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  • 狭山不動尊(3)不動寺総門~多宝塔

    不動寺総門(元長州藩毛利家屋敷門) 大賀蓮の由来 昭和25年に中尊寺金色堂御遺体調査に参加された故大賀一郎東大農学部教授が藤原泰衡公の柩の中から数個の蓮の種子を発見されました大賀博士の没後、中尊寺に変換され宝物館に眠っていた蓮の種子を大賀博士門下の長島時子教授に依頼したところ平成5年発芽に成功、その後平成10年7月29日開花した蓮子は発見者の名前をとり大賀蓮と名付けられました、800年を越えて咲く蓮のロマンに思いを馳せて下さい。(狭山不動尊) 不動寺本堂 桂昌院お玉の方(家光の側室で五代将軍綱吉の生母)の宝塔 本堂は京都・東本願寺から移築された七間堂でしたが、平成13年(2001年)に不審火に…

    地域タグ:所沢市

  • 狭山不動尊(2)台徳院御成門

    勅額門を抜けて階段を上がると御成門があります。 台徳院御成門 寛永9年(1632)年、徳川家光により建立された切妻造りの門で、将軍参詣のために使用されました。 飛天の彫刻や絵画が多く描かれているので天人門ともいわれています。 格天井の中央に丸い鏡天井が設けられた珍しい造りで、色鮮やかな豪華な門です。 不動寺総門へ進んで行きます。 2011年11月撮影 にほんブログ村 歴史ランキング

    地域タグ:所沢市

  • 狭山不動尊(1)台徳院霊廟勅額門

    9月16日の「歴史探偵」で、「徳川家の霊廟」が特集されたので、過去の記事を遡ってみました。 「江〜姫たちの戦国〜」が放送された2011年に、埼玉県所沢市にある狭山不動尊に行って来ました。 西武狭山線の西武球場前駅から徒歩5分。 西武グループ創業者の堤康次郎は、空襲で焼けた増上寺の一部を買い取り、ホテル建設の用地整備のため、昭和33年(1958)に将軍家墳墓を発掘改葬しました。その際、遺構や遺物を保存するために、ユネスコ村の隣に狭山不動寺を建立し、増上寺にあった勅額門、御成門、丁子門を移築しました。 西武球場前駅の改札を出ると、西武ドームが左手に、狭山不動寺とゆり園が右手に見えてきます。 西武ド…

    地域タグ:所沢市

  • 松江の朝

    松江に滞在の朝は、早起きして自転車で松江の街を走ってみました。 この日も晴天です! サンセットクルーズに乗った「はくちょう号乗場」 大橋川にはいくつもの橋が架かっています。 何を釣っているのかな?と思ったら、しじみ漁をしていたようです。 松江で食べたしじみ料理はどれも美味しかったな~ 松江大橋が見えてきました。 三日も滞在すると、自分の街のような錯覚に陥ります。 それほど居心地が良い街でした。 2013/7 撮影 にほんブログ村 歴史ランキング

    地域タグ:松江市

  • 宍道湖の夕陽(3)

    刻々と変化する空の色をお楽しみください。 湖面への反射も美しい! 夕陽が、お地蔵さんに近づいてきました。 モニュメントの周りもオレンジに染まりました。 夕陽をズームで撮ったのは初めてです。 夕陽に照らされて、山の色も微妙に変化します。 これの後、ホテルまで自転車で帰りました! 2013/7 撮影 にほんブログ村 歴史ランキング

    地域タグ:松江市

  • 宍道湖の夕陽(2)

    有名な宍道湖うさぎ 前から二番目のうさぎを撫でると、縁結びのご利益があるとかで、みな触っていました。 夕陽を見上げるうさぎ 美術館の窓も夕陽に染まり、良い感じに色づいてきました。 モニュメントの隙間からも どこからともなく人が集まりだし、それぞれの特等席を確保します😄 2013/7 撮影 にほんブログ村 歴史ランキング

    地域タグ:松江市

  • 宍道湖の夕陽(1)

    日本一美しいという宍道湖の夕陽 ホテルで自転車を借りて、夕暮れ時、宍道湖までひとっ走り! 宍道湖の夕陽スポットに建つ島根県立美術館のロビーです。 夕方になると、夕陽で真っ赤に染まるそう。 ここは日没30分後まで無料開放されているのですよ。 嬉しいサービスですね(#^.^#) このロビーから外に出られます。 美術館の前は、岸公園という屋外アートが並ぶ憩いのスポットになっています。 湖畔沿いの様々なモニュメントを夕陽とともに写せば、絵のようになります。 嫁ヶ島 2013/7 撮影 にほんブログ村 歴史ランキング

    地域タグ:松江市

  • 安来駅と安来節

    足立美術館を見学した後は、JR安来駅までの送迎バスを利用しました。 安来駅 安来といえば安来節ですね。 安来節 (やすぎぶし)日本の民謡。島根県安来市に発達したことからの名称。起源については諸説あるが,出雲節という船歌が元歌といわれる。安来節の原調を歌いはじめたのは,安来の大塚順仙という鍼(はり)医者だというが,江戸時代末に鳥取県境港の芸妓さん子がこれを改良して歌い〈さんこ節〉として流行した。出雲一帯ではこれに手を加えて〈なぜまま節〉〈和田見節〉〈はまさだ節〉などの名で盛んに歌われた。現在の安来節の定着は安来で料理屋を営む渡辺佐兵衛と,その四女お糸(1875-1956)の功績によるもので,佐兵…

    地域タグ:安来市

  • 足立美術館

    次は足立美術館に向かいました。 ミシェラングリーンガイドジャポンで三ツ星を獲得。アメリカの日本庭園専門誌で、2012年、日本庭園ランキング10年連続日本一☆☆☆ 120点もの横山大観の作品をはじめ、日本有数の近代日本画のコレクションを展示。 創設者の足立全康氏は、地元出身の実業家で、71歳のときに開館。大観のほかにも、竹内栖鳳、橋本関雪、川合玉堂、上村松園ら近代日本画壇の巨匠たちの作品のほか、北大路魯山人、河井寛次郎の陶芸なども収蔵しています。昔は、田舎にこんな美術館に人が来るのか?と地元の人には不評だったそうですが、今では観光バスが押し寄せる人気美術館へと成長! 16万5000㎡に及ぶ庭園は…

    地域タグ:安来市

  • 大根島の由志園(2)

    続いて館内に入ると、牡丹が展示されています。 また屋外へと続いています。 橋の向こうは 睡蓮の池 滝もあります。 カモが気持ち良さそうに泳いでいました。 続いて現れるのは、白砂の庭 ガイドブックを読んで想像していたよりも、遙かに園内が広く、サービスが行き届いているところでした! この由志園から無料送迎バスで次に向かったのは・・・ ※2013年の旅行の撮影なので、現在は変わっているところもあるかもしれません。 2013/7 撮影 にほんブログ村 歴史ランキング

    地域タグ:松江市

  • 大根島の由志園

    境港直行バスは、大根島の由志園を経由します。 松江駅から約25分、境港駅からは16分です。 牡丹をはじめとした四季の花が楽しめる日本庭園と聞き、下車してみました。 大根島は、島根県と鳥取県の県境に浮かぶ島にあり、牡丹の栽培で日本最大級の生産地として知られているそうです。 この時期は、紫陽花が見ごろでした! ほんのり紅葉したもみじもあって 池の周りを一周するだけでも結構歩きます。 一万坪以上もあるとか(@_@;) これは珍しい! 上から降ってくる高麗人参健康ミスト! ここを歩くと、センサーで降ってくるのですね。 暑さ対策も兼ねているそうです。 しかし、写真も曇りました(^_^;) 2013/7 …

