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2022/06/15

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  • 源義経が通った橋を語る碑。側には空襲の悲惨さを伝える銅像も…。

    こんにちは、今回は「鎌倉橋の碑」を見てきました。 写真だとわかり辛いですが、本のような見開き型の碑です。右側に題字として「鎌倉橋の碑」橋は異体字を当てています。 川口に「鎌倉」という地名があるのは何でかと気になったのですが、それはばっちりと説明板に記載がありました。 かつてここは奥州に繋がる要所であったとのこと。かの源義経も通った橋とあります。 本文を読んでみましょう。 昭和三十五年八月鎌倉橋はかつて荒川のかたわら舟戸が原を流れていた小川にかけられた橋でこの碑の南方約一二〇メートルの地点現在川口市立南中学校の校庭にその礎石を残しています。鎌倉橋と呼ぶその名はこれが奥州へ通う枢要な鎌倉街道に架設…

  • 筆の持ち手に刻まれた文字に注目してみました。 〜攀桂堂の筆2種

    こんにちは。 身近なところの書き文字を求めて、今回は筆に注目してみました。 筆者は中古筆を蒐集するのが趣味でして、それなりの数になってきています。 以前にあげた『町まちの文字』で日常に溢れる書き文字(人の手によりなる文字)って面白いなと思い、意識するようになりました。 sekihijunyu.hatenablog.com そこで、「そういえば!」と思い出してひっぱりだしてきたのが筆です。 筆を持つ自分からすると、あまりに日常的過ぎてついつい見逃しがちになっていました。 筆には持ち手になる「筆管」がありまして、ここに筆屋さんが丹精込めて作った筆の名前が書かれています。 この部分は彫る職人が多くい…

  • 謎が多くある元、恵比寿社にある碑 〜飯塚氷川神社

    こんにちは。久々になってしましました。 今回は飯塚氷川神社に参拝してきました。 よく見たら社額も立派です。きっちりしています。 由緒を読むと、江戸時代には根津の領地に当たっていたことがわかります。 『風土記』にも氷川社ではなく、恵比寿社であったと記載があり、明治維新後に氷川社に変わったことになっています。恵比寿社の由来は不明であることになっています。 周囲の多くの神社を合祀しており、「字宮脇の神明社・熊野社及び境内社御嶽社(みたけ)、字野中の菅原社、字七台の稲荷社、字小宮地の稲荷社の六社を合祀した。」と由緒にありました。 創建は1516年と伝えられる歴史ある神社です。 拝殿の脇、八海山神王の祠…

  • 街中に溢れる文字を求めて。まずは家にあった日本酒のラベルを眺めてみました。

    町まちの文字 完全版 作者:蓜島 庸二 グラフィック社 Amazon 『町まちの文字 完全版』という本を読みました。 町に溢れる「文字」を集めて著者の「画家」視点による独特の切り口で語られています。 看板の文字に始まり道標の文字まで至るところの文字を収集しています。 著者が言うには書道史上の人物から漏れた「人々」の文字を集めているとか。 それでも人々が書く字にはどうしても時代性が反映されるのが読んでいくと見えてきます。 昨今「デザイン書道家」という書家の字をよく見るようになりましたが、その言葉ができる遥か前から「文字」を魅せるものとして書く(あるいは描く)人々が居たことがわかります。 「町まち…

  • 戦争の記憶を後世に。境内に立つ複数の戦争関連碑をみる 〜鳩ヶ谷氷川神社

    こんにちは。今回は鳩ヶ谷氷川神社に参拝してきました。 鳩ヶ谷宿の鎮守であった神社。『新編武蔵風土記』によれば、当時、周辺の村の鎮守にもなっていたようです。 本殿の裏手に複数の碑がありました。 まずは、東郷平八郎の書いた「日露戦役紀念碑」 先の割れた筆で書いたのでしょうか。ガザガザした碑文の文字に必然、勢いを感じます。 sekihijunyu.hatenablog.com こちらの神社にも東郷平八郎書の碑があります。 碑全体をみると上詰まりに「日露戦役」と書かれ、仰ぎ見ると降りかかってくるように感じます。 こちらは所謂、第二次世界大戦の碑。 碑文を読むと 鳩ヶ谷町慰霊碑日本の国を肇むるや悠久にし…

  • 多くの人に愛された住職。お灸は永遠に。最愛の弟子の1人が碑文を書く。 〜金剛寺

    こんにちは。さて、前回に引き続き、川口市金剛寺の碑を見ていきます。 参道の脇、木々に隠れるようにひっそりと佇んでおりました。 碑額は篆書で「海牛禅師之碑」 額は萩原秋巌の書。 一見して玉筯篆とわかる作です。鉛筆など変化の出づらい筆記具で書くのは比較的簡単ですが、これを筆で書いています。達人の域ですね。 本当にこの集中力には頭が下がります。確か西川寧先生も晩年に玉筯篆を書ける作家はすごいと言っていたようないないような。 ともかく、これがこの時代のスタンダードな篆書の書き方。 本文は中山桑林の書。 漢隷に基づいた確かな隷書です。 それでは、本文を追ってみます。撰文は大沼枕山です。 海牛禅師之碑 東…

  • 薬屋さんの碑 〜金剛寺

    こんにちは。 今回は川口市安行にある金剛寺を参拝してきました。 茅葺の門が迎え入れてくれます。 寺院の説明板には 金剛寺は、曹洞宗の寺で、明応5年(1496)に中田安斉入道安行が開基したと伝えられ、寺名も安行が金剛経を信奉していたことに由来している。 この寺は、かつては僧侶修行道場の格式をもっていたが、現在では「お灸の寺」として広く知られている。(中略) 吉田権之丞の人となりについては、文献等の資料がないのではっきりしないが、言い伝えによると、権之丞は、若い時から草花や盆栽に趣味を持ち、珍しい草木を集めてこの地に栽培したところ、土質・風土が適合し、その成育がよかったので、これらの苗木の育成に当…

  • 【衝撃】Chat GPTを使って書道を学ぶ。現代の書道界の代表的な作家を聞いてみた!

