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【岩淵水門周辺その6】岩淵八雲神社の石碑、燈籠、水神宮、神楽殿、神輿庫に見入る!
2025年2月23日、前回の記事からの続きです。引き続き、境内を見ていきます。立派な木が立っています。北区保護樹木 スダジイがっしりと地面を掴んでいる根っこがワイルドでカッコいい。スダジイでした。こちらは?「郷愛」の文字。詳細不明。奥にあった石碑には、「海舟隊安房守の筆になる 八雲神社大幟の修復について」というタイトルが。岩淵八雲神社の蔵には、勝海舟が軍艦の大砲の製造等で川口に寄られたとき、荒川の氾濫によ...
2025年2月23日、前回の記事からの続きです。石碑がズラリと並んでいるエリアを見ていきます。「八雲神社」の題字は、高名な書家・五峯高林寛によるもの。五峰高林寛は、名は寛、字は子栗、号を五峰と称し、幕末の書家・高林二峰の子で、四歳より父の教えを受け、経史を佐藤立軒に、漢文を蒲生星海に、漢詩を植村盧洲に学び、書は初め家学の二峰流であったが、各流派や中国書を研究し独自の書風を打ち立て、泰東書道院総務などを務...
熊本・子飼交差点。ここが日本のスクランブル交差点第1号です。有名なスクランブル交差点というと、やはり東京・渋谷。その渋谷より5年も前にニューヨークから仕組みを導入した熊本。深翠:熊本が日本初だったんですね。石碑には子飼交差点についてと導入の経緯が書かれています。交差点の周辺は熊本大学・濟々黌高・子飼商店街があり、交差点が作られた時は奥の信号機の場所に熊本市電の子飼橋停留所(終点)もありました。 今でも...
熊本市役所の裏手に建つ放送発祥の地の碑。東京・大阪・名古屋の次に設置されたのが札幌・仙台・広島。そして熊本。深翠:九州初が福岡ではなく熊本なんですね。明治期から大正にかけて、熊本は九州唯一の陸軍の鎮台(第6師団)・政府の出先機関も多く集まる「九州の中心」として存在感がありました。夏目漱石や小泉八雲が英語教師を務めた旧制五高もその一つ。コールサイン「JOAK」が東京、「JOBK」が大阪、「JOCK」が名古屋。Dが朝...
東京・JR田町駅東口側に建つ放送記念碑。今から100年前、大正14(1925)年3月22日。NHKの前身・東京放送局が当時この場所に建っていた東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部)の図書室を仮放送所としてラジオ第一声を発した場所になります。「ああ、あー、聴こえますか。ああ、あー、聴こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります」最初の放送番組は海軍軍楽隊演奏のクラリネット独奏から始まりました。:田町から日本のラ...
「伏見奉行所が語る、愛と戦いと再生の歴史ドラマ」の続きです♪ちょっと見てください。この↓石垣!伏見奉行所の石垣がこうして今も残っているんです。これって感動しませんか?だって、もしかしたらあの小堀政一(遠州)がこの石垣に触れ、「うむ、なかなかの出来栄えじゃ」と満足げに撫でたかもしれないんですよ?そう思うと、私も「遠州が撫でたかもしれない石垣を、自分も撫でてみたい!」って気分になりますよね。ただし、問題...
今日は北斗市七重浜・海津見神社の、前回紹介しきれなかった部分に触れていきます。 下の画像は、境内外末社の、七重浜天満宮。 そして下の画像は、高オカミノ大…
瀬戸内に昇る日の出を拝んで食事後、洲本方面へドライブ。街中の様子から新たな建築物なども増えているようで、これからの発展も望めそうな雰囲気、温暖で大阪方面からも手軽に来られるので人気が出ているのかも?
3月16日(土)の話です。その日は保育園の遠足で、大森海岸にあるしながわ水族館へ。 無事遠足が終了して先生たちも解散後、私が急ぎ足で向かったのはここ。ケラ…
4月になりましたね。暖かな日が続いている七ヶ浜町です。 入学や入社、異動などなど、新年度のスタートでドキドキの方も多いことでしょうね。フレッシュな感じがまつぽい(眩しい)です! さて、今日ご紹介するのは17号「お社めぐり」に掲載の「熊野神社」です。湊浜の丘の上に鎮座しています。住所は、社名の熊野になっていることからも、古くから崇敬されたお社と推察されます。 まず、筆者(ダンナです)の思い出話から始まりますが、よかったらお付き合いください。昭和の頃の湊浜や松ヶ浜の様子が書かれています(^O^)/
1.いろは歌2.生かせいのちオリンパス OM-D E-M5 MarkIII M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO 気に入っていただけましたら、1日1回ポチッとお願いします。にほんブログ村...
