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2013年夏だ!台湾縦断旅 迪化街にある大千百貨(旧亞細亞旅館)
本来なら旅のラストについての記事をUPするはずでしたが、書きもらしたことがあったのでここに割り込んじゃいます(;^_^A最終日に迪化街に買い物に行った時に歴史建築を見かけました帰国後に調べてみましたこの場所は元々は日本統治時代に台湾総督府専売局の平屋のタバコ倉庫が建っていたそうです倉庫が取りつぶされた後、3階建て5軒連なった形の亞細亞旅館(亜細亜ホテル)に建て替えられましたが、3年後に不況のあおりを受けて廃...
今回の台湾旅行も残りあと2日まずは朝ご飯を食べに行こうとホテルを出ました朝ご飯を食べようと思っているお店に行く途中で西門紅楼の前を通りかかりましたまだOPEN前の時間なので人もいません赤レンガがいい味出してますそういえば今回の旅で紅楼の中には入らなかったな~それでは朝ご飯屋さんに向かいましょう!にほんブログ村...
2018年長崎マンホール修行の旅 大浦天主堂は工事中&長崎市A001座標マンホール蓋
岩崎本舗で小腹を満たしたので、次の場所へと移動しますお店の前の坂道を登り切ったところに大浦天主堂があるのですががび~んΣ(゚д゚lll) 工事中……だと?!旧羅典神学校中には入れるみたいでしたが、せっかくなら完全体を観たいので今回はパスすることにというわけで、坂を逆走してロシア領事館通りに向かいました目的はこちら、長崎市A001座標マンホール蓋ですカトリック大浦教会の近くにあります中央に長崎市の市章、市の花のア...
2013年夏だ!台湾縦断旅 台中公園を散策③臺灣燈會吉羊康泰主燈&放送電台擴音台
雨足が強くなる中をさらに歩いていると、なにやら不思議な山羊の像が見えてきました説明書きによると、2003年に開かれた臺灣燈會(台湾ランタンフェスティバル)の際のメインランタンで、「吉羊康泰」(吉祥の台湾山羊が健康と幸福を祝う……かな?)というタイトルがついているそう 中華圏の干支って、未年の動物が山羊だったり羊だったりどちらでもいいのかなぁ?遠くからだと分かりづらいのですが、近くで見ると金属を編み込...
さて、美味しいかき氷で涼んだところで城隍廟散策と参りましょう(* ̄0 ̄)/ 城隍廟の前に小さな広場があるのですが、そこに「龍鯉」の像がありましたその時は何でこんな物があるのか不思議だったのですが、「鯉穴口」伝説に由来するものだったんですねここはもちろん城隍廟なのですが、その周辺は屋台が所狭しと並んでいるグルメスポットなんですいろんなお店があって目移りしてしまいますが、何はともあれ城隍廟にお参りしな...
前回から引き続き、新竹都城隍廟にお参りしたことについて書いていきますそれでは御廟の中に入ってみましょう中に入ってすぐのところに陰陽司公の像があります陰陽司公は左の顔と手が黒、右の顔と手が白く塗られた特徴的な外見をしています城隍爺の秘書長の役割をしています白黒の色は陰陽を審理し、善悪をはっきりさせることを表しているそうです 謝将軍と范将軍(七爺八爺)の像この神様お2人は、悪霊を捕縛する警察官のよ...
マンホールサミットin岡崎に行ってきました!㊸加茂駅のランプ小屋
柘植駅を40分くらい遅れて出発し、次の乗換駅の加茂駅までやって来ました(駅舎の写真を撮り忘れてしまいました^^; )乗り換える電車の発車時刻までまだ20分以上あったので、駅の近くにあるランプ小屋を見に行くことに駅を出て左側に向かって歩くとすぐに見つかります1897年(明治30年)竣工赤レンガ造 切妻屋根加茂駅は明治30年に関西(かんせい)鉄道の駅として開業しました関西鉄道は加茂と奈良を結ぶ約10kmの路線で、東大寺の...
