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<二条城(後編)>の”城門”を巡るー埋門形式の”西門”と”北中仕切門”、米蔵に併設の”長屋門”
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
【徳川慶喜の生涯】15代最後の将軍は何をした人?江戸城スルーのスマート決断をサクッと解説!
徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)は、江戸幕府の15代目最後の将軍として、幕府の終焉を迎えた時代に重要な役割を果たした人物です。彼は、聡明で先見の明があり、激動の幕末において数々の難局に直面しました。今回は、徳川慶喜の生涯と、彼がどのような決断
11月9日 に 大政奉還 が行われました、坂本龍馬・徳川慶喜 は どうかかわったのか!?【めちゃ推しYouTube】
1867年11月9日に大政奉還が行われました。そこで、坂本龍馬と大政奉還、徳川慶喜と大政奉還 の YouTube 動画 をご紹介します。
公家であり政治家であった岩倉具視(1825-1883年)の名は、明治維新に大きな貢献を果たした人物、いわゆる「維新十傑」にも加えられている。いかにのんびり屋のヒメ隊員であっても、このことはさすがにご存知だろう。これは、幕末期において公家・政治家の立場を最大限に利用
世界遺産「二条城」、徳川幕府の栄華と終焉を見届けた城【京都・京都市】
二条城は徳川家康の京都での宿泊所として建立された。家康が征夷大将軍に任命された際には、盛大な祝賀を開催。また、15代将軍慶喜が大政奉還をおこなった場所でもありまます。そんな、徳川幕府の栄華と終焉を見守ってきた二条城とはどんな城だったのか?国宝指定の二の丸御殿などをめぐりながら紐解きます。
江戸幕府の終焉 大政奉還とは 楽しい日本史 -近代国家への道-
坂本龍馬の説得のもと長州藩と薩摩藩の間で薩長同盟が成立し、いよいよ倒幕が進みついに大政奉還が実行される。これに
水戸藩主・徳川斉昭を父、またその正室である(有栖川)宮家出身の吉子女王を母として、江戸・小石川の水戸藩邸で生まれたのが、後に江戸幕府最後の将軍となった第15代・徳川慶喜(1837-1913年)だ。ということは、慶喜の体には生まれながらにして「水戸藩」と「皇室(天皇家
今日は昨年行った 二条城【山城国】を紹介します。 場所は京都市の中心地である中京区に位置しており訪れたのは昨年11月の京都の旅の一コマでありました。 残念ながら天守こそ残ってない
京都旅行1日目 Part2 でまさかの真実が、、、 -2022/04/13-
こんにちばんは。 本日は昨日の続きであるランチ後から書いていきます。 よろしくお願いします。 その後はまず、バス地下鉄1日券を買いに、、、地下鉄の窓口へ。 すると販売している方がとても親切で、「今
【将軍継承問題】後編 1866年(慶応2年)第二次長州征討の途上、謎の急死を遂げた家茂に代わり、15代将軍となった一橋家(水戸)出身の徳川慶喜。ご存知の通り、江戸幕府最後の将軍となります。正室である妻は、五摂家の公家、一条家から迎えています。在職期間は僅か1年間であり、江戸...
【坂本龍馬】 みなさんおはようございます。今日は、幕末の英雄として人気の坂本龍馬について。 <坂本龍馬> 土佐藩の下級郷士。二度の脱藩を経て、日本で初のカンパニーである亀山社中を設立。一時は土佐勤皇党に在籍し、尊皇攘夷を志すも、様々な人物と交流を図る中で方向を転換。開国し、...
【中岡慎太郎】 引き続き、龍馬の盟友中岡慎太郎について書いていこうと思います。 <中岡慎太郎> 龍馬と同じ、土佐の下級郷士。土佐勤皇党に在籍していた時期もある。8月18日の政変後、板垣退助らと交流を持つ。尊皇攘夷の志を立て、陸援隊を組織。その後、公家の岩倉具視の 配下に入り...
【大政奉還と王政復古】 みなさんおはようございます。今日は大政奉還と王政復古について簡単に書いてみます。 <大政奉還> 1867年(慶応3年)将軍徳川慶喜が、政権の返上を明治天皇に奏上し認められたこと。 <王政復古の大号令> 大政奉還を受け、明治天皇が宣言 ①江戸幕府の廃止...