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パリ近郊にある美しい🏰です。競馬場もあり開催される日はとても混みます。ここはロケにも良く使われます。坂の上雲でお兄さんがフランス陸軍に留学し馬術を磨くシーンでここが使われました。宜しければポチお願いしますにほんブログ村過去の投稿記事です。ランブイエ城-リタイアじーじの徒然絵日記パリ近郊のランブイエ城です。確か、サミット会議が初めて行われた会場です。運河を伴った広い庭園のあるとてもきれいな🏰でした。広い庭園には人が少なく静かな公園でした...gooblog水彩画シャンティー城🏰-リタイアじーじの徒然絵日記パリ近郊にあるシャンティー城です。パリからすぐにいける立派なお城です。いつも観光客で一杯でした。この構図、日本のどこかの会社のCMで使われている構図と良くにていま...gooblogハイデルベルグ城の夜景-...シャンティー城と池
12/25(月)おはようございます。愛媛は思いのほか、寒いです~~~今日は松山を散策します。まずは、松山城へ山の上にあるのでロープウェイで登りますよ。現存12天守のひとつで、天守と二の丸がつながっている登り石垣が残っているのは、ここと彦根城だけ。親藩・松平家の城であちらこちらに葵の紋が。このゾーンでは、甲冑体験をやってて、こーゆーの絶対やりたいわれわれなんやけど(おまえだけやろ!)自分ですべてやらなきゃ...
四国九州横断駅巡り23夏(11) 予讃線 松山駅 ~最後の都道府県代表駅は高架化工事中~
堀江駅から予讃線の松山行きに乗車。3駅進んで終点の松山駅に到着しました。2番線の到着。時刻は17:52です。 松山駅は愛媛県松山市南江戸にある予讃線の駅。愛媛県の県庁所在地である松山市の代表駅。ですが、県庁や市役所は伊予鉄道の松山市駅の方が近く、そちらが実質の市の中心的な駅のようですね。当駅ができたのは街の西の外れだったそうです。しかも松山市駅のほうが先に「松山駅」として開業しており、後からできた当駅...
サイト更新しました。近代:あとみよそわか3 サイト振り返り3秋山真之のこと(日露戦争以後の話、宗教に傾倒した晩年、大本教)、海軍兵学校15期の人々murakumo1868.web.fc2.com サイト振り返りの続きです。今回の目次はこんな感じ。【13】秋山真之のこと【14】秋山真之のこと 続【15】秋山真之のこと 続々【16】海兵15期の人々 再び【17】海兵15期の人々 再々今回は見ての通り大体秋山の話です。この辺りは全然サイトの振...
サイト更新しました。近代:あとみよそわか2サイト振り返りの続きです。今回の目次はこんな感じ。【7】加藤高明と原敬、伊東巳代治【8】海軍の人々、あれこれ【9】日露戦争の頃の艦長たち【10】提督の話【11】海軍のリストラ【12】大王と努力する天才本当に申し訳程度の政治家の名前。笑ほぼほぼ海軍の話になります。人物の話と、停限年齢(定年の事です)や大佐から将官への進級は難しいという話、広瀬ら海兵15期あたりは大正期の...
さっきあった事(?)をちょっと聞いて欲しい。 五尺六寸=169.68cm≒170cmいやー!これは島田さん鵜呑みにしてちゃんと確認の計算しなかった私が悪い!!ずっと175cmだと思いこんでいた!!えー私サイトかブログかどちらかで(どちらもで?)広瀬の身長175cmって書いている筈なんだけど、訂正して回らないといけない。探すの大変なんだけど!!笑夏彦さん大ファンのパッパの本棚の本をちょっと拝借して読んでいて目を剥いてしま...