マンホールサミットin岡崎に行ってきました!㉞津島市A001マンホールカードGETだぜ!
津島市の座標マンホール蓋を撮影したら、歩いて次の場所に向かいました天王通りから津島上街道に入ってわりとすぐのところに津島市観光交流センターがありますここで津島市のマンホールカードを配布しているんですよ~(*^-^*) 1929年(昭和4年)竣工鉄筋コンクリート造2階建国登録有形文化財に指定されています名古屋銀行津島支店→津島信用金庫本店として使用された銀行建築です「復興式」と呼ばれる建築様式で建てられていま...
マンホールサミットin岡崎に行ってきました!㉖岡崎信用金庫資料館(旧岡崎銀行本店)
マンホールサミット関連の記事は書き終わりましたが、岡崎市ではその他にレトロ建築も何軒か見たのでそれについて書こうと思います東岡崎から歩いてサミット会場に向かう途中、中央緑道を抜けて籠田公園の手前に来たあたりで立派な歴史建築が見えました(´⊙ω⊙`)時間に余裕があるので、寄っていくことに1917年竣工設計:鈴木禎次鉄筋コンクリート造、2階建一部3階、スレート葺国登録有形文化財に指定されています 設計...
阿柑姨芋圓を出て次の場所へと向かいます階段の途中に旅游服務中心(観光ガイドセンター)がありました石畳に設置された行先案内板 豎崎路と軽便路が交わっているところまで階段を降りてきました そこにあるのが昇平戯院です昇平戯院は元々は1914年に基山街106号に建てられていましたが、台風で倒壊してしまいましたそこで1934年に現在の場所に新しい建物が建てられ「昇平座」と名付けられました1951年に「昇平座」が「昇平...
2013年夏だ!台湾縦断旅 猴硐猫村はにゃんこ天国でした(=^・^=) ⑭猴硐坑休閒園区
瑞三大橋(運煤橋)を渡った先にあるのが猴硐坑休閒園区です実はここ鉄道ファンの方に有名な場所のようで、猴硐坑の採掘に使用されたトロッコに乗ることができるんですって✨……なんですが私たちが訪れたのは月曜日、休館日だったのでしたΣ(゚д゚lll)あ~トロッコ乗ってみたかったなぁ入り口には竹製の「許願筒」(日本の絵馬みたいなもの)が下げられていました 採掘に使用した機械園内には入れなかったので入口付近を撮影しました...
2013年夏だ!台湾縦断旅 猴硐猫村はにゃんこ天国でした(=^・^=) ⑬瑞三大橋(運煤橋)
猫村や侯硐駅から基隆河を挟んだ対岸に移動するには、瑞三大橋(運煤橋)を渡らないといけません昔、石炭を炭坑から選炭場まで運ぶのにディーゼル機関車を使用していました運煤橋はそのために建設された橋なのだそうです元々は3階建ての選炭工場に隣接している鉄橋で「三階鉄橋」と呼ばれていたのですが、1965年8月に鉄筋コンクリートのアーチ橋に改築され、その際に「瑞三大橋」という名前になったそうです前回のブログで書いた瑞三...
2013年夏だ!台湾縦断旅 猴硐猫村はにゃんこ天国でした(=^・^=) ⑫瑞三整炭工場跡
願景館のお隣には瑞三整炭工場の建物が残されています瑞三整煤廠(瑞三整炭工場)説明書きのプレートによると、猴硐への線路開通に合わせて1920年(大正9年)に建設された選炭工場で、日に500㌧の選炭が可能な選炭機が2台設置されていました(当時は台湾唯一の選炭機器でした)網目一吋(2.54cm)のものでまず選別を行い、次に電力で選炭機を動かして選別、最後に女工さんの手作業で混じった石などを取り除いてから貨物車へ搬出す...