本が好き!の献本で『評伝 伊藤野枝~あらしのように生きて~』を読みました。希望した理由は、茅ヶ崎にはその伊藤野枝に「青踏」を任せる女性解放運動家の平塚らいてう…
激動の幕末にあって、数々もの歴史的事件の舞台になった山口県。関門海峡に面した港町・下関(馬関)も例外ではありません。幕末に詳しければ、高杉晋作の名を知らない人はいないでしょう。彼が創設した奇兵隊は、この地に拠点を置きました。のちに長州藩の方針を変えるきっかけになった功山寺挙兵もまた、下関で起きた歴史的事件です。そんな高杉ゆかりの地・下関には、彼の立派な陶像が鎮座しています。高杉の雄姿をこの目で見よ...
2013年夏だ!台湾縦断旅 烏山頭風景区を満喫⑦殉工碑&売店のおばちゃんの優しさに感謝!
レアなものを見学できてホクホクの2人待たせていた車に戻り風景区観光再開ですやって来たのは殉工碑ですダム建設の際に亡くなった作業員とその家族の慰霊のために1930年に建てられましたこの石碑に刻まれた名前ですが、日本人・台湾人の区別(男女も)はなく、亡くなられた順番に記されているそうですまた、銅像は嫌がった八田さんですが、殉工費の製作の際には署名入りの碑文を書かれていますお墓ではないのですが、亡くなった方...
オリンパス OM-D E-M5 MarkIII M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO 気に入っていただけましたら、1日1回ポチッとお願いします。にほんブログ村...
能見堂緑地ハイキングコース_その3/4・・・不動池~能見堂跡編。
前回に引き続き、能見堂緑地ハイキングコースを歩いて行きます。前回は横浜横須賀道路の真上にある広場から歩いて行き谷津関ヶ谷不動尊に到着、そこから階段を下ると不…
【荒川区散歩その3】あらかわ遊園周辺!& BURGER.、謎の石碑発見、煉瓦塀の一部、地域猫、レトロ物件に見入る!
2022年7月24日、前回の記事からの続きです。荒川遊園通りを歩いています。あらかわ遊園のすぐ前に、お店を発見。& BURGER.(西尾久6-34-8)口コミ評価高し!水上バスのりば入口の方へ向かいます。あらかわ遊園の周辺に沿って小道があるので、園内が見えます。気になるものを発見。園内マップでいうと、小型遊具の辺りでしょうか。遊具の裏にひっそりと佇む石碑。古い園内マップだと、魚釣り広場の一部だったところ。角度的にこれが...
【大分】文化財を守る!|豊後大野市千歳町の文化財調査2022秋
おごめ~ん、大分のtakatch親方です(`・ω・´)ゞ今回は、文化財・地域活動の話題✎ 「文化財」にはご興味がございますか?(唐突w)文化財=地域の宝物で…
片側が内側に巻き込んでいる、と言う特徴を持った笹!こちらが「スエコザサ(寿衛子)」毎朝、NHKの朝ドラの中で合っている、日本の植物学の父とも言われている「牧野…
【寒風沢島 探検 #14】 寒風沢造艦の碑、若宮丸に乗っていた津太夫と佐平の案内板
ここは「造艦碑」というのがある場所。 寒風沢島へと渡る船の船着き場の近くです藩政時代の寒風沢港は、千石船が発着する港として賑わっていたところで仙台藩にとって大切な港であった。 寒風沢造船の碑は、この地で仙台藩の命により、三浦乾也(みうらけんや)が東北で初めて西洋型軍艦を建造したことを記念し、その門人たちにより建立されたものである。
東西に分離した西側の村の鎮守、中山桑林の書が多く残る 〜西新井宿氷川社
こんにちは。前の記事に引き続き、道を挟んで対面で建っている神社についてです。 こちらは埼玉に多い「氷川神社」(氷川社)です。 sekihijunyu.hatenablog.com 前回の記事はこちらです。 一先ず、境内にあった由緒から。 当地は、元禄年間(1688ー1704)以前に新井宿村から分村し西新井宿村と称するようになった。近世の新井宿村と西新井宿村は今も川口市の大字として継承され、日光御成街道(県道大宮・鳩ヶ谷線)が両大字の境界となっている。 当社はこの日光御成街道に面して鎮座し、すぐ隣には旧別当真言宗宝蔵寺がある。その立地から見て、当社の創建は日光御成街道が整備された江戸初期のことと…
