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彦根市中央町の長松院は、井伊直政が荼毘に付されたところです。慶長7年(1602年)直政は、関ヶ原の戦いで受けた戦傷で、破傷風にかかり病没。その遺意により当時暴れ川であった芹川の三角州にて荼毘に付されました。その跡地に創建された寺院が長松院です。故事によると、善利川(現芹川)の中州において、慶長7年2月1日、井伊直政が42歳にして死去、生前より遺言されていた当地において火化し骨灰遺物を埋葬、塚を建立しその傍に...
慶長5年(1600年)井伊直政は、徳川家康から佐和山18万石を拝領し、井伊家を彦根へと移しました。直政は生前、彦根にも龍潭寺を建立するよう言い残し、井伊谷・龍潭寺の五代目の住職となった昊天が遠江国から分寺し、彦根の龍潭寺を開山しました。龍潭寺の建立されている佐和山は、石田三成の居城・佐和山城があった地でもあることから、参道の入り口近くに石田三成の像があります。いつものように、石田様にご挨拶して、緑に囲まれ...
天正18年(1590年)佐和山城主となった石田三成は、当時荒廃していたという佐和山城に大改修を行い、山頂に五層の天守が高くそびえたつほどの近世城郭を築き、人をして「治部少に過ぎたるもの二つあり 島の左近と佐和山の城」と言わしめました。三成は伏見城に滞在することが多く、実際に城を任されていたのは父の正継であったといいます。慶長4年(1599年)大老・前田利家が病死すると、三成と対立関係にあった武断派の加藤清正、福...
仁王門本堂の真南、寺全体の正面に位置している仁王門は、昭和62年(1987)清山和尚代に建立されました。さて、龍潭寺の本堂に入ってみましょう。庫裡 丈六の釈迦牟尼仏 丈六の釈迦牟尼仏 この仏さまは遠州地方第一の大仏さま、丈六仏です。丈六とは一丈六尺(5米)の寸法をいいますが、お座りですから三米ほどの高さです。 静かに己の心を深く見つめておられる、座禅のお姿の仏さまです。 この仏さまのお体には黒い...
後醍醐天皇の皇子・宗良親王の菩提寺である龍潭寺は、古くは地蔵寺といい、天平5年(733)に行基によって開創されたと伝わっています。井伊家は藤原鎌足の後裔とされ、藤原共資公(元祖共保公の父)の時、遠江国守として遠州村櫛に下り、共保公より井伊谷の地に移り、約五百年間にわたり、井伊谷の庄を治めました。保元の乱では源義朝に、鎌倉時代には源頼朝に仕え、南北朝時代では御醍醐天皇皇子・宗良親王を迎え北朝と戦いました...