をポチポチッとお願いします東京23区の中で一番標高が高い愛宕山。急勾配の長い石段(86段)を登りきると愛宕神社があった。愛宕神社は1603年(慶長8年)、江戸に幕府を設く徳川家康公の命により「防火の神様」として祀られた。愛宕神社では、その年の干支の絵が描かれた「羽子板絵馬」が正月に授与される。この年は兎年だったので兎の絵柄が描かれた羽子板を授与...
2023/10/01 11:18
井伊家発祥の地「井伊共保公出生の井 」
大河ドラマ「おんな城主直虎」の舞台にもなった奥浜名湖の北にある浜松市北区引佐町井伊谷。 井伊谷は、かつて井伊家が治めた土地です。 井伊といえば、家康幕下の名将・直政や幕末の大老・井伊直弼を輩出した家として知られています。 遠州の名刹・龍潭寺門前の田んぼの一角にあるのが「井伊共保出生の井戸」です。 広い通りから、一本入りますが、白壁の塀を目印にすれば、見つかります。共保公とは、平安時代から戦国時代までの...
2023/05/29 00:43
曹洞宗 大谿山 豪徳寺/招き猫発祥の地 縁起の良いスポット
豪徳寺御朱印 参拝日:令和5年(2023年)2月19日 三 門 地蔵堂 梵 鐘 仏 殿 三重塔 招福殿 法堂(本堂) 御朱印受付時間 アクセス 世田谷八幡宮から線路を渡って5分ぐらい歩くと豪徳寺の三門前に着きます。 三 門 三門 山門を潜って直ぐ右手の地蔵堂には行列が出来ていました。 地蔵堂 新しい地蔵堂ですね。 梵 鐘 仏 殿 香炉と仏殿 三重塔 招福殿 招福猫児 小判を持たない招福猫児 豪徳寺の招福猫児は小判を持っておらず、右手をあげています。招福猫児は、人を招いて「縁」をもたらしてくれますが、福そのものを与えてくれるわけではありません。人との大切な「縁」を生かせるかどうかは、その人次第。…
2023/04/10 10:01
【食い物の恨みは恐ろしい】安政七年三月三日 雪の日の出来事
< 人は 頭で事の善悪を判断するけど 人の好悪は腹で決める のかもです > 江戸城。半蔵門を出て甲州街道を西へ少し。先を歩く1人の旗本が左へ折れると、低い坂を下って平河町方面の夕闇に溶け込もうとしている。あとを追いかけるようにもう1人の旗本が駆けていく。 「おうい、そんなに急ぐこともあるまい。もう少しゆっくりと」 先を歩いていた旗本が足を止めて振り返った。嘉永6年6月5日の宵である。 現在の暦でいえば7月10日。前日の雨もあって、江戸はかなり蒸し暑くなっていた。追いついた男が息を切らせながら言った。 「ももんじ屋か?」 「ああ、おぬしもか」 「ああ、そうだ。浦賀の黒船は城と同じぐらい大きいそう…
2023/04/05 09:34
井伊直親の墓
永禄5年(1562)、家老の小野但馬守が、「井伊直親が松平元康(のちの徳川家康)と内通して謀反を起こそうとしていると、今川氏真に讒言をしたため、直親は、弁明に駿河へ向かう道中、掛川城主・朝比奈備中守によって謀殺されました。享年27。直親の首は、南谿和尚が蜂前神社の宮司を使いに出して掛川城からもたい受け、首と体を一緒にして、棺に入れ、都田川の河畔で火葬にされました。直親の墓は都田川と堤防の中間になった平場に...
2023/03/15 10:44
桜田門外の変の史料を発見
江戸幕府の大老・井伊直弼が幕末に暗殺された桜田門外の変を巡り、関わった薩摩藩の浪士を捜索に来た幕府の使者と、同藩の役人とのやりとりを佐敷宿(現在の熊本県芦北町)で記録した当時の覚書『佐敷表早書』が発見された。 同事件では、直弼の首を討ち取った薩摩藩浪士・有村次左衛門が重傷を負い、現場近くで切腹。その兄、雄助は関係者への事情説明と対応を協議する連絡役として京都に向かう途中、事件の波及を恐れた同藩の追...
