メインカテゴリーを選択しなおす
北門站から松山新店線→文湖線と乗り継いで松山機場站に到着客家花布柄のポストがありましたチェックイン手続きを済ませて時計を見ると、もうお昼を過ぎていました朝ご飯を少し食べ過ぎたので、ガッツリお昼という気分にはなっていませんそこで、空港内にあるセブンイレブンで何か調達することに購入したものはこんな袋に入れてくれました托斯卡尼羅宋(トスカーナ風ロシアパン)台湾の昔ながらのパンに羅宋麺包(ロシアパン)とい...
離陸時間が刻々と近づいてきます澎湖島へ行く時みたいにプロペラ機かと思っていたのですが、エアバスでした私は非常口席の1個後ろでした。足元が広々~♪飛行機は約0分遅れで離陸し、1時間と少しで無事金門空港に着陸しました途中は揺れることもなく、あっという間に着いちゃった感じでしたさっそく風獅爺がお出迎えです(∩´∀`)∩ここにも風獅爺伝統的民居をモチーフにしたお手洗いこれからタクシーでホテルへと向かいますにほんブロ...
2019年台湾風獅爺の旅 アットホームな雰囲気の法蘭克民宿(Frank B&B)
金門島に行くのは初めてで地理も良く分かっていないし、ホテル選びはけっこう悩みました立地とお値段のバランスの良いところで探した結果、法蘭克民宿(Frank B&B)というところに決定チェックインの手続きはオーナーさんと思しき男性と簡単な英語と中国語で行いました(日本語はほとんど話せない感じでした)オーナーさんが部屋まで着いてきて、室内の設備等の説明をしてくれましたお部屋はスタンダードツインルーム広さは十分あ...
チェックインの後、しばらく部屋の中で荷物の整理をしたり、休憩したりしていました時計を見るとそろそろ午後5時になろうとしていましたこの後の予定もあることですし、早めの晩ご飯を食べに行くことにしましょうホテルを出て歩いていると、何かの舞台らしきものがあったりお神輿でしょうか?城隍廟の前を通ったりあ~台湾に来たんだなぁと気持ちが高まります歩くこと10分ほどで目的の場所に到着です【進麗小籠包】なんだかすごい...
晩ご飯を食べ終わったので、目の前にある金門鎮總兵署に行ってみることにしました【金門鎮總兵署】 国家三級古蹟金門鎮總兵署は元は叢青軒と呼ばれ、1601年に進士となった許獬という人物が学んでいた場所でした康熙年間に總兵(清朝の官職名で、提督の下の位)であった陳龍が總兵署をここに移しました總兵署は軍事を管轄する部署であり、また警察や裁判所の役割も兼ねていたそうです内署明間総兵が部下、幕僚を召集した会議を人形...
總兵署を見学したら、金門のバスターミナルに向かいますこれからバスに乗るなんてことはなく、同じ建物の中にある金城民防坑道展示館へ行こうというわけです入口まで行ってみたのですが、次の見学コースまでまだかなり時間がありますじっと待っているのもつまらないので、街中を歩くことに金門デザインのタイルしばらく歩いていると2015年に台中で行ったことのある茶水攤(ドリンクスタンド)が見えてきましたのども乾いてきたし、...
見学コースの時間が近づいてきたので、金城民防坑道展示館に戻りました階段を上がったところに受付のカウンターがあります19時からのコースに参加したいと言ったところ、「人数が4人以上揃わないとツアー中止だからね~」とお姉さんえ~、そんなことどこにも書いてないし。いくら無料ツアーだからって、それはないでしょうよ!現在の時刻は18:45 仕方なく待つことにしたのでした入口に風獅爺っぽいキャラが金城の街並みのジオラ...
金門島2日目の朝です法蘭克民宿は朝ご飯が付いていて、前日にオーナーさんに注文をしておきます①広東粥+油条②三明治(サンドイッチ)+豆漿(豆乳)③鹹粥+焼餅④鹹&甜焼餅+豆漿⑤菜(素)&肉包+豆漿この5つの組み合わせの中からひとつと、あと食事をしたい時間を申告しておきます私たちはそれぞれ違うメニューを頼んでシェアすることにしました菜(素)&肉包+豆漿素というのはベジタリアン仕様という意味です野菜まんと肉ま...