広瀬武夫さんお誕生日おめでとうございました!(過去形)土曜日、大分の広瀬神社で例大祭が行われていましたが、残念ながら今年も欠席になりました。コロナ禍になってからは参加謝絶だった大祭に今年は久しぶりにお誘い頂いていたのですが、法事が重なってしまった。祖父母の33回忌を抜けるのは流石にちょっと。37回忌はしないかもしれないし。この銅像が広瀬神社の鳥居の前にある事から、相当前の写真だという事が分かります。笑...
ひっさびっさの読み返し。その④広瀬武夫関係は大分あるなあ…いやだって、広瀬武夫の為に作ったサイトなのでそりゃそうなのですが。あのサイトは大体において広瀬武夫を軸にして回っている。この人を見ていて思うのは、戦前も戦後(今)も相当美化されているな、という点。戦前は軍神として、戦後はその軍神が全否定され、次は国際人という肩書を以てやってきた。国際人は国際人でいいのだけれど、旅順口閉塞作戦以外で軍人として何...
サイトの読み返し⑥15期広瀬武夫の親友向井弥一。向井ちゃんについては既にサイトにコーナーを作っている。笑works>近代MTS>向井弥一今まで大体紹介しているけれど、まだなのは「消息」かしら…同期同士が仲良くて嬉しくなる。笑この人について調べ始めて驚いたことのひとつは、父の従兄が江藤新平という事でした…江藤大好きな私歓喜。笑ただ向井は江藤に会った記憶はないみたい。両親から話は聞いていたようですが。江藤と近い親...
サイト読み返し、その9!山梨勝之進の回顧には、古い時代の提督の名前も沢山あります。一般的には無名に近いであろう人々で、中でも私が好きなのは坂本一。海兵7期で加藤友三郎、島村速雄、藤井較一、吉松茂太郎、伊地知季珍、伊地知彦次郎、松本和らが同期。本当にこれはねえ…山梨さんの『歴史と名将』を読んでみて欲しい。 この本を読んでいると本当に何と言うか、明治の提督達に強い郷愁を感じます。山梨さんの語り口もあると...
サイト振り返りの第10回。今日は提督繋がりで「火焔燃ゆ ~上村彦之丞と山本権兵衛」。上村も山本もメジャー過ぎてこれも本当にしんどい話でした。連載は大体しんどい。日露戦争の頃に活躍した提督では、上村彦之丞が好きです。いやあ…しかしまあ何と言うか、実際に自分の傍にいたら大変だろうなとは、思います。大変だろうとは、思うのよ。笑(山本権兵衛にも同じ感想を抱く)あの財部彪の縁談関係とか、若い頃の数々のエピソード...
ふっと調べ忘れていた事に気が付いて『海軍王国の誕生』を借りました。理由は「Naval Tribe」で出した米沢出身の海軍軍人の家族図なのですが、よく分からない人がいるのですよ。随分前にコメントを頂いたのをすっかり忘れていました…下の系図の4段目、宮島誠一郎の妻やよが忠直と兄妹(姉弟)なのか、親子なのか、本によって表記が違っていてよく分からない。コメント頂いた方からは忠直とやよは兄妹と『海軍王国』にもあると指摘...
割と有名な話ですが、海軍は「こういった人間が欲しい」と現場が出した要望、また士官本人の要望に沿って配置するのがかなり上手かったようです。マッチングの名手。これは『海軍反省会2』でも言及があり、若手~中堅士官の間でも不満を感じる者はほぼいなかったらしい。海軍の考課表は年に1度作成されていましたが、それがこの人事の基本資料になっている。この考課表が中々面白い…というか、凄いもので、滅茶苦茶細かいのですよ...
みんな大好き秋山真之。秋山については先日紹介した「追憶」の他にもサイトに幾つか話があります。ただ何と言うか…ファンの心をくすぐる話は少ないでしょう…どちらかというと日露戦争後の話の方が多いかな。日露戦争辺りの話は他にサイトさんが多くあるので、まあ別に私が書く事もないだろうと思う所がある。『坂の上の雲』に出てくる人物の印象は強いもので、「明治は良かった」的な司馬遼太郎の姿勢もあってか、日露戦争で名前を...
