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睿友学校の少し先に大きな洋楼が見えました1931年完成陳清吉さんは幼少の頃シンガポールに渡り、成人後に同郷の陳能顯さんと共同事業を始め財を成しました。1928年に故郷に戻り、この洋楼を建て始めました。材木や石材、職人などは泉州から取り寄せ、工期は3年に及んだそうです1949年以降、この洋楼は海軍陸戦隊「幹訓班」によって使用されていましたネットでは中に入れるという話も見たのですが、私たちが行った時には鍵がかかっ...
陳清吉洋楼のご近所に陳氏小宗宗祠がありますここは洋楼形式の宗祠(先祖を祀る御廟)なんです清朝末期に建設。1930年に改修され戦時中に使用されていました。その際に建物が破損してしまいましたが、1989年に元の姿に再建されました。直線的なデザインが取り入れられています近くの壁に戦中標語がありましたにほんブログ村...
電動バイクで走ること10分で山后民俗文化村に到着しました1876年に日本華僑の王一族の明玉・敬済・敬祥・敬斗さんなどが財を成し、資金を集めて故郷に華僑集落を建設しました。1900年に完成したこの建物群には、王祠の一族が居住しました福建省南部伝統の二落大厝(母屋が二つある建物)16棟、1棟の学堂、1棟の「王氏宗祠」があります海珠堂雨水を排水するところの装飾がキュートな(?)お魚さんでした大夫第王敬祥さんの住宅でした...
民俗文化村を後にして、お昼ご飯を食べに行くことにしましたその途中に獅山砲陣地という戦跡があるのですが、そこで行われているショーの開催時刻に間に合わないので当初は立ち寄らない予定にしていたんですねでもまだお昼までには時間があるし、ちょっとだけ中を見て行こうという話になりました入口に阿兵哥(兵隊さん)の人形がいます戦車の展示それでは中に入ってみましょう砲弾が積んでありますここから地下に入っていきます獅...
2019年台湾風獅爺の旅 山西拌麺長栄商行で美味しい麺を食べる
それでは改めて、お昼ご飯を食べに向かいましょう獅山砲陣地から走ること1kmのところに山西拌麺長栄商行というお店がありますここは阿兵哥(兵隊さん)もお勧めの金門グルメが食べられると聞いて来てみましたメニュー山西拌麺店名にもなっている麺料理です茹でた麺の上にどっさりのキャベツとお肉などを炒めた餡がかかっています餡のお味は甘辛で、アクセントで入っている唐辛子の辛味も合わさって箸が進みます器の底に目玉焼きが...
お昼を食べておなかいっぱい。午後から動く元気も出てきました電動バイクで3キロほど走り、青嶼集落へとやって来た2人ここは張太常故居という歴史建築の裏手にまわったところですなんでわざわざ建物の裏手に来たかというと、そこに石敢當があるからなのです!文字が風雨にさらされて摩耗して読めなくなっていますが、これが石敢當ですネットで調べたのですが、何と刻まれていたのかは分かりませんでしたにほんブログ村...
青嶼集落で見てみたい風獅爺が何体かあったのですが、その内のひとつがあった家が建て替えのため風獅爺がなくなってしまったようで、いくら探しても見つかりませんでした(´;ω;`)せっかく来たのになぁとがっかりしていたのですが、ふと奥の方を見るとなにやら洋楼っぽいものが見えるではありませんか近くに行ってみると確かに洋楼それも補修をしている最中なのか、保護のための屋根までついています補修後は公開されたりするんでし...
今度は官澳集落へとやって来ました官澳でもたくさんの風獅爺を撮影しましたが、それについてはまた後日ご紹介します官澳集落にも歴史建築があります李康塔洋楼 1930年完成シンガポール華僑の李康塔さんが故郷の父親のため、弟に依頼して故郷に家を建てました李康塔自身はこの家に住むことはなかったそうです1947~1958年の間、国軍の曾暫がここに住み、陸軍の指揮本部及び官舎として使用されました金門砲戦(八二三砲戦)の際に...
