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2018年長崎マンホール修行の旅 須加五々道美術館(南山手乙9番館)
寶製綱のレンガ工場のお隣にも歴史建築があります寶製綱の脇に建物へと続く階段があります明治中期に建設木造2階建て現在は須加五々道画伯の作品を収蔵、展示する須加五々道美術館として使用されています下から見上げた図にほんブログ村にほんブログ村...
2018年長崎マンホール修行の旅 長崎市A001マンホールカードGETだぜ!
大浦天主堂はがっかりでしたが、気を取り直して次の場所に向かいますはい、やって来ました! 南山手地区町並み保存センターです1883(明治中期)頃に竣工英国人ウィルソン・ウォーカーが建てた住宅です 1・2階とも正面に中央部が突出したベランダが設けられています ベランダに面した居室の側面には、ベイ・ウィンドーを用いています中の様子 洋室部分和室もありました階段の装飾も素敵です マンホールカードは入...
南山手地区町並み保存センターから大浦海岸通まで下りてきましたこの通り沿いに二軒歴史建築が建っていますが、今回はそのうちのひとつ、旧香港上海銀行長崎支店をご紹介します1904(明治37)年竣工設計:下田菊太郎施工:矢田鉄三国指定の重要文化財です1931年に長崎支店が閉鎖された後は、梅香崎警察署・大浦警察署・長崎市歴史民俗資料館として利用されたそうです現在は長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館として使用されていま...
2018年長崎マンホール修行の旅 長崎市べっ甲工芸館(旧長崎税関下り松派出所)
大浦海岸通り沿いの歴史建築の2軒目は長崎市べっ甲工芸館(旧長崎税関下り松派出所)です1898(明治31)年国指定の重要文化財です平成2年3月に国の重要文化財に指定され、保存修理工事を経て平成14年に長崎市べっ甲工芸館として公開されました真横から見た図屋根にはドーマー窓がありました素敵な装飾ですね~屋根の淵にアカンサスの装飾にほんブログ村にほんブログ村...
【カピタン部屋】オランダ商館長(カピタン)の事務所や住居として使われ、出島の中で一番大きな建物です日本の賓客が出島を訪れた際の接待の場所でもあったそうです2階から通りを眺めた図1階には船の模型や大砲の展示がありました【乙名部屋】日本側の貿易事務や管理を担当していた役人、出島乙名(おとな)の詰め所となっていた建物です【拝礼筆者蘭人部屋】この建物の2階にオランダ人の首席事務員が住んでいたそうです出島整備...
【旧長崎内外クラブ】1903(明治36)年竣工木造2階建復元が多い出島の中で、ここは昔から建っている建築物になりますグラバー園の回でご紹介した旧リンガー住宅の主、フレデリック・リンガー(ホーム・リンガー商会を設立)が建てたもので、長崎に在留する外国人と日本人の親交の場として利用されました【旧出島神学校】1878年(明治11年)に建てられた、現存する日本最古のキリスト教(プロテスタント)の神学校です【表門】平成...
今回も愛媛・松山に出張編! 国の重要文化財にも指定されている「萬翠荘(ばんすいそう)」に行ってきました。 ただの建物の侮ることなかれ…! 時代の息吹と、金持ちの考える事はよくわからんな…と思わせてくれ
大正モダン建築・旧田中家住宅、見逃せない和洋折衷の魅力【埼玉・川口市】
川口市にある旧田中家住宅は大正時代の本格的な洋館建築です。煉瓦造3階建の洋館を中心に、和館や庭園が備わる。国重要文化財に指定された建物内部も見学できます。川口の産業の歴史にも触れられる、旧田中家住宅をご紹介します!
得月楼に続いた形で建っているのは黄輝煌洋楼です1931年建造で、水頭の黄一族の建てた洋楼の中で最も壮観な建物といわれています前述の得月楼もこの黄輝煌洋楼一部なのだそうですこの建物は実は盗賊を引き付けるための囮用で、本当に使用していたのはその隣の建物だったのだそうこちらが実際に使用していた方の建物ちょっと分かりづらいので模型で説明します建物上部の装飾の中に「民國二十年」とあるのは、この建物が建てられた年...
金水國小の近くには有名な建物がたくさん建っています今度はこれらを回っていきましょう【黄金龍・黄廷瓢・黄廷宙父子洋楼】1930年建設現在はレストランとして営業していました【得月楼】1931年建設黄輝煌さんがインドネシアで財を成した後、中国福建の職人の陳南安に設計を依頼して建てた碉楼です当時は水頭集落で最も高い建物だったそうです当時は治安が非常に悪い状況だったので、盗賊から守るための防御機能が供えられています...
