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気付けば11時近かったので、台北駅からホテルに戻ってきました荷造り・忘れ物のチェックをしたらフロントで退房(チェックアウト)の手続きをしますやっぱり1泊じゃ少なすぎるよ~~~。゚(゚´Д`゚)゚。まだ台北市内を歩く予定なので、荷物をフロントで預かってもらいました身軽になったら微笑單車(Youbike)を借りて移動しますよ~🚴 ホテルのお向かいにあった看板建築建物に大きな壁画が描かれていましたこの風景ともしばしのお...
地下街を歩いていると、なにやら遺跡のような展示物が目に入ってきました1993年にMRT南港線の工事の際に台北城の遺跡が発見されたのですが、元あった場所に保存できなかったため展示スペースを設けたということのようです「府城春秋、城楼探源、再現風華、城牆乾坤」という4つのテーマに分けて展示されているそうです 地下商店街の中にこのような遺跡の展示がされているのって面白いなぁと思いましたにほんブログ村...
南門を見学した後、門の近くにあった古城機車租賃公司というレンタルバイク屋さんに行き、自転車の貸し出しをしているか聞いてみましたお店のお兄ちゃんいわく「電動バイクは免許もいらないし便利だよ~」とのことでしたが、2人ともバイクには乗ったことはなかったので丁重にお断りして、自転車をレンタルすることにこちらのスポーツサイクルを借りました料金は2台で500元バイクなら1台100元で借りられたのに……バイク屋さんから自...
西門を見た後、いったんホテルに戻って荷造りをし、チェックアウトの手続きをしました大きな荷物をカウンターに預けて、観光再開です!歩いて南門へとやって来ました旅行前にグーグルマップで見た時は修復中になっていましたが、私たちが行った時には終了して公開していました南門は恆春の街の中心に位置していますロータリーの中に建っています2階建て部分が残っているのですが、上の階には上がれませんでした城壁の跡2006年に発...
永和四海豆漿大王から歩いて3分ほどの所に西門があります相変わらず雨が降る中、西門に到着です 恆春古城は都市の周囲を城壁で囲まれていました城壁は1875年に造りはじめ、1879年に完成しました東西南北に一つずつある門の内、西にあるのがこの西門です日本統治時代(大正年間)に住宅の建材目的に破壊されてしまい、台湾光復後は道路や学校建設のために一部が撤去されてしまいましたその後、城壁は修復され現在に至ります門...
さて、美味しいかき氷で涼んだところで城隍廟散策と参りましょう(* ̄0 ̄)/ 城隍廟の前に小さな広場があるのですが、そこに「龍鯉」の像がありましたその時は何でこんな物があるのか不思議だったのですが、「鯉穴口」伝説に由来するものだったんですねここはもちろん城隍廟なのですが、その周辺は屋台が所狭しと並んでいるグルメスポットなんですいろんなお店があって目移りしてしまいますが、何はともあれ城隍廟にお参りしな...
前回から引き続き、新竹都城隍廟にお参りしたことについて書いていきますそれでは御廟の中に入ってみましょう中に入ってすぐのところに陰陽司公の像があります陰陽司公は左の顔と手が黒、右の顔と手が白く塗られた特徴的な外見をしています城隍爺の秘書長の役割をしています白黒の色は陰陽を審理し、善悪をはっきりさせることを表しているそうです 謝将軍と范将軍(七爺八爺)の像この神様お2人は、悪霊を捕縛する警察官のよ...
2013年夏だ!台湾縦断旅 猴硐猫村はにゃんこ天国でした(=^・^=) ⑭猴硐坑休閒園区
瑞三大橋(運煤橋)を渡った先にあるのが猴硐坑休閒園区です実はここ鉄道ファンの方に有名な場所のようで、猴硐坑の採掘に使用されたトロッコに乗ることができるんですって✨……なんですが私たちが訪れたのは月曜日、休館日だったのでしたΣ(゚д゚lll)あ~トロッコ乗ってみたかったなぁ入り口には竹製の「許願筒」(日本の絵馬みたいなもの)が下げられていました 採掘に使用した機械園内には入れなかったので入口付近を撮影しました...