    地域タグ:松江市

  • 境港の妖怪の町(2)

    妖怪ポスト このポストに投函すると、鬼太郎の消印がつくということで、母宛に出してみました😊 このポストは、好きな消印が選べました! サラリーマン山田くんがピース! 鬼太郎タクシー ねずみ男発見! 鬼太郎といえば下駄ですね! 妖怪の町まだまだ続きます! にほんブログ村 歴史ランキング

    地域タグ:境港市

  • 境港の妖怪の町(1)

    松江に滞在した際、松江から境港までを繋いている境港シャトルに乗って、妖怪の町・境港まで行って来ました。 約1時間のバスの旅です。 駅に着くと、そこは妖怪一色の町です! 妖怪のラッピング電車 鬼太郎ポスト 目玉おやじの街燈 鬼太郎とねこ娘のベンチ お店も妖怪仕様です(^_^;) 顔出し看板 まだまだ続きます😊 にほんブログ村 歴史ランキング

    地域タグ:境港市

  • 島根の小泉八雲ゆかりの地(17)サンセットクルーズ 後編

    前に見えてきたのが嫁が島。 昔、姑にいじめられた若嫁が、宍道湖が寒さで凍ったことを機に逃げ出したところ、氷が割れて水死してしまいました。それを哀れんだ神様が、一夜にして島を浮かび上がらせたという伝説があるそうです。 わ~もうまっ赤ですね! いつも夕方は仕事しているため、外で夕陽を眺めるなんてことはなく 初めてこんな綺麗な夕陽を見た気がしました。 船は折り返し地点を過ぎ、乗り場へと戻って行きます。 約50分のクルーズ終了! はくちょう号のおじさん、ガイドありがとうございましたm(__)m 乗客が一人だったのは、初めてと言われました(^_^;) 偶然にも、私はラッキーだったのですね! にほんブログ…

    地域タグ:松江市

  • 島根の小泉八雲ゆかりの地(16)サンセットクルーズ 前編

    松江滞在初日、夕方に出航するサンセットクルーズに出掛けました。 第二乗船場は、18:50出発 時間通りに船が到着! 良い感じに夕陽が見えてきました。 松江市内に架けられているいくつかの橋の下を通っていきます。 釣りをする船かな? 空全体が茜色に染まっていきます。 島根県立美術館が見えてきました。 横に長い建物ですね。 何とこの日のサンセットクルーズは、私一人の乗船で、貸し切りでした~\(^o^)/ で、特等席に案内してくれたのですよ(#^.^#) 風を受けながらのクルーズ気持ち良かった~(後編に続く) にほんブログ村 歴史ランキング

    地域タグ:松江市

  • 島根の小泉八雲ゆかりの地(15)塩見縄手の武家屋敷

    武家屋敷の前の通りは、塩見縄手と呼ばれています。 松江藩の中級藩士が住んでいた武家屋敷です。 享保18年(1733) の大火で焼失後再建されました。 主屋 、長屋門 ・塀などからなり、約270年前から残る姿や、当時の生活用品を見学できます。 にほんブログ村 歴史ランキング

    地域タグ:松江市

  • 島根の小泉八雲ゆかりの地(14)賣布神社

    松江市内にある賣布(めふ)神社 『出雲国風土記』に「賣布社」(めふのやしろ)、『延喜式』に「賣布神社」(めふのかみやしろ)としてある古社です。 出雲國神仏霊場第六番で、白潟さんともよばれています。 主祭神は速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)。 こんなところにスズメ?が(^_^;) 珍しいですね! にほんブログ村 歴史ランキング

    地域タグ:松江市

  • 島根の小泉八雲ゆかりの地(13)お加世灯籠

    夕日を見に自転車で宍道湖畔の白潟公園へ出かけました。 そこで、「玄丹かよ」の像に出会いましたので、紹介します。 お加代は、もと松江藩士で鍼医・錦織玄丹の娘。明治維新のとき窮地にたった松江藩のために、身を挺して活躍した女性である。慶応4年(1868)山陰鎮撫使一行は、松江藩が徳川の親藩であるため、その動静に不信を抱き、更に種々の行き違いがあって松江藩に3か条の難問題をつきつけ、ために家老大橋茂右衛門は切腹して謝罪することとなった。藩はこの対策に苦慮し、松江入りした彼らのいうままであったが、この時これら荒武者を酒席で操縦し、一行の態度を和らげて出雲女の義侠心を発揮したのが彼女である。白刃に貫いたか…

    地域タグ:松江市

  • 島根の小泉八雲ゆかりの地(12)松江大橋と源助柱

    松江大橋 御影石の欄干と唐金の擬宝珠が城下町の風情を漂わしています。 小泉八雲ゆかりの源助柱・大庭(おおば)の音のする石 江戸時代初期までは大橋川には「カラカラ橋」という細い竹の橋が一本あるだけでした。その後、松江城築城のため、物資を運ぶ強固な橋の建設が堀尾吉晴より命じられたのですが、橋の工事があまりにも難工事だったため、人柱を立てることになりました。その日の朝一番に「カラカラ橋」を渡る男を人柱とすることになり、たまたま足軽の源助が橋を渡ったために捕らえられ、生きたまま橋脚の下に埋められたといいます。 何とも残酷な話ですね(/_;) 堀尾吉晴公が初めて橋を架けようとした時、余りにも難工事だった…

    地域タグ:松江市

  • 塩見縄手 松江歴史館

    城下町では、縄のようにひとすじにのびた道路のことを「縄手」といい、この塩見縄手には、二百石から六百石程度の中級武士の家中屋敷が並んでいました。初代出雲藩主・堀尾吉晴が1607年(慶長12年)から 1611年にかけて松江城築城の際に、城地の亀田山と北側の赤山の中間にあった宇賀山を堀削して、内堀とそれに並行する道路および侍屋敷を造成してできた通りで、武家屋敷に一時住んでいた塩見小兵衛が、のちに異例の栄進をしたため、それを称えてこの通りを塩見縄手と呼ぶようになったそうです。 松江歴史館 松江城を築城し「松江開府の祖」といわれる堀尾吉晴(1543~1611年)の企画展「戦国武将 堀尾吉晴の軌跡」が、松…

    地域タグ:松江市

  • 堀川めぐり

    松江駅から松江市街の周遊バスぐるっと松江レイクライン(乗車一回210円、一日乗車券520円)に乗って、大手前堀川遊覧船乗場まで 堀川めぐりの乗場は3つあり、ここは松江城入口にある乗場です。 一周50分、1日乗車券なら1600円で乗り放題。 城下町の景色を楽しみながら、堀川、京橋川、米子川を遊覧します。 松江城の石垣が見えます。 松江城の天守閣 塩見縄手 武家屋敷風の街並みが続きます。 松江歴史館 緑のトンネル コース内には、屋根をたたんで橋をくぐる場所が4箇所あるのですよ。 この時、乗客は、船頭さんの指示で、頭を低くして、からだを前に曲げます。 おかげで降りる頃には、柔軟になりました(笑) カ…

    地域タグ:松江市

  • 松江城(2)