水頭集落を回るにはバイクよりも徒歩の方が便利だと思いますそこでバイクを駐車するために金水國小へ行きました(ここにバイクの駐輪場があるのです)水頭の黄氏一族は教育を重視しており家廟内で勉学を教えていましたが、学生の数が増えてしまいました。そこでインドネシアの華僑に出資を募ったところ、黄獻量さんが金門に派遣されて学校の建設にあたり、1932年に完成しました羽を広げ飛翔する鷹純潔を象徴する天使「回」の字型の...
黄天露宅からすぐのところにある黄乃甫番仔厝番仔厝とは華僑が立てた洋風建築のことです私が調べた時には民宿として営業しているとあったのですが、入口も閉鎖されているし、けっこうな荒れようで使用されている雰囲気ではありませんでした実はここのお庭に1体風獅爺がいるはずだったのですが、見つけることはできませんでした撤去されちゃったのかなぁ?にほんブログ村...
城門を満喫したので水頭集落へと向かいます水頭集落は「金水」とも呼ばれ、姓が「黄」の人が最も多い集落なのだそう確かに下調べをした時にやたら黄姓の建物がたくさんありました水頭はかなり裕福な集落であったため、美しい建物が多いのだとか「有水頭富、無水頭厝(水頭村の人のようにお金持ちになったとしても、水頭村ほどの立派な家を持つことは難しい)」という言葉もあるんだそうです水頭集落で一番最初に訪れたのは黄天露宅...
北門から少し走ったところに古い洋楼があるというので行ってみましたフィリピンで雑貨店を営み財を成した陳清海さんが1935年に金門に帰って来て立てたお宅です金門の中でもかなり古い時期に建てられた洋楼だそうです特に補修等は行われておらず、かなりボロボロになってましたにほんブログ村...
時間から取り残されたような明遺古街の中に不似合いな洋館が建っています1933年落成黄天佑さんがシンガポールから金門に戻ってきて建造した物ですパッラーディオ建築様式で建てられたと説明看板に書いてありました彼はここで診療所を開いていたようです以前は見学できたようですが、私たちが訪れた時は閉まっていましたにほんブログ村...
今回の旅の主目的は風獅爺を見に行くことですなので行く先々で風獅爺を撮影して回っているのですが、それについては後日改めてご紹介する場を設けますね~今回はそれ以外の道中で見かけたものについて書きたいと思います下湖像風獅爺①から②に向かう間にあった古い洋楼民家です田埔風獅爺の近くにあった門の跡下莊水尾塔(下荘地区の水尾塔)水尾塔は風獅爺と同じような避邪物(魔除け)で、風や水の害から地域を守る役割を持ってい...
湖前風獅爺の近所にあった2棟建てっぽい形の古い洋楼民家です陳酙六路大厝ベトナムで財を築いた陳酙さんが立てたお宅で、建築材料は全て泉州から運んできたものだとか陳景蘭洋楼の近所にあった古そうな洋楼民家にほんブログ村...
金門からシンガポールに渡り財を成した陳景蘭さんが4年の歳月をかけ、1921年に落成した邸宅が陳景蘭洋楼です。金門で最も大きな洋楼で、金門華僑が故郷に建てた「番仔楼」と呼ばれる邸宅の代表作といわれています西洋風の真っ白な外観がとても素敵ですね~✨バルコニーからの風景お隣に建っている覺民堂「金門縣姓氏源流在金湖特展」という企画展をやっていました覺民堂の入口にいたかわいこちゃん洋楼の前には海が広がっていました...
陳景蘭洋楼から少し走ったところに象徳宮があり、その御廟の敷地内に洋風の楼閣が建っています尚卿碉樓この建物がある成功里は昔は尚卿と呼ばれていました1921年に落成の陳景蘭洋樓は成功里の繁栄の証でしたが、その富を狙って大陸からの盗賊を招き寄せることにもなってしまいました。地域の安全のため、陳景蘭洋樓の建築時に余った建材を使って、高台に碉樓(高さのある楼閣)を建設しました。その際に成功里の旧称をとって尚卿碉...
養拙楼(蔡嘉種紀念館)シンガポール華僑の蔡嘉種さんの長男蔡景榮さんが1920年に金門に帰郷してから建てたものです伝統的な閩南建築に洋楼を合わせた建物ですずいぶんきれいな建物ですが、2017年に修復工事が行われ、蔡嘉種紀念館としてオープンしたということです洋楼部分の側壁に、「獨立作戦」「自力更生」「堅持到底」「死裏求生」の軍事標語が書かれていますにほんブログ村...