2013年夏だ!台湾縦断旅 猴硐猫村はにゃんこ天国でした(=^・^=) ⑫瑞三整炭工場跡
願景館のお隣には瑞三整炭工場の建物が残されています瑞三整煤廠(瑞三整炭工場)説明書きのプレートによると、猴硐への線路開通に合わせて1920年(大正9年)に建設された選炭工場で、日に500㌧の選炭が可能な選炭機が2台設置されていました(当時は台湾唯一の選炭機器でした)網目一吋(2.54cm)のものでまず選別を行い、次に電力で選炭機を動かして選別、最後に女工さんの手作業で混じった石などを取り除いてから貨物車へ搬出す...
2013年夏だ!台湾縦断旅 猴硐猫村はにゃんこ天国でした(=^・^=) ⑪旅游資訊中心
願景館の端の方に赤レンガ造りの建物がありますこちらは現在は旅游資訊中心(ツーリストセンター)として使用されています元々は整煤廠辧事處(整炭事務所)だった場所です説明書きのプレートによると、俗に「炭場事務所」と呼ばれていて、1935年(昭和10年)竣工ここは瑞三公司の石炭生産販売業務においての最後の事務所となりましたここでは石炭選別・石炭洗浄作業や品質管理が行われ、顧客の注文があれば鉄道局専用の石炭運搬車...
2019年台湾風獅爺の旅 黄永遷・黄永鑿兄弟洋樓(現風獅爺文物坊)
黄輝煌洋楼のお向かいに建っているピンクの建物は黄永遷・黄永鑿兄弟洋樓(現風獅爺文物坊)です1934~1935年建造黄永遷・黄永鑿兄弟がインドネシアで財を成し、金門に戻って建てました二落大厝(母屋が2つある)で二櫸頭(廂が二つある建物)文物坊とあったので風獅爺の博物館か何かかと思って入ってみたのですが、ただのお土産屋さんでした雨水を流すところは犬(?)と魚ここにも金門のブックスタンドがありましたにほんブログ...
得月楼に続いた形で建っているのは黄輝煌洋楼です1931年建造で、水頭の黄一族の建てた洋楼の中で最も壮観な建物といわれています前述の得月楼もこの黄輝煌洋楼一部なのだそうですこの建物は実は盗賊を引き付けるための囮用で、本当に使用していたのはその隣の建物だったのだそうこちらが実際に使用していた方の建物ちょっと分かりづらいので模型で説明します建物上部の装飾の中に「民國二十年」とあるのは、この建物が建てられた年...
金水國小の近くには有名な建物がたくさん建っています今度はこれらを回っていきましょう【黄金龍・黄廷瓢・黄廷宙父子洋楼】1930年建設現在はレストランとして営業していました【得月楼】1931年建設黄輝煌さんがインドネシアで財を成した後、中国福建の職人の陳南安に設計を依頼して建てた碉楼です当時は水頭集落で最も高い建物だったそうです当時は治安が非常に悪い状況だったので、盗賊から守るための防御機能が供えられています...
南門からバイクで3分ほど走ると西門に着きますパッと見は上に上がれそうだったのですが、特に階段などはなかったです。残念なり~西門の位置から見た風景にほんブログ村...
残存城壁からすぐ近くの場所に南門があります南門は現在は金門酒廠の入り口になっていますかなり立派な門でですね~。工場の入口だったので登ることはできませんでしたにほんブログ村...
明遺古街の入口にあたるところに北門がありました堂々とした佇まいです門の上に登ることもできます上からは明遺古街を眺められますよ~ここにも風獅爺♡にほんブログ村...
金門からシンガポールに渡り財を成した陳景蘭さんが4年の歳月をかけ、1921年に落成した邸宅が陳景蘭洋楼です。金門で最も大きな洋楼で、金門華僑が故郷に建てた「番仔楼」と呼ばれる邸宅の代表作といわれています西洋風の真っ白な外観がとても素敵ですね~✨バルコニーからの風景お隣に建っている覺民堂「金門縣姓氏源流在金湖特展」という企画展をやっていました覺民堂の入口にいたかわいこちゃん洋楼の前には海が広がっていました...
インドネシアで一財産を築いた呂克瓶さんが、50歳ごろに金門に戻って来て建てたお家だそうです二落大厝(母屋が二つある建物)ですにほんブログ村...