    巷で話題のChat GPT。 誰でも基本的な登録を済ませれば使えるというこの素晴らしい機能を試してみました。 一応、書道のブログなので、AIに書道について聞いてみます。 まずは、「書道」について。 書道は、日本や中国などの東アジアの文化に根ざした伝統的な芸術形式で、文字や言葉を美しく表現する技術を指します。書道では、墨汁と筆を使って、漢字や仮名、ひらがななどの文字を美しく描きます。書道は、文字の形、バランス、空間、筆の動きなどに注意を払い、文字を美しい芸術作品に仕上げることを目指します。書道は、美的な価値を重んじるとともに、精神修養や礼儀作法なども含む、広い文化的な意味を持っています。 書道を…

  • 寺小屋で書写を学んだ人物の書く記念碑と寺小屋を開いた人物の掲揚塔がある神社 〜東本郷氷川神社

    こんにちは。今回は埼玉県道34号のさいたま草加線沿いにある東本郷氷川神社に参拝してきました。 参道の鳥居から見るとこんな感じです。なかなか広い境内です。 この手前の鳥居の横に大きな碑があります。 村社合祀記念碑 碑陽の上部に碑額としてでしょうか。 氷川社 神明社 熊野社 稲荷社 と刻まれています。 碑陽の書者は堀内文次郎。軍人ではありますが、禅や書道にも通じていた人物。風雅な趣味を持っていたようです。 氏は『書之友』(1929年9月号)という雑誌に「書道と武士道」の題で寄稿しています。 それによると幼い時は寺小屋で習字を習ったといい、商人でさえ筆一本で成功していると言っています。子供の字を見れ…

  • 明治の織物職人の字 〜安行吉川氷川神社

    首都高速川口線を横目に見える場所にこちらの氷川神社があります。 『新編武蔵風土記稿』巻135の吉岡組の項に 氷川社 村の鎮守なり明和の頃の草創なりと云 と伝わるそうです。明和とあるので、概ね1700年頃には存在した神社となります。 小さいですが、歴史がありますね。 江戸時代の後期には同じく村の鎮守であった神明社も合祀したとの資料もありました。 さて、手水舎に立派な文字が刻まれていました。 隷書で「奉献」と刻まれています。 側面には「明治十五年壬午秋十月 榛嶺橋卿書」と刻まれています。 奉納者はこちらの氏子方、石工は田口金作とありました。 さて、この板橋榛嶺(本名:菊蔵)氏は明治の頃に活躍した人…

  • 畦塗りの先に見る東京外かく環状道路の発展 〜水原秋桜子句碑

    草加市と川口市の市境にあたるところ、外環(東京外かく環状道路)の下に水原秋桜子の句碑がありました。 sekihijunyu.hatenablog.com 草加市内には2つの秋桜子句碑があります。上記の記事での書は「平勢雨邨」氏の字になりましたが、こちらは誰のかはっきりしません。 畔塗りが 草加の町を かこみける と書かれています。 「昭和の初期、春日部までの通勤時に、車窓から草加の風趣を謳ったもの。」という説明を下記の記事で見つけました。 くさなび|原町 この俳句からは草加も昭和初期の頃までは田んぼが多かったことが想像されます。 今では「外環が 草加の町を かこみける」と無季語で無機質な句にな…

  • 東西に分離した西側の村の鎮守、中山桑林の書が多く残る 〜西新井宿氷川社

    こんにちは。前の記事に引き続き、道を挟んで対面で建っている神社についてです。 こちらは埼玉に多い「氷川神社」(氷川社)です。 sekihijunyu.hatenablog.com 前回の記事はこちらです。 一先ず、境内にあった由緒から。 当地は、元禄年間(1688ー1704)以前に新井宿村から分村し西新井宿村と称するようになった。近世の新井宿村と西新井宿村は今も川口市の大字として継承され、日光御成街道(県道大宮・鳩ヶ谷線)が両大字の境界となっている。 当社はこの日光御成街道に面して鎮座し、すぐ隣には旧別当真言宗宝蔵寺がある。その立地から見て、当社の創建は日光御成街道が整備された江戸初期のことと…

  • 映画・ドラマのロケ地のお店で見つけました。

    こんにちは。 気づけは年が明けていました。1月も終わってしまいそうです。 昨年の話になりますが、外回り中での出来事。 お昼をどこで食べようと探していたら見つけてしまいました。 いかにも昭和チックなレトロな雰囲気が漂います。 これだけでも興味深いんですが、Googleマップで画像を探るとさらに興味深い写真が出て来ました。 「愛がなんだ」と「ひねくれ女のボッチ飯」のロケ地であるそうです。 どこで出て来たのか記憶がはっきりとは無いんですが、どっちも見たことがある自分としてはそれだけでテンション爆上がりです。笑 とくに「ひねくれ女のボッチ飯」は録画で見ていましたが、それでも夜遅くに見ていたので、飯テロ…

  • なぜ?日光御成街道を挟んで立つ2つの神社。その関係性は? 〜新井宿子日神社

    こんにちは。今回は川口市新井宿にある子日神社に参拝して来ました。 新編武蔵風土記の新井宿村の項に 新井宿村は江戸より行程五里(約19,6メートル)土人は今西新井宿に対して当村を東新井宿共呼へり正保の改には伊奈半十郎荒川又六郎知行(土地)新井宿村と載せて西新井宿の名を記さず元禄再改の頃より二村を出せり又当村半十郎か知行たりし□は伝ふれと荒川か□を伝へず是を以て按ずるに西新井宿は則此村より分村して又六郎が知行はかの西新井宿なること知るべし 此村今は戸田領に属せり民戸二十五東は赤山に接し南は浦寺村西は西新井宿根岸の二村に限り北は石神村なり東西三町許南北十一町に余れり村の西の方日光御成道係れり天水を以…

  • 全国的にも珍しい!?関鶴羽の手掛けた石碑が至近に存在。その2碑の関係性を探る。 〜藤八新田の天神社

    年末も差し迫りました。 ブログを始めて早一年ほど。3日坊主の私がここまで続けられるとは驚きです。 普段、何気なく過ごしている日常から「石碑」というものをカッティングしようとすると思った以上に多いのに驚きます。 明治時代を中心に数多く立碑された石碑。時代の流れとともにどんどん姿は消しているものの、土地の有力者や有名な書家が書いた石碑は今なおあり続け、その歴史を証明してくれています。 さてさて、最初に書いた記事は…。 sekihijunyu.hatenablog.com でした。この「中山吉長」という人物、約40年もの間、村長を務めた人物であったようです。 その方が書いた石碑がありました。 碑額は…

