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台湾沖航空戦を戦った零戦パイロット台湾沖航空戦を戦った零戦搭乗員、杉浦茂峰(すぎうら しげみね)少尉(兵曹長から死後少尉に昇進)。乙飛予科練出身。1944(昭…
遊就館にある零戦靖国神社内にある遊就館で開催中の特別展「終戦八十年 戦跡写真展」を見にいってきました。 靖国神社に行ってきたと友人に言うと「右翼なの~!?」と…
昭和17年4月18日、日本は初めてアメリカ軍によって空襲を受けました。ドーリットル空襲です。日本の複数の場所が空襲されましたが、「日本初空襲」というありがたく…
茨城県土浦市には、霞ケ浦海軍航空隊、予科練、土浦海軍航空隊がありましたので、搭乗員を目指す生徒や、航空隊の教官、教員達が立ち寄った飲食店がたくさんありました。…
父島を散策して、翌日のツアーに備えます。 チェックインの後は、明日のツアーの打ち合わせと、ランチ(中心地を出ると飲食店は無い)の買い出しです。父島は沖縄…
なんだこれは👀! モズ子とモズ男「空と雲?」 いえ、富士山の頭でした。 モズ男「という事は、りあさんは御殿場に行って来たんだね」 水漏れ事故による2か月の全面リフォームを終えた父宅へ、 細かいモノの荷入れの手伝いに行って来た。天気悪かったけど☔☁ 久々の至近距離からの富士山と向き合ってきた。 父宅はもともと、10年以内に壁と天井をリフォームしてあったので それ程雰囲気は変わらなかったが 床に関してだけ、 焦げ茶色の木製フローリングから 全面白っぽい床材に変えたので すっごく明るくなってイイ感じ✨と思ったが、クッションフロアとの事で なんだかフワフワしていて安っぽく 木のフローリングに慣れていた…
連休をとったので 久々に大嫌いな飛行機に乗って 沖縄本島へ行って来た✈ やはり今回も出発3日前から飛行機へのストレスでお腹が緩くなった(爆) お天気は降ったり止んだり晴れたりで 6割方が雨だった。 家族旅行のため、自然観察がほぼ出来なかったけど 見たかった史跡、乗りたかったバギーを堪能できたので 結果◎ 北谷の海。白い砂と透明な波、漂流物ほとんどなし(´;ω;`) 生き物と触れ合ったのは、ヤドカリだけであった。。。 (今回の旅の頂点)初体験のバギー。 四輪でハンドルがバイク風の乗り物。左ハンドルに後輪ブレーキ 右ハンドル親指側にアクセルレバーがついていて アクセルを親指で加減して押し込んで行く…
柿生線 3―探照灯基地跡 柿生線17号を遠望して、新百合ヶ丘総合病院通用口から出て来たお昼休憩と思しき御兄さん御姉さんに混じり、可也急な坂を丘下を通る津久井道(つくいみち)方向へと出る。 すれば、なんとか16号を発見。柿生線16号(標高67.4m) 傍らのお宅
嘉数高地から普天間基地・オスプレイを望む@嘉数高台、宜野湾市(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/沖縄本島戦跡編08完)
嘉数高地から普天間基地・オスプレイを望む@嘉数高台、宜野湾市(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/沖縄本島戦跡編08完)さて、最後に、嘉数高地から普天間基地・オスプレイを望む@嘉数高台、宜野湾市。北のほうから南進してくるアメリカ軍を、ここ嘉数、更に南の前田、首里で食い止める算段を旧日本軍は持っていたのですが、やる前から負け戦確定ということで、どこまで粘れるかというだけだった沖縄戦。日本...
トーチカ@嘉数高台、宜野湾市(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/沖縄本島戦跡編07)
トーチカ@嘉数高台、宜野湾市(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/沖縄本島戦跡編07)首里から南部に撤退し、摩文仁やらひめゆりの塔やら、南部が第二次世界大戦の沖縄戦の主戦場のような言い方をされるのが一般ですが、首里以南では、日本軍は単なる敗走・民間人が犠牲になった、であり、「戦い」としては、ある意味、この嘉数での日米のバトルが、メインの一つといえます。その激戦ぶりは、このトーチカ@嘉数...
海軍平得飛行場弾薬庫跡(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/石垣島戦跡編)
海軍平得飛行場弾薬庫跡(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/石垣島戦跡編)石垣島を含めた八重山はかなりのところを既に回ってますが、灯台下暗し的に回りそこなっていた、海軍平得飛行場弾薬庫跡一本勝負@石垣島です。この海軍平得飛行場弾薬庫跡、実は一回、レンタカーで訪問しかけたことがあったのですが、道に迷って断念した苦い経験があり、今回は、東バスで訪問です。今回は、ほぼ場所の特定ができており...
