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保安駅の前から伸びている道をまっすぐ歩いた突き当りに歴史建築が残っています日本統治時代に建てられた旧警察庁舎の跡です赤レンガ造りの玄関 玄関を内側から見た図 窓枠にガジュマルの樹の根っこが絡んですごいことになっています(゚◇゚;)こちらは宿舎部分だったのではないでしょうか敷地内に蓮霧(レンブ/ワックスアップル)の樹が生えていましたさて駅に戻りましょうかにほんブログ村...
野田市兵衛商店から2分ほど自転車で走ったところに次の建物があります早野ビル1924年竣工鉄筋コンクリート造3階建(一部4階建)設計:矢上信次熊本で最初の貸しビルだったそうです窓のデザインが特徴的ですね~階段状に造られている4階部分国登録有形文化財に指定されていますにほんブログ村にほんブログ村...
2018年熊本マンホール修行の旅 ピーエス熊本センター(旧第一銀行熊本支店)
富重写真所のご近所に歴史建築があります坪井川にかかる明十橋のたもとに建っていますピーエス熊本センター(旧第一銀行熊本支店)1919年竣工鉄筋コンクリート造地上2階地下1階建設計:西村好時施工:清水組石とレンガの美しい建物ですね~隅に塔屋が配され、アーチ形の窓がデザインされています玄関のアップ直線的なデザインが目を引きます現在はピーエス株式会社の社屋として使用されていますにほんブログ村にほんブログ村...
東便門にやって来ました東便門(同儀門)は清代に造られた鳳山城の城門の一部です案内板の説明を読んでみると、“鳳山新城が出来た清の乾隆53年(1788年)当時は竹で城を囲っていました清の嘉慶9年(1804年)に大東門(朝暘門)・小東門(同儀門)・西門(景華門)・南門(安化門)・北門(平朔門)・外北門(郡南第一關)の6門を建設しました 小東門が現在の東便門です東便門は幅10.8m、奥行き7mの直方体で、台座の高さは約4.3mア...
お次は現在残っている(修復された)3砲台のうちのひとつに行ってみましょう東便門から鳳山渓に沿って自転車を漕ぐこと数分、訓風砲台に到着です道光18年に鳳山新城が建設された折、当時の知縣であった曹謹が匪賊の侵入を防ぐため城の四隅に、東北・西南に各一、東南・西北に各二、計6座の砲台を築きましたその東南隅にあったのが訓風砲台で、國家三級古蹟に指定されています真隣にお寺と幼稚園があったりして、わりと物騒な遺跡の...
鳳山新城に残る砲台跡の二つめにやって来ました清の道光18年(1838年)、鳳山県知事を務めた曹謹が軍事防衛力を強化するために新設したのだそう訓風砲台は弧を描いた形でしたが、澄瀾砲台は不規則な8角形をしています「澄瀾」の文字を彫った花崗岩の額が嵌められていますこの砲台も上に登れるようになっていましたふと下を見ると川が流れていますが、地図上ではここにそんなものはありませんその答えは「曹公圳」 これも曹謹が整...
MRT鳳山駅から自転車で走ること約4分、平成砲台にやって来ました曹公廟の後ろの方(中華市場の近所)にあります1999年に修繕されて、現在に至っています清の道光18年(1838年)、曹謹が築かせた砲台の中のひとつで、西北端に位置しています高さは約5m、砲台は四角形をしていて、平成の文字が刻まれた額がはまっています 内側に階段があり、上がることが出来ます床部分は現在はレンガタイルが敷かれています曹公廟が見えてい...
西村家から自転車で5分ほど進んだ場所に旧銀行だった建物があります旧三井住友銀行熊本支店1934年竣工鉄筋コンクリート3階建て設計:長谷部竹腰建築事務所施工:大倉土木いかにも~な銀行建築ですね裏側から見た図コリント様式の円柱入り口のアップにほんブログ村にほんブログ村...