  • 御朱印の有名な神社で、漢字の字源を考え、合祀された神社を想う。〜九重神社

    こんにちは、今回は九重神社に参拝してきました。 元々は氷川社であったものの、明治時代に周辺の八社を合祀したことで、九重神社に名称が変わったという由緒があります。 kokonoejinja.or.jp ご利益がなかなか強そうな感じですね。 さて、その入り口に社号の碑がありました。 「村社九重神社 後藤朝太郎謹書」と書いてあります。 この後藤朝太郎は当時、中国通として知られた人物で中国に関する様々な著書を残しています。 ※『漢字の学び方教え方』(国立国会図書館デジタルコレクションより) 写真が残っていました。写真があると親近感が湧いてきますね。 ※『漢字の学び方教え方』(国立国会図書館デジタルコレ…

  • 水盆探索 〜安行氷川神社

    こんにちは。久しぶりになってしまいました。 年末に向けて残業が増えている今日この頃です。 安行に小さな神社がありました。 氷川神社といえば埼玉県内に無数に存在する神社さん。その一つ。 昔は古い杉があったようで、現在の社殿は枯死した木の売却代金を当てて改築したそうです。 本殿内は見ることができなった記憶がありますが、座像が安置されており、神仏習合の名残を残す神社です。 手水舎となる水盆に文字「奉献」が刻まれています。 sekihijunyu.hatenablog.com sekihijunyu.hatenablog.com 上記の記事で登場していますが、筆者は龍澤さん、石工は青木宗羲さん。 こち…

  • 今回から川口市に入っていきます。 川口市本蓮の普門寺の境内に観音堂があります。 ここは「武蔵国新西国第24番札所」となっています。 川口市史によると「武蔵国三十三ヶ所観音霊場」の24番目にあたります。また、「新四国」とあるのは「新四国八十八ヶ所霊場」であり、その79番目にあたるようです。 お寺のHPには武蔵国三十三ヶ所観音霊場が取られていました。 この観音堂は ご本尊は、秘仏で正観世音菩薩坐像 御堂は、延宝6年(1678年)に建造 「観音堂棟木。天井の桟の墨書銘概要。」 普門寺の観世音菩薩・不動三尊・十王像・毘沙門天の各像は、恵心僧都(942〜1017年)の御作である。 寛文12年(1672年…

  • 古本万歳!! 古本まつりと国会図書館デジタルコレクション

    もう終わってしまいましたが、今年3年ぶりに開催された神保町の古本まつり。 いやいや、大変な盛況で動くスペースもないほど。 今年はこのブログを始めたこともあって、今までに買ったことのないジャンルの本も買いました。 あと、筆も。。。 書道関連は古い作品を対象とすることが多く、古本はもってこいなんです。 新しい本を買わなければ出版社はどんどん廃れていくのはわかっていますが、なにせお金がないのが実際のワレワレ一般人は古本を貴重がります。 書店の軒先には古い本がならび、貴重な和綴本の作品集が並ぶところも。 実際ね、本は手元にあるほうがなにかといいんですよ。積読です。積読。 でも、でもですよ。 増えてくる…

  • 地図で検索できない、違和感ある鳥居。その場所で見た墓碑に刻まれた戦争の悲惨さ

    とある日、大通りから外れて狭い道を歩いていた時のこと。 普段歩かない道を歩いてみるのは楽しいなと思いながら周囲を見渡していたら、あまり見かけない白い石の鳥居が目に飛び込んできました。 地図に載らないこの場所は隠されるように垣根の奥に鎮座しています。 鳥居の形状・祠の様子を見る限り、何かしらの神社であるようです。 後日、『草加の金石』や『草加市史』シリーズを探ってみたものの、この辺りに古いお寺が有った形跡も無く、神社があったというような記述も見つけることができませんでした。 周囲を見渡してみるとある家系のお墓が複数あるのを確認出来ましたので、おそらくはその家系の屋敷がここにあったのではないかと。…

  • 寺小屋を開いた人物を讃える碑 〜浄龍寺

    今回は西町にある浄龍寺に参拝してきました。 元々、浄観寺というお寺であったそうですが、合併し名前が変わったようです。 広々と綺麗に整備された参道が気持ちいいです。 寺号額の字も素敵です。 落款は「晋山仁主龍心書」と書かれてます。晋山式とは新しく任命された住職を指すそうなので、こちらの住職が書いたと推測できます。 参道脇に「蓮泉堂春盟先生追福之碑」がありました。 蓮泉堂春盟先生追福之碑 辞世 罪ぶがき 我身をすくふ 南無阿みだ仏の 慈悲にもれぬ 嬉しさ うへもなき 氷室はふじの たよりに難 鶴盟子 夏の月露けく入るや濡る袖 一得 花くばりしてある蓮の淙葉哉 驥龍 発るに眼のとどかぬ桐の一葉哉 省…

  • 市内最古の寺院をめぐる 〜東漸院

    今日は草加市柿木町にある東漸院にお邪魔してきました。 山門が市の有形文化財(昭和52年)に指定されています。 当寺は阿日山報體寺と称し、新義真言宗豊山派である。創立の年代は詳かではないが、開基は定範という人で、室町時代(1500年前後)と推定され、市内最古の寺院と思われる。 東漸院という名称は、第六世定傳のころ、天正19年(1591)、徳川家康から朱印地三石を賜ったときにつけられたといわれる。 寺の由緒書によると、元禄と寛政年間の2回の火災により本堂を焼失したが、鐘楼と山門は、寛政の災害をまぬがれたと記録されている。 山門は寺院の表門で、型式は一間一戸の四脚門である。即ち、本柱(円柱)の前後に…