馬山観測所は金門の最北端、対岸の角嶼までわずか2100m、金門⇔厦門の距離が最も近い地点にあります戦時には対岸の海上活動を監視したり、敵への呼びかけや宣伝文書を空からばら撒いたりするための軍事要塞で、「天下第一歩哨所」と称されました戦備坑道を通過観測窓から対岸が見えます観測所の脇に馬山放送所がありますここは台湾側から中国側にプロパガンダ(政治宣伝)放送を流す施設でしたテレサ・テンさんも90年代に慰問に訪れ...
馬山観測所から次の場所へ向かう途中で素敵な洋楼民家を見かけ、思わず撮影しちゃいましたレンガの騎樓が美しいですね~現在も人が住んでいるためか、きれいに保存されています山牆に天使の装飾がありますにほんブログ村...
官澳集落から風獅爺を求めて塘頭・西園・田墩・沙美・后水頭と各集落を回りました(風獅爺については後日改めてご紹介します)そしてやって来た后浦頭集落にあるのが黄宣顕六路大厝です1792年完成黄宣顯は1758年生まれ。父親の允俊公は翰外郎という官職を務めました允俊公には7人の子供がおり、黄宣顯は7番目の子でした黄宣顯は海外事業に乗り出し、その子孫はインドネシアやシンガポールでの商いで財を成しました黄氏の家屋は5つ...
黄宣顕六路大厝を出て、后浦頭の集落をバイクで走っていた時ですとある民家の屋根の上に何やら乗っかっているのを発見しましたこの写真だと分かりづらいので、UPにしてみましょう素焼きっぽい正方形の板が向き合って並べられています拡大してみると八卦の文様が刻まれているのが見えますたぶん何かの避邪物なんだろうと思うのですが、詳細は分かりません(¯∇¯٥)にほんブログ村...
后浦頭を出て沙美の街中に入って来ました沙美老街は金門で最も古い街のひとつで、昔は八卦街と呼ばれていたそうです金沙劇院昔の映画館です。現在は廃屋となっているようです老街で見かけた古い洋楼民家老街の端っこの方にあった、廃屋っぽい? まだ人が住んでいるのかも?張璋満五腳基洋楼張璋満とその甥の張延棉はマレーシアに渡り商売をしていました張延棉は当時新婚三か月で、故郷に残してきた妻を心配する彼のために1912年に...
沙美地区にも大きな洋楼が建っています1936年完成マレーシア華僑の張文帝が故郷に戻って建てました1936~1945年までは日本軍が、1948~1958年までは国軍が駐屯し、1958~1989年までは憲兵隊が駐屯していました。そのため憲兵隊洋楼と呼ばれたそうです二階建ての出亀(外廊下の中間部分が突出して亀の頭に似ている)洋楼で、後方に一階建ての部屋が付け加えられていますにほんブログ村...
沙青路沿いで見かけた洋楼民家后浦頭風獅爺のそばに建っていた銃楼のオブジェ洋山集落で見かけた洋楼民家①洋山集落で見かけた洋楼民家②にほんブログ村...
洋山→呂厝と風獅爺を追いかけ、后宅集落までやって来ましたここにも有名な歴史建築がありました1932年完成二階建て出亀(外廊下の中間部分が突出して亀の頭に似ている)式外廊下建築インドネシア華僑の王安江と長男の王金城が3万元の大金をかけて建造しました王金城はインドネシアで賭博場を経営しており金門に戻ることはありませんでしたが、弟の王金鎖のために家を建てたそうですかなり大きなお宅です日本製のマジョリカタイルが...
王金城洋楼の向かいに、白い洋楼民家が建っていましたこちらの建物も出亀式ですね~ご近所に番仔厝(一階建ての伝統合院建築の玄関に、西洋スタイルの山頭を加える建て方)もありましたにほんブログ村...