    松江城は、江戸時代初期に幕府の山陰側の拠点として築かれた城です。 近世城郭を代表する天守として、姫路城、彦根城、犬山城、松本城と並び、国宝に指定されています。 1600年(慶長5年)、堀尾忠氏(堀尾吉晴の子)が、隠岐・出雲24万石を得て月山富田城に入城し、松江藩が成立。 しかし、軍事・経済の中心に適さないとして、1607年(慶長7)に松江の亀田山に築城を開始し、1611年(慶長16)、5層六重の天守閣を中心に6基の櫓を構えた松江城が完成しました。 標高29メートルの亀田山に建つ天守からは宍道湖を眺望することが出来ます。 明治初頭の廃城令により、天守以外の建物はすべて撤去されましたが、1934年…

    地域タグ:松江市

  • 松江城(2)「人柱にされた娘」の伝説

    松江城の天守閣へと向かいます。 三ノ門跡 定番所跡 松江神社 多門跡 鉄砲櫓跡 天守閣が見えてきました。 松江城には次のような人柱伝説が伝わっています。 人柱伝説築城の際に天守台の石垣を築くことができず何度も崩れ落ちたので、人柱がなければ工事は完成しないと、工夫らの間から意見が出た。そこで、堀尾吉晴は盆踊りを開催し、その中で最も美しく、最も踊りの上手な少女を選んで生贄とした。娘は踊りの最中にさらわれ、事情もわからず埋め殺されたという。石垣は見事にでき上がり城も無事落成したが、城主の父子が相次いで急死し堀尾家は改易となり、続いて入封した京極家も断絶したため、人々は娘の無念の祟りであると恐れたとい…

    地域タグ:松江市

  • 松江城(1)松平直政公の銅像

    松江しんじ湖温泉からバスに乗り、県庁前で降りると、県庁広場に松江藩の初代藩主・松平直政公像の像があります。 松平直政公像 松江藩主は、堀尾三代、京極一代、松平十代である。松平家初代の直政公は、富国・安民・質素・節財等の大綱を示し、藩政の基礎を固めた。 慶長19年(1614)大坂冬の陣に際し、母 月照院は、14歳で初陣する直政に対し「君は徳川家康の孫で、父 結城秀康は名将である。父に劣らぬ奮戦をせよ」と励まし、馬印(隊旗)を縫って与える。越前隊と加賀隊が先を争って真田丸に進むが、弓銃が激しく撤退する。その時、一将が進み出る。見れば直政である。従士の天方通総(あまかたみちふさ)は馬を止め矢表に立ち…

    地域タグ:松江市

  • 島根の小泉八雲ゆかりの地(6)月照寺 歴代藩主の墓

    第3代藩主・松平綱近(つなちか)(隆元院)の墓 第9代藩主・松平斉斎(なりとき)(直指庵)の墓 第4代藩主・松平吉透(よしとお)(源林院) 松平直政の生母・月照院の墓 ブログランキングの応援よろしくお願いします😄 にほんブログ村 歴史ランキング

    地域タグ:松江市

  • 新年のご挨拶

    新年あけましておめでとうございます。昨年も当ブログをご覧いただき、ありがとうございました。2026年も皆さんに楽しんでいただける記事を発信していきたいと思っております。本年もどうぞよろしくお願いいたします。 ブログランキングの応援よろしくお願いします😄 にほんブログ村 歴史ランキング

  • 島根の小泉八雲ゆかりの地(5)月照寺「松平宗衍の墓と大亀伝説」

    続いて第6代藩主・松平宗衍(天隆院)の廟所です。 松平宗衍 まつだいら-むねのぶ1729-1782 江戸時代中期の大名。享保(きょうほう)14年5月28日生まれ。松平宣維(のぶすみ)の長男。享保16年3歳で出雲(いずも)松江藩主松平(越前(えちぜん))家6代となる。幼少のため幕府より福井藩主松平宗矩(むねのり)ら一族に後見が命じられた。延享4年から藩主親政をおこなう。財政改革,新田開発,殖産興業につとめ,藩校文明館を創設。天明2年10月4日死去。54歳。号は南海。 隠居してからの宗衍は奇行を繰り返したため、奇行にまつわる逸話が伝わっています。 大亀伝説6代藩主・宗衍の廟所にある寿蔵碑の土台とな…

    地域タグ:松江市

  • 島根の小泉八雲ゆかりの地(4)月照寺「松平直政の墓」

    月照寺には、あじさいが数多く植えられており「あじさい寺」としても知られています。 境内にある松江藩主・松平家の墓所は国の史跡に、松平直政と治郷(不昧)の廟門は島根県の有形文化財に指定されています。 松平直政の御廟 この地には洞雲寺(とううんじ)という禅寺があった。永く荒廃していたが、松江藩初代藩主・松平直政は生母の月照院の霊牌安置所として、1664年(寛文4年)に、この寺を再興した。浄土宗の長誉を開基とし、「蒙光山(むこうさん)月照寺」と改めた。 直政は1666年(寛文6年)に江戸で死去したが、臨終の際に「我百年の後命終わらば此所に墳墓を築き、そこの所をば葬送の地となさん」と遺した。2代藩主・…

    地域タグ:松江市

  • 島根の小泉八雲ゆかりの地(3)月照寺 その壱

    月照寺は、元は洞雲寺(とううんじ)という禅寺で、荒廃していたのを、松江藩初代藩主・松平直政が母の月照院の霊牌安置所として、1664年(寛文4年)再興し、浄土宗の長誉を開基とし、「蒙光山(むこうさん)月照寺」と改め、9代藩主までの墓所となりました。 出雲国神仏霊場第5番札所。 小泉八雲は月照寺を気に入っており、静寂な境内や大亀の石像に惹かれていたとされています。 亡くなったらここに埋めてほしいと妻に願っていたとか。 ブログランキングの応援よろしくお願いします😄 にほんブログ村 歴史ランキング

    地域タグ:松江市

  • 島根の小泉八雲ゆかりの地(2)八重垣神社

    松江駅から、路線バス20分で、縁結びの神様の八重垣神社へ。 この鳥居の向かい側には、夫婦椿があります。 稲田姫命が枝を立てた二本の椿が起源という夫婦椿。 拝殿で参拝し、占い用紙をいただきます。 1枚100円です。 佐久佐女の森へ 拝殿の裏に進むと、森があります。 そこにあるのが鏡の池 稲田姫命が、鏡として使ってたという神秘の池です。 占い用紙を池に硬貨を載せると浮かべ、お告げが現れます。 沈む場所は、運命の人との距離、沈む早さは良縁の時期を示すといわれています。 明治24年、西田千太郎と共に、行楽と取材を兼ねて、松江郊外の神社を人力車で巡った小泉八雲は、特にこの「鏡の池」に興味を示したそうです…

    地域タグ:松江市

  • 島根の小泉八雲ゆかりの地(1)小泉八雲旧居

    今からもう12年前のことになりまが、浜松からサンライズ出雲で島根まで行きました。 ちょうど今「ばけばけ」が放送されているので、懐かしい気持ちで見ています。 ヘブン先生のモデルとなった小泉八雲ゆかりの地も訪ねたので、当時の思い出を振り返りたいと思います。 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン 愛称ヘルン)は、ギリシア出身で、明治23年に来日。 英語教師として松江に赴任し、1年3カ月を過ごしました。 小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが、旧士族根岸家の武家屋敷を借りて1891年(明治24年)5月から熊本に転任する11月までの6か月間住んだ邸宅である。八雲が居間として使用していた9畳の部屋からは三方に日本庭…

