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薛姓建物2軒目はこちら、薛永邁洋楼です1929年建設一落二﨔頭加右護龍(母屋が一つで、廂が二つある建物に右側庇を加えた建物)薛永邁さんがシンガポールから帰国した後に建てました現在は民宿として活用されていますこの薛永邁洋楼の近くに石敢當が2つ設置されています一つ目は洋楼の裏手の壁下部に設置されたものシンプルに石敢當と刻まれていましたもう一つは洋楼の対面の建物の壁にあるもの化煞大將軍と刻まれています化煞=化殺...
三落大厝とは二落大厝の前或いは後にもう一落を増築するスタイルで、珠山集落で見られるものです珠山集落には2軒三落大厝があるのですが、池を挟んで低い位置に建っている方を下三落と呼んでいるそうです珠山集落の様子にほんブログ村...
薛姓のお宅、ラストは薛永南兄弟大楼です1928年建設薛永南兄弟がフィリピンで事業で成功を収めた後、帰国してから建てたものです現在は民宿として使用されていますにほんブログ村...
電動バイクで移動すること10数分、欧厝集落へとやって来ました欧厝集落」には閩南の伝統建築群が残っています集落は庫池によって上・下社に分かれ、村人の苗字は全て「欧陽」です上社は二落大厝(母屋が二つある建物)群がメインで、下社は一落四﨔頭(母屋が一つ、廂が四つ)の民家が多いそうですそんな欧厝集落にある一軒の民家の壁に石敢當があるのを見つけましたまだ新築っぽい感じのお宅ですね~プレートタイプの石敢當が埋め込ま...
2019年台湾風獅爺の旅 欧陽鐘遠洋楼 古蹟のカフェで一休み
石敢當から少し走ったところに立派な洋楼が見えてきました1918年建設欧陽鐘遠がシンガポール・マレーシアなどでの商売で財を成した後、故郷に戻って建てたものですその豪華な様子から「欧厝大楼」と呼び讃えられたそうです2つの旗は中華民国国旗と国民党党旗を表しています獅子が宝鏡を銜えている装飾中に入ってみました現在この建物はカフェとして営業していましたこの日は結構暑く、あちこち動き回ってヘトヘトだった私たち見学...
欧陽鐘遠洋楼からバイクで走ること約5分、薛清江宅に到着しました1935年建設二落大厝(母屋が2つある建物)この建物の裏側の壁に石敢當がありました石敢當と刻まれていますにほんブログ村...
昔果山風獅爺に向かう途中で見かけた古い洋楼正面に回り込んでみました現在もどなたかが住んでいらっしゃるようでしたにほんブログ村...
こちらも昔果山風獅爺に行く途中で発見した民家です時計と獅子ピンクとペパーミントグリーンのタイルがキュートにほんブログ村...
昔果山風獅爺から官裡風獅爺に向かう途中、小西門集落に一風変わった古蹟があります【小西門模範厠】1917年建設小西門集落出身の呉朝坪さんは30歳を過ぎた頃にインドネシアのスマトラ島で働き、財を成した後に故郷に戻り、3軒の二落大厝(母屋が2つある建物)を建設しました最初の家は1903年に完成したのですが、家の前にはいくつかの屎礐(穴を掘り木を渡しただけの旧式のトイレ)がありました。呉朝坪さんは衛生上の問題があると...
タイトルに陳振芳古厝と入れましたが、実は石敢當を探すのに必死になっていて、この建物の写真を撮るのを忘れてしまったという(-_-;)というわけで、石敢當の写真だけUPしますね~陳振芳古厝の裏の壁に石敢當がありますシンプルに石敢當と刻まれていますもう一つ、陳振芳古厝のご近所の家の壁にある石敢當こちらも石敢當の文字のみなんか今にも牆から剥がれてしまいそうで、ヒヤヒヤします(゚◇゚;)にほんブログ村...
この日は金門島の西南側を回りましたが、金城鎮の近くまで戻って来ましたこの辺りに金門観光で有名な場所があるので寄っていくことに莒光楼 1952年建設中国風の3階建ての建物です八二三砲戦で戦果をおさめた部将の栄誉を称えて建てられました一階には映写スペースがありました蒋介石が唱えた「毋忘在莒(莒に在ることを忘るるなかれ)」毋忘在莒:春秋戦国時代の中国の故事成語で、「昔の苦難を忘れるな」という意味大砲のレプリカ...
