首都高速川口線を横目に見える場所にこちらの氷川神社があります。 『新編武蔵風土記稿』巻135の吉岡組の項に 氷川社 村の鎮守なり明和の頃の草創なりと云 と伝わるそうです。明和とあるので、概ね1700年頃には存在した神社となります。 小さいですが、歴史がありますね。 江戸時代の後期には同じく村の鎮守であった神明社も合祀したとの資料もありました。 さて、手水舎に立派な文字が刻まれていました。 隷書で「奉献」と刻まれています。 側面には「明治十五年壬午秋十月 榛嶺橋卿書」と刻まれています。 奉納者はこちらの氏子方、石工は田口金作とありました。 さて、この板橋榛嶺(本名:菊蔵)氏は明治の頃に活躍した人…
草加市と川口市の市境にあたるところ、外環(東京外かく環状道路)の下に水原秋桜子の句碑がありました。 sekihijunyu.hatenablog.com 草加市内には2つの秋桜子句碑があります。上記の記事での書は「平勢雨邨」氏の字になりましたが、こちらは誰のかはっきりしません。 畔塗りが 草加の町を かこみける と書かれています。 「昭和の初期、春日部までの通勤時に、車窓から草加の風趣を謳ったもの。」という説明を下記の記事で見つけました。 くさなび|原町 この俳句からは草加も昭和初期の頃までは田んぼが多かったことが想像されます。 今では「外環が 草加の町を かこみける」と無季語で無機質な句にな…
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