    地域タグ:松江市

  • 井伊直弼大老像

    開国記念館と玄宮園の間の金亀児童公園内に、井伊直弼公の銅像が建てられています。 11代藩主直中の14男として生まれた井伊直弼は、安政5年(1858年)4月、幕府の大老に就任。13代将軍・徳川家定の継嗣問題や,開国か攘夷かで前水戸藩主・徳川斉昭らと対立。 同年6月、勅許をえずに「日米友好通商条約」に調印して開国を断行しました。 将軍継嗣を和歌山藩主・徳川慶福(よしとみ)(のち家茂))に決め、これに反対する一橋慶喜を推す斉昭ら一橋派や尊攘派、7大名・公卿・志士らを弾圧する安政の大獄を断行し、万延元年(1860年)3月3日水戸・薩摩の浪士らに江戸城桜田門外で暗殺されました。享年46歳。 この銅像は、…

    地域タグ:彦根市

  • 玄宮園

    玄宮園は、隣接する楽々園とともに「玄宮楽々園」として国の名勝に指定されています。 江戸時代には「槻之御庭」と呼ばれていました。 玄宮園という名は、古代中国の宮廷の名によって命名されたと考えられています。 江戸時代初期の延宝6年(1678年)に彦根藩4代藩主井伊直興が整備したといわれ、池を中心に、池中の島や入江に架かる9つの橋などによる回遊式庭園となっています。 ここからは、彦根城天守閣を望むことができます。 ブログランキングの応援よろしくお願いします😄 にほんブログ村 歴史ランキング

    地域タグ:彦根市

  • 楽々園(2)井伊直弼が生まれた槻御殿

    直興の死後、倹約令などにより楽々園の建物は縮小気味になりましたが、文化10年(1813)の直中の隠居に際して大規模な増改築が行なわれ、その大きさは現在の建物のおよそ10倍もあったといいます。 ブログランキングの応援よろしくお願いします😄 にほんブログ村 歴史ランキング

    地域タグ:彦根市

  • 楽々園(1)井伊直弼が生まれた槻御殿

    井伊直弼は、文化12年(1815)10月29日、11代藩主・井伊直中の14男として、槻御殿で生まれ、17歳までここで過ごしました。 直弼が生まれる3年前に、父・直中は家督を次男の直亮に譲り、槻御殿で隠居生活を送っていました。 槻御殿での生活は、家族に囲まれた穏やかな生活で、諸芸や文化的素養を身につけていた頃でした。特に能は、直中が屋敷に能舞台を設け、能楽師を召し抱えるほど造詣が深く、直弼にとっても能は身近な存在でした。 直弼が17歳のとき、父が亡くなり、井伊家では、藩主の子であっても世子以外は、他家に養子に行くか、家臣の養子となってその家を継ぐか、あるいは寺に入るのが決まりとされており、庶子で…

    地域タグ:彦根市

  • 井伊直弼ゆかりの埋木舎(5)

    また、NHK大河ドラマで井伊直弼を演じた役者さんのパネルが飾られています。 私はこれ以降は行っていないのですが、「西郷どん」で直弼を演じた佐野史郎さんなどが加わっているのでしょうね。 皆さんは、どの大老が心に残っていますか? ブログランキングの応援よろしくお願いします😄 にほんブログ村 歴史ランキング

    地域タグ:彦根市

  • 井伊直弼ゆかりの埋木舎(4)

    表玄関に掲げられた「大久保」の表札は、直弼の側近であった大久保小膳が治維新に際し藩文書の保存や彦根城天守閣の保存運動の功績によって埋木舎が与えられたことによります。 現当主の大久保治男氏の祖先は、藤原氏の末流で、大久保忠正が初代。井伊直政に仕えて以来、累代、彦根藩家老などを務める家柄でした。大久保小膳の尽力により埋木舎が取り壊されずに済み、その功績によって代々当主を務めました。(Wikipediaより 井伊直弼と大久保小膳 ブログランキングの応援よろしくお願いします😄 にほんブログ村 歴史ランキング

    地域タグ:彦根市

  • 井伊直弼ゆかりの埋木舎(3)

    井伊直政(万千代・虎松)が幼少期に描いた絵も飾られていました。 大河ドラマでもそうでしたが、たしかに絵がお上手!! 直弼が埋木舎時代に客人接待用に使用していた食器の漆器類。 客人を応接する表座敷、日常生活や勉学に励んだ奥座敷、茶室などを展示資料と照らし合わせて見ることができ、当時の生活ぶりがうかがえます。 この屋敷には直弼が「澍露庵(じゅろあん)」と名付けた小さな茶室がありました。 ブログランキングの応援よろしくお願いします😄 にほんブログ村 歴史ランキング

    地域タグ:彦根市

  • 井伊直弼ゆかりの埋木舎(2)

    埋木舎は大人300円で見学できますが、現在文化財保護の為、厳暑の間下記の通り臨時休館しているとのこと。 <休館日時> 令和7年8月1日(金)~ 令和7年9月30日(火) 大久保家と埋木舎 現在の埋木舎の当主「大久保家」は、先祖をたどれば藤原一族で徳川家康の祖父の時代より旗本として仕えていました。小田原城主大久保忠世や天下のご意見番大久保彦左衛門の従兄弟に当たる「大久保新右衛門尉藤原忠正」が現大久保家の初代です。忠正は今川義元に従っていた井伊肥後守が徳川につこうとして殺されたので、その子万千代(彦根初代藩主井伊直正)を2歳より養育した縁で家康の命により大久保家は代々井伊家重臣として仕え、彦根の家…

    地域タグ:彦根市

  • 井伊直弼ゆかりの埋木舎(1)

    埋木舎は、彦根城佐和口御門に近い井伊家の屋敷跡で、幕末における幕府の大老・井伊直弼が藩主になるまでの15年間青春時代を過ごした館です。 この屋敷は、直弼が入居する70年前、1759年に藩の公館(北の御屋敷)として建築されました。 彦根藩井伊家では、藩主の子であっても世子以外は、他家に養子に行くか、家臣の養子となってその家を継ぐか、あるいは寺に入るのが決まりで、行き先が決まらない間は、父が藩主の間は下屋敷(槻御殿)で一緒に暮らすが、兄が藩主になると城下の「控え屋敷」に入って宛行扶持(あてがいぶち、捨扶持(すてぶち))で暮らすこととされ、北の御屋敷は控え屋敷の一つでした。 彦根藩主の十四男として生…

    地域タグ:彦根市

  • 絹屋半兵衛と湖東焼

    湖東焼は、江戸時代後期に絹屋半兵衛が思い立ったのが始まりです。 彦根市船町に半兵衛の屋敷跡があります。 絹屋半兵衛は、外船町(現船町)で代々呉服商を営む「絹屋」の養子でしたが、京都方面に行商に出向いていた半兵衛は、陶器に関心を寄せるようになり、彦根産の焼物を作りたいという思いを抱き、試行錯誤を繰り返しながら技術を向上させていきました。 そして、井伊直亮が、絹屋窯を召し上げ藩の直営とし、湖東焼は独自の技術を磨きながら最高水準を極め、井伊直弼の代に黄金期を迎えます。 直弼は「埋木舎」時代から茶道や焼き物に興味を持っていました。 藩主になった直弼は、窯を拡大、各地から名工を召し抱え、人材の育成に努め…