  • 社名の気になる神社。隣市の人物の奉納手水舎が謎を解く? 〜槐戸八幡神社

    今回は草加市八幡町にある槐戸(さいかちど)八幡神社に参拝してきました。 槐戸とは聞き慣れない地名だったので、気になり調べてみました。 news.yahoo.co.jp ありがたいことにネットにありましたので、気になる方はどうぞ。 どうも村境に存在している地名のようです。 槐の漢字が残っている場所で神社が残っているのは全国的にも珍しいところなのでしょう。 住宅地にある神社にしてどことなく異質な感じ。神秘的な雰囲気が漂います。 手水舎です。この辺りは草加市と越谷市の市境、昔は村境に当る場所でもあり、「蒲生の一里塚」が近くにあります。 そのためか、この手水舎の奉納者は越谷の人物であるようです。 se…

  • 台湾グルメを堪能しつつ思うこと。

    海外旅行好きの先輩社員と話していて、「台湾行きたいね」というのが共通認識になってきています。そこで、「台湾祭」やってるよとのこと。 in越谷レイクタウン 開催は今日(10月2日)までだったので、ギリギリすべり込みました。 お出迎えはパイナップルと台湾ビール。奥に人形も見えます。 大学の時、研修で台湾に行ったことがありまして、以来台湾好きになりました。 今回行ってみようと思った目的は現地で食べることができなった料理を食べること。 1食目:鹹豆漿(シェンドウジャン)と油條(ヨウティアオ) 豆乳スープと揚げパンです。プラス、台湾ビールもチョイス。 台湾でよく食べられる朝食とのこと。優しい味わいで、揚…

  • 地図に載らない場所に眠るある一兵士の話

    日本人はつくづく勤労だよなぁ、と、この趣味を初めて思うようになりました。 というのも、碑だけで全国に数千と存在している(一部の書家の石碑を集めた石碑の本でも1700基とある)のに加えて、寺院にあるお墓も古いものだと手彫りなのです。 一人(あるいは、一グループ)が生涯で制作した「石碑の文字」は一体何基あるのだろうとなる訳です。 まあ、前置きはこの辺にして、とある日の帰り道に偶然見つけた墓地にあった文字を紹介してみます。 草加市のとある廃寺の墓地です。廃寺跡の墓地はGoogleマップや市販されている地図には載らないようです。 江戸の元治元年に制作された碑であるようです。 筆者や石工名は刻まれていま…

  • 空海と精進料理と那智黒硯と

    最近仕事が忙しかったためもあって、久しぶりの更新となってしまいました。 まあ、言い訳でもあるんですが。笑 さてさて、先月だったか、確かNHKの番組で空海の特集がされていました。チラッと見ただけなんですがね。実際は西新井大師の特集みたいでしたし。 そこで、冒頭、「空海は生きている」と言っていました。「んなバカな。」 ということで、理由付けはなんだっていいんです。「空海に会いに行こう」と思い立ち、 和歌山県に行ってきました。 最大の目的はもちろん高野山・奥の院です。 奥の院に行くまでの道中。全国各所・有名な家系や企業のお墓がずらっと並んでいました。 某有名な家電メーカーのお偉いさん方っぽい人たちが…

  • 石碑の魅力について

    石碑は見方がわからない。そんな方に向けて私が意識している部分をあくまで私見ですが、お伝えできればと思います。 石碑の歴史 石碑の見方 彫りについて ・薬研彫り ・丸彫り ・平彫り 石碑の魅力 石碑の歴史 石碑は中国の秦の時代には既に見られます。この時代、最も有名なのは「泰山刻石」をはじめとする李斯の石碑でしょう。始皇帝が自分の功績を他国に示すために建てたとかなんとか。詳しい話は忘れてしまいましたが、これによって今までバラバラだった文字が「小篆」に統一されたという記念すべきものであるのは間違いありません。 現在は10字ほどしか残っていないようですが、2200年ほど前の字が残っているというのは不思…

  • 息子も孫も亡くした「おじいちゃん」は何を思うのか。 〜三覚院

    こんにちは。今回は草加市青柳にある三覚院に参拝してきました。 今回といっても実際に伺ったのは梅の季節。寺院などの日本伝統の建築に梅は相性がよく、好きです。よく手入れされた素敵な梅でした。 三覚院(さんがくいん)は新義真言宗豊山派に属し、本山は奈良の長谷寺である。昔は三蔵院と称し、『武蔵国郡村誌』には、慶長10年(1605)ころの創建で、開山は俊賢法印と記されている。明治41年12月、東覚寺と併合して青柳山三覚院と改称した。今の本堂は文化8年(1811)に建立されたものと伝えられ、間口16•2メートル、奥行10•8メートル、欅材を豊富に使った豪華な建物である。向拝部分には、後藤桂林の彫刻を配し、…

    地域タグ:草加市

  • 草加宿を中心に草加で活躍した人に思いを馳せることができる場所 〜草加 東福寺④

    こんにちは。 草加市・東福寺にある石碑をまとめて紹介していきます。 東福寺 本尊:お不動様 大川図書 参道と山門 三鈷の松 境内に立つ石碑 落語中興の祖 石井宗叔 茶道師範 小泉栄作 其月庵社中 歌碑 亀甲屋幸助 追善碑 柳剛斎先生碑 アクセス まずは、東福寺の紹介から。 東福寺 新編武蔵風土記稿 南草加村の項に 真義真言宗。原村密蔵院末。松寿山不動院と号す。本尊不動を安す。慶長年中の草創にて。開山賢宥。元和5年12月28日寂せり。開基大川図書は。則当宿を開きし人なり。卒年詳ならず。 『草加市史.資料編 地誌』p 442より とあります。 密蔵院とは川口市安行原にある密蔵院のこと。 レトロでか…

    地域タグ:草加市

  • 鯉はその背中を花に捧げて泳いでいきました。 〜草加 東福寺

    こんにちは。 さて、今回も引き続き東福寺の碑を見ていきます。 写真だと何書いてあるか全く読めませんね。 慶応元年(1864年)の碑になります。 内容は其月庵というおそらく華道のグループ(社中という)の中で歌を読んでまとめた歌碑だと思われます。 前文では 予若きより活花を好むの癖あり 同窓の友をあつめて四時の消閑ををしみ風月にあこがれしも今年七十二歳に及びければ とあります。 いけばなを好んできたとありますので、華道だろうと予測しました。 一年中ヒマを惜しで自然に憧れていたというなんとも風流な前文です。 ここには9人の歌が述べられています。 花に脊をあげるや雨後の登り鯉 一僊居士匂ふ霸(露?)の…

