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今日という日は、残りの人生の最初の日である 訪問いただき有難うございます独り言を前向きな言葉で綴りたいです。 🍀家族紹介🍀私メンドクセーゼ星人( ゚Д゚)…
今後、この人についても研究したいと思っているが、明治期から戦後にかけて活動した、加藤熊一郎(1870~1949)という人がいる。でも、この本名については余り知られていないと思うので、居士号でいうと、加藤咄堂居士のことである。咄堂居士は、大内青巒居士門下の四天王の筆頭ともいわれた人であり、仏教に基づく教育振興に励んだ人であった。ついでに、新仏教運動を行った高嶋米峰などは、咄堂居士の見解が、余りに青巒居士に似ていることから「小大内」と呼び、一方で師の青巒居士のことを「大加藤」と呼んだ。後者の「ダジャレ」については、拙僧が指摘するまでもないか・・・米峰にはシャレのセンスが無い。それで、咄堂居士については一度、「仏教教育」の立場から採り上げてみたいと思っているし、類似した先行研究も何本かあることは承知している。そ...或る居士が語る「犯罪と宗教」
今日という日は、残りの人生の最初の日である 訪問いただき有難うございます独り言を前向きな言葉で綴りたいです。 🍀家族紹介🍀私メンドクセーゼ星人( ゚Д゚)…
翻訳家・鴻巣友季子さんの『明治大正 翻訳ワンダーランド』は、明治・大正時代の翻訳者の功績について書かれた本。 昔の翻訳家は、未知の欧米の風習や文化の描写を創意工夫・悪戦苦闘の末、翻訳していたのです。 悲劇がハッピーエンドに?明治のトンデモ翻
日本橋のシンボルとして愛された『川崎銀行本店』が展望タワーに!
おつかれさまです。 ------- 小出しに「明治村」の建築物を紹介しています。 ------- 今日は、 日本橋のシンボルとして愛された 川崎銀行本店 の一部です。 地上3階・地下1階、間口38m、高さ20mの堂々たる建造物でしたが、移築・保存されたのは正面左端の外壁が部分的だけ。 それでも、重厚感のある造りでスゴい迫力です! 『川崎銀行本店』は、 昭和2年(1927)に建設され、 昭和61~62年(1986~87)に解体、 平成2年(1990)に移築されました。 明治村は“明治建築を保存展示する野外博物館”ですが、昭和や大正時代の建築物もチラホラ…『川崎銀行本店』も昭和の建築物です。 移築…
【松戸の隠れ散策スポット】将軍家ゆかりの別邸「戸定邸」でタイムスリップ!
松戸にある徳川将軍家ゆかりの「戸定邸」。 国の重要文化財に指定されていて、当時の建築や暮らしぶりを垣間見ることができます。幕末、明治の時代にタイムスリップしたような気分を味わえます。緑と歴史が調和した戸定邸。ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。久しぶりのまったり登山道の更新です!
シバスモービルで鶴舞公園まで行きました。(^-^)最近、名古屋市営バスの運転手が運行中にスマホを利用していたというニュースを見ましたが、おいおい、そんなんじゃ危なくて乗ってらんねぇえよ!!って、また乗るけれど。(-"-) さてさて、鶴舞公園は明治時代のオープンですから、そこかしこに明治時代の香りが残っています。('ω')まずは、玄関口から・・・すごいよねぇ、アラビア文字風。右から左へと読みます。そして、明治天皇による五か条の御誓文のブロンズ壁があります。そういえば、なにかと現代と異なる感覚のものが多いですね。このブロンズ像の噴水!口から噴水が出ています。ずっと、うがいしているみたい。これって、むしろ前衛芸術的ですらあります!そして、鶴舞公園のはずれには古墳がありますが・・・立ち入り禁止ですから、こんな景色...鶴舞公園で見つけた珍しいもの
あまり楽しい話題ではないので、好みに合わないと感じた場合は、迷わず ちゃっちゃとスルーしちゃってください。 かく申す筆者自身もまた、そうした箇所ははハナからスルーすることにしています から、気兼ねはとんと無用に願います。 さて、今回取り上げる話題は「極刑」ということで、こん...