2023/03/09 11:38
こぶし一輪咲いた
*近所のまいばすけっとの前で、こぶしの花が一輪咲いているの見つけました___2023年3月2日 春一番が1日に吹き、3日はひな祭り。 「桜田門外の変」は安政7年3月3日のことなんだよね( 西暦1860年3月24日)。163年前のことで、私はもちろん生きてはいませんが、大雪...
2023/03/02 16:54
井伊直弼の安政の大獄と将軍継嗣(けいし)問題 楽しい日本史 -近代国家への道-
ペリーの来航から5年後、大老・井伊直弼は勅許のないまま日米修好通商条約の締結に踏み切る。これが多方面から大バッ
2023/02/14 12:14
悲劇の将軍 14代・徳川家茂
1853年、アメリカ東インド艦隊司令官マシュー・ペリー率いる黒船4隻が、浦賀沖に姿を現しました。黒船来航・・・それは、2世紀半続いた江戸幕府の終焉の始まり・・・外圧に、攘夷を叫ぶ声、幕府の権威は低下していきました。そんな時代に幕府をしょって立つことになったのが
2022/11/14 11:06
豪徳寺~招き猫~紅葉が綺麗でした~🍁
朗読家 葉月のりこのブログです♪
2022/11/11 17:25
第7章 江戸時代後期 7 井伊直弼
7 井伊直弼 (1815 ~ 1860)3uwl1b~開国の犠牲になって暗殺された幕末の大老~ もっと高く評価されてもよい人物ではないでしょうか。井伊直弼(いいなおすけ) は日米修好通商条約で知られる日本史上の有名人ですね。当時の世界情勢からも、開国はいつか誰かがやらなければならなかったことです。日本の近代化の第一歩を踏み出した、勇気ある決断と考えられます。しかし、直弼の最期は働き盛りの44歳、予告され...
2022/09/22 06:07
お散歩写真2022_紅葉坂の上にいたのは、前川國男と井伊直弼。
この日は桜木町駅にやって来ました。桜木町駅から、旧東横線の線路跡に出来た遊歩道を通って紅葉坂へ。高架橋からは紅葉坂が良く見えますが、この後は紅葉坂を上って、…
2022/09/18 21:29
江戸城(東京都千代田区)を訪問しました
江戸城(→東京都千代田区千代田)は平安時代中期の11世紀に秩父平氏の江戸重継(しげつぐ)が館を構えたのが始まりとされます。室町時代の1457(康正3/長禄元)年に武蔵国守護の扇谷(おうぎがやつ)上杉氏の家宰・太田道灌(おおたどうかん)が江戸城を築城しました。戦国時代には小田原北条氏が扇谷上杉氏を破って武蔵に進出すると、江戸城は1524(大永4)年に小田原北条氏の2代北条氏綱(うじつな)の支配下に入りました。1590(天正18)年7月...
2022/07/14 00:52
豪徳寺(東京都世田谷区)を訪問しました
大谿山 豪徳寺(だいけいざん ごうとくじ)は、東京都世田谷区豪徳寺2丁目にある曹洞宗寺院です。室町時代の1480(文明12)年に世田谷城主吉良政忠(きらまさただ)が創建した臨済宗寺院の弘徳院が前身で、戦国時代に曹洞宗に改宗され、江戸時代前期の1633(寛永10)年に世田谷が譜代大名筆頭の彦根藩主井伊氏の知行地となってからは江戸における井伊家の菩提寺となりました。寺号は2代藩主井伊直孝(いいなおたか)の法号「久昌院殿豪徳天英...
2022/07/14 00:49
ねこちゃん🐱と梅
招き猫。 福を呼ぶ招き猫🐱 世田谷区の豪徳寺が招き猫の発祥だそうで、 豪徳寺は、井伊直弼のお墓があります。 梅が咲いていました。2022.1.30 招福猫児 これで「まねきねこ」と読むそうです。 私も 豆という、小さい猫を連れてきました。 願いが叶ったら、ありがとうをしに...
2022/02/04 20:30