2013年夏だ!台湾縦断旅 猴硐猫村はにゃんこ天国でした(=^・^=) ⑪旅游資訊中心
願景館の端の方に赤レンガ造りの建物がありますこちらは現在は旅游資訊中心(ツーリストセンター)として使用されています元々は整煤廠辧事處(整炭事務所)だった場所です説明書きのプレートによると、俗に「炭場事務所」と呼ばれていて、1935年(昭和10年)竣工ここは瑞三公司の石炭生産販売業務においての最後の事務所となりましたここでは石炭選別・石炭洗浄作業や品質管理が行われ、顧客の注文があれば鉄道局専用の石炭運搬車...
かつて物流の中心地として栄えた熊本県山鹿市には、当時の繁栄を今に伝える建築物がいくつもあります。今回はその中でも、とくに有名な「八千代座」という芝居小屋をめぐっていきます。この八千代座は1910(明治43)年、山鹿の実業家たちによって建てられました。娯楽の中心地として長く、歌舞伎などの用途に供されたそうです。やがて、芝居小屋としての役目を終えると、建物はそのまま廃墟となり、更地化を待つばかりとなりました...
熊本県山鹿市の中心部をぶらり散策(八千代座通り~千代の園酒造)
熊本県北部の温泉地、山鹿市の中心部をめぐっていきます。一帯は薩摩街道(豊前街道)の宿場町として古くから栄えてきました。温泉地としての開発も行われたことで、人・物資が集まる場所として機能しました。街道沿いはレトロタウンとして整備されており、明治・大正期に建てられた建築物がいくつも残っているそうです。今回は街道筋を進みながら、そのいくつかを見ていきたいと思います。▲山鹿灯篭民芸館(旧安田銀行山鹿支店)...
マンホールサミットin岡崎に行ってきました!②湖西市マンホールカードGETだぜ!
新居町駅前の座標マンホール蓋から歩くこと約8分ほどで目的地に到着です やって来たのは新居関所史料館というところ新居関所(今切関所)は1955年に特別史跡の指定を受けています1971年には解体修理が行われ、全国で現存する唯一の関所建物なのだそうですこちらでマンホールカードが配布されているので、いただきに来ました(*^-^*)マンホールカードGETだぜ!お手洗いがお城になっていました(^0^)にほんブログ村に...
香川ヤドンマンホールの旅(16) 粟島海洋記念館(旧粟島海員学校教室)を見学だぜ!①
粟島にも歴史建築があります粟島海洋記念館本館(旧粟島海員学校本館)1920年(大正9年)竣工 ❖登録有形文化財明治30年に我が国最初の海員養成校として開校1920年(大正9年)竣工 ❖登録有形文化財粟島海洋記念館研修棟(旧粟島海員学校教室)にほんブログ村にほんブログ村...
香川ヤドンマンホールの旅(17) 粟島海洋記念館(旧粟島海員学校教室)を見学だぜ!②
粟島海洋記念館の中に入ってみましょう建物2階にある講堂エンブレムが刻まれています1階には日比野克彦さんが開いた「ソコソコ想像所」がありました学校の歴史が展示されている部屋1920年(大正9年)竣工 ❖登録有形文化財粟島海洋記念館武道場(旧粟島海員学校柔道場)清国戦艦鎮遠の艦鐘建物の外に置いてありましたにほんブログ村にほんブログ村...
2019年台湾風獅爺の旅 黄永遷・黄永鑿兄弟洋樓(現風獅爺文物坊)
黄輝煌洋楼のお向かいに建っているピンクの建物は黄永遷・黄永鑿兄弟洋樓(現風獅爺文物坊)です1934~1935年建造黄永遷・黄永鑿兄弟がインドネシアで財を成し、金門に戻って建てました二落大厝(母屋が2つある)で二櫸頭(廂が二つある建物)文物坊とあったので風獅爺の博物館か何かかと思って入ってみたのですが、ただのお土産屋さんでした雨水を流すところは犬(?)と魚ここにも金門のブックスタンドがありましたにほんブログ...