莒光楼を見学して金城の街中に戻ってきましたちょっと小腹がすいたので、清金門鎮總兵署の近くにあるかき氷屋さんに行ってみることにこのお店の名前は總冰署總兵署と總冰署は声調は違いますが、発音が同じ(zong bing shu)で、總兵署にあやかってこんな店名にしたんでしょうね~芒果雪花冰(マンゴーミルクかき氷)色んなメニューがありましたが、無難にマンゴーかき氷を頼みましたマンゴーはやや少なめですね~(^_^;)イクラみた...
一日めいっぱい動き回ってヘトヘトになったので、晩ご飯は近場で済ませようということになりました(写真はfacebookからお借りしました)ホテルからバイクで7分ほど走ったところにある光頭厨房さんで、日本式のカレーが食べられると聞き、思わず行ってしまいましたたーさんが注文した日式豬排(日本風オムレツカツカレー)トンカツはサクサクに揚がっていましたカレールーが若干塩分控えめだったかな~。辛さはそんなに辛くなかっ...
金門での4日目の朝を迎えましたこの日はかなり朝早くに出かけるため、ホテルでの朝食は頼まず電動バイクで民権路を下ること2分、早朝から開いているハンバーガーショップにやって来ました拉亞漢堡は2002年に創立の、台湾中に支店があるバーガーショップです朝の5:30から開いているので、今日の予定にちょうどいいということで決めましたカウンターで注文して待つこと10分……15分……、一向に料理が出てこない(-_-;)これじゃあファス...
2019年台湾風獅爺の旅 7-ELEVEN金寧門市はちょっと面白い
朝食を済ませたら出発です!環島北路二段を東へと進むこと約3km、7-ELEVEN金寧門市にやって来ました何故にセブンイレブンへ? と思われる方が多いでしょう別に買物をしに行ったわけではありませんよ~(^0^)このセブンイレブンにはある秘密があるんですお分かりになりますか? もうちょっとUPにしてみましょうなんとこのセブンイレブン、住所が「711」なんですよ~ヾ(*´∀`*)ノ偶然なのか、意図してここに建てたのか分かりませ...
セブンイレブンから少し行ったところにきれいな洋楼があります1920年建造翁贊商さんは20歳のころにシンガポールで起業し、シンガポールとインドネシアの間で貿易を行いました。資金をためて金門に戻り、金門にいた弟の翁贊榮と協力して出亀洋楼(外廊下建築)を建てました。古寧頭戦役の時には国軍がここに指揮本部を置きました。1981年に補修工事が行われ、翁贊榮さんの子孫が住んでいるそうです。現在も使用されている建物なので...
風獅爺を探しながら走ること1時間20分(風獅爺に着いては後日改めて書きますね)斗門風獅爺の手前に陳景成洋楼がありました1946年落成 五脚基(外廊下建築)陳景成さんは若い頃にフィリピンのマニラに渡り、財を成しました。1943年に帰郷し、兄の陳清錶に代わって洋楼を設計建築しました。陳景成さんは故郷に家を建てましたが、生活の大部分はフィリピンで過ごし、洋楼はお兄さんが住んで管理したそうです。にほんブログ村...
陳景成洋楼から斗門風獅爺に向かう途中、道の向こうに素敵な洋楼が見えましたこれは近くで見てみたい!というわけで来てみました~(^0^) こういう時にバイクだと便利ですね~山牆には龍と鳳凰が描かれています黄色い扉がキュート雨水を排水するところは鯉になっていましたにほんブログ村...
バイクを走らせて陽翟老街までやって来ましたここは台湾映画「軍中楽園」が撮影された際に60年代の金門の街並みが再建されたのですが、撮影後もそのまま保存されていますこれらは実際のお店ではなく、ロケ用に改装されたものですにほんブログ村...
陽翟老街から少し移動したところに永昌堂曁浯陽小学校があります1935~36年建造 市定古蹟インドネシアで事業を起こし成功した華僑の陳厚仲さんが華僑仲間からの献金を集めて建てられました中国風と西洋風が合わさった独特な風格を持つ建物になっています永昌堂は1935年、曁浯陽小学校は1936年に完成しましたにほんブログ村...
陽翟風獅爺②に向かう途中に伝統建築がありました1900年以前に建造 二落大厝(母屋が二つある建物)陳篤欽さんが福建籍の大工に依頼して建てられたものらしいこの建物の最大の特徴は、大量に使用されたベトナム製の陶製装飾ですにほんブログ村...
