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1.いろは歌2.生かせいのちオリンパス OM-D E-M5 MarkIII M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO 気に入っていただけましたら、1日1回ポチッとお願いします。にほんブログ村...
竹本健治さんの『涙香迷宮』を読みました。 涙香迷宮 (講談社文庫)Amazon(アマゾン) ${EVENT_LABEL_01_TEXT} 明治時代の探偵小説作…
いろは歌 誰が創りし ものなのか 空海説も 有るにはあるが ★ 真言宗の「弘法大師和賛」の中に、「いろは歌」は弘法大師がおつくりになり、みんながその恩を受けているという意味のことが記され
昨日から、3月になった。そこで、以下の一節を見ておきたい。◎三月和名弥生と云、〔奥義抄〕に云、風雨あらたまりて草木いよいよおふるゆへに、いやおひ月といふを略せり。三田村鳶魚先生『江戸年中行事』新潮文庫・1981年、38頁まぁ、和名としては「○○月」と呼称しないものなので、記憶に残りやすいのか、3月の和名が「弥生」というのは、知られているように思う。それで、「弥」を訓読みすると「いよいよ」と読む。「生」は「おうる(はえる)」と読むから、「いよいよおふる」という訓読みになるわけである。で、実はこれ以上、話を広げようが無いので、何か無いかな?と思っていたら、「弥生」を使った仏教の説法があったので、それを見ておきたい。初めの色は匂へど散りぬるをとは、春の弥生の花の空爛漫と咲きほこりたる色香のいとうつくしけれど、夜...「弥生」雑考(令和5年度版)
いにしえの道を聞きても唱えても 我が行いにせずばかいなし ―― 島津忠良(ただよし)先哲の教えを聞いても、唱えても、自分が行わないのなら役には立たない。忠良が創作した「いろは歌」の「い」の歌。その教育論は、子孫に受け継がれ、薩摩藩の士風と文化を築いて行く。孫の島津義弘(よしひろ)の考案と伝えられる「薩摩の教え」、5段階の人事評価基準。 一つ、何かに挑戦し、成功した者 二つ、何...