2019年台湾風獅爺の旅 冠城租車で電動バイクをレンタルする
今回金門島を観光するにあたって、まだやったことのない方法で回ろうと考えていましたそれは、電動バイクに乗るということです2016・17年の澎湖諸島訪問時は電動自転車(自転車にモーターが付いている)で回ったのですが、金門島には探してみても電動自転車のレンタルはありませんでしたモーターなしの自転車ならあるけれど、文字通り金門島じゅうを回る予定にしていたので、それでは疲労度も高いし、時間的にも厳しそうです。バス...
冠城租車さんを出て走ること約15km、東村風獅爺に行く途中に大きな石敢當がありました石敢當(泰山石敢當)は丁字路や三叉路など突き当りのようなの風水的に凶とされる場所に設置される避邪物(魔除け)のことです石敢當とだけ記されていますにほんブログ村...
インドネシアで一財産を築いた呂克瓶さんが、50歳ごろに金門に戻って来て建てたお家だそうです二落大厝(母屋が二つある建物)ですにほんブログ村...
今回の旅の主目的は風獅爺を見に行くことですなので行く先々で風獅爺を撮影して回っているのですが、それについては後日改めてご紹介する場を設けますね~今回はそれ以外の道中で見かけたものについて書きたいと思います下湖像風獅爺①から②に向かう間にあった古い洋楼民家です田埔風獅爺の近くにあった門の跡下莊水尾塔(下荘地区の水尾塔)水尾塔は風獅爺と同じような避邪物(魔除け)で、風や水の害から地域を守る役割を持ってい...
この日のお昼は三言兩語鮮茶咖啡美食館というお店に行ってみました看板に軍人さんのイラストがあるように、店内もミリオタテイスト満載でしたメニューにもカワウソの阿兵哥(兵隊さん)がいろんなメニューがありましたが、金門名物の炒泡麺と、お店のオリジナルメニューのサンドを頼むことにしました奶茶紅(アイスミルクティー)糖度や氷の有無は選べませんでした戦地炒泡麺(インスタントラーメン炒め) 微微辣金門名物はいくつ...
お昼を食べた三言兩語鮮茶咖啡美食館からそう遠くないところに石敢當があります高さは約130㎝大きいですね~中央に「太山神位在此」と書かれていますが、この太山は泰山を表していますこの石敢當は1816年に建立されたものですが、実は近年まで土の中に埋まっていて、それをこのような形に祀り直したらしいですにほんブログ村...
湖前風獅爺の近所にあった2棟建てっぽい形の古い洋楼民家です陳酙六路大厝ベトナムで財を築いた陳酙さんが立てたお宅で、建築材料は全て泉州から運んできたものだとか陳景蘭洋楼の近所にあった古そうな洋楼民家にほんブログ村...
金門からシンガポールに渡り財を成した陳景蘭さんが4年の歳月をかけ、1921年に落成した邸宅が陳景蘭洋楼です。金門で最も大きな洋楼で、金門華僑が故郷に建てた「番仔楼」と呼ばれる邸宅の代表作といわれています西洋風の真っ白な外観がとても素敵ですね~✨バルコニーからの風景お隣に建っている覺民堂「金門縣姓氏源流在金湖特展」という企画展をやっていました覺民堂の入口にいたかわいこちゃん洋楼の前には海が広がっていました...
特約茶室と聞いて喫茶店やカフェを思い浮かべる方もいらっしゃるかと思いますが、全く違いますここはまたの名を「軍中楽園」と呼ばれた慰安所だった場所なんです当時の金門には金城総室の他、山外・沙美・小徑・成功・庵前・東林・青岐・后宅・大膽などの分室がありました私たちが訪れたのはこの中の小徑にあった特約茶室ですちょっとした南国のヴィラみたいな雰囲気の建物です当時の状況と特約茶室の役割についての説明部屋の中を...
