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「武蔵野の森公園の歴史を訪ねる」講座調布市の陸軍飛行場跡を再び訪問しました。東京都公園協会の「緑と水の市民カレッジ」による武蔵野の森公園25周年記念講座「武蔵…
かなりの時差投稿。今年3月に旅した京都。新選組ファンの私にとって京都はまさに聖地。新選組ゆかりの跡を訪ねると共に、京都にある太平洋戦争戦跡も訪ねよう!と勇んで…
(軍都柏前編から続く) 秋水秋水(しゅうすい)は、太平洋戦争末期に、陸軍と海軍が協力して開発していたロケット戦闘機です。 ↑秋水試作機 (写真はWikiからお…
「軍都」柏柏はすごい。とは聞いていたのですが。実際訪ねてみたら、本当にすごかった・・・。太平洋戦争時、軍都と言われた柏。日本陸軍の飛行場や高射砲隊もいて、首都…
(所沢 前編から続く) 所沢航空発祥記念館所沢航空公園の中にある所沢航空発祥記念館。入場料が520円という安さながら、中はもう見どころたくさんです!飛行機好き…
飛行機ワンダーランド、所沢入間航空自衛隊基地の修武台記念館ツアーを終えたfuyunoA&Bは、所沢駅に着き、お昼を済ませた後、所沢の戦跡巡りに出かけました。『…
修武台記念館ツアー修武台記念館は、日本陸軍の航空士官学校だった建物。入間の航空自衛隊基地の中にあります。事前に申請してOKを取ればツアーや自由見学で中を見るこ…
吉澤平吉中尉成増飛行場で陸軍飛行第47戦隊が首都防衛のために体当たり攻撃を含めB29撃墜に奮闘したという話を、「陸軍飛行場跡めぐり:成増飛行場と陸軍飛行第47…
武蔵野市はかって「戦場」だったオシャレな町、吉祥寺から、緑豊かな三鷹にかけての武蔵野市には、かって中島飛行機製作所がありました。陸軍戦闘機の傑作「隼」を作った…
成増飛行場太平洋戦争の頃、帝都防衛の拠点となって奮闘した陸軍戦闘機隊は、調布飛行場を拠点とした陸軍飛行第244戦隊と、成増飛行場を拠点とした陸軍飛行第47戦隊…
いろいろなことがあった厚木航空隊豊田穣著『出撃 海軍航空隊決戦記』(集英社文庫)の中の一編「本土防空戦」の冒頭、「昭和四十五年十一月一日、私(筆者)は、相模平…
陸軍飛行第244戦隊の活躍海軍航空隊ファンの私ですが、陸軍の飛行隊も好きです。陸軍は飛行第〇〇戦隊という呼び名でした。陸軍飛行第244戦隊が大活躍した調布飛行…
笹井醇一(ささいじゅんいち)中尉(戦死後二階級特進で少佐)。ラバウルで零戦に乗り、勇名を馳せた海軍士官パイロット。撃墜王。あの「大空のサムライ」の坂井三郎さん…
海軍の呉、陸軍の宇品仕事で広島を訪ねた妹、fuyunoBから、宇品の戦跡を訪ねてきたとの報告あり。私は海軍航空隊ファンですが、妹は陸軍飛行隊がひいきです。「宇…
『永遠のゼロ』で注目される筑波海軍航空隊跡は、最寄り駅は友部駅になります。珍しく、駅に幟が立っていました。茨城県の海軍航空隊跡を訪ねても、駅にはなーんにも案内…
皇国の興廃この一戦にあり猿島に行った後、戦艦三笠記念館にも訪問してきました。横須賀中央駅から港に向かって歩いて15分くらいですね。横須賀といえばカレー。海軍と…
JRまたは地下鉄南北線の王寺駅から歩いて10分ちょっとの所にある西福寺。奥まっていて少しわかりにくい場所にありますが、北区立柳田小学校を目指していき、門を前に…
神奈川県横須賀市から行ける無人島、猿島。太平洋戦争時代の海軍戦跡が残っているということで訪ねてみました。横須賀駅について港まで10くらい歩き、フェリーで5分く…
安倍元首相の真珠湾スピーチで言及された零戦パイロット2016年12月28日、当時の日本首相、安倍晋三氏がハワイの真珠湾を、当時のアメリカ大統領、オバマ氏と共…
(市ヶ谷ツアー前編から続く) 地下壕を出た後は、市ヶ谷記念館へ。陸軍士官学校本部の建物を移築したものです。明治7年に陸軍士官学校の兵学寮が市ヶ谷に設置されて、…