東岸の各種壕@伊良部島(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編14完おまけ)
東岸の各種壕@伊良部島(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編14完おまけ)さて、陸上からアプローチした戦跡をこれまで紹介したのですが、最後っ屁ということで、伊良部島東側を海上から視認できる、どう見ても人工の壕の穴としか思えないものを紹介しておきます。どういう由来かは未確認ですが、伊良部は、牧山展望台のところから陣地壕が伸びており、また、平良に敵が上陸といった場合、背後からぶっ...
チフサアブ(千人ガマ)@来間島(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編14完)
チフサアブ(千人ガマ)@来間島(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編14完)2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編の最後は、チフサアブ(千人ガマ)@来間島。住民の避難壕とされていたようです。看板。位置的には港からですと、来間ガーの奥です。壕。ちなみに、その昔、上から来間ガーや千人ガマにアクセス容易だった石段があります。井の石段(ガーの石段)というやつで...
野原岳周辺の戦跡(大嶽城跡西側壕群)(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編10)
野原岳周辺の戦跡(大嶽城跡西側壕群)(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編10)さて、レンタカーの返却時間が迫ってきましたので、航空自衛隊基地周辺を最後に巡ります。陸自の基地近くにあるものは、次回回しです。野原岳周辺の戦跡ですが、結構あるものの、基地内だったり、空自の基地があるのでアプローチができなかったり、で見れるものは限られ、大嶽城跡西側壕群くらいです。宮古島の高地とい...
タカシカバーの機関銃壕(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編09)
タカシカバーの機関銃壕(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編09)ドイツ村の海岸沿いの遊歩道にあるのが、タカシカバーの機関銃壕。この海岸線も、壕が結構残ってます。ちなみにドイツ村、ハコモノの中に入らなければ、タダです。無料駐車場も完備です。シギラリゾートの近くでもあります。この周辺は基本的に海岸埋め立てをやっておらず、海岸線の位置が変わってないので、海沿いに位置してます。に...
来間島(山砲陣地跡等)は断念・次回へ(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編08)
来間島(山砲陣地跡等)は断念・次回へ(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編08)ということで、伊良部島終了後、来間島の山砲陣地跡等を巡る計画でしたが、安レンタカーのナビがポンコツで、、、来間大橋やら来間島の新しい道路が正確に表示されない、、、、ということで大幅な時間ロス。一部の壕は見つけましたが、目的地にたどり着けず(自動車では不向きな立地にあることは確認)。サイトしーイン...
瑞穂町陸軍射撃場跡 1 東京都の郊外、多摩地方は昔「三多摩」と通称されていた。北多摩、南多摩そして西多摩という三郡で構成されていたためである。三つのうち北と南は1970年代初頭に相次いで消滅したので、もう大分以前から「三多摩」は死語化しているが、私の様なおじ
瑞穂町陸軍射撃場跡 2 陸軍境界杭「七一」から少し進むと、左手に遊歩道から僅か奥まってお地蔵さまが現れる。お地蔵さま 「愛宕山口為供養地蔵建立 施主」と向かって右にあり、続いて向かって左に「元禄十一○寅十一月吉日石畑△村五十軒」とある。○は「ノ」っぽい
瑞穂町陸軍射撃場跡 3 六つ目の境界杭からお伊勢山遊歩道をさらに進んで、七つ目の境界杭。遊歩道と杭(白↓) 遊歩道の中に在る、とも言える。七つ目(標高183.8m) 可也土が付着し見え辛いが、「陸」の文字ははっきりと分かる。 航空写真で場所を示すと、
2013年夏だ!台湾縦断旅 林百貨店を見学する②米軍の爆撃跡
1番上の階までエレベーターで一気に上がりましたエレベーターを降りてまず最初に目に入ったのは、米軍の爆撃の跡でした 第二次世界大戦末期に米軍による攻撃が活発化していたころ、当時台南一の高層建築だった林百貨店は一時的な防空用銃器保管庫として使用されていました爆撃を受けた際に5階食堂に保管された500ポンドの爆薬に命中してしまい、建物は破壊されてしまったということですにほんブログ村...
MRT鳳山駅から自転車で走ること約4分、平成砲台にやって来ました曹公廟の後ろの方(中華市場の近所)にあります1999年に修繕されて、現在に至っています清の道光18年(1838年)、曹謹が築かせた砲台の中のひとつで、西北端に位置しています高さは約5m、砲台は四角形をしていて、平成の文字が刻まれた額がはまっています 内側に階段があり、上がることが出来ます床部分は現在はレンガタイルが敷かれています曹公廟が見えてい...