陳景蘭洋楼から少し走ったところに象徳宮があり、その御廟の敷地内に洋風の楼閣が建っています尚卿碉樓この建物がある成功里は昔は尚卿と呼ばれていました1921年に落成の陳景蘭洋樓は成功里の繁栄の証でしたが、その富を狙って大陸からの盗賊を招き寄せることにもなってしまいました。地域の安全のため、陳景蘭洋樓の建築時に余った建材を使って、高台に碉樓(高さのある楼閣)を建設しました。その際に成功里の旧称をとって尚卿碉...
養拙楼(蔡嘉種紀念館)シンガポール華僑の蔡嘉種さんの長男蔡景榮さんが1920年に金門に帰郷してから建てたものです伝統的な閩南建築に洋楼を合わせた建物ですずいぶんきれいな建物ですが、2017年に修復工事が行われ、蔡嘉種紀念館としてオープンしたということです洋楼部分の側壁に、「獨立作戦」「自力更生」「堅持到底」「死裏求生」の軍事標語が書かれていますにほんブログ村...
台湾の伝統的な民家を見るときに、ついつい目が行ってしまうのが山牆(切り妻壁)のところの装飾ですバイクで走っていた時にふと目に入ったのがこのお家鳳凰の下に薔薇の入った花瓶が立体的に作ってありましたカワユス(´∀`*)...
【瓊林村辦公室&瓊林民防館】瓊林村辦公室ここも坑道の見学をやっていたようですが、時間が合わずパス瓊林民防館【紹軒居】金門最大の壁面風獅爺の近所で見かけた洋楼【一門三節坊】1831年建造 国家三級古蹟3人の寡婦のことを讃えるために建てられたそうな【金門酒廠のオブジェ】にほんブログ村...
この日の晩ご飯は金城鎮の中心街にある良金牧場さんに行きましたここは牛肉料理で有名なお店です注文が終わると小菜が出てきました左から白菜キムチ・内臓の煮たもの・枝豆いろんなお料理がありましたが、私たちが選んだのはオススメメニューの中から鮮涮酒糟牛肉麺金門の酒粕を食べさせた牛肉を使用しているそうですスープが選べたので、私は十足鮮骨湯、たーさんは秘製麻辣湯を選択この牛肉麺、食べる前にちょっとしたアトラクシ...
良金牧場を出て少し歩くと、通りに大きな牌楼が見えました1812年建造 国家一級古跡邱良功さんが浙江水陸提督に昇進した際、女手ひとつで育ててくれた母の許氏を讃えるために建造したそうこの牌楼には全部で4体の石獅子があるのですが、その中の1体がペイントされて豪華になっていますこれは母親の許氏を表しているのだとか夜の莒光路にほんブログ村...
金門3日目の朝ご飯2人ともお気に入りの広東粥にしました台湾版の十六茶この日はかなり肌寒く、ユニクロのウルトラライトダウンを着こんで出かけました【明遺古街】北門外新風獅爺のすぐ近くに、400年の歴史を持つ金門一古い通りがあります昔はかなり栄えていて「買菜街」という呼び名もあったようですが、現在は寂れていますね(¯∇¯٥)全体的にセピアっぽい色味で、ちょっと異空間にいるような気分になってしまいます通りの石畳の中...
時間から取り残されたような明遺古街の中に不似合いな洋館が建っています1933年落成黄天佑さんがシンガポールから金門に戻ってきて建造した物ですパッラーディオ建築様式で建てられたと説明看板に書いてありました彼はここで診療所を開いていたようです以前は見学できたようですが、私たちが訪れた時は閉まっていましたにほんブログ村...
明遺古街の入口にあたるところに北門がありました堂々とした佇まいです門の上に登ることもできます上からは明遺古街を眺められますよ~ここにも風獅爺♡にほんブログ村...
北門から少し走ったところに古い洋楼があるというので行ってみましたフィリピンで雑貨店を営み財を成した陳清海さんが1935年に金門に帰って来て立てたお宅です金門の中でもかなり古い時期に建てられた洋楼だそうです特に補修等は行われておらず、かなりボロボロになってましたにほんブログ村...