市ヶ谷の防衛省の中を巡る、市ヶ谷ツアーに参加してきました。お目当ては、太平洋戦争時の大本営地下壕に入ること。でしたが。他にもいろいろ見応えがあり、ツアーの時間…
小石川にあるこんにゃくえんま。正式名は源覚寺。、寛永元年(1624年) に建立されたという歴史あるお寺です。こんにゃくをえんま像に備えると眼病が治るという言い…
台湾沖航空戦を戦った零戦パイロット台湾沖航空戦を戦った零戦搭乗員、杉浦茂峰(すぎうら しげみね)少尉(兵曹長から死後少尉に昇進)。乙飛予科練出身。1944(昭…
遊就館にある零戦靖国神社内にある遊就館で開催中の特別展「終戦八十年 戦跡写真展」を見にいってきました。 靖国神社に行ってきたと友人に言うと「右翼なの~!?」と…
昭和17年4月18日、日本は初めてアメリカ軍によって空襲を受けました。ドーリットル空襲です。日本の複数の場所が空襲されましたが、「日本初空襲」というありがたく…
茨城県土浦市には、霞ケ浦海軍航空隊、予科練、土浦海軍航空隊がありましたので、搭乗員を目指す生徒や、航空隊の教官、教員達が立ち寄った飲食店がたくさんありました。…
父島を散策して、翌日のツアーに備えます。 チェックインの後は、明日のツアーの打ち合わせと、ランチ(中心地を出ると飲食店は無い)の買い出しです。父島は沖縄…
なんだこれは👀! モズ子とモズ男「空と雲?」 いえ、富士山の頭でした。 モズ男「という事は、りあさんは御殿場に行って来たんだね」 水漏れ事故による2か月の全面リフォームを終えた父宅へ、 細かいモノの荷入れの手伝いに行って来た。天気悪かったけど☔☁ 久々の至近距離からの富士山と向き合ってきた。 父宅はもともと、10年以内に壁と天井をリフォームしてあったので それ程雰囲気は変わらなかったが 床に関してだけ、 焦げ茶色の木製フローリングから 全面白っぽい床材に変えたので すっごく明るくなってイイ感じ✨と思ったが、クッションフロアとの事で なんだかフワフワしていて安っぽく 木のフローリングに慣れていた…
連休をとったので 久々に大嫌いな飛行機に乗って 沖縄本島へ行って来た✈ やはり今回も出発3日前から飛行機へのストレスでお腹が緩くなった(爆) お天気は降ったり止んだり晴れたりで 6割方が雨だった。 家族旅行のため、自然観察がほぼ出来なかったけど 見たかった史跡、乗りたかったバギーを堪能できたので 結果◎ 北谷の海。白い砂と透明な波、漂流物ほとんどなし(´;ω;`) 生き物と触れ合ったのは、ヤドカリだけであった。。。 (今回の旅の頂点)初体験のバギー。 四輪でハンドルがバイク風の乗り物。左ハンドルに後輪ブレーキ 右ハンドル親指側にアクセルレバーがついていて アクセルを親指で加減して押し込んで行く…
柿生線 3―探照灯基地跡 柿生線17号を遠望して、新百合ヶ丘総合病院通用口から出て来たお昼休憩と思しき御兄さん御姉さんに混じり、可也急な坂を丘下を通る津久井道(つくいみち)方向へと出る。 すれば、なんとか16号を発見。柿生線16号(標高67.4m) 傍らのお宅
嘉数高地から普天間基地・オスプレイを望む@嘉数高台、宜野湾市(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/沖縄本島戦跡編08完)
嘉数高地から普天間基地・オスプレイを望む@嘉数高台、宜野湾市(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/沖縄本島戦跡編08完)さて、最後に、嘉数高地から普天間基地・オスプレイを望む@嘉数高台、宜野湾市。北のほうから南進してくるアメリカ軍を、ここ嘉数、更に南の前田、首里で食い止める算段を旧日本軍は持っていたのですが、やる前から負け戦確定ということで、どこまで粘れるかというだけだった沖縄戦。日本...
