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東大阪市の蓮城寺は、豊臣方武将・木村重成の菩提寺で、若江の戦いの際、重成はこの辺りに布陣しました。 母の宮内卿局(一説には右京大夫局とも)は豊臣秀頼の乳母となり、重成は幼少から秀頼の小姓として仕えたといわれています。 慶長19年 (1614) 大坂冬の陣には玉造口を守備し奮戦。 元和1 年(1615) の大坂夏の陣で、長宗我部盛親らと出撃し、八尾・若江で井伊直孝、藤堂高虎と戦って戦死しました。 境内には重成の位牌堂があ...
こんばんは〜!昼間に台風みたいな強風が吹いたそうで。帰ってから大奥に聞きました。屋内で仕事をしていたので全然分かりませんでした。これも平和なんですかねぇ?でも仕事の方は最近、息子と同じくらいの女上司に怒られっぱなしでどうも嫌われてしまったようです。胃酸を
こんばんは〜!昨日は紅葉を求めて招き猫で有名な豪徳寺まで行ってきました。これは数年前に購入したものです。今回はこれを収めてこようと思い持って行きました。家を出ていつもはバスで横浜まで行くのですが昨日は健康のために少し離れた最寄り駅まで歩くことにしました。
彦根市中央町の長松院は、井伊直政が荼毘に付されたところです。慶長7年(1602年)直政は、関ヶ原の戦いで受けた戦傷で、破傷風にかかり病没。その遺意により当時暴れ川であった芹川の三角州にて荼毘に付されました。その跡地に創建された寺院が長松院です。故事によると、善利川(現芹川)の中州において、慶長7年2月1日、井伊直政が42歳にして死去、生前より遺言されていた当地において火化し骨灰遺物を埋葬、塚を建立しその傍に...
慶長5年(1600年)井伊直政は、徳川家康から佐和山18万石を拝領し、井伊家を彦根へと移しました。直政は生前、彦根にも龍潭寺を建立するよう言い残し、井伊谷・龍潭寺の五代目の住職となった昊天が遠江国から分寺し、彦根の龍潭寺を開山しました。龍潭寺の建立されている佐和山は、石田三成の居城・佐和山城があった地でもあることから、参道の入り口近くに石田三成の像があります。いつものように、石田様にご挨拶して、緑に囲まれ...