    地域タグ:草加市

  • 落語中興の祖 石井宗叔 その碑文もユーモアに満ちている。 〜草加 東福寺

    こんにちは。 さて、前回の続きで今回も草加市の東福寺の境内碑を見ていきます。 東都落語元祖 石井宗叔墓 落語中興の祖、石井宗叔の碑。1代目の方の碑になります。 石井宗叔は江戸中期の医師で、水魚魯石の号で狂歌や俳句を作っていました。また、落語(江戸小咄)を好み、石井宗叔の芸名で演じ、小咄から長咄に転じたため「長咄」の元祖とされ、江戸落語の中興の祖といわれています。 『草加の史跡・伝説案内』p26より お墓の名の脇に小さく、俳句が添えてあります。 「もろ鳥も囀る春の手向かな」 鳥も一緒に旅のはなむけを言ってくれている春。といった感じでしょうか。 誰の句かは書いていませんが、石井宗叔は俳句も得意とし…

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  • お不動様の碑 〜草加 東福寺

    こんにちは。 今回からは草加町の時代からお寺といえばここという歴史のある「東福寺」の碑について回を分けて追っていきます。 第1回目は不動堂の脇にある「仏説聖不動経之碑」です。 篆額は萩原秋巌。碑文は中山桑林。 この二人の組み合わせは草加市内問わず結構な数を見ることができます。 sekihijunyu.hatenablog.com 過去記事では同神社内に額と碑があるという関係でした。今回は碑額と本文という関係。 今は巻菱湖の弟子として有名ですが、萩原秋巌は当時日本中に名の知られた書家で、相当数の碑があるようです。こうして見ると師弟関係にあったのではと思えてくるのですが、中山桑林も川口市内に道場を…

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  • 知られざる草加の歴史が刻まれた碑 〜中央二丁目公園

    こんにちは。 今回はゆったりと公園を歩いてみました。 公園の入り口には石碑が2基ありました。 どちらの碑も当時の町長野口訓三の撰文で書は野島隆三。野島さんの人物像ははっきりとしませんが、パソコンの無い時代ですから、役所の書記のようなお仕事に就かれて文章発行に取り組んでいたと想像しています。 さて、このお二人が遺した石碑は草加市(草加町)の歴史を語るものでありました。 年代順に、まずは昭和六年の記載がある町名改正記念碑より。 碑陽:町名改正記念碑 碑陰: 我か草加町は寛永七年始めて奥州街道の宿駅となり昭和四年開宿三百年祭を挙行せり而して従来の公称は吉笹原 谷古宇 南草加 北草加 原島 東立野 宿…

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  • 住宅街に取り残された異世界 〜草加吉町の地蔵堂

    近くの日枝神社に行く途中、鈴などが不思議に絡み合うお堂がありました。 田舎の山の奥ではこういった絡ませ方をする堂を見たことはありますが、住宅地でここまでとはなかなかの異世界感。 お堂の詳細を調べてもあまり詳しくは出てこないようです。わかるのは「地蔵堂」という名称くらい。 名称由来は奉納されている額にあるようです。 お堂の左上にある絵です。昭和14年奉納のもの。 「東京浅草区田町 吉澤」と奉納者の名前が見えます。 お地蔵さんの表情に何か惹かれます。 絵の右側には前年に奉納された額あります。絵も書も「吉澤一郎」さんのでしょう。 なんとも不思議な魅力のある字です。 ありがたや はとり□しやうの ろく…

    地域タグ:草加市

  • 明治時代の教育水準は高い!?草加市中根を見守る神社にある日清戦争の碑 〜中根女体神社

    こんにちは。今回は草加市中根にある女体神社を参拝してきました。 中根女体神社とは まず、地名である中根は『新編武蔵風土記稿』巻4中曽根村の項に 中曽根村は江戸よりの行程及び用水検地等前村(塊戸村:現、草加市旭町、八幡町付近)に同じ家数二十余東北の二方は塊戸村に限り南は篠葉村西は新綾瀬川を境て九左衛門新田なり東西三町余南北十一町水損あり当村も古へより御料所なり と記載があります。草加は全体的に御料所(幕府の直轄地)が多いようですが、こちらも同様であったようです。 ※google mapより 赤枠内が中根 中曽根村は現在「中根」となっていますが、地名の名残を橋に見ることができます。 マップでいえば…

    地域タグ:草加市

  • 草加宿16人衆の一角を支えた女性の歌碑 〜三柱神社

    こんにちは。今回は三柱神社を参拝してきました。 住宅街の細い道に突如として現れる広い空間。敷石がきれいに整備され解放感に満ちています。近年、氏子方の尽力により急速に整備が進められたそうです。よくよく境内を散策すると古い水盤や御神木のような立派な木もあります。 この神社の由緒を辿ると元々、この場には第六天神社が祀られていたとのこと。『新編武蔵風土記』には「南草加」の条に東福寺持ちで第六天社の名が見えますので、これで間違いないでしょう。 第六天はもともと神仏習合の習わしで、仏教の欲望や願いを操る魔王。明治以降は神仏分離により神道の夫婦神で神世はこの子供から始まったとされるとあります。 そのほかに弁…

    地域タグ:草加市

  • 建立当初の水盤が残る神社 〜谷塚氷川神社

    こんにちは。今回は草加市谷塚町にある谷塚氷川神社を参拝してきました。 【目次】 谷塚氷川神社について 水盤「奉献」 木村辰之助歌碑 日露戦没紀念碑 アクセス 谷塚氷川神社について 前回参拝した宝持院と同じ谷塚町内にある神社で、旧名:下谷塚村の鎮守です。江戸時代までは別当寺として慈眼寺があったそうです。その名残は参道手前の墓地にみることができます。境内には末社として稲荷社と天神社がありますが、稲荷社は第六天と稲荷・疱瘡神の合祀であるようです。天神社は慈眼寺が廃寺になる時にこちらに移したのでしょう。 『新編武蔵風土記』を読んでいて気になることがありました。この神社の建立年代は天保年間(1830〜)…

