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時間から取り残されたような明遺古街の中に不似合いな洋館が建っています1933年落成黄天佑さんがシンガポールから金門に戻ってきて建造した物ですパッラーディオ建築様式で建てられたと説明看板に書いてありました彼はここで診療所を開いていたようです以前は見学できたようですが、私たちが訪れた時は閉まっていましたにほんブログ村...
明遺古街の入口にあたるところに北門がありました堂々とした佇まいです門の上に登ることもできます上からは明遺古街を眺められますよ~ここにも風獅爺♡にほんブログ村...
北門から少し走ったところに古い洋楼があるというので行ってみましたフィリピンで雑貨店を営み財を成した陳清海さんが1935年に金門に帰って来て立てたお宅です金門の中でもかなり古い時期に建てられた洋楼だそうです特に補修等は行われておらず、かなりボロボロになってましたにほんブログ村...
陳清海洋楼から珠水路を少し下ったところに金門城東門がありますこれは昔からの城門ではなく、新しく建設されたものですね~その東門から少し西に行ったところに昔の城壁が残っています昔は金城鎮もこんな城壁に囲まれていたんでしょうねにほんブログ村...
残存城壁からすぐ近くの場所に南門があります南門は現在は金門酒廠の入り口になっていますかなり立派な門でですね~。工場の入口だったので登ることはできませんでしたにほんブログ村...
2019年台湾風獅爺の旅 風獅爺コレクションその86 后水頭風獅爺D
后水頭地区最後の風獅爺のご紹介ですこの風獅爺は汶徳宮の前にあります先の記事に書いた后水頭風獅爺Aととても良く似た外見をしています背の高さは50cmくらい、座った姿の雄の風獅爺です后水頭にもともとあった風獅爺が失われてしまい、1981年頃に村民の依頼で翁という姓の職人さんがこの像を新しく作成し、その後に黄獻鐘という人が彩色を施したそうです身体は青くペイントされていて、右前脚で球を押さえていますにほんブログ村...
2019年台湾風獅爺の旅 風獅爺コレクションその112 上庫天后宮の風獅爺
青岐蘭亭別墅、青岐碉堡などを見学した後、上庫天后宮までやって来ました御廟の前の池のそばに風獅爺がいました池の方を向いています背の高さは60cmくらい、座った姿勢のおそらく雄の石像です設置の目的は水を鎮めるためにほんブログ村...
南門からバイクで3分ほど走ると西門に着きますパッと見は上に上がれそうだったのですが、特に階段などはなかったです。残念なり~西門の位置から見た風景にほんブログ村...
城門を満喫したので水頭集落へと向かいます水頭集落は「金水」とも呼ばれ、姓が「黄」の人が最も多い集落なのだそう確かに下調べをした時にやたら黄姓の建物がたくさんありました水頭はかなり裕福な集落であったため、美しい建物が多いのだとか「有水頭富、無水頭厝(水頭村の人のようにお金持ちになったとしても、水頭村ほどの立派な家を持つことは難しい)」という言葉もあるんだそうです水頭集落で一番最初に訪れたのは黄天露宅...
黄天露宅からすぐのところにある黄乃甫番仔厝番仔厝とは華僑が立てた洋風建築のことです私が調べた時には民宿として営業しているとあったのですが、入口も閉鎖されているし、けっこうな荒れようで使用されている雰囲気ではありませんでした実はここのお庭に1体風獅爺がいるはずだったのですが、見つけることはできませんでした撤去されちゃったのかなぁ?にほんブログ村...
水頭集落を回るにはバイクよりも徒歩の方が便利だと思いますそこでバイクを駐車するために金水國小へ行きました(ここにバイクの駐輪場があるのです)水頭の黄氏一族は教育を重視しており家廟内で勉学を教えていましたが、学生の数が増えてしまいました。そこでインドネシアの華僑に出資を募ったところ、黄獻量さんが金門に派遣されて学校の建設にあたり、1932年に完成しました羽を広げ飛翔する鷹純潔を象徴する天使「回」の字型の...
金水國小の近くには有名な建物がたくさん建っています今度はこれらを回っていきましょう【黄金龍・黄廷瓢・黄廷宙父子洋楼】1930年建設現在はレストランとして営業していました【得月楼】1931年建設黄輝煌さんがインドネシアで財を成した後、中国福建の職人の陳南安に設計を依頼して建てた碉楼です当時は水頭集落で最も高い建物だったそうです当時は治安が非常に悪い状況だったので、盗賊から守るための防御機能が供えられています...