得月楼に続いた形で建っているのは黄輝煌洋楼です1931年建造で、水頭の黄一族の建てた洋楼の中で最も壮観な建物といわれています前述の得月楼もこの黄輝煌洋楼一部なのだそうですこの建物は実は盗賊を引き付けるための囮用で、本当に使用していたのはその隣の建物だったのだそうこちらが実際に使用していた方の建物ちょっと分かりづらいので模型で説明します建物上部の装飾の中に「民國二十年」とあるのは、この建物が建てられた年...
金水國小の近くには有名な建物がたくさん建っています今度はこれらを回っていきましょう【黄金龍・黄廷瓢・黄廷宙父子洋楼】1930年建設現在はレストランとして営業していました【得月楼】1931年建設黄輝煌さんがインドネシアで財を成した後、中国福建の職人の陳南安に設計を依頼して建てた碉楼です当時は水頭集落で最も高い建物だったそうです当時は治安が非常に悪い状況だったので、盗賊から守るための防御機能が供えられています...
南門からバイクで3分ほど走ると西門に着きますパッと見は上に上がれそうだったのですが、特に階段などはなかったです。残念なり~西門の位置から見た風景にほんブログ村...
残存城壁からすぐ近くの場所に南門があります南門は現在は金門酒廠の入り口になっていますかなり立派な門でですね~。工場の入口だったので登ることはできませんでしたにほんブログ村...
明遺古街の入口にあたるところに北門がありました堂々とした佇まいです門の上に登ることもできます上からは明遺古街を眺められますよ~ここにも風獅爺♡にほんブログ村...
特約茶室と聞いて喫茶店やカフェを思い浮かべる方もいらっしゃるかと思いますが、全く違いますここはまたの名を「軍中楽園」と呼ばれた慰安所だった場所なんです当時の金門には金城総室の他、山外・沙美・小徑・成功・庵前・東林・青岐・后宅・大膽などの分室がありました私たちが訪れたのはこの中の小徑にあった特約茶室ですちょっとした南国のヴィラみたいな雰囲気の建物です当時の状況と特約茶室の役割についての説明部屋の中を...
金門からシンガポールに渡り財を成した陳景蘭さんが4年の歳月をかけ、1921年に落成した邸宅が陳景蘭洋楼です。金門で最も大きな洋楼で、金門華僑が故郷に建てた「番仔楼」と呼ばれる邸宅の代表作といわれています西洋風の真っ白な外観がとても素敵ですね~✨バルコニーからの風景お隣に建っている覺民堂「金門縣姓氏源流在金湖特展」という企画展をやっていました覺民堂の入口にいたかわいこちゃん洋楼の前には海が広がっていました...
晩ご飯を食べ終わったので、目の前にある金門鎮總兵署に行ってみることにしました【金門鎮總兵署】 国家三級古蹟金門鎮總兵署は元は叢青軒と呼ばれ、1601年に進士となった許獬という人物が学んでいた場所でした康熙年間に總兵(清朝の官職名で、提督の下の位)であった陳龍が總兵署をここに移しました總兵署は軍事を管轄する部署であり、また警察や裁判所の役割も兼ねていたそうです内署明間総兵が部下、幕僚を召集した会議を人形...
2013年夏だ!台湾縦断旅 新竹市文化局影像博物館 ※営業終了
新竹都城隍廟を後にして、北門街のレトロ建築を撮影しながら歩き、中正路を新竹駅方向に進みましたすると何やら古そうな建物があるじゃないですかw(゚o゚)w看板に近寄ってみると、新竹市文化局影像博物館と書いてあります新竹市文化局のサイトによると、ここは1933年にオープンした「有楽館」という名前の、台湾で初めて冷房施設が備わったヨーロッパ式の劇場でした古代ローマ様式とアラビア様式を融合した建築様式で、日本統治時代...