秋山真之の話続きです。 秋山真之のことみんな大好き秋山真之。秋山については先日紹介した「追憶」の他にもサイトに幾つか話があります。ただ何と言うか…ファンの心をくすぐる話は少ないでしょう…どちらかというと日露戦争後の話の方が多いかな。日露戦争辺りの話は他にサイトさんが多くあるので、まあ別に私が書く事もないだろうと思う所がある。『坂の上の雲』に出てくる人物の印象は強いもので、「明治は良かった」的な司馬...
恐らくかなりの短スパンで宗教ジプシーを繰り返していた秋山真之が最後に行きついたのは大本教でした。正式には「大本」ですが「大本教」と言われる事の方が多い気がする。大本教は現在では恐らく秋山真之絡みでしかほぼ名前を知られていないと思います。大正期から昭和初期にかけて大規模な信徒を抱え、余りに大きくなりすぎて大正10年、昭和10年と2度の弾圧を受け、国家に潰された当時の新興宗教です。昭和10年の日本の人口7000...
寒さが忍び寄ってくるので冬迎えの作業に気が急き、最近は本を 読んだりCDを聴くという気持ちの余裕がない。 読みたい本はたくさん積んであるのだが、字面を追うだけで内容 がまったく掴めず、ストレスが溜まってくる。 当座、本からは離れることにしよう。 春先から読もうと思ってためていた本の一部。 司馬さんの本を読みなおしたいと思っている。 「坂の上の雲」
にほんブログ村 日本史上の人物を描いた著名な歴史小説家を10人あげるとすればとの問いに、 司馬遼太郎、海音寺潮五郎、吉川英治、永井路子、杉本苑子、村上元三、 南条範夫、山岡荘八、吉村
1. スペシャルドラマ坂の上の雲、第13回「日本海海戦」のロケ現場 撮影日:2010年5月27日 戦艦三笠ロケセット全容 セット 撮影中 水柱を上げる為の噴射機 三笠のファンネル(煙突)が被弾したシーン 戦艦三笠正面 被弾した煙突 本番前
原作となる小説『坂の上の雲』は、1968年(昭和43年)~1972年(昭和47年)の4年3ヶ月に渡って「産経新聞」に連載され好評を博した作品で、日露戦争の時代を生きた明治の青春群像を、司馬遼太郎が10年の歳月をかけ渾身の力で書き上げた壮大な
第1部(2009年放送) 第1回「少年の国」 松山城 260年続いた幕藩体制を倒して、日本には「明治」近代国家が誕生した。その国は、帝国主義まっただ中の西欧列強という「大人」たちに囲まれた「少年の国」であった。 四国・伊予松山に三人の男がい
NHKスペシャルドラマ坂の上の雲の登場人物とキャスト(配役)
1. 秋山家の人々 秋山真之(淳五郎) 【海兵17期】本ドラマの主人公。海軍の道に進み、後に連合艦隊参謀を務める 配役小林廉(幼少期)→ 本木雅弘 秋山好古(信三郎) 【旧陸士3期】秋山真之の兄。日本騎兵を戦略機動集団に育て「騎兵の父」と呼
登場人物相関図 主人公 秋山好古 日本騎兵を戦略機動集団に育て「騎兵の父」と呼ばれた 正岡子規 帝国大学を中退後、新聞「日本」に入社。近代文学の発展に貢献する 秋山真之 日露戦争で連合艦隊司令長官東郷平八郎の参謀として活躍 海軍 山本権兵衛
生中・生中・ハイボール・巨峰サワー・・・この程度の酒量でトイレの便器に跪く結果になってしまった。まったく酒に弱くなったものだ。いや元々酒に強い体質ではない。昨晩は職場の同僚や以前職場に勤めていた方々と飲み会だった。この4人の会は名前があって、ここには晒さないが仮にN会としよう。N会は月一ペースで開催されている。コロナの事もあって自分が参加するのは久しぶりだった。参加者の一人のH氏が結婚するとの報告。...