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  • 江戸のお花売りはモテる!? 〜宝持院

    こんにちは。今回は草加市谷塚町にある宝持院を参拝してきました。 【目次】 宝持院について 母屋「大悲殿」 宝篋印塔 華友碑 忠魂碑 アクセス おまけ(青面金剛像) 宝持院について 宝持院は『新編武蔵風土記』によると西新井の総持寺(西新井大師)の末寺として開山されたとのこと。寺号は「長久山宝持院」。お寺のHPによると奈良の長谷寺(真言宗豊山派の総本山)の十一面観音を模した観音様を祀っています。 houjiin.com お寺のHPです。 ご紹介ついでに、こちらでは写経も行えるそうです。また、「谷塚小学校」の発祥地でもあります。 母屋「大悲殿」 「大悲殿」の文字は住職十四世が書いたと落款にあります。…

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  • 「こんな字読めるか!!」が解析できる!? みを(miwo)さん。控え目に言って最高です。

    石碑を解読するようになって困ったこと。それは・・・ 「文字が読めない!」ことです。 まぁ、一般の方よりは書というものに触れてきた時間が長いと思いますので、草書や仮名でもある程度はスラスラ読める自信はあります。ましてや、過去に石碑を研究され出版された本がありますので、大部分頼ってこのブログを書いてます。 ですが、それでも読めない字に遭遇するのです。そんな時は字書(過去の文字資料を集めた辞書)と睨めっこしながら字を探していくのですが、「もうちょっと楽できないかな?」と探していたら見つけました。 みを(miwo):AIくずし字認識アプリ codh.rois.ac.jp なんて素晴らしい!!OCRで古…

  • 妖雲霧散!不吉が去り、未来は明るく 〜北草加氷川神社

    こんにちは。今回は北草加氷川神社を参拝して来ました。 「北草加」とは明治時代、氷川神社(現:草加神社)のある「南草加」の北にある地域から付いた名称です。 ※『草加町見聞史』(国立国会図書館オンラインより 一般公開) 北と南で分かれているとはいっても規模の大きさは随分違いますね。 北草加氷川神社は明治42年、神社合祀の流れを受けて草加神社に合祀されたようです。 元々は上野の東叡山寛永寺の隠居寺であり、天台宗日輪山光照院東圓寺(廃寺)持ちの神社として建立した経緯があります。 その為か、境内には七福神も集結していました。 さて、拝殿脇に「凱旋紀念碑」がありました。 碑額は「榎本武揚」が書いています。…

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  • 書家と石工の蜜月な関係? 〜高砂八幡神社

    こんにちは。今回は草加駅の近くにある高砂八幡神社に参拝して来ました。 www.city.soka.saitama.jp こちらには草加市の市指定有形文化財(工芸品)に指定されている獅子頭があります。 草加市のHPによると制作年代は江戸末期に当たるのでしょうか。普段は拝殿内に安置されていますので、ご興味ある方は覗いてみるのもおもしろいのではないでしょうか。 さて、高砂八幡神社には手水舎を新しく建て替えた際の記念碑が立っています。記銘によると立碑年代は「明治28年(1895)」となります。石工は青木宗次とわかります。 筆者名が不明な碑ですが、草加市内の碑をある程度回ってきて筆者と石工の関係性がある…

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  • 橋を架けるのは大変益のある事業なんですね。 〜手代町会館

    先日草加市と足立区に新しい橋「花瀬橋」が架かったとのニュースがありました。新しくできた文教大学のキャンパスも近くにあり、人の交流が増えそうです。 www.city.adachi.tokyo.jp 記事によると、橋名は地域の小中学生が揮毫したものが用いられているそうです。素晴らしい試みですね。 さて、今回はそんな「橋」に関わる石碑を発見しましたので、ご紹介します。 碑の一部が欠損してしまっています。残念です。 碑額には「開街橋記念碑」と小篆で揮毫されています。中国清の時代、復活をみた金石学での初期の頃のような「玉筋篆」が用いられています。日本においても大正時代ぐらいまではこの書き方が主流だったの…

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  • なぜ?明治頃までの横書きの文字は右から左に書くのか。

    私自身それなりの年数書道に触れてきました。そんな話をするとよく聞かれる質問があります。それは、「昔の横書きの文字は右から左に書かれていて読みにくい。」というものです。現在では左から右が当たり前なので違和感しかないですよね。 理由は以下の ①古来、漢字伝来より字は縦書きで右から左が主流。(国語の教科書と同じ) ②横書きという概念はない。全て縦書きの書き方に倣う。そのため、縦に一文字しか入らない場合、改行のルールに則り右から左に書くようになる。 という2つの事が考えられます。つまり、昔の日本人にしてみれば右から左に書くのは当たり前なことなんですね。 ところが、実はこの右から左に書いていくのはいつか…

  • 富士山信仰を象徴する神社の境内碑 〜瀬崎浅間神社

    こんにちは。今回は以前に紹介した瀬崎浅間神社にあるさまざまな碑を見ていきたいと思います。 sekihijunyu.hatenablog.com 以前のものはこちら。 さて、紹介すると言ったものの、あまりにも多いので目次立てていきます。 目次 ○伊勢参宮紀念碑 ○御神楽殿改築記念碑 ○瀬崎浅間神社 社額 ○国威宣揚 塔 ○灯籠 ○遥拝所 ○御手洗 ○アクセス ○伊勢参宮紀念碑 まずはこちら。伊勢参宮紀念碑です。板橋榛嶺の書。前に紹介した共益講道路修繕記念碑の2年後の碑になりますが、碑の大きさ故か、伸びやかさが加えられ揺るぎない波勢を誇ります。 sekihijunyu.hatenablog.com…