今度は消防博物館から見えていた、新竹一信総社の建物に向かいますここは日本統治時代に新竹信用組合だった場所で、市定古跡になっています外観はかなり年季が入っているので黒ずんではいますが、薄茶色のタイル張りの外壁と、多用されているアーチの形状が柔らかい雰囲気を感じさせる建物ですね~文化部の説明によると、[歴史沿革] 早期の民間の資金流通は「合会(互助会)」(※日本でいうところの「無尽」 互助会は俗に標会 ...
2013年夏だ!台湾縦断旅 新竹市消防博物館(現新竹市消防局)を見学
新竹市政府の前に伸びている中山路を少し歩くと新竹市消防博物館(現新竹市消防局)がありますここは現役の消防署でもあるんですよ~(*^-^*)6階建てで昔の新竹では最も高い建物だったそうです文化部の説明によると[博物館建設沿革] 新竹消防局旧址は台湾全土で唯一完全な形で保存されている消防専門の建築物です この建物は日本統治時代のもので、1937年(昭和12年・民国26年)竣工、地上二階建ての建物と 6階建ての高さの加強...
新竹市議会のお隣に建っているのが新竹市政府ですここは昔の新竹州廳だった場所で、国定古跡(一級古跡)に指定されています中に入って見学もできるようですが、あいにくとこの日は日曜日、外観だけ撮影しました文化部の説明によると、[歴史沿革] 新竹は旧称を「竹塹」といい、一八七五年(光緒元年)に淡水廳を新竹県と淡水県に分ける「淡新 分治」を行い、台北府の管轄に統属させました 「淡水廳城」がすなわち「竹塹城」で、...
香川ヤドンマンホールの旅(44) 児島ジーンズストリートの歴史建築だぜ!①
児島駅からは歩いてジーンズストリートに向かいます途中で見かけた3階建ての木造建築ジーンズストリートに到着です入口には鯉のぼりのようにジーンズがはためいていましたジーンズストリートの入口に歴史建築がありますWOMB BROCANTE 児島本店(旧安田銀行児島支店)1932年頃に建築いかにも~な銀行建築ですね(^^)花崗岩を多用しており、正面のコリント式の円柱が印象的ですにほんブログ村にほんブログ村...
香川ヤドンマンホールの旅(45) 児島ジーンズストリートの歴史建築だぜ!②
ジーンズストリートを歩いて行くと、第二の歴史建築に出会いましたダニアジャパン(旧第一合同銀行味野支店)1924年建築設計:薬師寺主計パッと見大正時代に建てられた、それも銀行建築には見えませんよね~とってもモダンな造りの建物です現在はダニアジャパンというジーンズメーカーが入っていますが、その前は写真館として使用されていたそうですにほんブログ村にほんブログ村...
香川ヤドンマンホールの旅(46) 児島ジーンズストリートの歴史建築だぜ!③
ダニアジャパン(旧第一合同銀行味野支店)の並びに3軒目の歴史建築、桃太郎ジーンズ味野本店(旧味野郵便局)があります木造二階建ての白い建屋はシンプルモダンな感じですね~現在は桃太郎ジーンズの店舗として使用されています側面には巨大なGジャンが飾ってありました桃太郎ジーンズのキャラクターでしょうか?ここの自販機もジーンズ柄でしたにほんブログ村にほんブログ村...
黒猫包で美味しい肉まんを食べた後、次の目的地に向かうためにお店の前の通りを進みましたしばらく歩くと古い御廟が見えてきましたここは新竹鄭氏家廟という古蹟なのですが、私たちが訪れた時は修復工事の真っ最中で、残念ですが中に入ることはできませんでした新竹文化局の説明によると、 鄭氏は新竹の名門のひとつで、北門街に位置し、竹塹浯江鄭氏の系統に属しています 1720~1760年の間に金門から台湾に移ってきました 道...