トーチカ@嘉数高台、宜野湾市(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/沖縄本島戦跡編07)
トーチカ@嘉数高台、宜野湾市(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/沖縄本島戦跡編07)首里から南部に撤退し、摩文仁やらひめゆりの塔やら、南部が第二次世界大戦の沖縄戦の主戦場のような言い方をされるのが一般ですが、首里以南では、日本軍は単なる敗走・民間人が犠牲になった、であり、「戦い」としては、ある意味、この嘉数での日米のバトルが、メインの一つといえます。その激戦ぶりは、このトーチカ@嘉数...
海軍平得飛行場弾薬庫跡(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/石垣島戦跡編)
海軍平得飛行場弾薬庫跡(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/石垣島戦跡編)石垣島を含めた八重山はかなりのところを既に回ってますが、灯台下暗し的に回りそこなっていた、海軍平得飛行場弾薬庫跡一本勝負@石垣島です。この海軍平得飛行場弾薬庫跡、実は一回、レンタカーで訪問しかけたことがあったのですが、道に迷って断念した苦い経験があり、今回は、東バスで訪問です。今回は、ほぼ場所の特定ができており...
東岸の各種壕@伊良部島(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編14完おまけ)
東岸の各種壕@伊良部島(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編14完おまけ)さて、陸上からアプローチした戦跡をこれまで紹介したのですが、最後っ屁ということで、伊良部島東側を海上から視認できる、どう見ても人工の壕の穴としか思えないものを紹介しておきます。どういう由来かは未確認ですが、伊良部は、牧山展望台のところから陣地壕が伸びており、また、平良に敵が上陸といった場合、背後からぶっ...
チフサアブ(千人ガマ)@来間島(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編14完)
チフサアブ(千人ガマ)@来間島(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編14完)2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編の最後は、チフサアブ(千人ガマ)@来間島。住民の避難壕とされていたようです。看板。位置的には港からですと、来間ガーの奥です。壕。ちなみに、その昔、上から来間ガーや千人ガマにアクセス容易だった石段があります。井の石段(ガーの石段)というやつで...
野原岳周辺の戦跡(大嶽城跡西側壕群)(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編10)
野原岳周辺の戦跡(大嶽城跡西側壕群)(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編10)さて、レンタカーの返却時間が迫ってきましたので、航空自衛隊基地周辺を最後に巡ります。陸自の基地近くにあるものは、次回回しです。野原岳周辺の戦跡ですが、結構あるものの、基地内だったり、空自の基地があるのでアプローチができなかったり、で見れるものは限られ、大嶽城跡西側壕群くらいです。宮古島の高地とい...
タカシカバーの機関銃壕(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編09)
タカシカバーの機関銃壕(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編09)ドイツ村の海岸沿いの遊歩道にあるのが、タカシカバーの機関銃壕。この海岸線も、壕が結構残ってます。ちなみにドイツ村、ハコモノの中に入らなければ、タダです。無料駐車場も完備です。シギラリゾートの近くでもあります。この周辺は基本的に海岸埋め立てをやっておらず、海岸線の位置が変わってないので、海沿いに位置してます。に...