陳清海洋楼から珠水路を少し下ったところに金門城東門がありますこれは昔からの城門ではなく、新しく建設されたものですね~その東門から少し西に行ったところに昔の城壁が残っています昔は金城鎮もこんな城壁に囲まれていたんでしょうねにほんブログ村...
残存城壁からすぐ近くの場所に南門があります南門は現在は金門酒廠の入り口になっていますかなり立派な門でですね~。工場の入口だったので登ることはできませんでしたにほんブログ村...
2019年台湾風獅爺の旅 風獅爺コレクションその86 后水頭風獅爺D
后水頭地区最後の風獅爺のご紹介ですこの風獅爺は汶徳宮の前にあります先の記事に書いた后水頭風獅爺Aととても良く似た外見をしています背の高さは50cmくらい、座った姿の雄の風獅爺です后水頭にもともとあった風獅爺が失われてしまい、1981年頃に村民の依頼で翁という姓の職人さんがこの像を新しく作成し、その後に黄獻鐘という人が彩色を施したそうです身体は青くペイントされていて、右前脚で球を押さえていますにほんブログ村...
2019年台湾風獅爺の旅 風獅爺コレクションその112 上庫天后宮の風獅爺
青岐蘭亭別墅、青岐碉堡などを見学した後、上庫天后宮までやって来ました御廟の前の池のそばに風獅爺がいました池の方を向いています背の高さは60cmくらい、座った姿勢のおそらく雄の石像です設置の目的は水を鎮めるためにほんブログ村...
南門からバイクで3分ほど走ると西門に着きますパッと見は上に上がれそうだったのですが、特に階段などはなかったです。残念なり~西門の位置から見た風景にほんブログ村...
城門を満喫したので水頭集落へと向かいます水頭集落は「金水」とも呼ばれ、姓が「黄」の人が最も多い集落なのだそう確かに下調べをした時にやたら黄姓の建物がたくさんありました水頭はかなり裕福な集落であったため、美しい建物が多いのだとか「有水頭富、無水頭厝(水頭村の人のようにお金持ちになったとしても、水頭村ほどの立派な家を持つことは難しい)」という言葉もあるんだそうです水頭集落で一番最初に訪れたのは黄天露宅...
黄天露宅からすぐのところにある黄乃甫番仔厝番仔厝とは華僑が立てた洋風建築のことです私が調べた時には民宿として営業しているとあったのですが、入口も閉鎖されているし、けっこうな荒れようで使用されている雰囲気ではありませんでした実はここのお庭に1体風獅爺がいるはずだったのですが、見つけることはできませんでした撤去されちゃったのかなぁ?にほんブログ村...
水頭集落を回るにはバイクよりも徒歩の方が便利だと思いますそこでバイクを駐車するために金水國小へ行きました(ここにバイクの駐輪場があるのです)水頭の黄氏一族は教育を重視しており家廟内で勉学を教えていましたが、学生の数が増えてしまいました。そこでインドネシアの華僑に出資を募ったところ、黄獻量さんが金門に派遣されて学校の建設にあたり、1932年に完成しました羽を広げ飛翔する鷹純潔を象徴する天使「回」の字型の...
金水國小の近くには有名な建物がたくさん建っています今度はこれらを回っていきましょう【黄金龍・黄廷瓢・黄廷宙父子洋楼】1930年建設現在はレストランとして営業していました【得月楼】1931年建設黄輝煌さんがインドネシアで財を成した後、中国福建の職人の陳南安に設計を依頼して建てた碉楼です当時は水頭集落で最も高い建物だったそうです当時は治安が非常に悪い状況だったので、盗賊から守るための防御機能が供えられています...
得月楼に続いた形で建っているのは黄輝煌洋楼です1931年建造で、水頭の黄一族の建てた洋楼の中で最も壮観な建物といわれています前述の得月楼もこの黄輝煌洋楼一部なのだそうですこの建物は実は盗賊を引き付けるための囮用で、本当に使用していたのはその隣の建物だったのだそうこちらが実際に使用していた方の建物ちょっと分かりづらいので模型で説明します建物上部の装飾の中に「民國二十年」とあるのは、この建物が建てられた年...