次の場所に向けて歩き始めて5分くらい経った頃でしょうか、何やら赤レンガ造りの建物があるではないですか!修復された跡がありますが、なかなか歴史がありそうです近寄ってみると「新竹市青少年館」とあります青少年センターみたいな感じでしょうか?中では学生さん達が読書中でした(帰国後に調べてみたら、漫画の蔵書がたくさんあったみたいです)建物の入り口には石彫りの看板に「台湾省警務處」と「警察電訊所」新竹分所の文...
2013年夏だ!台湾縦断旅 新竹市美術館曁開拓館(旧新竹市役所)
土城橋を渡ってすぐのところに新竹市美術館曁開拓館(旧新竹市役所)があります新竹市美術館曁開拓館(新竹市美術館及び開拓館)は昔の新竹市役所だった建物です1925年竣工 最初は外観だけ撮影しようかと思っていたのですが、少しだけ中を覗いてみることに1階は新竹の歴史と産業についての展示、2階は美術館になっていましたあまり時間もなかったので1階だけ見学したのですが、残念ながら内部は撮影禁止でした外観は修復工事が為...
2013年夏だ!台湾縦断旅 新光人壽保険会社(旧新竹図書館)
ツーショット記念撮影もしたし、みっちり東門城を堪能した後は文化街を北上します2~3分くらい歩くと新光人壽保険会社の看板がある建物に到着しましたここは昔の新竹図書館だった場所なんですよ~保険会社の持ち物のようですが、現在は営業はしていないもようかなり傷んでいましたが、クリーム色の外壁とえんじ色の窓枠で、カッチリしたイメージの建物なんだけど、どことなく愛らしさが感じられました側面からは建物がばっちり撮れ...
次の場所を目指して、東門街を圓環方向に歩いて行きました圓環の中に大きな門が見えてきました文化部の説明によると、 竹塹城迎曦門は新竹市東区東門街のロータリーのところにあり、竹塹城の現在まで残った唯一の門 です 1827年(道光27年)に着工、1829年(道光9年)に完成しました 淡水同知(清代の官職名)の李慎彝、竹塹巡検(官職名)の易金杓等が工事を監督し、仕紳(※1) の鄭用錫、林平侯の子の林國華、林紹賢...
2013年夏だ!台湾縦断旅 臺灣菸酒公司新竹營業所(旧専売局)
それでは街中散策と参りましょう( ̄Д ̄)ノ 当時の新竹はレンタサイクル店が見当たらなかったので徒歩メインです(2016年以降はYouBikeができました)太平洋SOGOの辺りから民族路を北上しました歩いて移動すること約4分ほどで目的地に到着ですやって来たのは臺灣菸酒公司新竹營業所です前日に行った台湾菸酒股彬有限公司(旧台湾総督府専売局)の新竹営業所であり、旧新竹専売局だった場所なんですよ~1934年竣工で、梅澤捨次郎さん...
香川ヤドンマンホールの旅(52) 玉野市の歴史建築を見に行ったぜ!
帰りの船は20分かかって宇野港に戻ってきました次の目的地までの電車にはまだまだ時間があるので、市内の歴史建築を回ることに旧三宅医院詳細不明住宅街の中にありました装飾はほとんどなくてシンプルな感じ。直線的なデザインですね~ところどころ浅葱色に塗られているのがアクセントになっています旧中国銀行宇野支店1962年竣工現在は無天茶坊という飲茶屋さんとして使用されていますとてもスタイリッシュな銀行建築ですね~にほ...
今回は新竹駅を内側から見てみましょ~p(*^-^*)qホームの様子貨物列車に積み込むと思しき梱包済みのバイク跨線橋の中にあった新竹駅の歴史の展示改札口へと向かいます 改札です 駅舎自体はけっこう大きいのですが、その割には出札ホールは小さかった気がします 改修工事が為されていますが、外壁や窓・柱の装飾は残してあるので当時の雰囲気を損なってはいませんでした 鉄道警察の詰め所駅スタンプもありま...