石巻市で旧北上川沿いの道路を車で走っていたら、道端に白い案内柱の立つ石碑群を見つけたので、ちょっと見てみました。いつものことながら僕が石碑を見たところで何もわからないんだけど、こういったものにも興味があって、一応見ておきたくなるんです。
れもまた旧北上川沿いの道路を車で走っていたら道端に見つけた石碑です。前記事の石碑から1kmも離れていない場所。 ここも住所は宮城県石巻市小船越大縄場になるようです。旧北上川沿いの堤防の上を通る宮城県道196号。 道路沿いの木のそばに石碑を見つけました。白い案内柱などは何もなかったんですが、どんなものか興味があったので車を置いて見に行ってみました。
水墨画留学の時の杭州暮らしをコロナ妄想的に振り返る話が続く。 さて、朝飯を食ったら、碑林博物館へ行く。 目次 1 雨の旅の知恵。2 碑林博物館へ。3 拓本を買った。4 見終わっても雨だった。 雨の旅の知恵。 朝からえらい雨だ。
【熊本】阿蘇坂梨で出会った景色|感謝と追悼の碑&凍る古閑の滝【ジオパーク】
おごめ~ん、大分のtakatch親方です(`・ω・´)ゞ今回は熊本県阿蘇市で出会った2つの景色をご紹介。人々の想い&自然の神秘がつまっているスポットです。 <…
「野蒜街道開通の碑(のびるかいどうかいつうのひ)」というのがあるみたいなので、見に行って見ました。場所は、桜やコスモスの名所で知られる松山御本丸公園の北側で、「ふるさと歴史館」「酒ミュージアム」のある場所から東北本線「JR松山駅」の方へ向かう道路の道端。
石碑はすごく古そうなものばかりです。僕では詳しいことはさっぱり分からないけど、こういった古い板碑や石碑はなにか特別なものに感じられて、すごく興味があります。まあ、見たところで「古そうだなあ…」とか、「なにか刻んであるけど読めないなあ…」といったかんじにただ眺めるだけなんですけどね(笑)。
伊予の国、松山徘徊(俳諧ではありません)。 森盲天外 句碑 伊予とまうす 国 あたたかに いでゆわく 盲目の俳人。道後の村長さんだった人らしいですよ。子規から「天外」という
9月のある日、通ったことがない道を車で走ってみようと思い、宮城県道267号を走っていたら、道のそばの小さな木立に、屋根をかけて何かを祀っている場所がありました。たぶんここは加美町の上田川(かみたがわ)という地名の場所だと思われます。
『おはじきアートよがさき』を見に行った時、その近くで道からすこし離れたところに何かの案内柱が見えたので、行ってみました。それがこの「建治三年銘古碑(けんじさんねんめいこひ)」という板碑の案内柱でした。
亘理町に行った時、あえて通ったことのない道を車で走っていたら、赤い鳥居の建つ神社らしき場所がありました。僕は寺院仏閣に詳しくないけど、たたずまいを眺めたり、境内の神聖な空気を感じるのが好きだから、見つけた時は境内を歩いてみたりしています。
息子も孫も亡くした「おじいちゃん」は何を思うのか。 〜三覚院
こんにちは。今回は草加市青柳にある三覚院に参拝してきました。 今回といっても実際に伺ったのは梅の季節。寺院などの日本伝統の建築に梅は相性がよく、好きです。よく手入れされた素敵な梅でした。 三覚院(さんがくいん)は新義真言宗豊山派に属し、本山は奈良の長谷寺である。昔は三蔵院と称し、『武蔵国郡村誌』には、慶長10年(1605)ころの創建で、開山は俊賢法印と記されている。明治41年12月、東覚寺と併合して青柳山三覚院と改称した。今の本堂は文化8年(1811)に建立されたものと伝えられ、間口16•2メートル、奥行10•8メートル、欅材を豊富に使った豪華な建物である。向拝部分には、後藤桂林の彫刻を配し、…
こんにちは。 今回はゆったりと公園を歩いてみました。 公園の入り口には石碑が2基ありました。 どちらの碑も当時の町長野口訓三の撰文で書は野島隆三。野島さんの人物像ははっきりとしませんが、パソコンの無い時代ですから、役所の書記のようなお仕事に就かれて文章発行に取り組んでいたと想像しています。 さて、このお二人が遺した石碑は草加市(草加町)の歴史を語るものでありました。 年代順に、まずは昭和六年の記載がある町名改正記念碑より。 碑陽:町名改正記念碑 碑陰: 我か草加町は寛永七年始めて奥州街道の宿駅となり昭和四年開宿三百年祭を挙行せり而して従来の公称は吉笹原 谷古宇 南草加 北草加 原島 東立野 宿…
