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デカルトから始まって、ヒューム、カントまでは、まず自己が在って、そこから他者との関係が生じるけれど、ヘーゲルは、私が私であるためには、まず私は、私たちの一部でなければならない、と考える。自己は常に他者と共に在って、その関係の中で生きている。「客」のない世界に生まれて、「主」は有り得るか。つながりのない世界で生きて、「個」に成り得るか。 ―― 優しい歌が歌えない/槇原敬之 ―― 槇原敬...
青梗菜を批判するルーティンをやめてほしい、なんてお願いなら、多くの場合には聞き入れられる。やめてほしい理由を説明することも要しない。青梗菜から自分の意に沿わないことをさせられる、青梗菜に自分の意思を捻じ曲げられる、さらには、屈服させられる、なんて解釈に寄せたときには、説明を要し、聞き入れられないこともあるのだろう。 抱えた苦しみは誰のせいと 人をひどく責める的はずれを ...
いにしえの道を聞きても唱えても 我が行いにせずばかいなし ―― 島津忠良(ただよし)先哲の教えを聞いても、唱えても、自分が行わないのなら役には立たない。忠良が創作した「いろは歌」の「い」の歌。その教育論は、子孫に受け継がれ、薩摩藩の士風と文化を築いて行く。孫の島津義弘(よしひろ)の考案と伝えられる「薩摩の教え」、5段階の人事評価基準。 一つ、何かに挑戦し、成功した者 二つ、何...
店を開くための貯金を用意してくれたら、開店を心待ちにしている客を用意してくれたら、一緒にがんばってきた仲間を与えてくれたら、使い慣れた道具を与えてくれたら、5年、いや、10年のキャリアを貰えたら、そんな経験から得られる自信を貰えたら、イタリアにいる友人がいたなら食材を頼んで、契約を続けてきた農家があったなら契約を続けて、すぐにでも、ピザ屋になってやるのに。 遠く夕日に赤く燃える...