    地域タグ:彦根市

  • 長野主膳義言屋敷跡

    井伊直弼の参謀として活躍した長野主膳は、直弼の埋木舎時代には国学の師、藩主・大老時代には優秀なブレーンとして直弼政権を支えました。 その長野主膳の屋敷跡が彦根市立花町にあります。 主膳はここに、直弼の藩主就任前後から、主膳が処刑されるまでの約10年間過ごしました。 現在は民家の敷地内に、わずかに碑が残るのみですが、取り壊される前には、門や小屋、土蔵などが建てられていたそうです。 長野主膳 本名・義言(よしとき) 長野義言(主膳)の出自は明らかになっておらず、諸説あります。 天保12年(1841年)11月、主膳が27歳のとき、近江の市場村(山東町)で私塾高尚館を設立。 翌年、埋木舎にいた直弼も主…

    地域タグ:彦根市

  • 彦根藩善利組組屋敷(2)

    吉居家住宅 吉居家住宅は、旧芹橋12丁目のほぼ中央に位置しており、江戸時代後期の建造物と推定されます。天明元年(1781)の「三拾七組家並帳(さんじゅうしちくみやなみちょう)」や天保7年(1836)の「御城下惣絵図(ごじょうかそうえず)」に「吉居」姓が記載されており、少なくとも天明元年当時から吉居家の系譜をたどることができます。 (彦根市文化財情報より) 旧服部家住宅 旧服部家住宅は、旧芹橋12丁目に位置しており、江戸時代後期の建造物と推定されています。多少の改造は見られますが、足軽屋敷としての姿を比較的良く残しており、善利組の足軽屋敷を代表する貴重な建造物です。(彦根市文化財情報より) 旧磯…

    地域タグ:彦根市

  • 彦根藩善利組組屋敷(1)

    彦根藩善利組組屋敷をまわってみました。 善利組足軽組屋敷、城下の南部、外濠(現在の昭和新道)と芹川とに挟まれた地区にあります。彦根藩の足軽衆は、二十二俵三人扶持の禄高で、第四郭つまり町の一番外側に住居を置き、城下を守る役割を果たしていました。組屋敷は、中藪組が、慶長11年(1606年)に設置されたのをはじめ、善利組は、元和3年(1617年)、足軽の増強により、川原町裏手に8組が設置されました。その後、寛永6年(1629年)には、瓦焼町東側に切通上・下組、また安清町南側にも大雲寺組の組屋敷が設置されました。中組・北組が設置された時期は明らかではありません。面積では、善利組がもっとも大きく、東西約…

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  • 彦根藩上級武士の屋敷跡

    彦根藩上級武士の屋敷跡 旧西郷屋敷長屋門 旧西郷屋敷長屋門は、彦根城下では現存する長屋門中最大のもので、特に正面の外観はほとんど旧形を保ち、旧武家屋敷の面影を残す貴重な遺構で、市の指定文化財です。西郷家は遠州(現・静岡県)の出身で「34家」の1つで家老職でした。徳川家康に初代は仕えていましたが、家康の命で天正10年(1582)、井伊直政の付家老となり、幕末まで仕えました。彦根藩の当初より幕末まで、同じ土地で替地の無かった家老です。直興の代の頃の西郷籐左衛門は、禄高は3,000石でした。東辺に長屋門、北辺の西端に高麗門が位置しています。(彦根観光協会HPより) 家老 脇家屋敷跡 旧脇屋敷長屋門 …

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  • 彦根藩中級武士の屋敷跡(2)旧池田家屋敷跡

    旧池田家屋敷跡 旧池田屋敷長屋門は、彦根城の中掘に近い第三郭に建っています。かつて、池田屋敷のあった尾末町一帯には、中級武家屋敷が広がっていました。当建造物は彦根藩中級武家屋敷の典型をなす貴重な長屋門として、昭和48年に彦根市指定文化財に指定しています。この長屋門を良好に後世に伝えるため、地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律(通称 歴史まちづくり法)に基づく事業として、国の補助を得て平成20年度から23年度にかけて全解体修理事業を実施いたしました。建造物調査、発掘調査の結果から、これまで伝承でしかなかった馬屋の跡が実際に確認され、馬屋を復元いたしました。池田家は大阪陣以前「伊賀之者…

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  • 彦根藩中級武士の屋敷跡(1)旧鈴木屋敷長屋門

    彦根城中堀の南側に面している辺りは、中級武士の屋敷が立ち並んでいたところです。そこに、旧鈴木屋敷長屋門が残されています。 旧鈴木屋敷長屋門 旧鈴木屋敷長屋門は、彦根城の中堀に面した第三郭に建っています。かつて当地一帯は300石以上の中級武家屋敷が広がっていました。天保7年(1836)に城下町を描いた『御城下惣絵図』によると、当地には鈴木家5代権十郎重用の名があります。重用の当時の知行(給与)は350石で、彦根藩の藩校弘道館の物主(事務長)や書物奉行・中屋敷留守居などを職務としていました。かつての屋敷地は、間口10間半(約21m)、奥行27間半(約55m)ありましたが、現在は主屋などすべてが取り…

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  • 彦根・大師寺

    彦根駅から徒歩3分のところにある大師寺は、「駅前の弘法さん」として親しまれています。 山門 昭和6年に開山・真浄法尼が一人の僧に草鞋代を喜捨したことから始まりました。 由緒 当山は、弘法大師をご本尊とし、脇仏には波切り不動明王を安置しています。 真浄尼 本堂 大師寺は、日本随一の寝弘法さん(等身大のブロンズ臥像)と彦根一カ所七福神(石仏)奉安されています。 本堂内部 寝弘法さんの頭中には、京都東寺からの舎利が奉納されています。 寝弘法さん 大師寺を開山された真浄法尼が横たわり、仮死状態になって弘法大師様のご託宣をお聞きになったという逸話から作られたのがこの寝弘法さんといわれています。「南無大師…

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  • 彦根・圓常寺

    彦根城の西側にある圓常寺は、1611年(慶長16年)井伊直孝が母の菩提のため建立したお寺です。 直孝は初代・井伊直政を引継ぎ、彦根城を完成させた第2代彦根藩主です。 ご本尊は快慶作の阿弥陀如来立像。 快慶作の仏像は滋賀県内に石山寺の大日如来坐像と2体しか現存してないとのこと。表面に施されてていた漆や下地がはく落し、木材の損傷も進行していたことから、2013年から修理が行われたそうです。(滋賀彦根新聞より) 鐘楼また、境内の閻魔堂には13体の仏像が1安置されています。 ブログランキングの応援よろしくお願いします😄 にほんブログ村 神社・仏閣ランキング

  • 彦根・大信寺(2)井伊直孝の歯を祀る御廟

    直政の次男である2代藩主・井伊直孝は大変信心深い方で、井伊直政の法事の毎に大信寺に参詣されたといわれています。 万治2年(1659)に死去。遺骸は世田谷の豪徳寺に葬られましたが、直孝の歯骨の一部が、大信寺の御廟に祀られています。 歯のお墓としては随分立派な御廟です! 地蔵堂本堂平成大修復記念の瓦こちらにも井伊家の家紋が見えます。 ブログランキングの応援よろしくお願いします😄 にほんブログ村 神社・仏閣ランキング