鳳山新城に残る砲台跡の二つめにやって来ました清の道光18年(1838年)、鳳山県知事を務めた曹謹が軍事防衛力を強化するために新設したのだそう訓風砲台は弧を描いた形でしたが、澄瀾砲台は不規則な8角形をしています「澄瀾」の文字を彫った花崗岩の額が嵌められていますこの砲台も上に登れるようになっていましたふと下を見ると川が流れていますが、地図上ではここにそんなものはありませんその答えは「曹公圳」 これも曹謹が整...
お次は現在残っている(修復された)3砲台のうちのひとつに行ってみましょう東便門から鳳山渓に沿って自転車を漕ぐこと数分、訓風砲台に到着です道光18年に鳳山新城が建設された折、当時の知縣であった曹謹が匪賊の侵入を防ぐため城の四隅に、東北・西南に各一、東南・西北に各二、計6座の砲台を築きましたその東南隅にあったのが訓風砲台で、國家三級古蹟に指定されています真隣にお寺と幼稚園があったりして、わりと物騒な遺跡の...
八王子空襲―焼夷弾跡 I 東京都西部多摩地方最大の街、八王子市(面積約186平方km、人口約58万人で東京市部で最大)。ここはWW2最末期の1945年8月、アメリカ軍による大規模な空爆を受けた。空襲後の八王子市街1945年10月斉藤五郎氏撮影現スカイホテルから西方向を見
八王子空襲―焼夷弾跡 II 大和田橋上流側を、北詰から南詰へ渡り切り、上流側右岸から大和田橋と浅川浅川右岸へと至る。橋上の国道20号は引っ切り無しに自動車が行き交い、焼夷弾跡の残る歩道は、多くの通勤・通学の方々が行き交う。 南詰下流側の下から、浅川の河
秋津平和観音―B-29墜落地点 東京北部、埼玉県境の狭山丘陵「野山北公園」付近から流下する空堀川(からぼりがわ)。空堀川(大沼田橋から)上、上流側 下、下流側 古多摩川の流路あとを流れる名残河川で、長さ15kmほどの短い川だが、特徴はその名の通りで、降雨
東久留米戦跡二寺 1―大圓寺 B-29爆撃機墜落跡である秋津平和観音から、東南に位置する、東久留米市の大圓寺と浄牧院という二つのお寺を訪ねた。何方も、市名の由来にも関わるとされる黒目川の、その川岸に近い。大圓寺・浄牧院周辺航空写真2019年(令和1年)10月30日
東久留米戦跡二寺 2―浄牧院 先に訪ねた大圓寺からは、東へ約1km、大きく北へ蛇行する黒目川の右岸側に建つ浄牧院(じょうぼくいん)。浄牧院山門(1993年建立)旧山門(江戸後期建立) 市有形文化財第21号である旧山門は、現山門の右手にあり側門となっているが
見学コースの時間が近づいてきたので、金城民防坑道展示館に戻りました階段を上がったところに受付のカウンターがあります19時からのコースに参加したいと言ったところ、「人数が4人以上揃わないとツアー中止だからね~」とお姉さんえ~、そんなことどこにも書いてないし。いくら無料ツアーだからって、それはないでしょうよ!現在の時刻は18:45 仕方なく待つことにしたのでした入口に風獅爺っぽいキャラが金城の街並みのジオラ...
特約茶室と聞いて喫茶店やカフェを思い浮かべる方もいらっしゃるかと思いますが、全く違いますここはまたの名を「軍中楽園」と呼ばれた慰安所だった場所なんです当時の金門には金城総室の他、山外・沙美・小徑・成功・庵前・東林・青岐・后宅・大膽などの分室がありました私たちが訪れたのはこの中の小徑にあった特約茶室ですちょっとした南国のヴィラみたいな雰囲気の建物です当時の状況と特約茶室の役割についての説明部屋の中を...
民俗文化村を後にして、お昼ご飯を食べに行くことにしましたその途中に獅山砲陣地という戦跡があるのですが、そこで行われているショーの開催時刻に間に合わないので当初は立ち寄らない予定にしていたんですねでもまだお昼までには時間があるし、ちょっとだけ中を見て行こうという話になりました入口に阿兵哥(兵隊さん)の人形がいます戦車の展示それでは中に入ってみましょう砲弾が積んでありますここから地下に入っていきます獅...
馬山観測所は金門の最北端、対岸の角嶼までわずか2100m、金門⇔厦門の距離が最も近い地点にあります戦時には対岸の海上活動を監視したり、敵への呼びかけや宣伝文書を空からばら撒いたりするための軍事要塞で、「天下第一歩哨所」と称されました戦備坑道を通過観測窓から対岸が見えます観測所の脇に馬山放送所がありますここは台湾側から中国側にプロパガンダ(政治宣伝)放送を流す施設でしたテレサ・テンさんも90年代に慰問に訪れ...