2019年台湾風獅爺の旅 黄永遷・黄永鑿兄弟洋樓(現風獅爺文物坊)
黄輝煌洋楼のお向かいに建っているピンクの建物は黄永遷・黄永鑿兄弟洋樓(現風獅爺文物坊)です1934~1935年建造黄永遷・黄永鑿兄弟がインドネシアで財を成し、金門に戻って建てました二落大厝(母屋が2つある)で二櫸頭(廂が二つある建物)文物坊とあったので風獅爺の博物館か何かかと思って入ってみたのですが、ただのお土産屋さんでした雨水を流すところは犬(?)と魚ここにも金門のブックスタンドがありましたにほんブログ...
1934年建築黄廷宙インドネシアの石油で財を築いて建てました匪賊の侵入を防ぐため、敷地内に銃楼があるのが特徴的です現在は民宿になっていましたにほんブログ村...
1936年建設一落二﨔頭加左護龍(母屋が一つで、廂が二つある建物に左側庇を加えた建物)ここは金門から南洋に渡った華僑についての文物を展示しています外観は洋館ですが、入口は伝統建築でした水頭集落にある洋楼についての模型お風呂場です雨水を流すところは魚と象さん僑郷文化展示館8:30~17:00にほんブログ村...
黄順圖が1921年に建てた番仔厝(華僑の建てた洋風建築)です現在は民宿として営業しています日本製のマジョリカタイルが装飾に使われていますにほんブログ村...
1921年建設二落大厝(母屋が二つある建物)右護龍(右に廂がある)現在は民宿として使われています入口にミニ風獅爺がいましたにほんブログ村...
1925年建設インドネシアで財を成した黄文東さんが金門に戻って建てた二落大厝(母屋が二つある建物)装飾に日本のマジョリカタイルが使われています黄文東宅の前の家の壁に「精忠報國」の文字が書かれていましたにほんブログ村...
あちこち歩いている間にお昼の時間になりました水頭集落の中で飲食ができる場所は数軒しかなく、選択肢は限られています私たちは金道地小吃店に入ることにしました店内はかなり広かったです。私たちの他はほとんど大陸からのお客さんでしたすんごい早さで出てきた青菜炒め 注文してすぐにサーブされてビックリにんにくがかなり効いていました炒飯これがまぁ出てくるまでに待たされたこと(´-∀-`;)さきに出てきた野菜炒めを食べ終...
水頭集落から古崗に移動してきましたここにも古い石敢當があるというので行ってみました蔡さんのお宅の壁にあるらしいというので探してみたら、細い道の奥のお宅の壁にありました!泰山石敢當の文字が刻まれていますね~にほんブログ村...
清朝末期にシンガポールで財を成した董石獅さんが甥の董金國・董金鐘・董金圖の3兄弟と共同出資し、董石獅さんの弟で3兄弟の父である董詩揚さんの監督で建てられた二落大厝二護龍(母屋が二つある建物)天使の装飾日本製のマジョリカタイルがたくさん使われていましたにほんブログ村...
1933年建設董一族が出資して作られた学校です赤レンガが美しい、保存状態の良い建物でした屋上の端っこに石獅子がいました~(^0^)にほんブログ村...
この建物は数少ない、華僑ではなく金門で財を築いた董光得さんの建てたものです草が深すぎて、正面に回り込むことができませんでした(´Д⊂ヽにほんブログ村...
古崗から珠山集落へとやって来ました。珠山は薛姓の一族が多い集落です1865年に薛学翰さんがフィリピンで一財産を築いて後、珠山から続々とフィリピンに赴く人が出たそうです今回ここで3軒の薛姓のお宅を訪ねました。一軒目は薛芳見洋楼です1931年建設の五脚基洋楼です当時の金門の沿海部は海賊の被害が大きく、財産を持つ華僑の家は常に狙われていました洋楼の多くは高台に建設され、防御機能を備えていましたここは日本統治時代...