  • 彦根・大信寺(1)井伊直政が創建した大信寺

    彦根の夢京橋キャッスルロードから少し入ったところにある大信寺の創建は、井伊直政が開いたのが始まりと伝えられています。 直政は、天正18年(1590)の徳川家康の関東移封に伴い、高崎城主になっていましたが、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの戦功により、佐和山城主となり、慶長8年(1603)、現・群馬県高崎市の大信寺の住職・照誉和尚が現在地を寺領として大信寺を建立。元禄6年(1693)、元禄14年(1701)の大火により全焼しますが、元禄から寛永年間に5代藩主・井伊直通が本堂を再建しています。本堂山門の両脇の石垣は、彦根城の残石を利用した牛蒡積みで築城時のものだといいます。 観音堂 ブログランキン…

  • 大酒神社

    広隆寺を見学し、太秦映画村に向かって歩いていた途中に通りかかった大酒神社。 気になったので、覗いてみることに。 広隆寺を創建した秦河勝を祖神とする秦氏の神社なのですね。 大酒神社は、仲哀天皇の頃、秦始皇帝の子孫の功満王(くまおう)が来朝し、「秦始皇之祖神」を勧請したたのが始まりとされています。 秦の始皇帝と聞いて、真っ先にキングダムの嬴政を思い浮かべました(^^ゞ 祭神は、秦始皇帝、弓月君(ゆづきのきみ)、秦酒公(はたのさけのきみ)、呉織神(くれはどりのかみ)、漢織神(あやはどりのかみ)。 現在は広隆寺の東隣にありますが、明治の神仏分離以前は、広隆寺の桂宮院内に鎮座していたとのこと。 ブログラ…

  • 広隆寺(3)霊宝殿

    霊宝殿は、広隆寺の文化財を収蔵展示する施設で、昭和57年(1982)に建てられました。 国宝の弥勒菩薩(半跏思惟像)をはじめ寄木造の千手観音(藤原期)、聖徳太子16歳像(鎌倉期)など、飛鳥、天平、貞観、藤原、鎌倉それぞれの時代を代表する仏像が安置されています。霊宝殿前の庭桂宮院本堂への入口※桂宮院本堂は通常非公開奥の院。境内の西側、塀で囲まれた一画にあり、聖徳太子が建てた楓野別宮(かえでのべつぐう)が起こった所とされる。聖徳太子像を祀る堂で法隆寺夢殿と同じ八角円堂であるが、建築様式的には純和様で檜皮葺きの軽快な堂である。正確な建造年は不明であるが、建長3年(1251年)、中観上人澄禅による当堂…

  • 広隆寺(2)上宮王院太子殿(本堂)

    広隆寺の本堂である上宮王院太子殿は、享保15年(1730年)建立されました。 入母屋造、檜皮葺きの宮殿風建築で、厨子内にはご本尊の聖徳太子立像が安置されています。 木造聖徳太子立像 - 像高148センチメートル。像内に元永3年(1120年)、仏師頼範作の造立銘があり、聖徳太子が秦河勝に仏像を賜った時の年齢である33歳時の像で、下着姿の像の上に実物の着物を着せて安置されている。その着衣は、天皇が即位などの重要儀式の際に着用する黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)で、広隆寺では天皇より贈られたその袍を本像に着せるならわしが平安時代より現代まで続いている。上皇明仁も天皇時代に袍を下賜されており、この像に…

  • 広隆寺(1)南大門~薬師堂

    京都市右京区太秦蜂岡町にある広隆寺は、 渡来人系の氏族である秦氏の氏寺で、平安京遷都以前から存在した京都府下最古の寺院とされています。 本尊は聖徳太子、国宝の弥勒菩薩半跏像を蔵することで知られています。 蜂岡寺(はちおかでら)、秦公寺(はたのきみでら)、太秦寺などの別称があり、地名を冠して太秦広隆寺とも呼ばれています。 楼門(南大門) 元禄15年(1702年)建立と伝わります。 楼門を入り、参道を進むと、右手に講堂、左手に薬師堂などがあります。 講堂(赤堂、重要文化財) 永万元年(1165年)再建。正面5間、側面4間、寄棟造、本瓦葺き。瓦銘や近世の絵図によれば元は「金堂」と呼ばれていた[16]…

  • 三輪明神 大神神社(4)摂社

    続いて、大神神社の摂社をお参りしました。 活日神社(いくひじんじゃ) 祭神:高橋活日命 崇神天皇の時代に大神神社の掌酒を務めた名人を祀っています。 酒の神として知られています。 磐座神社(いわくらじんじゃ) 祭神:少彦名神 三輪山周辺に点在する辺津磐座(神が鎮まる岩)の中心。 狭井神社 (さいじんじゃ) 御神体である三輪山への登拝口が境内にある三輪の神様の荒魂(あらみたま)をまつる神社。 祭神:大神荒魂神 病気平癒の神様として信仰が篤い。 撮影日:2024年4月28日 ブログランキングの応援よろしくお願いします😄 にほんブログ村 神社・仏閣ランキング

  • 三輪明神 大神神社(3)銀竜草

    ※昨年の春お参りした大神神社の記事の続きです。 この日、大神神社の境内では、摂社の神宝(かんだから)神社や狭井(さい)神社の周辺で 銀竜草(ギンリョウソウ)が白い花を咲かせていました。 銀竜草は、薄暗く落ち葉のたまった湿り気のある場所に生える多年草で、光合成をせず菌類などから栄養を得るそうです。 ツツジ科の多年草で高さは10~15センチほどで、その姿からユウレイタケ とも呼ばれています。 初めて見た銀竜草の姿に感動!! 撮影日:2024年4月28日 ブログランキングの応援よろしくお願いします😄 にほんブログ村 神社・仏閣ランキング

  • 三輪明神 大神神社(2)

    それでは、大神神社の拝殿にお参りしましょう! 神体山三輪山を拝する原始信仰から出発したとされ、拝殿・神門(三つ鳥居)のみで神殿をもたず、山を含めた境内には古杉が茂り、多数の摂社・末社がある。大神神社境内として国指定史跡。参道脇を古く馬場ばば村という。わが国最古の神社とされ、古代より朝野の尊崇厚く、平安時代には二十二社の一として大和国一宮となった。「延喜式」神名帳にみえる城上しきじよう郡「大神大物主神社名神大、月次相嘗新嘗」にあたり、現在、倭大物主櫛玉やまとおおものぬしくしみかたま命を祭神とし、大己貴おおなむち神・少彦名すくなひこな神を配祀。(コトバンクより) 拝殿(重要文化財) 寛文4年(16…

  • 新年の挨拶

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  • 三輪明神 大神神社(1)

    大神神社(おおみわじんじゃ)は、奈良県桜井市三輪にある日本最古の神社の一つ。 三輪山を御神体とするため、本殿はなく、拝殿から三ツ鳥居を通して山に向かってお参りします。 三輪山は国を造られた大物主大神(大国様)が御魂を留めたという霊山で、昔から「神の宿る山」として崇められてきました。 二の鳥居をくぐり、参道を進むと最初に鎮座するのが祓戸神社です。 末社 祓戸神社 祓戸の四神、瀬織津姫神・速秋津姫神・気吹戸主神・速佐須良姫神が祀られています。 心身を祓い清める神様を祀っていますので、まずはここでお参りをしましょう。 夫婦岩 三輪の神と人間の女性の恋物語を伝える二つの岩。 夫婦のように寄り添い、縁結…