得月楼に続いた形で建っているのは黄輝煌洋楼です1931年建造で、水頭の黄一族の建てた洋楼の中で最も壮観な建物といわれています前述の得月楼もこの黄輝煌洋楼一部なのだそうですこの建物は実は盗賊を引き付けるための囮用で、本当に使用していたのはその隣の建物だったのだそうこちらが実際に使用していた方の建物ちょっと分かりづらいので模型で説明します建物上部の装飾の中に「民國二十年」とあるのは、この建物が建てられた年...
2019年台湾風獅爺の旅 黄永遷・黄永鑿兄弟洋樓(現風獅爺文物坊)
黄輝煌洋楼のお向かいに建っているピンクの建物は黄永遷・黄永鑿兄弟洋樓(現風獅爺文物坊)です1934~1935年建造黄永遷・黄永鑿兄弟がインドネシアで財を成し、金門に戻って建てました二落大厝(母屋が2つある)で二櫸頭(廂が二つある建物)文物坊とあったので風獅爺の博物館か何かかと思って入ってみたのですが、ただのお土産屋さんでした雨水を流すところは犬(?)と魚ここにも金門のブックスタンドがありましたにほんブログ...
1934年建築黄廷宙インドネシアの石油で財を築いて建てました匪賊の侵入を防ぐため、敷地内に銃楼があるのが特徴的です現在は民宿になっていましたにほんブログ村...
1936年建設一落二﨔頭加左護龍(母屋が一つで、廂が二つある建物に左側庇を加えた建物)ここは金門から南洋に渡った華僑についての文物を展示しています外観は洋館ですが、入口は伝統建築でした水頭集落にある洋楼についての模型お風呂場です雨水を流すところは魚と象さん僑郷文化展示館8:30~17:00にほんブログ村...
黄順圖が1921年に建てた番仔厝(華僑の建てた洋風建築)です現在は民宿として営業しています日本製のマジョリカタイルが装飾に使われていますにほんブログ村...
1921年建設二落大厝(母屋が二つある建物)右護龍(右に廂がある)現在は民宿として使われています入口にミニ風獅爺がいましたにほんブログ村...
1925年建設インドネシアで財を成した黄文東さんが金門に戻って建てた二落大厝(母屋が二つある建物)装飾に日本のマジョリカタイルが使われています黄文東宅の前の家の壁に「精忠報國」の文字が書かれていましたにほんブログ村...
あちこち歩いている間にお昼の時間になりました水頭集落の中で飲食ができる場所は数軒しかなく、選択肢は限られています私たちは金道地小吃店に入ることにしました店内はかなり広かったです。私たちの他はほとんど大陸からのお客さんでしたすんごい早さで出てきた青菜炒め 注文してすぐにサーブされてビックリにんにくがかなり効いていました炒飯これがまぁ出てくるまでに待たされたこと(´-∀-`;)さきに出てきた野菜炒めを食べ終...
水頭集落から古崗に移動してきましたここにも古い石敢當があるというので行ってみました蔡さんのお宅の壁にあるらしいというので探してみたら、細い道の奥のお宅の壁にありました!泰山石敢當の文字が刻まれていますね~にほんブログ村...
清朝末期にシンガポールで財を成した董石獅さんが甥の董金國・董金鐘・董金圖の3兄弟と共同出資し、董石獅さんの弟で3兄弟の父である董詩揚さんの監督で建てられた二落大厝二護龍(母屋が二つある建物)天使の装飾日本製のマジョリカタイルがたくさん使われていましたにほんブログ村...
1933年建設董一族が出資して作られた学校です赤レンガが美しい、保存状態の良い建物でした屋上の端っこに石獅子がいました~(^0^)にほんブログ村...
この建物は数少ない、華僑ではなく金門で財を築いた董光得さんの建てたものです草が深すぎて、正面に回り込むことができませんでした(´Д⊂ヽにほんブログ村...
古崗から珠山集落へとやって来ました。珠山は薛姓の一族が多い集落です1865年に薛学翰さんがフィリピンで一財産を築いて後、珠山から続々とフィリピンに赴く人が出たそうです今回ここで3軒の薛姓のお宅を訪ねました。一軒目は薛芳見洋楼です1931年建設の五脚基洋楼です当時の金門の沿海部は海賊の被害が大きく、財産を持つ華僑の家は常に狙われていました洋楼の多くは高台に建設され、防御機能を備えていましたここは日本統治時代...
薛姓建物2軒目はこちら、薛永邁洋楼です1929年建設一落二﨔頭加右護龍(母屋が一つで、廂が二つある建物に右側庇を加えた建物)薛永邁さんがシンガポールから帰国した後に建てました現在は民宿として活用されていますこの薛永邁洋楼の近くに石敢當が2つ設置されています一つ目は洋楼の裏手の壁下部に設置されたものシンプルに石敢當と刻まれていましたもう一つは洋楼の対面の建物の壁にあるもの化煞大將軍と刻まれています化煞=化殺...