旧三井住友銀行熊本支店から北上し、市電の新町駅の付近にやって来ましたここにも歴史建築があるんですよ~1924年(大正13年)木造2階建、瓦葺設計:保岡勝也国登録有形文化財に指定されています昔から続く書店さんなのだそうです和洋折衷の素敵なデザインの建物ですね~破風とアーチの組み合わせうだつに「長崎次郎」と店名が入っています壁に雷紋のデザインが施されていますにほんブログ村にほんブログ村...
仏蘭西料亭赤煉瓦の跡地から自転車で走ること約20分熊本大学のキャンパスにやって来ましたここにもたくさんの歴史建築があるんですよ~(*'▽')さ~て、まずはレンガ造りの正門を、と思ったのですがガビ~ンΣ(゚д゚lll) 工事中!?どうも熊本の震災で被害に遭ったようで、復旧工事をしているッぽい何だか嫌な予感がしてきました……あやややや、やっぱり工事中?なんだかキャンパスのあちこちに囲いができちゃってます熊本大学五高記念...
熊本大学で見た歴史建築の続きです熊本大学本部(旧熊本高等工業学校本館)1924年竣工設計:長岡勇衛鉄筋コンクリート造3階建国登録有形文化財に指定されていますこの建物も工事中でした入り口のアップたぶんドーリア式の円柱が配されています熊本大学埋蔵文化財センター(旧熊本高等工業学校図書分室)1925年竣工設計:長岡勇衛鉄筋コンクリート2階建てこちらの建物は補修済みのようで、ストリートビューで見たものよりもだいぶ...
2018年熊本マンホール修行の旅 熊本市水道記念館(旧八景水谷貯水池ポンプ場)
北熊本駅から自転車に乗って漕ぐことしばし、次の場所に到着ですここに赤煉瓦の建築があるんです(^0^)1924年竣工煉瓦造り平屋建て国登録有形文化財に指定されています旧八景水谷水源地第二送水ポンプ室は、大正13年(1924)の上水道創設から昭和42年(1967)3月ま での43年間、八景水谷水源地から立田山配水池へ送水するためのポンプ室として使用されていました。その後、昭和49年(1974)の水道創設50周年を 機に、「水道記念館」とし...
ヒライでお弁当も買ったし、市内に戻ろうと思ったのですが、まだ時間に余裕がありそうです予定に入れていなかったけど、もうひとつ建築を見に行くことにしますか!熊本地方裁判所旧庁舎1908年竣工設計:司法省営繕課施工:岩崎組というわけでやって来ました、熊本地方裁判所旧庁舎です実物を目にして思わず「ちっさ!」って言ってしまいました^^; この建物は実は両翼部分が切り取られ、中央部分だけが残されているんですって資料...
鳳儀書院の本当のお隣に鳳山城隍廟があります予定にはなかったのですが、せっかくなのでお参りすることにしました豪華な屋根の装飾御参りの順路が書かれていますここの御参りは少々複雑な順番になっているようです最初は案内図を基に回っていたのですが、不安な様子だったのか、途中から氏子と思しきおじさんが案内をしてくれましたなんて親切な!入り口を入ってすぐの所に有名な「你來了」の扁額があります達筆だな~ 本殿内...
まだ台湾旅行の予定を立てている時に修復工事中との記事を見ていたのですが、いい加減時間も経っているし完成しているかな~と思い、鳳儀書院までやって来たのですが甘かったorzバリバリ工事中やんけ!かろうじて本殿が姿を見せていましたフェンスに囲まれているので、中に入ることもできません修復用のレンガが積まれていました近くに作業員のおじさんがいたので工事がいつ終わるのか聞いてみたところ、「そんなの分んね~よ ま...
自転車もGETできたので、観光をスタートしましょう!まず訪れたのは旧北門跡です鳳山の街も昔は城壁に囲まれていました現在はもう残っていませんが、こうして門のあった場所に石碑が建てられています北門があった場所には現在は鳳山長老基督教堂という教会が建っていますにほんブログ村...