晩ご飯を食べ終わったので、目の前にある金門鎮總兵署に行ってみることにしました【金門鎮總兵署】 国家三級古蹟金門鎮總兵署は元は叢青軒と呼ばれ、1601年に進士となった許獬という人物が学んでいた場所でした康熙年間に總兵(清朝の官職名で、提督の下の位)であった陳龍が總兵署をここに移しました總兵署は軍事を管轄する部署であり、また警察や裁判所の役割も兼ねていたそうです内署明間総兵が部下、幕僚を召集した会議を人形...
今度は消防博物館から見えていた、新竹一信総社の建物に向かいますここは日本統治時代に新竹信用組合だった場所で、市定古跡になっています外観はかなり年季が入っているので黒ずんではいますが、薄茶色のタイル張りの外壁と、多用されているアーチの形状が柔らかい雰囲気を感じさせる建物ですね~文化部の説明によると、[歴史沿革] 早期の民間の資金流通は「合会(互助会)」(※日本でいうところの「無尽」 互助会は俗に標会 ...
2013年夏だ!台湾縦断旅 新竹市消防博物館(現新竹市消防局)を見学
新竹市政府の前に伸びている中山路を少し歩くと新竹市消防博物館(現新竹市消防局)がありますここは現役の消防署でもあるんですよ~(*^-^*)6階建てで昔の新竹では最も高い建物だったそうです文化部の説明によると[博物館建設沿革] 新竹消防局旧址は台湾全土で唯一完全な形で保存されている消防専門の建築物です この建物は日本統治時代のもので、1937年(昭和12年・民国26年)竣工、地上二階建ての建物と 6階建ての高さの加強...
新竹市議会のお隣に建っているのが新竹市政府ですここは昔の新竹州廳だった場所で、国定古跡(一級古跡)に指定されています中に入って見学もできるようですが、あいにくとこの日は日曜日、外観だけ撮影しました文化部の説明によると、[歴史沿革] 新竹は旧称を「竹塹」といい、一八七五年(光緒元年)に淡水廳を新竹県と淡水県に分ける「淡新 分治」を行い、台北府の管轄に統属させました 「淡水廳城」がすなわち「竹塹城」で、...
黒猫包で美味しい肉まんを食べた後、次の目的地に向かうためにお店の前の通りを進みましたしばらく歩くと古い御廟が見えてきましたここは新竹鄭氏家廟という古蹟なのですが、私たちが訪れた時は修復工事の真っ最中で、残念ですが中に入ることはできませんでした新竹文化局の説明によると、 鄭氏は新竹の名門のひとつで、北門街に位置し、竹塹浯江鄭氏の系統に属しています 1720~1760年の間に金門から台湾に移ってきました 道...
次の場所に向けて歩き始めて5分くらい経った頃でしょうか、何やら赤レンガ造りの建物があるではないですか!修復された跡がありますが、なかなか歴史がありそうです近寄ってみると「新竹市青少年館」とあります青少年センターみたいな感じでしょうか?中では学生さん達が読書中でした(帰国後に調べてみたら、漫画の蔵書がたくさんあったみたいです)建物の入り口には石彫りの看板に「台湾省警務處」と「警察電訊所」新竹分所の文...
2013年夏だ!台湾縦断旅 新竹市美術館曁開拓館(旧新竹市役所)
土城橋を渡ってすぐのところに新竹市美術館曁開拓館(旧新竹市役所)があります新竹市美術館曁開拓館(新竹市美術館及び開拓館)は昔の新竹市役所だった建物です1925年竣工 最初は外観だけ撮影しようかと思っていたのですが、少しだけ中を覗いてみることに1階は新竹の歴史と産業についての展示、2階は美術館になっていましたあまり時間もなかったので1階だけ見学したのですが、残念ながら内部は撮影禁止でした外観は修復工事が為...
2013年夏だ!台湾縦断旅 新光人壽保険会社(旧新竹図書館)
ツーショット記念撮影もしたし、みっちり東門城を堪能した後は文化街を北上します2~3分くらい歩くと新光人壽保険会社の看板がある建物に到着しましたここは昔の新竹図書館だった場所なんですよ~保険会社の持ち物のようですが、現在は営業はしていないもようかなり傷んでいましたが、クリーム色の外壁とえんじ色の窓枠で、カッチリしたイメージの建物なんだけど、どことなく愛らしさが感じられました側面からは建物がばっちり撮れ...