三落大厝とは二落大厝の前或いは後にもう一落を増築するスタイルで、珠山集落で見られるものです珠山集落には2軒三落大厝があるのですが、池を挟んで低い位置に建っている方を下三落と呼んでいるそうです珠山集落の様子にほんブログ村...
薛姓のお宅、ラストは薛永南兄弟大楼です1928年建設薛永南兄弟がフィリピンで事業で成功を収めた後、帰国してから建てたものです現在は民宿として使用されていますにほんブログ村...
電動バイクで移動すること10数分、欧厝集落へとやって来ました欧厝集落」には閩南の伝統建築群が残っています集落は庫池によって上・下社に分かれ、村人の苗字は全て「欧陽」です上社は二落大厝(母屋が二つある建物)群がメインで、下社は一落四﨔頭(母屋が一つ、廂が四つ)の民家が多いそうですそんな欧厝集落にある一軒の民家の壁に石敢當があるのを見つけましたまだ新築っぽい感じのお宅ですね~プレートタイプの石敢當が埋め込ま...
2019年台湾風獅爺の旅 欧陽鐘遠洋楼 古蹟のカフェで一休み
石敢當から少し走ったところに立派な洋楼が見えてきました1918年建設欧陽鐘遠がシンガポール・マレーシアなどでの商売で財を成した後、故郷に戻って建てたものですその豪華な様子から「欧厝大楼」と呼び讃えられたそうです2つの旗は中華民国国旗と国民党党旗を表しています獅子が宝鏡を銜えている装飾中に入ってみました現在この建物はカフェとして営業していましたこの日は結構暑く、あちこち動き回ってヘトヘトだった私たち見学...
欧陽鐘遠洋楼からバイクで走ること約5分、薛清江宅に到着しました1935年建設二落大厝(母屋が2つある建物)この建物の裏側の壁に石敢當がありました石敢當と刻まれていますにほんブログ村...
昔果山風獅爺に向かう途中で見かけた古い洋楼正面に回り込んでみました現在もどなたかが住んでいらっしゃるようでしたにほんブログ村...
こちらも昔果山風獅爺に行く途中で発見した民家です時計と獅子ピンクとペパーミントグリーンのタイルがキュートにほんブログ村...
昔果山風獅爺から官裡風獅爺に向かう途中、小西門集落に一風変わった古蹟があります【小西門模範厠】1917年建設小西門集落出身の呉朝坪さんは30歳を過ぎた頃にインドネシアのスマトラ島で働き、財を成した後に故郷に戻り、3軒の二落大厝(母屋が2つある建物)を建設しました最初の家は1903年に完成したのですが、家の前にはいくつかの屎礐(穴を掘り木を渡しただけの旧式のトイレ)がありました。呉朝坪さんは衛生上の問題があると...
タイトルに陳振芳古厝と入れましたが、実は石敢當を探すのに必死になっていて、この建物の写真を撮るのを忘れてしまったという(-_-;)というわけで、石敢當の写真だけUPしますね~陳振芳古厝の裏の壁に石敢當がありますシンプルに石敢當と刻まれていますもう一つ、陳振芳古厝のご近所の家の壁にある石敢當こちらも石敢當の文字のみなんか今にも牆から剥がれてしまいそうで、ヒヤヒヤします(゚◇゚;)にほんブログ村...
この日は金門島の西南側を回りましたが、金城鎮の近くまで戻って来ましたこの辺りに金門観光で有名な場所があるので寄っていくことに莒光楼 1952年建設中国風の3階建ての建物です八二三砲戦で戦果をおさめた部将の栄誉を称えて建てられました一階には映写スペースがありました蒋介石が唱えた「毋忘在莒(莒に在ることを忘るるなかれ)」毋忘在莒:春秋戦国時代の中国の故事成語で、「昔の苦難を忘れるな」という意味大砲のレプリカ...
莒光楼を見学して金城の街中に戻ってきましたちょっと小腹がすいたので、清金門鎮總兵署の近くにあるかき氷屋さんに行ってみることにこのお店の名前は總冰署總兵署と總冰署は声調は違いますが、発音が同じ(zong bing shu)で、總兵署にあやかってこんな店名にしたんでしょうね~芒果雪花冰(マンゴーミルクかき氷)色んなメニューがありましたが、無難にマンゴーかき氷を頼みましたマンゴーはやや少なめですね~(^_^;)イクラみた...
一日めいっぱい動き回ってヘトヘトになったので、晩ご飯は近場で済ませようということになりました(写真はfacebookからお借りしました)ホテルからバイクで7分ほど走ったところにある光頭厨房さんで、日本式のカレーが食べられると聞き、思わず行ってしまいましたたーさんが注文した日式豬排(日本風オムレツカツカレー)トンカツはサクサクに揚がっていましたカレールーが若干塩分控えめだったかな~。辛さはそんなに辛くなかっ...