今回は台鐵新竹駅の駅舎をご紹介します台鐵新竹駅は松崎万長氏設計で1913年3月31日に完成した、台湾に現存する最古の駅舎です(4代目の駅舎になります)2013年の4月には100周年を祝うイベントも開催されました(3月には東京駅と姉妹駅になっています)文化部の説明によると、 基隆⇔新竹間の鉄道は1887年(光緒13年)に台湾巡撫の劉銘傳が敷設を始めました 1893年(光緒19年)11月に基隆⇔新竹間が完全開通、総延長106.7kmで...
六家駅から電車に乗ること約20分で台鐵新竹駅に着きましたホームのベンチ莒光号が車庫に入っていましたこっちは区間車電車越しに駅舎の屋根が見えています 駅構内にはこの年(2013年)にOPENしたばかりの新竹世博台湾館(上海万博の台湾館を移設したもの)のマスコットキャラクター「風兒」(私達の間では天燈ちゃんと呼んでいます)のイラストがいっぱい各ホームごとに紫・オレンジ・水色とテーマカラーが決まっていました...
さてさて、ついに総統府の正面へと参りましたよ台北に滞在するのははこの時で3度めでしたが、ここまで総統府に近付いたのは初めてですわんいつでも行けると思うと、ついつい後回しになってたというか(^^;)総統府の撮影は規制があります総統府のすぐ前を通る歩道から撮影する場合は、建物正面のブロックタイルが敷かれていない部分での撮影は出来ません(撮影しようとすると、警備員さんがすっ飛んできます💦 ) 通りを渡った側にあ...
寶慶路を重慶南路一段方向に歩きます旧帝国生命ビルの御向かいに建っている臺灣銀行總行(旧台湾銀行本店)の建物がありました重慶南路沿いが正面なのですが、またまた側面のみ撮影していたのでした(-_-;) この日の私達、こんなのばっかりだったなぁにほんブログ村...
2013年夏だ!台湾縦断旅 帝國生命會社舊廈(旧帝国生命ビル)を撮影
私が郵便局を撮影していたその頃、たーさんは総統府の裏側を撮影中表側の撮影は規制があるけど、こちらは比較的緩いのか、それとも外人観光客だからとスルーされたのか、写真を撮っていても何か言われることはなかったようです総統府の裏をそのまま通り過ぎて寶慶路との交差点に来ましたするとまたまた歴史のありそうな建物があるじゃないですかここは旧帝国生命ビルだった場所で、帝国生命保険株式会社は現在の朝日生命保険の前身...
総統府付近の博愛路にあるタイルや番地プレートを撮影していて警備員さんににらみを利かされた私たち(¯∇¯٥)「ワタシナニモシテナイネ~」とやや挙動不審気味に目線を反らしたのは道路の反対側すると何やら趣のある郵便局があるではないですかというわけで撮影撮影っと☆彡ただの郵便局にしてはやけに大きな建物だなぁなんて思ったのですが、少し先に「総統副総統文物館」という看板があったため、博物館に併設した郵便局だったのね...
2013年夏だ!台湾縦断旅 中華電信博愛路服務中心(臺灣總督府電話交換局 旧台湾総督府電話交換局)を撮影
旧台北城の城門をコンプリートした後、総統府の近く(博愛路と貴陽街一段の交差点)までやって来ましたここは旧台湾総督府電話交換局だったビルが建っていて、現在は中華電信愛路服務中心が入っています台北市文化局の説明によると、 旧台湾総督府電話交換局は1937年の建造で、基隆港務局と同様に日治時代の総督府交通局逓信部臨時 建築課(※設計者は鈴置良一氏)による設計の近代建築です 日本統治時代の台湾の重要な公共建築...