明治時代にも地震や津波による大きな被害が発生しました。 浜田地震、濃尾地震、庄内地震、陸羽地震では揺れにより多くの犠牲者が出ました。 津波を伴う地震も多くあり、特に明治三陸地震では死者が21959人と非常に大きな被害になりました。
真夏日当日のことでしたが、何気にTVを見ていたら、筆者には聞き慣れないこんな 言葉が耳に入ってきました。 「クールシェアスポット」・・・ 筆者がピンと来ていないことを察知したものか、TV側も補足説明のオマケです。 そのオマケを整理し直すと、 ~夏の暑さを忘れられるような、身...
明治9年(1876年)、工部省品川硝子製造所が発足し、さまざまなガラス製品の製造と研究が始まりました。明治10年代にはガラス食器が全国に広まり、ついに北海道にもガラス製造の波が押し寄せました。北海道でのガラス器製造は明治12年(1879年)に函館で始まり、その後、札幌や小樽でもガラス工場が続々と設立されました。出典:北一硝子HP 花びら皿 艶消し桜の花びら型の愛らしいお皿は、見るだけで心がほわっと温...
【鉄道】日本初の鉄道が走り始めた日 ≪1872(明治5)年6月12日、品川~横浜にて仮開業≫
こんにちは!北極星特急車掌の「ゆきの こうすけ」です。今回もよろしくお願いします。 突然で申し訳ございませんが、今日6月12日(水)は「日本初の鉄道が走り始めた日」です。 「え? 日本初の鉄道が開業したのは1872(明治5)年10月14日ではないですか?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。確かに日本初の鉄道が開業したのは1872(明治5)年10月14日です。しかしそれは「正式に」開業した日であって「実際に走り始めた」のは、同年6月12日でした。また、この時は「新橋~横浜」ではなく「品川~横浜」で、仮営業として走り始めました。 品川~横浜間が仮営業として走り始めた際は途中駅はなく、列車も…
【古民家の日】古民家を見学する時あるある【文化財・歴史的建造物】
5月29日が呉服の日で、30日が古民家の日という 私の好きなもの欲張りセットな2日間。 古民家の日(5月30日 記念日) 今日は何の日 雑学ネタ帳 とりあえずこのブログで書いてきた古民家カテゴリー日記の数が 120を超えてました、や゛っだね゛ぇ!!🎊 mori-soba1868.hatenablog.com まあこれだけ書いてもアクセス数なんざ伸びやしませんけどね、着物なんかも。 興味あって検索するような人の絶対数がそもそも少ないですから。 でもいいんです自己満足なので。 この岸辺露伴私が金やちやほやされるためにマンガブログを描いてると思っていたのかァーッ!! いつものようにどこぞの古…
東京大学名誉教授 矢作直樹先生のご本です。 👇『替えの利かない「あなたとわたし」』 『替えの利かない 「あなたとわたし」』 矢作直樹 ご本まみれのひやしあ…
こういったお話を拡散して頂けるの、本っ当~に、有り難いです(_ _;北海道茅部郡落部村の(有力者である)弁開凧次郎(べんかい たこじろう,アイヌ名はイカシパ)が、昨年(明治33年)皇太子殿下(大正天皇)御成婚の際に、其の手捕りの熊雌雄二頭の献上を申し出たことにより、御所に招かれ、返礼にお手植えの松の盆栽が下賜される。— 未来航 Mirai (@Mirai_Watalu) June 4, 2022 今回、愛国婦人會の設立に際し松前子...