【瓊林村辦公室&瓊林民防館】瓊林村辦公室ここも坑道の見学をやっていたようですが、時間が合わずパス瓊林民防館【紹軒居】金門最大の壁面風獅爺の近所で見かけた洋楼【一門三節坊】1831年建造 国家三級古蹟3人の寡婦のことを讃えるために建てられたそうな【金門酒廠のオブジェ】にほんブログ村...
今更だけどマイホーム13【どこで建てる?ハウスメーカー?工務店?決め手になったもの】
さて。注文住宅。どこにお願いするのが良いのかも分からず、手探りで色んなハウスメーカーや工務店などをあたっていたわけですが、資料請求から、実際に足を運んで詳細を確認したりしながら、数社に見積もりを依頼後、最終的に2社に絞り込みました。 A社・
今更だけどマイホーム⑤【完璧な土地などありません。最終的にこだわった条件と妥協点】
面倒くさがりの我が家まさかの注文住宅。仕事や母のこと、子供達のこと、仏検、今でも時間が足りないのに、そこに+家づくりとなると、正直モチベーションが追いついてこない。しかし、やらなきゃないと人間やるしかないようにできているのか、あれこれどうに
二件、いっきに出てきた土地のうち 土地① 第二種中高層住居専用地域(用途地域) (スーパーや学校、病院、飲食店など比較的大きな建物が建てられる利便性が高い地域。) 以前から、この辺に住めたらな〜!と思っていた地域で、立地が良い。スーパー、図
今更だけどマイホーム③【餅は餅屋。第一希望は建売り。だがしかし…】
自分の中で新築戸建てでも、中古物件でも、マンションでも気に入ればどれでも良かったのですが、注文住宅だけは、予算オーバーになりそうなのでなるべく候補から外していました。 家は3回建てなければ満足いかないとよく言われていますが、あれやこれやと決
今更ながらマイホーム②【卵が先か鶏が先か。夫の意見。私の意見。】
マイホームというと、なんだかワクワクする家族の一大イベントのような感じもしますが、私は家族の安心の居場所を早く確保しなくちゃという感じで、楽しいマイホーム探しとはほど遠い、どちらかというと義務感に追われていた感じでした。 家を買う=大きい保
どんなお家に住みたいですか? マンション派か戸建て派か、近年は色々と意見が分かれるところではあるようですね。 子育てがしやすくて利便性が整っていて自然も多いところなどなど、理想をあげたらきりがありませんね。 これまで私も、賃貸にずっと住んで
岩手銀行赤レンガ館を出たら雨もほぼ止んでいました。だらだらと歩いて寄り道をしながら盛岡駅まで戻ります。盛岡の自慢 啄木&賢治最初によったのは岩手銀行赤レンガ館のすぐ近くにある素敵な洋風建築。こちらの建物も元銀行で、旧第九十銀行本店本館です。
岩手銀行赤レンガ館に到着しました。今でも岩手銀行が管理する建物で、なんと2012年まで実際に銀行として営業していたそうです。特徴的な赤いレンガがかわいいですね。なんか見たことあるような、東京駅に似ているような。。。って、その通り、東京駅こと
先月お引越しをした我が家。 ピヨの生活環境をなるべく変えないというポリシーの元、前の家から徒歩10分、直線距離600メートルほどの「近所」、奥沢4丁目から2丁目にに引っ越しただけなのですが…
次にざっくり背景線画に対して加筆修正しつつ、ベタも加えてきます。 ▼背景はキャラ画と違ってあらゆるとことろに様々な定規を使います。 ▼ベタをベタベタ…根詰め作業です、まだ背景線画が終わらない…。 ▼ようやく線画完了! 以前まる8時間かけて背景線画仕上げたことがあります...
「宮城県県民の森」の「青少年の森」のところにある「2号展示館(明治時代洋館)」です。もとは仙台中心部にあったのをここに移築したという可愛らしさのあるきれいな建物。紅葉としては晩秋といったふうだったけど、落ち葉の中に見るこの建物もとてもきれいでした。もしかしたら、ここは秋の風景が一番いいかな。
ハイカラ&モダンな洋風建築を愛でる。──弘前市内散策・前編。(秋の東北満喫の旅 その10)
12時40分弘前発の五能線に乗れなかったせいで、津軽・金木にある太宰治の生家を見そびれてしまった。彼の父が明治40年に建てた大豪邸は和洋折衷。入母屋造りの...
青葉区の土樋(つちとい)にある東北学院大学・土樋キャンパス沿いの道路を歩いていたら、大学敷地内に建つ古びた薄ピンク色の洋館が見えました。敷地内には入れないから、柵越しにその建物を眺めてきました。道路から撮った画像。 『東北学院旧宣教師館「デフォレスト館」』というそうです。こういった建物があったんですね。 初めて存在を知りました。