王金城洋楼を出たあたりで雨が降り始めました合羽を着こんで電動バイクを走らせます。雨の中を走るのは初めてで、緊張しちゃいました(^_^;)何肅闕・何肅坡洋楼1947年完成 五脚基(外廊下建築)洋楼何肅闕と何肅坡の二人は華僑ではなく、地元の浦邊地区で油商を営んで財を成しました何永洋楼1926年完成 五脚基(外廊下建築)洋楼何永(何敬永)はフィリピンで財を成した後に故郷に帰り、この建物を建てました碧月軒1920年完成...
土砂降りの雨の中をひたすら電動バイクで走る2人雨の中、それも夜間走行なんてしたことなかったので、気分的には泣きそうだった私(´-∀-`;)時刻はもう夕飯時。天気が良ければどこかお店にでも行こうかと思っていたのですが、こんな天気だし、疲れもピークだったので、コンビニで済ませることに環島北路一段沿いにある全家便利商店金門大学店に立ち寄りましたこれが晩ご飯で~す(*^-^*)ミートソーススパゲティ日本で食べるコンビニ...
2019年台湾風獅爺の旅 フェリーに乗って小金門(烈嶼郷)へ
金門島5日目の朝ごはんです~(^¬^)この日は早朝から出かける予定にしていたので、老板娘(オーナーさんの奥様)には朝ご飯は必要ないですよ~とお話ししたところ、「何時に出かけるの? メニューお任せでいいんだったら時間に間に合うように買ってきてあげるから」と言ってくれたので、ありがたくお願いしましたメニューは烤吐司(トーストサンド)と豆漿サンドの中には焼いた豚肉・キャベツ・目玉焼きが挟んでありました台湾の...
金門は風獅爺(シーサーのような獅子の避邪物)で有名です同じ避邪物ですが小金門(烈嶼郷)だけに存在しているのが「風鶏」です烈嶼人文風鶏小金門特有の民間の信仰で、白い鶏の鶏冠の血には避邪の効能があると考えられていて、風を鎮め、邪悪なものを避け、家を守り、平安をもたらすと言われているそうです小金門は「風鶏的故郷」ということで、風鶏モチーフをよく見かけました風鶏の街灯その1風鶏の街灯その2公園にあった鶏の残...
小金門でも建築見ていきますよ~(^^)v1936年建設烈嶼郷青岐村出身の何寶さんは若くしてシンガポールに渡り商売で財を成しました1933年に故郷の戻り建てたこの家は、王羲之の蘭亭集序(蘭亭序)から建物の扁額の文字をとったことから「蘭亭別墅」と呼ばれているそうです牆には銃撃の跡が残っていますにほんブログ村...
碉堡(防砦・トーチカ)と碉楼は字面が似ていますが、碉楼は2階以上の建物、碉堡は地上1階に地下部分が作られていることが多いそうです青岐集落の洪氏家廟の近くで見かけたとあるお宅は碉堡で囲まれていましたにほんブログ村...
青岐集落の端っこの方に石敢當がありました后土敢當と刻まれています后土(こうど)は、四御の唯一の女神であり、中国道教の最高位の全ての土地を統括する地母神。土地・陰陽と生育を司る墓所の守り神であり、主に女性や死は陰と位置づけられる事から、墓所の神は女神となった。城隍神や土地爺と共に土地の守護神の一種に位置づけられていた。「后土娘々」、「后土皇帝」、「承天效法后土皇地祇」、「無上虚空地母至尊」とも呼ばれ...
1937年完成1961年の砲弾の攻撃により、前方と攑頭(両廂房)が破壊されてしまい、鉄筋コンクリート造に建て替えられています林信屏は烈嶼郷上林の出身で、シンガポールで財を成しました1936年に甥の林伯湖に代替わりした後、五千銀を送金し故郷に戻り、この洋楼を建てました日本製のマジョリカタイルが使用されていますにほんブログ村...