「ともぐい・河﨑秋子」を読む//熊との決闘シーン大迫力、最後は土に帰ると思っていたがこんな方法とは・・・
ともぐい 作者:河﨑秋子 新潮社 Amazon あらすじ 明治後期の北海道の山で、猟師というより獣そのものの嗅覚で獲物と対峙する男、熊爪。 図らずも我が領分を侵した穴持たずの熊、蠱惑的な盲目の少女、ロシアとの戦争に向かってきな臭さを漂わせる時代の変化…… すべてが運命を狂わせてゆく。 人間、そして獣たちの業と悲哀が心を揺さぶる、河﨑流動物文学の最高到達点!! (出版社より) 感 想 つい最近の直木賞受賞作品です 主人公の熊爪 山中で猟師の生活をしていたが、生活そのものが獣(けだもの) たまに熊、兎等を売り、生活物資を買うために人里に現れる以外は自給自足の山中暮らし 2頭の大熊とそれぞれ違う場で…
岩手県北上市×PayPayキャンペーンが始まったので かこつけて紹介するために書いた古民家園「みちのく民俗村」の日記。 mori-soba1868.hatenablog.com 今回はその続きという事で。古民家園大きいからね、仕方ないね。 解説は公式サイトから引用しております。 以下、村内巡りの続きを。 旧小野寺家住宅(明治34(1901)年) ※旧小野寺家の間取りを見ると、寝部屋のように日常生活に欠かせない空間が非常に狭く、まだまだ江戸時代の封建的な考え方を踏襲していたことがうかがえます。 民俗村のなかでも建築された年がハッキリしてるヤツ。 説明通り日露戦争の前、日英同盟あたりの明治も後期に…
江戸時代には蝦夷地(えぞち)と呼ばれ、先住民族のアイヌが暮らしていた北海道ですが、明治時代になるとここを北海道と命名し、本格的に開拓をすることになります。原野が広がるばかりだった北海道を、いかに開拓し、石炭産業や農業で栄える土地にしていった
おつかれさまです。 明治時代の建築物が大好きな腰掛けOLです。 今日は、「博物館明治村」にある明治の文豪が名作を生んだ家を紹介します! 森鷗外・夏目漱石住宅 もともとは、明治20年(1887)頃に東京都文京区千駄木町に医学士・中島襄吉の新居として建てられたものです。 空家になったこの家に、 明治23年(1890)から森鷗外が住み、 『舞姫』を発表! その後、 明治36年(1903)から夏目漱石が住み、 『吾輩は猫である』を発表! 昭和38年(1963)に解体され、 昭和39年(1964)に明治村に移築されました。 同じ家に相次いで文豪が住むなんて! そして、その家で名作が生まれるなんて! 事実…
おつかれさまです。 小出しに「明治村」の建造物を紹介しています。 今日は、 六郷川鉄橋を紹介します。 『六郷川鉄橋』は、明治10年(1877)に東京都蒲田・神奈川県川崎間に建設された日本最初の複線用鉄橋。 当時6連で構成されていたうちの1連が「明治村」に移設復原されています。 トラス桁は、桁長約30m、桁高約3m、幅員7.5m。 設計は、英人土木技師のボイル(Boyle.R.V)。 英国リバプールのハミルトンズ・ウインザー・アイアンワークス社が製作し、輸入されたことを示す銘板もあります。 昭和40年に役目を終えた後に解体され、昭和63年(1988)に「明治村」に移築されました。 背後に入鹿池が…
おつかれさまです! 本日3月18日 は、 明治村開村記念日! 1965年に誕生してからもう59年! 来年は60周年なんですね。 ということで、 東京ドーム約21個分! 広大な敷地面積の中に 60以上の建造物が保存展示 されている 「明治村」を5時間で満喫する周遊コース をメモしておきます。 「明治村」とは 品川駅〜明治村まで 11:51「明治村」に到着 12:00 聖ヨハネ教会堂 12:15 西郷從道邸 12:20 森鷗外・夏目漱石住宅 12:30 市電京都七条駅 12:35 西園寺公望別邸「坐漁荘」 12:40 品川燈台 12:50 宗教大学車寄 13:00 食道楽のカフェ 13:15 日本…
日経の連載小説は、毎朝必ず読みます。「陥穽 陸奥宗光の青春」が、2024年1月31日で終わりました。陸奥宗光と言えば、明治時代の外交官です。欧米列強との「不平等条約」改正に尽力した人物で、誰でも知っていると思います。 「陥穽」(かんせぃ)は「落とし穴」のこと
日本で鉄道が開業したのは1872年10月14日で、新橋駅(のちの汐留駅) - 横浜駅(現:桜木町駅)間が最初の営業区間でした。 その「旧新橋停車場」の駅舎外観を当時と同じ場所に出来る限り忠実に再現した施設があります。展示室では、お雇い外国人が使用した西洋陶磁器、改札鋏や...
えっ? 喪服はもともと「白」だった!? - 黒になったのは明治時代になってから
葬式のときに着る「喪服(もふく)」。この服は、なんと、もともと白でした!喪服はもともと「白」だった現在の日本では、「喪服(もふく)は黒」というのが常識です。しかしながら、かつて葬儀(そうぎ)に着る服装は、「白」が一般的だったといいます。平安時代には、支配者層(しはいしゃそう)の間で「黒」が広まった時期もありましたが、江戸時代には庶民(しょみん)も含め、喪服は「白」が基本でした。ところが、明治時代に...