坂の上の雲 1 明治維新をとげ、近代国家の仲間入りをした日本は、息せき切って先進国に追いつこうとしていた。この時期を生きた四国松山出身の三人の男達―日露戦争においてコサック騎兵を破った秋山好古、日本海海戦の参謀秋山真之兄弟と文学の世界に巨大
司馬遼太郎氏が10年の歳月をかけた歴史長編小説『坂の上の雲』
「明治」という新しい時代が誕生してから100年後の1968年(昭和43年)4月22日(月)、「産経新聞」の夕刊に司馬遼太郎氏の連載小説がスタートします。それが、小説『坂の上の雲』です。 産経新聞(夕刊)に1968年(昭和43年)4月22日~
旧松山藩士久松家の当主定謨がフランスのサンシールの陸軍士官学校に留学するにあたり、秋山好古は輔導役を頼まれます。 しかし、ドイツ式の軍事学を学んでいた好古にとっ […]
目次1. 戦略、戦術、戦務1-1. 戦略1-2. 戦術1-3. 戦務2. 天、地、人2-1. 天2-2. 地2-3. 人3. 正法と奇法3-1. 正法3-2. […]
正岡子規の名言・語録を、子規の作品集の中から抜粋しご紹介いたします。 1. 人間というのは蟹がこうらに似せて穴を掘るがように 人間というのは蟹がこうらに似せて穴を掘るがように、おのれの生れつき背負っている器量どおりの穴をふかぶかとほってゆく
1. 男にとって必要なのは 男にとって必要なのは若いころに何をしようかということであり、老いては何をしたかということである 好古はめずらしいほどの美男であった。しかし、美男であることを人に言われるほどきらいなことはなかった。目的主義の好古に
1. 試験は戦いと同じだ。戦いには戦術が要る 真之はあまり勉強している気配がないのに、いつも海軍兵学校では首席であった。 要は試験問題の「山かけの名人」であった。過去の5年間の問題集を集め、教官が必要な問題をくりかえすという「癖」をまず見抜
1. 子規のはかない恋 1894年(明治24年)の夏、正岡子規が木曽路を経て美濃伏見から舟で木曽川を下り、北方で下船、木曽川停車場から汽車に乗るつもりで駅前の茶店で休憩をします。この時の思い出を、1899年(明治32年7月)に子規が発表した
1. 秋山真之の豆好き 秋山真之の好物は煎り豆。考え事をしている時には決まってポケットの中の煎り豆を取り出してはボリボリとかじっていたといいます。 実のところ豆に含まれるビタミンB群には、イライラなど神経の不安定や集中力不足に効果があるとの
小説『坂の上の雲』の主役の一人である正岡子規の略歴と、その人物像について5人の談話をご紹介いたします。 1. 正岡子規とは 正岡子規 1867年(慶応3年)、伊予松山藩士正岡隼太の長男として生まれる。幼名は升(のぼる)。 父隼太は早世するが
小説『坂の上の雲』の主役の一人である秋山兄弟の兄・秋山好古の略歴と、その人物像について7人の談話をご紹介いたします。 1. 秋山好古とは 秋山好古 1859年(安政6年)、伊予松山藩士秋山平五郎の家に生まれる。 幼名は信三郎。「日本騎兵の父
小説『坂の上の雲』の主役の一人である秋山兄弟の弟・秋山真之の略歴と、その人物像について11人の談話をご紹介いたします。 1. 秋山真之とは 秋山真之 1868年(明治元年)3月20日、父平五郎と母貞の五男として生まれる。幼名は淳五郎。 「日
1. 秋山好古の給料 下は秋山好古の給料の変遷です。 風呂焚きの仕事(天保銭一枚/日)小学校助教(7円/月)本教員(9円/月)師範学校教員(30円/月)東京予備員(8円/月)*陸軍士官学校に入るため旧藩主久松公の輔導役としてフランスへ私費留