  • 瑞龍寺 家康の正室・旭姫の墓

    静岡浅間神社から5分ほど北に行ったところに瑞龍寺というお寺があります。 1560年(永禄3年)、能屋梵藝によって開山され、徳川家康が居城を駿府城に定めた際に寺領が与えられました。天下取りを目指した豊臣秀吉は、家康と同盟関係を築くため、天正1586(14)年、自分の妹である旭姫を、夫の佐治日向守(さじひゅうがのかみ)離縁させ、 築山御前の死後、正室を持たなかった家康に嫁がせました。 同年、旭姫は、家康と共に浜松城から完成した駿府城に移り、駿河御前と呼ばれました。旭姫は、1588(天正16)年に自分の母である大政所の病気見舞いのために上洛しますが、1590(天正)18年京都・聚楽第で 病気のため、…

  • 家康ゆかりの大楠のある若宮八幡宮

    駿府城公園から臨済寺へ向かう途中にある若宮八幡宮。 こちらもも徳川家康ゆかりの神社として知られています。 境内の大楠は、樹齢1000年以上と伝えられています。 家康は、鷹狩りの道中に度々ここに立ち寄り、大楠の木陰で休息をとったと伝えられています。 ブログランキングの応援よろしくお願いします😄 にほんブログ村 神社・仏閣ランキング

  • 竹千代ゆかりの小梳神社

    静岡市葵区の紺屋町に鎮座する小梳神社(おぐしじんじゃ)は、奈良時代以前の由緒をもつ古社です。 静岡駅からわずか200m。繁華街の一角にあります。竹千代(後の徳川家康)が人質として駿府に来たとき、まずはこの神社に立ち寄り、服装を改め武運長久の祈願をしてから、今川義元と対面したと伝えられています。その後、徳川家康が天下を統一し駿府城にとどまるにあたり、代々徳川家の守り神である大己貴命と天照大神の2柱を合祀して、駿府城の守護神として尊崇されてきました。平安時代初期のころから少将井神社とも呼ばれました。 小梳神社 小梳神社は、俗に少将井宮(少将井社)、略して「少将さん」と呼ばれ、駿府城の守護神として崇…

  • 於愛の方(西郷局)の菩提寺(3)宝台院

    宝台院は、日露戦争時には、ロシア兵の捕虜収容所となりました。本堂は、旧国宝でしたが、1940年(昭和15年)1月15日の静岡大火で焼失。現在は、モダンな建物となっています。 本堂内陣は、天井の高い本堂で、本尊の両脇には徳川家康の旗印で使っていた「厭離穢土」「欣求浄土」の文字が並んでいます。本尊は白本尊と呼ばれ、芝増上寺の黒本尊と共に家康の守り本尊となった阿弥陀如来立像(国・重要文化財)です。白本尊と呼ばれる由来は、金箔の下に白い胡粉が使われていたからと言われています。若き日の家康像として注目されている家康公の自画像(市・重要文化財)も所蔵しています。(宝台院HPより)かしく坊の辞世唄がうまかっ…

  • 於愛の方(西郷局)の菩提寺(2)宝台院

    また、宝台院は、江戸開城後に、徳川慶喜が1年間近くを謹慎した場所としても知られます。 江戸城は、慶応4年(1868)4月11日に新政府軍に明け渡され、彰義隊や旧幕臣の暴発を恐れた慶喜は、11日午前3時に寛永寺大慈院を出て水戸へ向かいました。水戸では弘道館の至善堂にて引き続き謹慎した後、7月に徳川家が駿府に移封されると、7月23日、慶喜も駿河の宝台院に移って、明治2年9月28日までの約1年間を宝台院で謹慎されました。これにより、徳川家による政権は幕を閉じ、以後、幕府制度や征夷大将軍の官職は廃止され、慶喜は日本史上最後の征夷大将軍となりました。徳川慶喜公謹慎之地石碑には、当時の緊迫した状況が記載さ…

  • 於愛の方(西郷局)の菩提寺・宝台院(1)

    JR静岡駅北口から国道1号線沿いに徒歩10分、葵区常磐町二丁目に宝台院という浄土宗のお寺があります。 山号は金米山。寺号は龍泉寺。 宝台院は、1509年(永正6年)祐崇によって開かれた寺で、徳川家康の側室で、二代将軍・徳川秀忠の生母於愛の方(西郷局)の菩提寺です。西郷の局は、天正14年(1586)家康とともに駿府城に入りましたが、天正17年(1589)38歳で亡くなり、龍泉寺(宝台院)に葬られました。寛永5年(1628)、秀忠は母の菩提を弔うため寺を現在の場所(常磐町)に移し、その時に寺号も龍泉寺から宝台院と改称しました。以来、宝台院と呼ばれるようになりました。西郷局(さいごうのつぼね、天文2…

  • 華陽院(2)市姫の墓

    源応尼の墓の隣には徳川家康の五女・市姫の墓があります。 市姫(いちひめ、慶長12年1月1日(1607年1月28日) - 慶長15年2月12日[1](1610年3月7日))は、伊達政宗の嫡男・伊達忠宗と婚約していた女性。父は徳川家康(市姫は五女)。母は側室のお梶の方(遠山氏)。徳川家康が66歳のときに生まれた五女である。家康はかつて、織田信長の妹で絶世の美女と謳われたお市の方のように美女になってほしいと願っていたらしく、市姫と命名した。慶長12年(1607年)2月8日、家康は当時、最大の勢力を誇っていた外様大名の伊達政宗と関係をさらに深めるため、政宗の嫡男・虎菊丸(のちの忠宗)と婚約させている。…

  • 華陽院(1)家康の祖母・源応尼の墓

    静岡市葵区鷹匠の華陽院 境内には、徳川家康の祖母・源応尼の墓があります。源応尼の実名は「お富の方」、または「お万の方」といいます。明応元年(1492年)誕生した源応尼は、はじめ、三河国刈谷城城主・水野忠政に嫁いで水野忠重や於大の方ら3男1女を生みました。しかし、岡崎城城主・松平清康がその美しさに目をつけて、松平氏が水野氏を破ったときの講和条件として譲り受けたといわれています。清康の死後、三河の諸豪族に次々に嫁ぎましたが、夫に先立たれ、駿河国の大名・今川義元を頼って駿府に入り、出家して源応尼と名乗ります。竹千代(後の徳川家康)が今川氏の人質として駿府に送られると、竹千代が元服するまでの8年間、そ…

  • 徳川家康公出陣キット

    駿府城公園外堀沿いにある駿府ホリノテラスに「徳川家康公出陣キット」のモニュメントがあります。 徳川家康が身に着けた金色の鎧「金陀美具足(きんだみぐそく)」をモチーフにしたものです。 大河ドラマ「どうする家康」でも松本潤さんが身に着ける場面がありましたね。 このモニュメントは、静岡市で盛んなプラモデル生産に因んだ「静岡市プラモデル化計画」の一環でつくられたもので、「徳川家康公出陣キット」と題し、兜や袖、小手など十一のパーツに分かれています。 駿府城公園に行くついでに立ち寄ってみてはいかがでしょうか?😊 ブログランキングの応援よろしくお願いします😄 にほんブログ村 神社・仏閣ランキング