魔法の言葉『Takai!』を使いこなし、交渉もまめにしていたトレーシー先生ですが、ある日ピンチに出くわしました。それは8月18日、贄川宿でのことです。この日は行く先々の宿で宿泊を拒否され、夕暮れになっても泊まるところが見つからなかったんです😭😭😭頼みの綱であった最後の宿でも一旦は断られたんですが、ここで引き下がったら野宿確定です。まだニホンオオカミも絶滅しておらず、野犬も跳梁跋扈、熊だって現代以上にいたでしょ...
北海道開拓に関係があるホーレス・ケプロンを簡単まとめ!クラーク博士との違いは?
明治初期の北海道開拓では、開拓使が招いた御雇外国人の存在が大きなものでした。 その中でも特に、開拓使長官にもなっていた黒
クラーク博士は北海道に1年も居なかった!?札幌農学校で何したの?北広島のカントリーサインの理由
クラーク博士と言えば、さっぽろ羊ヶ丘展望台で腕を伸ばして立っている銅像が凄く有名な人ですよね。 おかめ 羊ヶ丘展望台があ
御雇外国人が北海道に来た理由は?何をしたの?どの国の人が多かったの?簡単雑学まとめ
明治時代の北海道開拓に深い影響を与えた御雇外国人。 どうして北海道に外国の人がはるばるやってきたのか、北海道で何をしてい
エドウィン・ダンって北海道で何をしたの?エゾオオカミを退治したのは馬を愛していたから?
明治時代の北海道を舞台にした漫画・ゴールデンカムイにもエドウィン・ダンをモチーフにしたと思われる、ダンという外国人が登場
佐倉、日光でのトレーニングを終えたトレーシー先生ですが、いよいよ一人旅本番と相成ります( ̄ー ̄)bグッ!8月7日の深夜、トレーシーは東京を出発しました。その交通手段は乗合馬車Σ(゚∀゚ノ)ノこれを使って東京から埼玉の本庄まで行ったらしいのですが、この時代(明治14年)に深夜馬車が営業していたことに驚いております(゚∀゚)なおこの乗合馬車は2頭の小馬が2台の客車を引くものだったらしいのですが、満席だったとのこと。それだけ...
前回佐倉でトレーニングをしたトレーシー先生ですが、今回はもう少し長距離、日光へのチャレンジ旅を紹介します(*^^*)佐倉に行った時は最小限の荷物で旅をしたトレーシーですが、日光への旅はその逆、持っていけるだけ多くのものを持っていきました。この旅では『何が不必要か?』を知りたかったらしい…。ということで三台の人力車を用意し、1台めはトレーシー、2台めに通訳、3台目にトレーシーの荷物を満載したそうです。因みにそ...
<ファッションの話>ウールに潜在するサステナブルの可能性<リサイクル編>
世間では、だいぶ秋めいてウールの衣料品が欲しくなる季節が到来してきました。 そこで、今日からはシリーズものでちょっと仕事でまとめた“ウールに潜在するサステナブルの可能性”について掲載してまいります。サステナブルというか“ウールの機能性”についての検証を意識しているものであり...
昨日ふと考えたこと。 世の中には偶然なんてものは無いんじゃないか? どう考えても偶然としか思えないことも、必然なんじゃないか、と思えてならない。 またまたややこしい親戚の話なんですが。 私の5代上に藤右衛門さんという人がいます。 1814年生まれです。 ペリーが浦賀に来た時39歳です。 この人の孫が1898年にハワイに移民として渡った訳です。 その後子孫がハワイとアメリカで増えていきました。(それ以外の国にも子孫がいても私は驚かん!) この人達はもう立派にアメリカ人です。 けれど日本語を学んだり、日本人と結婚したりと、なんだかんだいって日本と縁が深いです。 日本にルーツがあるんだから、当たり前…
明治日本を旅行するグローブトロッターには『ガイド』が付きものです( ・ิω・ิ)がっつり快適旅を堪能したシドモア女史はもちろん、可能な限りシンプルな旅を目指したコトーでさえ相棒とも呼べる通訳兼ガイドと一緒でしたし…そんな中、『ガイド無し、マジモンの一人旅』にチャレンジしたグローブトロッターがいました。その名はアルバート・トレーシー・レフィンウェルというアメリカ人医師( ・ิω・ิ)この方は本業の医者だけでなく、生...