次にやって来たのは鉄漢堡という小型要塞です入口にはM42防砲車が展示されています入り口を入ってみると弾薬庫と阿兵哥(兵隊さん)の人形がありました地雷の模型事前に調べたところ、ここから勇士堡というもう一つの堡塁に地下坑道が繋がっているという話だったのですが、私たちが行った時には行動が見つかりませんでした(¯∇¯٥)仕方ないのでいったん外に出て勇士堡へと向かうことににほんブログ村...
三層樓芋頭餐館からバイクで走ってすぐのところに勇士堡がありますここは地雷展示館となっていますここの入口にも阿兵哥のお人形がいましたそれでは中に入ってみましょう色んな形の地雷が展示されています各国の地雷の表示の展示地雷原を模した通路この通路にはセンサーが仕掛けてあって、地雷の箇所を通ると「ドーン!」と大きな爆発音が左右から鳴るようになっていて、けっこう怖かったりしますここを歩いて行くと鉄漢堡に出ると...
電動バイクを走らせ古寧頭までやって来ました頂林路を北上していると大きな城門のようなものがありました古寧頭牌楼古寧頭戦役での勝利を記念して建てられたものだと思われます 古寧頭戦役 古寧頭戦役(こねいとうせんえき)は、1949年の国共内戦中に発生した台湾海峡の 金門島を巡る戦闘である。 根本博中将を始めとする旧大日本帝国陸軍軍人による軍事顧問団の作戦指導により 国民党が勝利し[1]、引き続き国民党が支配する...
古寧頭に来たからには、ここにも行っておいた方がいいよね~ということで、古寧頭戦史館にやって来ました戦争関連の博物館なので、武器の展示や当時の文物が展示されているかと思っていたのですが、主な展示物は当時の状況を描いた絵画でした(写真は撮り忘れました;)あとは時間制で古寧頭戦役に関するドキュメンタリー映画が見られるようになっていましたちょっと肩透かしな場所だったかもしれません古寧頭戦史館8:30~17:00...
大浜の特攻艇秘匿壕群@宮古島(ダイビング30年記念石垣島・宮古島旅行、戦跡・迷所・赤線編1)
大浜の特攻艇秘匿壕群@宮古島(ダイビング30年記念石垣島・宮古島旅行、戦跡・迷所・赤線編1)ダイビング30年記念石垣島・宮古島旅行、戦跡・迷所・赤線編、ということで、石垣、宮古のをまとめて紹介していきます。まずは、大浜の特攻艇秘匿壕群@宮古島。伊良部大橋の宮古島側の付け根部分で、今では橋工事などで海が埋め立てられて、陸上にある格好になっており現状では100%使用不能です。宮古島から伊良部大橋に抜ける道路...
大和田通信隊―副受信所 II 海軍大和田通信隊副受信所(清瀬分室)のメイン敷地跡である神山公園から望んだ、西方の二つのアンテナ跡を目指す。 気象衛星センターおよび公園前を通る「ひまわり通り」を、南西へ向かうが、特にこれと言った目印もないので一旦通り過ぎて
大和田通信隊―副受信所 I 海軍大和田通信隊跡の「海軍用地」境界杭からは、南西に凡そ1km、副受信所跡地附近に至る。 まずそこで出会うのは、気象衛星センター(標高51.7m)気象庁「気象衛星センター(Meteorological Satellite Center)」である。ここが、海軍
大和田通信隊―「海軍用地」 東京多摩地方北部、東村山市と清瀬市を結ぶ志木街道、このケヤキ並木の美しい、古(いにしえ)から存在する街道からは、志木街道(埼玉県道・東京都道40号)新小金井街道との合流点付近、長命寺前広大な農地の中を南に約400m。街道か
20年ぶり 久しぶりに海軍壕公園(旧海軍司令部壕)に行った。というか、今住んでいるところから徒歩1分で行ける。結婚前に妻と一緒に行った場所。妻は沖縄出身ではあるが沖縄の歴史にあまり関心がない。地元の人にとってはそういうものなのかもしれない。
(散策から) 寒い中でロウバイが満開🌸 紅梅も良い匂いを漂わせて。。 河津桜も咲き始めた~ ああ このピンク好き~。 水曜日は一番気温が低い。。なんて油断していたら 今朝は、更に気温が下がった様で 給湯器の表示板に、 初めて霜❄マークが出た。(ノーリツ製給湯器) 浴槽の残り湯を循環させて凍結を予防するシステムだそうだ。 一番寒い時期でも カワセミは水に飛び込む((((;゚Д゚)))) 水から出たばかりのカワセミ♀さん。頭、寒そう~~~。 高い木の上には、目立っている真っ赤な頭を発見( ゚Д゚) 枝の向こうにアオゲラを確認できた。もっと近くで会いたいなぁ(;^ω^) 🐦 🐦 🐦 🐦 🐦 先日、こ…