出火から北門に向かいます往きと違い今度は下り坂なので早い早い(´⊙ω⊙`)あっという間に到着しました北門は4つの門の中で最も長く城壁が残っている門なのだそうです北門と西門は自転車・歩行者の他に小型車両が通行できるようになっています門の裏側から見た図城壁に上がるスロープ 昔の城壁の跡が残っています城壁の上から見た景色城壁前の広場に戦車が展示されていましたにほんブログ村...
2018年長崎マンホール修行の旅 鉄道発祥の地碑&旧長崎英国領事館(工事中)
おらんだ橋から次の目的地の旧長崎英国領事館へと歩いて向かいますすると、鉄道発祥の地と書かれた石碑が建っていました1865年に英国人貿易商のトーマス・グラバーがここから松ヶ枝橋方面にレールを敷設して、英国製の蒸気機関車を走らせましたこれが日本で最初の蒸気機関車の運行であることを記念して建てられた石碑なのだそうですお隣には運上所跡と書かれた石碑も建っています石碑から歩くこと数分、旧長崎英国領事館と思し...
2018年長崎マンホール修行の旅 長崎市南山手レストハウス(旧南山手乙二七番館)
大浦展望公園の近くにあるのが長崎市南山手レストハウス(旧南山手乙二七番館)です1864~1865年にかけて竣工石造外壁を持つ初期居留地住宅です市民や観光客が気軽に休憩できる施設として、また資料の展示などにも活用されていますベランダに木柱と石柱を併用している珍しい建物ですレストハウス前からの眺めにほんブログ村にほんブログ村...
2018年長崎マンホール修行の旅 グラバー園その1 三菱第2ドックハウス
南山手レストハウスから歩いて数分でグラバー園に到着です小雨が降ったりやんだりする中、観光開始です(* ̄0 ̄)/ 【三菱第2ドックハウス】1896年竣工木造2階建 寄棟造船が修理などのためにドックに停泊している間、船員たちが宿泊するための施設がドックハウスですもともとは三菱の長崎造船所の第二ドック側に建っていましたが、1972年に現在の場所に移築されました 船の模型の展示にほんブログ村にほんブログ村...
2018年長崎マンホール修行の旅 グラバー園その2 旧長崎高商表門衛所
グラバー園は山の上にあるので、とても眺めがいいです晴れていればもっといい景色が見られたでしょうね~【旧長崎高商表門衛所】1905年竣工木造平屋建日本で最初期に設立された官立高等商業学校であり、長崎大学経済学部の前身となった長崎高等商業学校(長崎高商)創立時の表門衛所です1976年に現在の場所に移築されました現在はボランティア観光ガイドの案内所として使用されていますにほんブログ村にほんブログ村...
2018年長崎マンホール修行の旅 グラバー園その3 旧ウォーカー住宅
門衛所から緩やかな坂を下って行くと、次の建物が見えてきました【旧ウォーカー住宅】1883~1902年にかけて建設木造瓦葺平屋建この建物はウォーカー商会を設立したロバート・ニール・ウォーカーJrの邸宅でしたもともとは大浦天主堂の側に建っていたのですが、主屋の一部が市に寄贈され、1974年に現在の場所に移築されました鬼瓦内部の様子にほんブログ村にほんブログ村...
2018年長崎マンホール修行の旅 グラバー園その4 旧長崎地方裁判所長官舎&旧自由亭
旧ウォーカー住宅の向かい側に旧長崎地方裁判所長官舎が建っています【旧長崎地方裁判所長官舎】1883年竣工木造2階建 寄棟造1883年(明治16年)3月に長崎控訴裁判所(現在の高等裁判所)の官舎として八百屋町1番地(現長崎市上町4番21号)建てられました1979年に現在の場所に移築されています旧長崎地方裁判所長官舎から少し先に行ったところに旧自由亭があります【旧自由亭】1878年竣工木造2階建自由亭は日本人初の西洋料理店...