陽翟の街からバイクで走ること約5km、東蕭という場所にやって来ました目的は風獅爺の撮影だったのですが、その背後になにやら洋楼っぽいものがあるではないですか!二軒並んで建っています見た感じ人が住んでいる雰囲気はありませんね~裏側から見たところにほんブログ村...
廃屋を後にして走ること15分碧山集落の入口にある洋楼へとやって来ましたかなり草ボーボーになっていますが、建物自体はきれいに残っているようです1928年落成金門でもかなり早期に建てられた洋楼建築だそうです建物の正面は出亀式(外廊下の中間部分が突出して、亀の頭に似ている)になっていますにほんブログ村...
陳徳幸洋楼の近くに睿友学校が建っていますここは陳徳幸さんと関わりのある建物なんですよ~1934年完成 擬バロック様式2階建てシンガポールで成功を収めた陳睿友さんの死後、その息子さんが同郷の陳徳幸さんに依頼して建てられたものです完成後は近隣の集落から子どもを集めて勉学を教える場にしていたそう山牆には国旗・国民党旗・インド警察・仙鶴などの装飾が施されていますにほんブログ村...
睿友学校の少し先に大きな洋楼が見えました1931年完成陳清吉さんは幼少の頃シンガポールに渡り、成人後に同郷の陳能顯さんと共同事業を始め財を成しました。1928年に故郷に戻り、この洋楼を建て始めました。材木や石材、職人などは泉州から取り寄せ、工期は3年に及んだそうです1949年以降、この洋楼は海軍陸戦隊「幹訓班」によって使用されていましたネットでは中に入れるという話も見たのですが、私たちが行った時には鍵がかかっ...
陳清吉洋楼のご近所に陳氏小宗宗祠がありますここは洋楼形式の宗祠(先祖を祀る御廟)なんです清朝末期に建設。1930年に改修され戦時中に使用されていました。その際に建物が破損してしまいましたが、1989年に元の姿に再建されました。直線的なデザインが取り入れられています近くの壁に戦中標語がありましたにほんブログ村...
電動バイクで走ること10分で山后民俗文化村に到着しました1876年に日本華僑の王一族の明玉・敬済・敬祥・敬斗さんなどが財を成し、資金を集めて故郷に華僑集落を建設しました。1900年に完成したこの建物群には、王祠の一族が居住しました福建省南部伝統の二落大厝(母屋が二つある建物)16棟、1棟の学堂、1棟の「王氏宗祠」があります海珠堂雨水を排水するところの装飾がキュートな(?)お魚さんでした大夫第王敬祥さんの住宅でした...
民俗文化村を後にして、お昼ご飯を食べに行くことにしましたその途中に獅山砲陣地という戦跡があるのですが、そこで行われているショーの開催時刻に間に合わないので当初は立ち寄らない予定にしていたんですねでもまだお昼までには時間があるし、ちょっとだけ中を見て行こうという話になりました入口に阿兵哥(兵隊さん)の人形がいます戦車の展示それでは中に入ってみましょう砲弾が積んでありますここから地下に入っていきます獅...
2019年台湾風獅爺の旅 山西拌麺長栄商行で美味しい麺を食べる
それでは改めて、お昼ご飯を食べに向かいましょう獅山砲陣地から走ること1kmのところに山西拌麺長栄商行というお店がありますここは阿兵哥(兵隊さん)もお勧めの金門グルメが食べられると聞いて来てみましたメニュー山西拌麺店名にもなっている麺料理です茹でた麺の上にどっさりのキャベツとお肉などを炒めた餡がかかっています餡のお味は甘辛で、アクセントで入っている唐辛子の辛味も合わさって箸が進みます器の底に目玉焼きが...
お昼を食べておなかいっぱい。午後から動く元気も出てきました電動バイクで3キロほど走り、青嶼集落へとやって来た2人ここは張太常故居という歴史建築の裏手にまわったところですなんでわざわざ建物の裏手に来たかというと、そこに石敢當があるからなのです!文字が風雨にさらされて摩耗して読めなくなっていますが、これが石敢當ですネットで調べたのですが、何と刻まれていたのかは分かりませんでしたにほんブログ村...