  • 静岡駅前の竹千代・今川義元・徳川家康の銅像

    静岡駅北口駅前広場にある銅像を紹介します。 徳川家康にとって駿府は、最長約25年を過ごした地です。今川家の人質として過ごした幼少期と江戸に移るまでの数年間、晩年の大御所時代の3度を駿府城で過ごしました。竹千代像は、家康が8歳から19歳まで今川氏の人質として過ごした幼少期の姿。 竹千代像 この隣には、今川義元公生誕五百年祭を記念し、令和2年に設置された今川義元の甲冑姿の銅像もあります。 今川義元像 そして、こちらは、壮年期の家康像です。徳川家康像平成19年度に家康の駿府城入城四百年を記念し、「大御所四百年祭」展開してきた事業の一環として平成21年3月19日、銅像が設置され、像台座の題字は、徳川宗…

  • 静岡の蓮永寺(2)お万の方の供養塔

    蓮永寺の墓所には、お万の方の供養塔があります。 養珠院(ようじゅいん、天正8年(1580年) - 承応2年8月22日(1653年10月13日))は、徳川家康の側室。紀州徳川家の家祖徳川頼宣、および水戸徳川家の家祖徳川頼房の母。名は万。母は北条氏隆(氏尭の誤伝か)の娘とも北条氏尭の娘、あるいは田中泰行の娘(=北条氏尭の養女、板部岡江雪斎の姉の娘・姪)ともいい、諸説ある。実父の正木頼忠は上総勝浦城主正木氏の正木時忠の次男で、当初は小田原に人質として滞在していたが、万の同母兄である為春と万をもうけた後、急死した実兄の正木時通の跡を継ぐため上総に戻ることになる。万と為春の生母は後北条家家臣だった蔭山氏…

  • 静岡の蓮永寺(1)駿府城鎮護の寺

    静岡市葵区の沓谷(くつのや)にある蓮永寺は、文永11年(1274)、日蓮上人の高弟・日持上人によって庵原郡松野村(現在の富士川町)に開創されました。その後、衰退しましたが、徳川家康の側室・お万の方の発願により、元和元年(1615)、駿府城鎮護の寺として現在の沓谷に移し、再興されることになりました。山門仁王門実に広々とした境内です。 鐘楼庫裏客殿本堂 蓮永寺(貞松山蓮永寺・みまつさんれんえいじ) 蓮永寺は、はじめ庵原(いはら)郡松野村に建てられてあったが、元和元年(1615)、お万の方(の発願によって、駿府の鎮護とすべく、この地に再興されたものである。 お万の方は、上総国(千葉県)大滝城主正木左…

  • 大善寺の亀姫の墓

    JR飯田線「新城駅」から徒歩4分のところにある大善寺には、亀姫の墓とされる五輪塔があります。本堂 亀姫は、徳川家康との築山御前の長女で、兄は松平信康。奥平信昌の正室。永禄3年(1560年)、駿府で生まれた。元亀4年(1573年)ごろに家康が奥三河における武田氏の勢力を牽制するため奥平氏の帰順を試みた際、織田信長の提案で亀姫と新城城主・奥平信昌の婚約が提示条件の一つとなり、長篠の戦いをめぐる戦功への家康からの褒美として天正4年(1576年)7月、信昌へ嫁いだ(「徳川幕府家譜」『徳川諸家系譜第一』)[3] 。生涯、信昌に一人も側室を置かせず、自身で4人の男子(家昌・家治・忠政・忠明)と1女(大久保…

  • 本多忠豊の墓碑

    本多忠豊は、徳川四天王の一人、本多忠勝の祖父にあたります。 1544年(天文13年)9月、安祥城は、織田信長の父・織田信秀に支配されました。 安祥城を奪還するため、岡崎城の徳川家康の父・松平広忠は、1545年(天文14年)9月、上条西で織田軍と交戦。(第二次安祥合戦) 織田軍の援軍によって挟み撃ちにされ、敗北した松平広忠を逃がすため、殿軍(しんがり)を務めて討死したといわれています。 三河国乗子の大中寺に葬られ、後に妙源寺に改葬されました。 墓碑は、討ち死にしたと考えられる場所に建立されています。 ブログランキングの応援よろしくお願いします😄 にほんブログ村 神社・仏閣ランキング

  • 本多忠高の墓碑

    安祥城の近くの住宅地の中に、本多忠勝の祖父と父の墓碑があります。 墓所は妙源寺(愛知県岡崎市大和町)にあり、戦死地の安城町赤塚にも墓碑が建てられています。 まずは、本多忠勝の父・本多忠高の墓碑から紹介します。 市指定史跡 本多忠高墓碑 天文九年(1540)尾張の織田信秀(織田信長の父)が、安城城(安祥城)を奪い取ります。その後、天文十八年(1549)までの約10年間、安城城争奪戦、いわゆる『安城合戦』が繰り返されました。 天文十八年(1549)、岡崎城主・松平広忠(徳川家康の父)が没しました。同年、今川・松平軍は太原崇孚(たいげん そうふ)雪斎を総大将とし、織田軍が占領する安城城を攻撃しました…

  • 竹千代ゆかりの井戸「筒井泉跡」

    大乗寺から筒井泉跡へ。 筒井とは、安城城周辺の七つ井(筒井、浅黄井、中井、桜井、柳井、梅ノ井、風呂井)の一つです。 筒井は、中でも名井であったと言われ、安城城の城主がこの水を茶の湯に使ったとされています。 1549年(天文18年)に竹千代(後の徳川家康)が人質となっていた織田家から岡崎へ戻る際、筒井の水を飲み、この水を大変気に入ったので、竹筒に入れて持ち帰ったことが「筒井」の名の由来と言われています。 市指定史跡 筒井泉跡 昭和43年4月1日指定 安城城周辺の台地の縁から水が湧き出す地があり、そのうち筒井、浅黄井、中井、桜井、柳井、 梅ノ井、風呂井の七カ所は「七ツ井」と呼ばれてきました。天文1…

  • 安祥城(2)大乗寺

    安祥城の城跡は、現在安祥城址公園として整備され、本丸跡には大乗寺があります。 安祥山了雲院大乗寺は、延徳元年、安祥城主・松平親忠が勢誉愚底上人を開山として創建されました。 安祥合戦と享保の火災で荒廃しましたが、安祥城址に移転再建後は城跡のお寺として知られています。 市指定史跡 安祥城址 昭和36年10月1日指定 安城城(安祥城)が築かれた年代や人物は明らかではありません。一説には、室町時代の永享年間 (1429~1441)、志貴荘の地頭和田親平によるともいわれます。江戸時代に記された「三河物語」には、岩津城 (岡崎市)を本拠としていた松平信光が、文明8年 (1476) ころに安城城を奪い取った…

  • 安祥城(1)安祥城址公園

    愛知県安城市の安祥城(あんじょうじょう)は、永享12年(1440)、畠山一族の和田親平が築城したといわれ、別名を森城といい、天守を持たない平山城でした。 文明年間、松平信光が本拠地として以来、岡崎に移るまで徳川四代の居城となりました。現在城跡は安祥城址公園として整備され、本丸跡に大乗寺、二の丸跡に八幡社、周囲に堀や土塁などが残っています。 愛知県安城市にあった中世の平山城(ひらやまじろ)。三河国碧海郡(あおみのこおり)周辺(現愛知県碧海(へきかい)郡)を支配していた和田親平が1440年(永享12)に築城したとされる。その後、1471年(文明3)に、岩津城(岡崎市)の松平信光(のぶみつ)が謀略を…

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