次の場所を目指して、東門街を圓環方向に歩いて行きました圓環の中に大きな門が見えてきました文化部の説明によると、 竹塹城迎曦門は新竹市東区東門街のロータリーのところにあり、竹塹城の現在まで残った唯一の門 です 1827年(道光27年)に着工、1829年(道光9年)に完成しました 淡水同知(清代の官職名)の李慎彝、竹塹巡検(官職名)の易金杓等が工事を監督し、仕紳(※1) の鄭用錫、林平侯の子の林國華、林紹賢...
2013年夏だ!台湾縦断旅 臺灣菸酒公司新竹營業所(旧専売局)
それでは街中散策と参りましょう( ̄Д ̄)ノ 当時の新竹はレンタサイクル店が見当たらなかったので徒歩メインです(2016年以降はYouBikeができました)太平洋SOGOの辺りから民族路を北上しました歩いて移動すること約4分ほどで目的地に到着ですやって来たのは臺灣菸酒公司新竹營業所です前日に行った台湾菸酒股彬有限公司(旧台湾総督府専売局)の新竹営業所であり、旧新竹専売局だった場所なんですよ~1934年竣工で、梅澤捨次郎さん...
今回は新竹駅を内側から見てみましょ~p(*^-^*)qホームの様子貨物列車に積み込むと思しき梱包済みのバイク跨線橋の中にあった新竹駅の歴史の展示改札口へと向かいます 改札です 駅舎自体はけっこう大きいのですが、その割には出札ホールは小さかった気がします 改修工事が為されていますが、外壁や窓・柱の装飾は残してあるので当時の雰囲気を損なってはいませんでした 鉄道警察の詰め所駅スタンプもありま...
今回は台鐵新竹駅の駅舎をご紹介します台鐵新竹駅は松崎万長氏設計で1913年3月31日に完成した、台湾に現存する最古の駅舎です(4代目の駅舎になります)2013年の4月には100周年を祝うイベントも開催されました(3月には東京駅と姉妹駅になっています)文化部の説明によると、 基隆⇔新竹間の鉄道は1887年(光緒13年)に台湾巡撫の劉銘傳が敷設を始めました 1893年(光緒19年)11月に基隆⇔新竹間が完全開通、総延長106.7kmで...
六家駅から電車に乗ること約20分で台鐵新竹駅に着きましたホームのベンチ莒光号が車庫に入っていましたこっちは区間車電車越しに駅舎の屋根が見えています 駅構内にはこの年(2013年)にOPENしたばかりの新竹世博台湾館(上海万博の台湾館を移設したもの)のマスコットキャラクター「風兒」(私達の間では天燈ちゃんと呼んでいます)のイラストがいっぱい各ホームごとに紫・オレンジ・水色とテーマカラーが決まっていました...
さてさて、ついに総統府の正面へと参りましたよ台北に滞在するのははこの時で3度めでしたが、ここまで総統府に近付いたのは初めてですわんいつでも行けると思うと、ついつい後回しになってたというか(^^;)総統府の撮影は規制があります総統府のすぐ前を通る歩道から撮影する場合は、建物正面のブロックタイルが敷かれていない部分での撮影は出来ません(撮影しようとすると、警備員さんがすっ飛んできます💦 ) 通りを渡った側にあ...
寶慶路を重慶南路一段方向に歩きます旧帝国生命ビルの御向かいに建っている臺灣銀行總行(旧台湾銀行本店)の建物がありました重慶南路沿いが正面なのですが、またまた側面のみ撮影していたのでした(-_-;) この日の私達、こんなのばっかりだったなぁにほんブログ村...
2013年夏だ!台湾縦断旅 帝國生命會社舊廈(旧帝国生命ビル)を撮影
私が郵便局を撮影していたその頃、たーさんは総統府の裏側を撮影中表側の撮影は規制があるけど、こちらは比較的緩いのか、それとも外人観光客だからとスルーされたのか、写真を撮っていても何か言われることはなかったようです総統府の裏をそのまま通り過ぎて寶慶路との交差点に来ましたするとまたまた歴史のありそうな建物があるじゃないですかここは旧帝国生命ビルだった場所で、帝国生命保険株式会社は現在の朝日生命保険の前身...