烏のおぼえ書き~其の五百十三・記者コトー、東海道を行く・その5
日本での旅を満喫していたコトーですが、流石の彼でも閉口することがありました。それは宿における騒音問題です/(^o^)\コトーは9月18日の晩に宿泊した新居(あらい)の旅館でのことですが、近所に茶屋があったらしいのですよ😅そこに繰り出した旅行客が宴会をしたいたんでしょうね~。唄や太鼓がうるさくて眠れなかったと記しています。令和の今でこそ『お気の毒さま』と慰めたくなる出来事ですが、バブルが弾けるまでの日本はこ...
「国立国会図書館デジタルコレクション」のリニューアルを受けて(その4・「鵠沼」の「よみ」⑶)
昨年12月21日にリニューアルされた「国立国会図書館デジタルコレクション」(以下「デジタルコレクション」)の全文検索を使って、「鵠沼」の「よみ」の変遷を⑴、⑵と見てきました。今回も引き続き、「鵠沼」の「よみ」の変遷について「デジタルコレクション」から読み取れることを書き連ねてみたいと思います。※今回も、以下の「デジタルコレクション」へのリンクの後ろに「※」マークを記しているものは「国立国会図書館内/図書館...
明治時代のベストセラー小説『食道楽』のレシピを再現したコロツケー
明治時代のベストセラー小説『食道楽』のレシピを再現したコロツケーを紹介! 愛知県にある明治時代の建築を保存展示する野外博物館「明治村」で食べるコロッケ最高!
またまた今回も筆者の生息地・尾張熱田の話題になってしまいますが、決して悪意が あってのことではありませんので、そのへんはどうぞ良しなにご理解をお願いします。 さて、今回は江戸・日本橋から京・三条大橋に至る、いわゆる「東海道五十三次」に ついての話題を取り上げました。 出発地...
サイト更新しました。近代:慶明雑録より『慶明雑録』より薩摩の戊辰戦争史料集『慶明雑録』より石神良策の話、土持佐平太、土持平左衛門の書簡murakumo1868.web.fc2.com桐野利秋の指のスピンオフです。お盆前に更新する積りだったのだけれど伸びてしまった。桐野の欠指について調べていた際に探し当てた『慶明雑録』という史料が面白くて、そこからの話になります。慶明雑録は薩摩藩が作った薩摩藩の戊辰戦争史料で、今分かってい...
「国立国会図書館デジタルコレクション」のリニューアルを受けて(その4・「鵠沼」の「よみ」⑵)
前回を受けて、今回も「国立国会図書館デジタルコレクション」(以下「デジタルコレクション」)の全文検索で「鵠沼」の「よみ」の変遷を検討します。今回は前回の最後に掲げた「よみ」の件数分布を受けて、どの様なことが言えるかを例を挙げて考えてみます。※今回も、以下の「デジタルコレクション」へのリンクの後ろに「※」マークを記しているものは「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」のコンテンツです。Web上での閲覧に...
二鶴工芸です。本日、台風🌀が通過しそうです。以前に通過した時はベランダのスレートの屋根が飛んでしまいました。今回はどうなんだろう!!約6年前の作品。酒器を入れるために制作した袋物です。そのパーツに象牙のコキを使いました。コキというのは巾着などの紐を通す金具みたいなものです。明治時代の袋物には象牙や牛骨などで作られていたようです。現在はプラスチック製がほとんどです。その方が堅牢性があるのと、コスト面でも。これは商品としてではなく、実用性というよりも作品として拘って使ってみました。コキ代はめちゃ高かったですけど・・・(-_-;)コキ
毎度お馴染みお馴染みでもちょいと違う魅力的な被写体マムシグサ8/12(土)今日も夏空が広がりそう台風が来るとは思えない★牛伏川流域明治時代の石積み(松本市)2023
かくりよの千日雛 【そんなことないよ・・・!生命はみんな帰るところがあるんだ!】
明治19年、昔々というほど昔ではない時代。子どもの鬼・寅輔は相棒の丑松と一緒に寿命の尽きた人間の魂を回収していた。ある日、人間からは見えないはずなのに相馬という人間から話しかけられる。寅輔の仕事を知った相馬は寅助にお化け退治の協力を頼まれて・・・隠世と現世の命を描く明治感動奇譚!...