金門での4日目の朝を迎えましたこの日はかなり朝早くに出かけるため、ホテルでの朝食は頼まず電動バイクで民権路を下ること2分、早朝から開いているハンバーガーショップにやって来ました拉亞漢堡は2002年に創立の、台湾中に支店があるバーガーショップです朝の5:30から開いているので、今日の予定にちょうどいいということで決めましたカウンターで注文して待つこと10分……15分……、一向に料理が出てこない(-_-;)これじゃあファス...
2019年台湾風獅爺の旅 7-ELEVEN金寧門市はちょっと面白い
朝食を済ませたら出発です!環島北路二段を東へと進むこと約3km、7-ELEVEN金寧門市にやって来ました何故にセブンイレブンへ? と思われる方が多いでしょう別に買物をしに行ったわけではありませんよ~(^0^)このセブンイレブンにはある秘密があるんですお分かりになりますか? もうちょっとUPにしてみましょうなんとこのセブンイレブン、住所が「711」なんですよ~ヾ(*´∀`*)ノ偶然なのか、意図してここに建てたのか分かりませ...
セブンイレブンから少し行ったところにきれいな洋楼があります1920年建造翁贊商さんは20歳のころにシンガポールで起業し、シンガポールとインドネシアの間で貿易を行いました。資金をためて金門に戻り、金門にいた弟の翁贊榮と協力して出亀洋楼(外廊下建築)を建てました。古寧頭戦役の時には国軍がここに指揮本部を置きました。1981年に補修工事が行われ、翁贊榮さんの子孫が住んでいるそうです。現在も使用されている建物なので...
風獅爺を探しながら走ること1時間20分(風獅爺に着いては後日改めて書きますね)斗門風獅爺の手前に陳景成洋楼がありました1946年落成 五脚基(外廊下建築)陳景成さんは若い頃にフィリピンのマニラに渡り、財を成しました。1943年に帰郷し、兄の陳清錶に代わって洋楼を設計建築しました。陳景成さんは故郷に家を建てましたが、生活の大部分はフィリピンで過ごし、洋楼はお兄さんが住んで管理したそうです。にほんブログ村...
陳景成洋楼から斗門風獅爺に向かう途中、道の向こうに素敵な洋楼が見えましたこれは近くで見てみたい!というわけで来てみました~(^0^) こういう時にバイクだと便利ですね~山牆には龍と鳳凰が描かれています黄色い扉がキュート雨水を排水するところは鯉になっていましたにほんブログ村...
バイクを走らせて陽翟老街までやって来ましたここは台湾映画「軍中楽園」が撮影された際に60年代の金門の街並みが再建されたのですが、撮影後もそのまま保存されていますこれらは実際のお店ではなく、ロケ用に改装されたものですにほんブログ村...
陽翟老街から少し移動したところに永昌堂曁浯陽小学校があります1935~36年建造 市定古蹟インドネシアで事業を起こし成功した華僑の陳厚仲さんが華僑仲間からの献金を集めて建てられました中国風と西洋風が合わさった独特な風格を持つ建物になっています永昌堂は1935年、曁浯陽小学校は1936年に完成しましたにほんブログ村...
陽翟風獅爺②に向かう途中に伝統建築がありました1900年以前に建造 二落大厝(母屋が二つある建物)陳篤欽さんが福建籍の大工に依頼して建てられたものらしいこの建物の最大の特徴は、大量に使用されたベトナム製の陶製装飾ですにほんブログ村...
陽翟の街からバイクで走ること約5km、東蕭という場所にやって来ました目的は風獅爺の撮影だったのですが、その背後になにやら洋楼っぽいものがあるではないですか!二軒並んで建っています見た感じ人が住んでいる雰囲気はありませんね~裏側から見たところにほんブログ村...
廃屋を後にして走ること15分碧山集落の入口にある洋楼へとやって来ましたかなり草ボーボーになっていますが、建物自体はきれいに残っているようです1928年落成金門でもかなり早期に建てられた洋楼建築だそうです建物の正面は出亀式(外廊下の中間部分が突出して、亀の頭に似ている)になっていますにほんブログ村...
陳徳幸洋楼の近くに睿友学校が建っていますここは陳徳幸さんと関わりのある建物なんですよ~1934年完成 擬バロック様式2階建てシンガポールで成功を収めた陳睿友さんの死後、その息子さんが同郷の陳徳幸さんに依頼して建てられたものです完成後は近隣の集落から子どもを集めて勉学を教える場にしていたそう山牆には国旗・国民党旗・インド警察・仙鶴などの装飾が施されていますにほんブログ村...