総統府付近の博愛路にあるタイルや番地プレートを撮影していて警備員さんににらみを利かされた私たち(¯∇¯٥)「ワタシナニモシテナイネ~」とやや挙動不審気味に目線を反らしたのは道路の反対側すると何やら趣のある郵便局があるではないですかというわけで撮影撮影っと☆彡ただの郵便局にしてはやけに大きな建物だなぁなんて思ったのですが、少し先に「総統副総統文物館」という看板があったため、博物館に併設した郵便局だったのね...
2013年夏だ!台湾縦断旅 中華電信博愛路服務中心(臺灣總督府電話交換局 旧台湾総督府電話交換局)を撮影
旧台北城の城門をコンプリートした後、総統府の近く(博愛路と貴陽街一段の交差点)までやって来ましたここは旧台湾総督府電話交換局だったビルが建っていて、現在は中華電信愛路服務中心が入っています台北市文化局の説明によると、 旧台湾総督府電話交換局は1937年の建造で、基隆港務局と同様に日治時代の総督府交通局逓信部臨時 建築課(※設計者は鈴置良一氏)による設計の近代建築です 日本統治時代の台湾の重要な公共建築...
旧専売局の警備員(?)さんに「小南門はこっちの方向でいいの?」と聞いたら、「この前の通りをまっすぐ歩いたら、これ(南門)と似たようなのが建ってるからすぐ分かるよ」と言われましたやっぱ同じ形なのね~(¯∇¯٥)旧台北城は四角い形をしていたと書きましたが、それなら門は東西南北の四隅のみにあるはず……なのですが、何故か5つ目の門があるのですそれが今回ご紹介する小南門(重煕門)なのですこの門の成り立ちは他の4つの門...
2013年夏だ!台湾縦断旅 台湾菸酒股彬有限公司(旧台湾総督府専売局)を撮影
南門から歩いて数分、愛國西路から公園路を少し入ったところに赤レンガの美しい建物がありましたここは1901年に設立された旧台湾総督府専売局だった場所ですが、2002年1月からは専売制度を廃止、同7月には名称を台湾菸酒股彬有限公司に変更されて現在に至ります1998年6月に国定古跡に指定されています文化部の説明によると、 専売局(現在は臺灣菸酒股份有限公司に改称)は日治時代の台湾総督府が1901年に設立しました この建物...
東門からまた歩くこと7分で南門にやって来ました南門はパッと見は東門と全く同じ形; 扁額に「麗正門」と入っているくらいの違いでしょうかロータリーの中に建っているのですが、木が生い茂っていたので撮影がしづらかったです(゜_゜)文化部の説明によると、【南門】 麗正門は南の城壁の東側に位置し、またの名を「大南門」ともいいます 台北府城の主門であり、姿かたち大きさ共に最も雄大です 全ての石材は大直(中山区大直...
土銀展示館から歩いてMRT台大醫院駅までやって来ましたここから地下鉄に乗る……のではなくて、微笑單車(YouBike)で自転車をレンタルしようと思ったんです租賃站(レンタルステーション)にあった自転車で手続きをしようとしたのですが、なぜか借りることができません(´;ω;`)2人であたふたしていたのを見かねてか、通りすがりのお兄さんが手続きをしてくれようとしたのですが、それでもうまくいかず仕方がないのでまた歩いて目的...
2013年夏だ!台湾縦断旅 国立台湾博物館(土銀展示館)を見学
美味しい炸醤麺を食べた後、MRT台大醫院駅に向かって歩きます すると、何だか台南で見たのと良く似た雰囲気の建物に出くわしました1993年創建設計 : 西村好時そりゃ見たことあるわけですここは旧台湾土地銀行(日治時代の日本勧業銀行台北支店ビル)で、同じような造りをしているんですね~1989年には第三級古跡に指定され、2010年1月以降は御向かいに建っている国立台湾博物館の土銀展示館となっていますビルにあっ...
北門を後にして延平南路を南下しますすると右手にお洒落な洋館が見えてきましたここは撫台街洋樓といって、1910年竣工の台北市の市定古跡です施工は高石組元々は土木建築会社「高石組」の本店事務所として建てられたそうです台湾観光局公式サイトの記述によると、 台北府城内に唯一残る日本時代の商用建築の一つです 「大和町洋楼」とも呼ばれ、傾斜した屋根、ドーマー窓、石造りのアーケード柱、ポーチ天井の木造 菱形模様など...
