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戦国群雄の世を最終的に把握した徳川家康(1543-1616年)には高齢になってから 儲けた三人の男子がありました。 長幼の順にこうなります。 〇九男・義直(1601-1650年)/尾張名古屋藩の初代藩主。 〇十男・頼宣(1602-1671年)/紀伊和歌山藩の初代藩主。 ...
「大奥」 第18話 ネタバレ 感想~幸せな時間が短すぎる。福士蒼汰が良すぎる!
幕末編 よしながふみ/大奥 あらすじはコチラ→☆ 徳川家定(愛希れいか)は懐妊した。 つわりで食が進まない家定はカステラを作る。 仲睦まじく過ごす家定と 胤篤(福士蒼汰) 好みの裃を着た胤篤に家定が見惚れる。 その日の夜、胤篤に 「好きだ。
江戸幕府の大老・井伊直弼が幕末に暗殺された桜田門外の変を巡り、関わった薩摩藩の浪士を捜索に来た幕府の使者と、同藩の役人とのやりとりを佐敷宿(現在の熊本県芦北町)で記録した当時の覚書『佐敷表早書』が発見された。 同事件では、直弼の首を討ち取った薩摩藩浪士・有村次左衛門が重傷を負い、現場近くで切腹。その兄、雄助は関係者への事情説明と対応を協議する連絡役として京都に向かう途中、事件の波及を恐れた同藩の追...
*近所のまいばすけっとの前で、こぶしの花が一輪咲いているの見つけました___2023年3月2日 春一番が1日に吹き、3日はひな祭り。 「桜田門外の変」は安政7年3月3日のことなんだよね( 西暦1860年3月24日)。163年前のことで、私はもちろん生きてはいませんが、大雪...
井伊直弼の安政の大獄と将軍継嗣(けいし)問題 楽しい日本史 -近代国家への道-
ペリーの来航から5年後、大老・井伊直弼は勅許のないまま日米修好通商条約の締結に踏み切る。これが多方面から大バッ
法久山 大前院 上行寺(→神奈川県鎌倉市大町2丁目)は、鎌倉時代後期の1313(正和2)年に僧の日範が開山した日蓮宗寺院です。境内には、平安時代前期の正暦年間(→990年~995年)に勧請されたと伝わる瘡守(かさもり)稲荷や身代わり鬼子母神(きしぼじん)が祀られ、今日では「癌封じの寺」としても有名です。瘡守(かさもり)には、感染力が強く、古代から近世にかけて「不治の病」と恐れられていた疱瘡(ほうそう→天然痘)から人々を守るとい...
江戸城(→東京都千代田区千代田)は平安時代中期の11世紀に秩父平氏の江戸重継(しげつぐ)が館を構えたのが始まりとされます。室町時代の1457(康正3/長禄元)年に武蔵国守護の扇谷(おうぎがやつ)上杉氏の家宰・太田道灌(おおたどうかん)が江戸城を築城しました。戦国時代には小田原北条氏が扇谷上杉氏を破って武蔵に進出すると、江戸城は1524(大永4)年に小田原北条氏の2代北条氏綱(うじつな)の支配下に入りました。1590(天正18)年7月...
こんにちは、みなみです。 東京都港区に愛宕神社(あたごじんじゃ)という神社があります。 1603年、徳川家康により、江戸を火災から守る「防火の神様」として創建されました。 主祭神は火産霊命(ほむすびのみこと)です。 神社 ...
増補 幕末百話 (岩波文庫) 作者:篠田 鉱造 岩波書店 Amazon 朝日新聞の「天声人語」は、1904年(明治37年)に掲載が始まった。そのタイトルは「天に声あり、人をして語らしむ」という「中国の古典」に由来するとされる。しかし、どうもその出自はあやしい。 中国文学者だった高島俊男は、そのような古典には心当たりがないと書き残した。また、戦後17年もの長きにわたって天声人語の執筆を担当した荒垣秀雄は、まさに天声人語の中で「その原典はよくわからぬ」と正直に書いている。 ところが、たまたま手に取った本の中に、これこそが元ネタではないかと思われるものを見つけた。本の名を「幕末百話」(岩波文庫)とい…
【将軍継承問題】後編 1866年(慶応2年)第二次長州征討の途上、謎の急死を遂げた家茂に代わり、15代将軍となった一橋家(水戸)出身の徳川慶喜。ご存知の通り、江戸幕府最後の将軍となります。正室である妻は、五摂家の公家、一条家から迎えています。在職期間は僅か1年間であり、江戸...