一落二﨔頭右突帰疊楼(母屋が一つで、廂が二つある建物の右側に一列の2階建ての部屋を増築しています)1900年代に方家の家人がシンガポールで財産を築いた後、金門に戻って建設したものです疊楼は緑の花形の窓枠と女児牆(屋根の部分の飾り壁)がありますにほんブログ村...
1921年完成林天來さんは若い頃にブルネイに渡り、商売で富を得ました1921年にこの洋楼を建設する際には、中国の設計士に設計と施工を依頼し、材料の大多数は中国で購入したそうです1932年に林天來の奥さんの呂綢さんが養女の李金滿を連れて帰郷し、ここに移り住みましたにほんブログ村...
次にやって来たのは鉄漢堡という小型要塞です入口にはM42防砲車が展示されています入り口を入ってみると弾薬庫と阿兵哥(兵隊さん)の人形がありました地雷の模型事前に調べたところ、ここから勇士堡というもう一つの堡塁に地下坑道が繋がっているという話だったのですが、私たちが行った時には行動が見つかりませんでした(¯∇¯٥)仕方ないのでいったん外に出て勇士堡へと向かうことににほんブログ村...
2019年台湾風獅爺の旅 三層樓芋頭餐館でタロイモ料理のお昼ご飯
鉄漢堡から勇士堡へ向かおうと思ったのですが、そろそろお腹が空いてきましたちょうど道の途中に行きたかったお店があるので、先にお昼を食べていくことにお店の壁面いっぱいにタロイモのイラストが描かれています看板に民宿と書いてあるので、宿泊もできるんでしょうかね?小金門はタロイモが名産で、ここはタロイモ料理が名物なんですよ~メニューの写真はこれしか撮ってませんでした、ごめんなさいm(__)m金門電話ボックス型のつ...
電動バイクを走らせ古寧頭までやって来ました頂林路を北上していると大きな城門のようなものがありました古寧頭牌楼古寧頭戦役での勝利を記念して建てられたものだと思われます 古寧頭戦役 古寧頭戦役(こねいとうせんえき)は、1949年の国共内戦中に発生した台湾海峡の 金門島を巡る戦闘である。 根本博中将を始めとする旧大日本帝国陸軍軍人による軍事顧問団の作戦指導により 国民党が勝利し[1]、引き続き国民党が支配する...
三層樓芋頭餐館からバイクで走ってすぐのところに勇士堡がありますここは地雷展示館となっていますここの入口にも阿兵哥のお人形がいましたそれでは中に入ってみましょう色んな形の地雷が展示されています各国の地雷の表示の展示地雷原を模した通路この通路にはセンサーが仕掛けてあって、地雷の箇所を通ると「ドーン!」と大きな爆発音が左右から鳴るようになっていて、けっこう怖かったりしますここを歩いて行くと鉄漢堡に出ると...
小金門で行った最後の歴史建築は金記洋楼(羅氏兄弟洋楼)です1946年建設羅望・羅金頂・羅金尋の3兄弟が建てた、小金門で最も保存状態の良い五脚基洋楼(外廊下建築)だそうです現在は民宿として使用されていますにほんブログ村...
ここからは小金門でみつけた風鶏をご紹介していきますね~(*^-^*)まずはカントリーサイン的な、地区の入口に設置されている風鶏さんです媽祖公園入口の風鶏黄将軍廟の風鶏湖下社区の風鶏南塘社区入り口の風鶏青岐社区の風鶏上庫社区の風鶏后宅社区の風鶏后頭聚落入口の風鶏にほんブログ村...