青嶼集落で見てみたい風獅爺が何体かあったのですが、その内のひとつがあった家が建て替えのため風獅爺がなくなってしまったようで、いくら探しても見つかりませんでした(´;ω;`)せっかく来たのになぁとがっかりしていたのですが、ふと奥の方を見るとなにやら洋楼っぽいものが見えるではありませんか近くに行ってみると確かに洋楼それも補修をしている最中なのか、保護のための屋根までついています補修後は公開されたりするんでし...
今度は官澳集落へとやって来ました官澳でもたくさんの風獅爺を撮影しましたが、それについてはまた後日ご紹介します官澳集落にも歴史建築があります李康塔洋楼 1930年完成シンガポール華僑の李康塔さんが故郷の父親のため、弟に依頼して故郷に家を建てました李康塔自身はこの家に住むことはなかったそうです1947~1958年の間、国軍の曾暫がここに住み、陸軍の指揮本部及び官舎として使用されました金門砲戦(八二三砲戦)の際に...
馬山観測所は金門の最北端、対岸の角嶼までわずか2100m、金門⇔厦門の距離が最も近い地点にあります戦時には対岸の海上活動を監視したり、敵への呼びかけや宣伝文書を空からばら撒いたりするための軍事要塞で、「天下第一歩哨所」と称されました戦備坑道を通過観測窓から対岸が見えます観測所の脇に馬山放送所がありますここは台湾側から中国側にプロパガンダ(政治宣伝)放送を流す施設でしたテレサ・テンさんも90年代に慰問に訪れ...
馬山観測所から次の場所へ向かう途中で素敵な洋楼民家を見かけ、思わず撮影しちゃいましたレンガの騎樓が美しいですね~現在も人が住んでいるためか、きれいに保存されています山牆に天使の装飾がありますにほんブログ村...
官澳集落から風獅爺を求めて塘頭・西園・田墩・沙美・后水頭と各集落を回りました(風獅爺については後日改めてご紹介します)そしてやって来た后浦頭集落にあるのが黄宣顕六路大厝です1792年完成黄宣顯は1758年生まれ。父親の允俊公は翰外郎という官職を務めました允俊公には7人の子供がおり、黄宣顯は7番目の子でした黄宣顯は海外事業に乗り出し、その子孫はインドネシアやシンガポールでの商いで財を成しました黄氏の家屋は5つ...
黄宣顕六路大厝を出て、后浦頭の集落をバイクで走っていた時ですとある民家の屋根の上に何やら乗っかっているのを発見しましたこの写真だと分かりづらいので、UPにしてみましょう素焼きっぽい正方形の板が向き合って並べられています拡大してみると八卦の文様が刻まれているのが見えますたぶん何かの避邪物なんだろうと思うのですが、詳細は分かりません(¯∇¯٥)にほんブログ村...
后浦頭を出て沙美の街中に入って来ました沙美老街は金門で最も古い街のひとつで、昔は八卦街と呼ばれていたそうです金沙劇院昔の映画館です。現在は廃屋となっているようです老街で見かけた古い洋楼民家老街の端っこの方にあった、廃屋っぽい? まだ人が住んでいるのかも?張璋満五腳基洋楼張璋満とその甥の張延棉はマレーシアに渡り商売をしていました張延棉は当時新婚三か月で、故郷に残してきた妻を心配する彼のために1912年に...
沙美地区にも大きな洋楼が建っています1936年完成マレーシア華僑の張文帝が故郷に戻って建てました1936~1945年までは日本軍が、1948~1958年までは国軍が駐屯し、1958~1989年までは憲兵隊が駐屯していました。そのため憲兵隊洋楼と呼ばれたそうです二階建ての出亀(外廊下の中間部分が突出して亀の頭に似ている)洋楼で、後方に一階建ての部屋が付け加えられていますにほんブログ村...
沙青路沿いで見かけた洋楼民家后浦頭風獅爺のそばに建っていた銃楼のオブジェ洋山集落で見かけた洋楼民家①洋山集落で見かけた洋楼民家②にほんブログ村...
洋山→呂厝と風獅爺を追いかけ、后宅集落までやって来ましたここにも有名な歴史建築がありました1932年完成二階建て出亀(外廊下の中間部分が突出して亀の頭に似ている)式外廊下建築インドネシア華僑の王安江と長男の王金城が3万元の大金をかけて建造しました王金城はインドネシアで賭博場を経営しており金門に戻ることはありませんでしたが、弟の王金鎖のために家を建てたそうですかなり大きなお宅です日本製のマジョリカタイルが...