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  • 出羽三山信仰を伝える石塔と阿弥陀仏の石塔

    こんにちは。今回は草加市新里町にある徳性寺に参拝してきました。 浄土宗のお寺です。川口草加線の交通量の多い道の側に建っていますが、とても静かで境内も整備された心地いいお寺でした。 境内にあるお地蔵さんの裏手に出羽三山塔がありました。この塔は文久二年(1862)のもの。『草加の金石』によれば、湯殿山の別当寺の一つが草加にあったのでその影響によりこのような塔が多いそうです。大乗院宥无という人物の書。おそらくお坊さんの字でしょう。 江戸において山形県の出羽三山の信仰が広く行き渡っていた証拠のひとつですね。 碑の右側面には「天下泰平 日月清明 風雨順時 五穀豊登」と願いが刻まれています。唐代の楷書に範…

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  • 子供の成長を見守る神明神社 〜碑に刻まれた村民の想い

    こんにちは。今回は草加市谷塚上町にある神明神社に参拝してきました。 公園が併設されたお宮さんです。当日は子供達が元気に遊んでいました。遊んでいて怪我をしないようにか、灯籠には囲いがされていたりと工夫のされた良い公園だと思います。 公民館っぽい建物の横に碑がありました。碑額には「再建記念碑」と書かれています。 楷書のような結構(文字の構え)ですが、筆法を見ると隷書にみえるのが不思議です。 碑陽の本文は漢字とカタカナの混じり文です。右払いが伸びやかで余裕を感じますね。本文には以下のように書かれています。 明治四十二年鎮守神明宮他社に合祀せらるるや爾後村民齊しく寂寥の情に堪へざりき 茲に有志相会して…

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  • 西願寺 〜阿弥陀像を巡る習慣を刻んだ標柱

    こんにちは。今回は草加市遊馬町にある西願寺を参拝してきました。 創建は1615年と伝わり、本尊は阿弥陀如来像です。 新しく立て替えたのでしょうか。本堂はとてもきれいですし、彫刻も素晴らしいものとなっています。 徳川家の家紋である「三つ葉葵」がありますので、もしかしたら徳川家と関係があるのでしょうか。 さて、山門の入り口に目的ものがありました。 「足立 六阿弥陀特拝所」と書かれた標柱です。 六阿弥陀というのは阿弥陀仏を祀っている六つのお寺を巡拝することです。 起源は元禄頃に始まるそうですが、こちらは昭和10年に建てられています。 江戸の各地で六阿弥陀参拝の習慣があったそうですが、それが昭和の時代…

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  • 剣術家の書と巻菱湖門下四天王の書①〜谷古宇稲荷神社にて

    こんにちは。今回は草加松原の松並木より伝右川沿いに進むと右手に見えてくる谷古宇稲荷神社に参拝しました。 社額は割れてしまっていますが、萩原秋巌(はぎわらしゅうがん)の手になる隷書額です。 萩原秋巌は幕末三筆の一人、卷菱湖の門下であり、菱湖四天王の一人に名を連ねる人物です。 ちなみに、秋巌は草加市内に関連した筆跡が残っており、同じ額では、原島神明宮(埼玉県草加市西町323)にも鳥居の額として存在を確認しています。 これらを観ていくと「書は秋巌」と称されたほどの腕前は確かであるとわかります。 maki-ryoko-select-shop.com maki-ryoko-select-shop.com…

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  • まるで趙之謙!?な国旗掲揚塔

    さて、前回に引き続き今回も柳島氷川神社にある書を探していきましょう。 今回はこちら。「国威宣揚」の国旗掲揚塔です。白雲健書。(野本白雲?詳細不明) 私はこの字を見た時、パッと浮かんだのが、趙之謙です。 shoyu-net.jp ※画像は書遊さんのサイトより。 掲揚塔の「宣」の最終画と趙之謙の「一」の筆法(書き方のこと)が似ていると思いませんか? 趙之謙は清代の「碑学」を代表する人物です。篆隷をはじめ、北魏楷書を実践的に世に広めた人物と言っていいでしょう。 皇紀2600年はちょうど昭和15年(1940年)にあたります。この頃を代表し、北魏楷書や趙之謙の書法を日本に広めた書人といえば西川寧先生であ…

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  • 埼玉県県道103号の成り立ちを伝える碑。

    こんにちは、今回は草加市柳島にある柳島氷川神社の石碑をみていきます。 共益講道路修繕記念碑 筆者は板橋菊蔵。詳細は不明です。大正9年の作。 草加市内にはいくつかこの筆者の碑が散見されます。それらを見ていくと、隷書を良くした人物であったのではないかと想像しています。この碑は若書きなのか、たどたどしさを感じますが、まとまりの良い額を書いています。 碑陽は楷書とカタカナの混じり体です。カタカナが極端に小さいのは漢文を訓読するときに右下につける「送り仮名」の影響でしょう。 本文を簡単に読むと 昔、現在の国道4号辺りから北西の方角、足立区木間の辺りから草加市谷塚を過ぎ、さいたま市緑区大門の辺りまでの道は…

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  • 草加松原遊歩道 〜歴史を感じる文学碑散歩③ 子規と虚子の句碑

    前回、矢立橋まできました。今回は矢立橋より東京よりに歩みを進めていきます。 草加松原遊歩道 〜歴史を感じる文学碑散歩① - 石碑巡遊〜名文・名筆を探して 草加松原遊歩道 〜歴史を感じる文学碑散歩② ドナルド・キーン氏の筆跡を辿る - 石碑巡遊〜名文・名筆を探して 前回までは以上をご覧ください。 では、早速、、、。 矢立橋を少し南に行くと「日本の道百選 日光街道」の碑があります。当時の埼玉県知事畑和の手による碑らしいです。碑陰には当時の草加市長の言葉が刻まれています。 この碑の形、何かに見えてきませんか? 碑陰には当時の草加市長今井宏の言葉が刻まれています。「この道は江戸時代の五街道の一つで奥州…

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  • 草加松原遊歩道 〜歴史を感じる文学碑散歩② ドナルド・キーン氏の筆跡を辿る