お次は街中でみつけたいろんな風鶏さんです湖埔路沿いの風鶏湖埔路の塀のところにいきなり設置されていました南塘真武廟裏手にある風鶏御廟の敷地内に設置されていましたコンクリ製で、きれいに色が塗り直されていました上林将軍廟の風鶏と間違えて撮影した別の鶏上林将軍廟にある風鶏を撮影しに行ったのですが、まんまと間違えてこの金属製の鶏を撮ってしまいました(-_-;)本物は石像だったのに。悔しい~~~!雙口候車亭の後ろの...
北風爺(北方王)は風をつかさどる神様で、島の北に向かって立ち、風を安定させ、凶神を食い止めているんだそうです風獅爺と同じような功徳があるんですね~しかし、風獅爺に風鶏・北風爺と風を鎮めるための縁起物がいっぱいあって、どれだけ風が凄いんだって話ですよね~(¯∇¯٥)黒面北風爺北風爺には黒く塗られたものがありますこのことから北風爺は北方の守護神の北極玄武大帝の化身であるという説もあるそうです(風水的に北の方...
これまで小金門で見た歴史建築や風鶏について書きましたが、それ以外の街中で見かけたものについて書きたいと思います(風獅爺については後日UPします)八二三砲戦紀念碑八二三砲戦(金門砲戦)での勝利を記念して建てられました大きな砲弾型の記念碑です 金門砲戦(きんもんほうせん)は、1958年8月23日から10月5日にかけて、 中華民国福建省金門島に対し、中華人民共和国の中国人民解放軍が同島に 侵攻すべく砲撃を行っ...
小金門で見かけたものの続きです上林ビーチの入口にあった手榴弾のオブジェ何故そんなところにあるかというと、昔ここには手榴弾の投擲練習場があったのだそう今は平和そのものの砂浜ですが、そんな歴史があったんですね近くには戦車の展示もありました対岸は中国厦門です本当にこんなに近くにあるんだ~とビックリしましたにほんブログ村...
小金門の観光をを終え、フェリーで金門島に戻ってきました時刻は13:40、まだまだ時間はたっぷり残っていますちょうど良いので、前日に雨が降って来て撮りそびれた風獅爺や建物のリベンジをしに行くことにしました碧月軒の説明はこちらに少しだけ書いていますにほんブログ村...
あちこち回って疲れたので、ファミマで一休みすることにしましたカフェラテを頼んだら、こんなかわいいカップで来ました~(^^♪スナック菓子の袋がやたらでっかいのはなんで?あと少し回りたい場所があるのですが、電動バイクの電池がかなり少なくなっていますそこで冠城租車に電池の交換をしに行きましたにほんブログ村...
金城の街中の歴史建築&風獅爺を殺意盈した後、いったんホテルに戻ってきました明日はチェックアウトをするので、荷物の整理をしたり、TVを見たりとしばし休憩……18時を過ぎて日が暮れた頃、晩ご飯を食べに出かけました今夜のお店は東門燒臘餐廳です「燒臘」とあるので、広東式の焼き物が食べられそうです店内の様子まだ早い時間だったので空いていましたが、私たちが帰る頃はだいぶお客さんで埋まっていました蜜汁叉焼最初にこれが...
古寧頭に来たからには、ここにも行っておいた方がいいよね~ということで、古寧頭戦史館にやって来ました戦争関連の博物館なので、武器の展示や当時の文物が展示されているかと思っていたのですが、主な展示物は当時の状況を描いた絵画でした(写真は撮り忘れました;)あとは時間制で古寧頭戦役に関するドキュメンタリー映画が見られるようになっていましたちょっと肩透かしな場所だったかもしれません古寧頭戦史館8:30~17:00...
当初の予定では、この日のお昼は金城模範街というところを散策がてら食べる予定にしていたのですが、バイクの電池が切れるハプニングで時間がかかってしまい、十分な時間が取れそうにありませんそこで別の候補のお店に行くことにしましたそんなわけでやって来たのは集成餐廳という小さなお店ですメニュー①メニュー②酸辣湯と什錦炒飯を頼みました酸辣湯具沢山で酸味と胡椒味が効いていました。お酢に少しクセがあって、好みが分かれ...