王金城洋楼の向かいに、白い洋楼民家が建っていましたこちらの建物も出亀式ですね~ご近所に番仔厝(一階建ての伝統合院建築の玄関に、西洋スタイルの山頭を加える建て方)もありましたにほんブログ村...
王金城洋楼を出たあたりで雨が降り始めました合羽を着こんで電動バイクを走らせます。雨の中を走るのは初めてで、緊張しちゃいました(^_^;)何肅闕・何肅坡洋楼1947年完成 五脚基(外廊下建築)洋楼何肅闕と何肅坡の二人は華僑ではなく、地元の浦邊地区で油商を営んで財を成しました何永洋楼1926年完成 五脚基(外廊下建築)洋楼何永(何敬永)はフィリピンで財を成した後に故郷に帰り、この建物を建てました碧月軒1920年完成...
土砂降りの雨の中をひたすら電動バイクで走る2人雨の中、それも夜間走行なんてしたことなかったので、気分的には泣きそうだった私(´-∀-`;)時刻はもう夕飯時。天気が良ければどこかお店にでも行こうかと思っていたのですが、こんな天気だし、疲れもピークだったので、コンビニで済ませることに環島北路一段沿いにある全家便利商店金門大学店に立ち寄りましたこれが晩ご飯で~す(*^-^*)ミートソーススパゲティ日本で食べるコンビニ...
2019年台湾風獅爺の旅 フェリーに乗って小金門(烈嶼郷)へ
金門島5日目の朝ごはんです~(^¬^)この日は早朝から出かける予定にしていたので、老板娘(オーナーさんの奥様)には朝ご飯は必要ないですよ~とお話ししたところ、「何時に出かけるの? メニューお任せでいいんだったら時間に間に合うように買ってきてあげるから」と言ってくれたので、ありがたくお願いしましたメニューは烤吐司(トーストサンド)と豆漿サンドの中には焼いた豚肉・キャベツ・目玉焼きが挟んでありました台湾の...
金門は風獅爺(シーサーのような獅子の避邪物)で有名です同じ避邪物ですが小金門(烈嶼郷)だけに存在しているのが「風鶏」です烈嶼人文風鶏小金門特有の民間の信仰で、白い鶏の鶏冠の血には避邪の効能があると考えられていて、風を鎮め、邪悪なものを避け、家を守り、平安をもたらすと言われているそうです小金門は「風鶏的故郷」ということで、風鶏モチーフをよく見かけました風鶏の街灯その1風鶏の街灯その2公園にあった鶏の残...
小金門でも建築見ていきますよ~(^^)v1936年建設烈嶼郷青岐村出身の何寶さんは若くしてシンガポールに渡り商売で財を成しました1933年に故郷の戻り建てたこの家は、王羲之の蘭亭集序(蘭亭序)から建物の扁額の文字をとったことから「蘭亭別墅」と呼ばれているそうです牆には銃撃の跡が残っていますにほんブログ村...
碉堡(防砦・トーチカ)と碉楼は字面が似ていますが、碉楼は2階以上の建物、碉堡は地上1階に地下部分が作られていることが多いそうです青岐集落の洪氏家廟の近くで見かけたとあるお宅は碉堡で囲まれていましたにほんブログ村...
青岐集落の端っこの方に石敢當がありました后土敢當と刻まれています后土(こうど)は、四御の唯一の女神であり、中国道教の最高位の全ての土地を統括する地母神。土地・陰陽と生育を司る墓所の守り神であり、主に女性や死は陰と位置づけられる事から、墓所の神は女神となった。城隍神や土地爺と共に土地の守護神の一種に位置づけられていた。「后土娘々」、「后土皇帝」、「承天效法后土皇地祇」、「無上虚空地母至尊」とも呼ばれ...
1937年完成1961年の砲弾の攻撃により、前方と攑頭(両廂房)が破壊されてしまい、鉄筋コンクリート造に建て替えられています林信屏は烈嶼郷上林の出身で、シンガポールで財を成しました1936年に甥の林伯湖に代替わりした後、五千銀を送金し故郷に戻り、この洋楼を建てました日本製のマジョリカタイルが使用されていますにほんブログ村...
一落二﨔頭右突帰疊楼(母屋が一つで、廂が二つある建物の右側に一列の2階建ての部屋を増築しています)1900年代に方家の家人がシンガポールで財産を築いた後、金門に戻って建設したものです疊楼は緑の花形の窓枠と女児牆(屋根の部分の飾り壁)がありますにほんブログ村...