来間島(山砲陣地跡等)は断念・次回へ(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編08)
来間島(山砲陣地跡等)は断念・次回へ(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編08)ということで、伊良部島終了後、来間島の山砲陣地跡等を巡る計画でしたが、安レンタカーのナビがポンコツで、、、来間大橋やら来間島の新しい道路が正確に表示されない、、、、ということで大幅な時間ロス。一部の壕は見つけましたが、目的地にたどり着けず(自動車では不向きな立地にあることは確認)。サイトしーイン...
瑞穂町陸軍射撃場跡 1 東京都の郊外、多摩地方は昔「三多摩」と通称されていた。北多摩、南多摩そして西多摩という三郡で構成されていたためである。三つのうち北と南は1970年代初頭に相次いで消滅したので、もう大分以前から「三多摩」は死語化しているが、私の様なおじ
瑞穂町陸軍射撃場跡 2 陸軍境界杭「七一」から少し進むと、左手に遊歩道から僅か奥まってお地蔵さまが現れる。お地蔵さま 「愛宕山口為供養地蔵建立 施主」と向かって右にあり、続いて向かって左に「元禄十一○寅十一月吉日石畑△村五十軒」とある。○は「ノ」っぽい
瑞穂町陸軍射撃場跡 3 六つ目の境界杭からお伊勢山遊歩道をさらに進んで、七つ目の境界杭。遊歩道と杭(白↓) 遊歩道の中に在る、とも言える。七つ目(標高183.8m) 可也土が付着し見え辛いが、「陸」の文字ははっきりと分かる。 航空写真で場所を示すと、
2013年夏だ!台湾縦断旅 林百貨店を見学する②米軍の爆撃跡
1番上の階までエレベーターで一気に上がりましたエレベーターを降りてまず最初に目に入ったのは、米軍の爆撃の跡でした 第二次世界大戦末期に米軍による攻撃が活発化していたころ、当時台南一の高層建築だった林百貨店は一時的な防空用銃器保管庫として使用されていました爆撃を受けた際に5階食堂に保管された500ポンドの爆薬に命中してしまい、建物は破壊されてしまったということですにほんブログ村...
MRT鳳山駅から自転車で走ること約4分、平成砲台にやって来ました曹公廟の後ろの方(中華市場の近所)にあります1999年に修繕されて、現在に至っています清の道光18年(1838年)、曹謹が築かせた砲台の中のひとつで、西北端に位置しています高さは約5m、砲台は四角形をしていて、平成の文字が刻まれた額がはまっています 内側に階段があり、上がることが出来ます床部分は現在はレンガタイルが敷かれています曹公廟が見えてい...
鳳山新城に残る砲台跡の二つめにやって来ました清の道光18年(1838年)、鳳山県知事を務めた曹謹が軍事防衛力を強化するために新設したのだそう訓風砲台は弧を描いた形でしたが、澄瀾砲台は不規則な8角形をしています「澄瀾」の文字を彫った花崗岩の額が嵌められていますこの砲台も上に登れるようになっていましたふと下を見ると川が流れていますが、地図上ではここにそんなものはありませんその答えは「曹公圳」 これも曹謹が整...
お次は現在残っている(修復された)3砲台のうちのひとつに行ってみましょう東便門から鳳山渓に沿って自転車を漕ぐこと数分、訓風砲台に到着です道光18年に鳳山新城が建設された折、当時の知縣であった曹謹が匪賊の侵入を防ぐため城の四隅に、東北・西南に各一、東南・西北に各二、計6座の砲台を築きましたその東南隅にあったのが訓風砲台で、國家三級古蹟に指定されています真隣にお寺と幼稚園があったりして、わりと物騒な遺跡の...
八王子空襲―焼夷弾跡 I 東京都西部多摩地方最大の街、八王子市(面積約186平方km、人口約58万人で東京市部で最大)。ここはWW2最末期の1945年8月、アメリカ軍による大規模な空爆を受けた。空襲後の八王子市街1945年10月斉藤五郎氏撮影現スカイホテルから西方向を見