本来ならここで空港へ向かう記事を書くところなのですが、その前に金門島で見かけたものをまとめてご紹介します欧陽鐘遠洋楼から薛清江宅に向かう途中で見かけた虎の像環島南路五段のロータリーで見かけたオブジェ金門の巣箱の中に戴勝(ヤツガシラ)が入っていますこの巣箱の基になったっぽいのが金門電話ボックス中が空のもの新前墩のオブジェ新前墩という町の入口にありましたスイカの郷らしく、スイカのキャラクターもいますね...
カワウソ注意の看板かわいらしいカワウソのイラストと「水獺出没!請小心」の文字が書かれていますこの場所以外にも数か所で見かけました高粱畑金門島のあちこちで見かけましたイタリアンレストランのオブジェピーナッツのオブジェ古寧頭に向かう途中で見かけた、貢糖やさんのオブジェ民家の壁画にほんブログ村...
金門の街中ではこのような戦中標語(スローガン)を書いた壁をよく見かけました地雷注意これは水頭集落で見つけたものですまだこのような戦争の爪痕が残っているんですねにほんブログ村...
5日間お世話になった電動バイクを冠城租車に返却しに行きましたバイクに異常がないかを確認し、キーとヘルメットを返却して手続きは終了です初日の契約時に、朝のうちにホテルに預けた荷物を回収しておいてもらう旨をお願いしていましたが、それもきちんと完了していますというわけで、冠城さんの車で空港まで送っていただきました(料金はレンタル料に含まれています)金門空港に到着しました~謎のキャラクターがいました待合の...
古寧頭をぐるっと一回りしたので、次の目的地の安岐へとバイクを飛ばしますと、ここでハプニングが!私の電動バイクの電池がいきなり切れてしまったんですΣ(゚д゚lll) もうなんの前触れもなく、突然プスンと停まってしまいました前の日の夕方に電池を交換したばかりだったのになぁ;場所は安岐の巨大な風獅爺の前と非常にわかりやすい場所だったので、早速LINEで状況と場所を冠城租車に連絡したところ、社員さんが車でやって来てく...
碧月軒の対面に建っていた洋楼民家前方に伝統建築、後方に五脚基(外廊下建築)洋楼の組み合わせ四角い造りの民家左右に方形の部屋が作られています右隣りに五脚基(外廊下建築)洋楼が繋がっているっぽいです何肅闕・何肅坡洋樓1947年建築何肅闕・何肅坡は海外に出るのではなく、浦邊地区で石油の商売で財を成しました洋楼の建っている場所には石油精製を行う場があったそうです蔡永耀洋楼1945年建築蔡永耀が建てた三凹寿型の番仔...
冠城租車で電池の交換をしたら、金城市街を回ります陳詩吟洋楼1935年建設陳詩吟はシンガポール・インドネシアで財を成しましたこれを建てるのに30,000銀元を費やしたそうです私たちが行った時は修繕工事でもするのか、大きく囲われてしまっていました許允策洋楼1938年建設三凹寿型(中央の外廊下部分が引っ込んでいて、その両脇部分が出っ張っている形)の洋楼建築です可可亞手作廚房現在ここは可可亞手作廚房というピザ屋さんが使...
鄧長壽洋楼1921年建設シンガポール華僑の鄧長壽が二階建ての出亀洋楼(外廊下の中間部分が突出している)を建設しました奎閣(魁星樓)1836年建設/1985年修復工事済み正六角形の二階建て建築です中国五文昌の一柱である魁星を祀っています許金鐘洋楼1933年建設許金鐘は後浦南門の同安ふ頭で協徳船頭行を営み、廈門・漳州・集美・石尾を往来し閩南地方の品物を金門で販売して富を築きましたこちらの建物も修繕待ちなのか、囲いで覆わ...