こんにちは。 今回からは草加町の時代からお寺といえばここという歴史のある「東福寺」の碑について回を分けて追っていきます。 第1回目は不動堂の脇にある「仏説聖不動経之碑」です。 篆額は萩原秋巌。碑文は中山桑林。 この二人の組み合わせは草加市内問わず結構な数を見ることができます。 sekihijunyu.hatenablog.com 過去記事では同神社内に額と碑があるという関係でした。今回は碑額と本文という関係。 今は巻菱湖の弟子として有名ですが、萩原秋巌は当時日本中に名の知られた書家で、相当数の碑があるようです。こうして見ると師弟関係にあったのではと思えてくるのですが、中山桑林も川口市内に道場を…
落語中興の祖 石井宗叔 その碑文もユーモアに満ちている。 〜草加 東福寺
こんにちは。 さて、前回の続きで今回も草加市の東福寺の境内碑を見ていきます。 東都落語元祖 石井宗叔墓 落語中興の祖、石井宗叔の碑。1代目の方の碑になります。 石井宗叔は江戸中期の医師で、水魚魯石の号で狂歌や俳句を作っていました。また、落語(江戸小咄)を好み、石井宗叔の芸名で演じ、小咄から長咄に転じたため「長咄」の元祖とされ、江戸落語の中興の祖といわれています。 『草加の史跡・伝説案内』p26より お墓の名の脇に小さく、俳句が添えてあります。 「もろ鳥も囀る春の手向かな」 鳥も一緒に旅のはなむけを言ってくれている春。といった感じでしょうか。 誰の句かは書いていませんが、石井宗叔は俳句も得意とし…
こんにちは。 さて、今回も引き続き東福寺の碑を見ていきます。 写真だと何書いてあるか全く読めませんね。 慶応元年(1864年)の碑になります。 内容は其月庵というおそらく華道のグループ(社中という)の中で歌を読んでまとめた歌碑だと思われます。 前文では 予若きより活花を好むの癖あり 同窓の友をあつめて四時の消閑ををしみ風月にあこがれしも今年七十二歳に及びければ とあります。 いけばなを好んできたとありますので、華道だろうと予測しました。 一年中ヒマを惜しで自然に憧れていたというなんとも風流な前文です。 ここには9人の歌が述べられています。 花に脊をあげるや雨後の登り鯉 一僊居士匂ふ霸(露?)の…
草加宿を中心に草加で活躍した人に思いを馳せることができる場所 〜草加 東福寺④
こんにちは。 草加市・東福寺にある石碑をまとめて紹介していきます。 東福寺 本尊:お不動様 大川図書 参道と山門 三鈷の松 境内に立つ石碑 落語中興の祖 石井宗叔 茶道師範 小泉栄作 其月庵社中 歌碑 亀甲屋幸助 追善碑 柳剛斎先生碑 アクセス まずは、東福寺の紹介から。 東福寺 新編武蔵風土記稿 南草加村の項に 真義真言宗。原村密蔵院末。松寿山不動院と号す。本尊不動を安す。慶長年中の草創にて。開山賢宥。元和5年12月28日寂せり。開基大川図書は。則当宿を開きし人なり。卒年詳ならず。 『草加市史.資料編 地誌』p 442より とあります。 密蔵院とは川口市安行原にある密蔵院のこと。 レトロでか…
とある2021年の秋の日、青葉区の大倉にある「定義山(じょうぎさん)」に行った時に、森の入口みたいな場所で見つけた石碑群です。僕が見たところでなにも分かりませんが、いちおう眺めてきました―――。
にほんブログ村 愛知県刈谷市の御嶽神社。 最後に一点。 本殿は平地にあり、御嶽神社らしからぬ立地でした。 この本殿の前には、石碑。 石碑には、御嶽神社とともに、香良洲(からす)神社
2022年5月 日比谷公園にてスケッチ会参加。 日比谷公園は、これまで 公会堂(市政会館)、鶴の噴水、松本楼、日比谷茶廊、日比谷花壇、自由の女神像、日比谷パレ…
にほんブログ村 1584年4月9日、今から438年前。 長久手合戦により、多くの命が奪われました。 写真は、その供養のための首塚です。 首塚は、愛知県長久手市にあります。 首塚は、安昌寺の雲山和
※2019年の旅行でござる 前に来たときは、入り口の写真しか撮らなかったから内覧してみるにゃ。 拝観料は300円だったもよう。 おうちの中を拝見。 おうちって! 「頭上に珍しい萱葺