旧台灣總督府交通局鐵道部のすぐ近くに北門はあります見学するのは約5年ぶりの北門です✨いや~変わらないなぁと思って写真を撮ったのですが、帰国後に前の写真と比べてみたらいくつか変化があったことが分かりました1:北門の後ろ側に中華路一段という道が走っています 以前は門の正面部分はブロックタイルのようなものが敷かれていたのですが、これが全面アス ファルトになっていました2:門上部のペイントがきれいになって...
長安西路~延平北路一段と歩き、そのまま延平北路沿いを南下します本当に手芸店がたくさんありましたよ~、もっと時間があれば全部行ったのに(´・ω・`)市民大道のガード下を抜けてしばらく行くと、柵で囲まれた古い日式らしい建物が見えるではありませんかどうやら日本統治時代の臺灣總督府交通局鐵道部関連の施設跡のようです職員の宿舎とかそんな感じなのでしょうか?すぐお隣には鉄道部旧跡がありました以前はそのまま野ざらし...
仁安醫院は延平北路と涼州街の交差点にあります日治時代の延平北路は台北城と大龍峒・淡水を繋ぐ南北の幹線道路、涼州街は河阜と城内を結ぶ道でしたので、ここは交通の要所でした仁安醫院の白い色のレンガと洗石子工法(人造石洗出し仕上げ カストストン(擬石)工法)の外壁、古典的な山牆(切妻壁)の外観は歴史的な街並みを感じさせます仁安醫院は1924年(大正13年)に柯謙諒医師により設立された西洋医学の診療所で、台北市大...
カルフールからさらに歩いて迪化街へとやって来ましたここは古い建物がいっぱいあって、いつ来てもワクワクしてしまいます((o(´∀`)o))【順天外科醫院】文化部文化資産局のサイトによると、 1:日本統治時代 この建物は大正10年に登記されていて、当時の住所は「太平町4丁目86番地」、 所有権は張連という女性で、台北市工商名人録の記載及び調査資料によると、昭和6年~10年に 1階が飲食店にするため賃貸に出され、日本人...
警察局から少し歩いたところ、家楽福(家楽福)の対面にレンガ造りの割と新しくに見える建物がありますここは2年前も気になって撮影した建物ですレンガ造りの部分は2007年に設立の行政院勞工委員會勞工退休基金監理會という労働者定年退職金関連の組織、その奥の高層ビルが行政院原住民族委員會(台湾の原住民の行政を管轄する機関)となっているようです大稲埕建設股票份有限公司の説明書きによると、 このビルは台北市政府によ...
2013年夏だ!台湾縦断旅 台北警察局大同分局(旧台北北警察署)
朝ご飯を済ませたらお出かけ開始ですᕦ(ò_óˇ)ᕤまずはホテル近くの林森公園へ寄りましたなぜかというと、ここでYoubikeを借りようという計画だったのですしか~し! 世の中そんなに甘くない事前にYoubikeのサイトで調べて大丈夫だったにもかかわらず、なんと租賃站(レンタルステーション)が工事中(っω・`。)そこらじゅう掘り返してるし……工事のおじさんに聞いても「使えないよ~」とのこと 嗚呼!仕方ないので徒歩で移動すること...
TAXIで向かったのは大龍峒保安宮です前回も参拝した、医療関連のありがた~い神様「保生大帝」を祀っているお宮ですどこに御参りする時もそうですが、中に入る時は右側から入り、出る時は左側から出ます出入りの際は敷居を踏まないようにするのが決まりです案内図の順番に従って御宮内を参拝したのですが、けっこうあちこち歩くことになります 最後に回る大雄宝殿、凌霄宝殿は4階建てのビルの3・4階にあったりする...
2013年夏だ!台湾縦断旅 宮原眼科 酔月樓沙龍で豪華スイーツを②
お腹が水分でパンパンになっちゃいました。というわけでお手洗い(3階)を探検です まだ新しい建物というのもあるでしょうが、とてもキレイなお手洗いでしたウォシュレットも完備してたし、エアータオルもありましたあ、あと宮原マークのハンドソープも(^0^) お手洗いの近くには宮原眼科診療所修復に関する展示がありましたかなりの廃墟っぷりだったのをここまできれいにして残してくれて、本当に有り難いことですそう...