    気温も暖かくなり、散歩に適した陽気になってきましたね。 前回、百代橋まで来ましたので、今回は矢立橋までを見ていきましょう。 sekihijunyu.hatenablog.com 百代橋まではこちらをご覧ください。 さて、前回歩き疲れましたので、百代橋から綾瀬川を渡り草加市文化会館の脇にあるこちらの施設に立ち寄ります。 筆者の人柄が伺いしれるような暖かい構えの額が迎えます。 「漸草庵 百代の過客」はドナルド・キーン氏の筆跡になります。氏は「おくのほそ道」などを海外に広めた日本文学の研究者です。 百代の過客 日記にみる日本人 (講談社学術文庫) 作者:ドナルド・キーン 講談社 Amazon 庵号に…

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  • 草加松原遊歩道 〜歴史を感じる文学碑散歩①

    旧日光街道(県道足立越谷線)沿い、綾瀬川に沿って約1.5kmに及ぶ松並木があります。草加市の観光名所で国の名勝にも指定された草加松原遊歩道があります。 www.city.soka.saitama.jp 百代橋の下には「おくのほそ道風景地」と「日光街道草加松原」の道標があります。前者は元草加市長の今井宏、後者の書者名は不明です。両者の書風は異なるように思いますが、いずれも来たものを迎え入れる温かさを感じられます。 さて、この遊歩道には幾つか句碑等がありましたので、3回に分けて紹介していきます。 グーグル先生ありがとうございます。 道の北側入り口です。ここから東京方面に向かっていきます。 リンガー…

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  • あと30年ほどで立碑200年を迎える神社の由緒記。いろいろと珍しい碑でもあるんです。

    東武スカイツリーライン新田駅から程近く、住宅に囲まれた一画に佇む旭天満宮。地域の方のお力で、境内はきれいに整備されています。 www.google.com さて、こちらには江戸時代から建つ碑があり、今まで幾つか紹介してきた碑の中では最古のものになります。碑の傍には内容を書き下した説明板があり、このお宮の見どころの一つにこの碑がなっているようです。それでは、全体を見てみましょう。 石を切り出した以外は自然のままの形を活かしたのでしょう。あまり大きな碑ではありませんが、いかにも日本らしいつつましやかな碑ですね。それにしても江戸時代に建てられたにも関わらず、状態が素晴らしいです。あと30年ほどで20…

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  • 親子二代に渡って信仰のあり方が述べられている碑、澆季の世が来る日を危惧した撰文者の眼

    東武スカイツリーライン谷塚駅の東口を出て真っ直ぐ進むと、右手に見えてくるのが今回の碑がある瀬崎浅間神社です。 www.google.com 宮司が常住していないものの地元民から親しまれているお宮さんで、碑を調べている時も参拝者が多くいらしていました。 このお宮は名の如く富士山信仰で盛んだった様子で、境内には数多くの富士登山碑が建っています。それ以外にも多くの碑があります。碑の数でいえば草加随一であるかもしれません。 さて、正面に鳥居を据え、右手に入るとこの碑が建っています。 題額は東久世通禧。政治家です。木の陰で見えずらいですが、実直な雰囲気が伝わってくる字ですね。 碑文はおそらく正誉温恨とい…

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  • 日清戦争の凱旋記念碑。立碑された理由は天皇万歳!なのかそれとも・・・。

    こんにちは。今回は前回に引き続き、草加市弁天にある篠葉厳島神社の碑を見ていきます。前回のはこちらをご覧ください。 sekihijunyu.hatenablog.com 厳島神社の由緒記と向い合う形で建つのは「征清凱旋頌碑」です。 題額は福嶋安正(1852~1919)で、陸軍軍人。この書は大佐時に書かれたもので、43歳辺りであったと碑文から読み取れます。楷書をやや崩したような感じで伸びやかに書かれています。 碑文は日清戦争で日本が勝利して帰国したことを讃える碑。広島から挙兵して、翌年東京に帰還した旨が書かれています。 唐代の楷書をベースにして、横画は細めに縦画が太めというオーソドックスな書き振り…

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  • 篠葉厳島神社 〜神社の由緒記

    草加市弁天の北部に鎮座する厳島神社。隣には観正院というお寺があり、比較的交通量の多い越戸橋通りに参道が接しているにも関わらず、境内は住宅街ならではの静けさに包まれています。ここの厳島神社は正式名称を篠葉厳島神社といい、なんでも篠竹という竹が繁茂していたことがが地名の由来になるそうです。近くの篠葉公園にその地名の名残をみることができます。 所在地:〒340-0004 埼玉県草加市弁天6丁目7 www.google.com 拝殿を正面に2つの碑が向かい合うように建っており、今回はその左側の碑「厳島神社記」を見ていきましょう。 これから本題ですが、励みになりますので、宜しければ「読者になる」ボタンか…

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  • 草加神社 碑・織旗支柱

    目次 所在地:草加神社 〒340-0034 埼玉県草加市氷川町2118-2 東郷平八郎書 戦後凱旋記念碑 大山巌書 忠魂碑 生嶋玄益書 隷書碑陰 中根半嶺書 織旗支柱 所在地:草加神社 〒340-0034 埼玉県草加市氷川町2118-2 www.google.com 草加市の神社といえば一番に出てくるのが草加神社です。敷地内にはSLがある公園があり、子連れで賑わう場所です。御朱印も月ごとにあり、お守りやおみくじも充実したお宮さんです。 www.sokajinja.jp 詳しくはこちらをご覧ください。 こちらにも碑がいくつかあり、境内地にひっそりと佇んでいます。 東郷平八郎書 戦後凱旋記念碑 東…

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  • 中山吉長頌徳之碑

    目次 所在地:〒334-0053 埼玉県川口市安行吉蔵1-25 吉長橋 全景 碑額 碑陽 碑文: 碑文意訳: 中山吉長氏について 筆者 菅虎雄 まとめ 所在地:〒334-0053 埼玉県川口市安行吉蔵1-25 吉長橋 www.google.com 東京外環自動車道草加ICの近く、伝右川を横目に行き、桜並木を通り過ぎた先の左手にポツンと巨大な石が建っています。これが中山吉長頌徳之碑のです。 私が碑に魅せられたのは宮城県にある多賀城碑ですが、ブログを書いて日本の碑石の魅力を伝えていきたいと思ったのはこの碑がきっかけです。初めてのブログで至らないところが多いと思いますが、どうぞ末長くお付き合い頂ける…

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