2018年長崎マンホール修行の旅 グラバー園その5 フリーメイソン・ロッジの門と旧リンガー住宅
旧自由亭の前の路を歩いたところ、先にご紹介した旧長崎高等商業学校正門守衛所の裏手に旧リンガー住宅があるのですが、そこに至る前にちょっと気になるものがありました【フリーメイソン・ロッジの門】 フリーメイソンとは中世イギリスで数々の大聖堂を建てた石工が組織した友愛団体ですこの門柱は、現在の松が枝町にあったフリーメイソン・ロッジの出入口に設置されていたものです1919年の活動停止後、1971年に現在の場所に...
2018年長崎マンホール修行の旅 グラバー園その6 旧オルト住宅
【旧オルト住宅】国指定重要文化財1865年竣工木骨石造 平屋建この建物はイギリス人ウィリアム・ジョン・オルトが1865~1868の3年間住んでいました内部の様子 建物の裏手に回ってみました昔のコンロレンガ倉庫にほんブログ村にほんブログ村...
2018年長崎マンホール修行の旅 グラバー園その7 旧スチイル記念学校
旧オルト住宅の斜め向かいに旧スチイル記念学校が建っています【旧スチイル記念学校】1887年竣工木造2階建 寄棟造東山手9番地の旧英国領事館跡に建てられたスチイル記念学校の校舎です1973年に現在の場所に移築されましたグラバー園への移築前は海星学園の寄宿舎として使用されていましたにほんブログ村にほんブログ村...
2018年長崎マンホール修行の旅 グラバー園その8 旧グラバー住宅
【旧グラバー住宅】グラバー園の中でもっとも有名な建物、旧グラバー住宅にやって参りましたᕦ(ò_óˇ)ᕤ国指定重要文化財1863年竣工木造平屋建貿易商であり、グラバー商会を設立したトーマス・ブレーク・グラバーが住んでいた日本最古の木造洋風建築ですガラス窓と天井で日当たりのよい場所にはお花が置かれていました 内部の様子隠し部屋グラバー住宅を訪れた幕末の志士を匿うために使用されたそう建物の裏手には花壇がありまし...
2018年長崎マンホール修行の旅 グラバー園その10 園内で見かけたもの
ここではグラバー園の中で見かけたアレコレをご紹介していきます【明治時代の水道共用栓】 長崎市の水道は1891年に完成しました旧リンガー住宅の主フレデリック・リンガーが招いたイギリス人技師J・W・ハーツらによって長崎市内に日本で3番目となる近代水道が通ったのです当初は各家庭に水道をひくことは難しかったため、写真のような水道共用栓を設置していたそうです【三浦環の像】 長崎が舞台のオペラ「マダム...
前のブログで「街中に戻る」と書きましたが、本日ご紹介する南山手十六番館は実はグラバー園を出てすぐの所にあったりします(¯∇¯٥)1860年竣工初代アメリカ領事館員の宿泊所として開館した、日本で一番古い木造洋館です元々は東山手町に建てられていましたが、1957年に現在の南山手町に移築されました以前は資料館などに使用されていたらしいのですが、この時は内部公開はしておらず、まるで廃墟のように佇んでいましたにほんブログ...
南山手十六番館から歩くこと約5分ピンク色をした歴史建築が見えてきました【旧杠葉病院本館】明治中期の建設だそうです木造二階建長崎県下初の民間精神科病院として創設されました当時からピンク色の建物だったのでしょうか?かなり目立ってただろうなぁ(´⊙ω⊙`)横から見た図別館へと続く坂道を登って行きます立派なレンガ塀がありましたにほんブログ村にほんブログ村...
2018年長崎マンホール修行の旅 旧杠葉病院別館(旧レスナー邸)
【旧杠葉病院別館(旧レスナー邸)】1898年竣工木造二階建旧本館横の坂道を上がったところに建っていますシグマンド・デービッド・レスナーの旧邸宅でしたアーチ型の欄間飾りが特徴的です 現在も使用されている雰囲気がありましたレンガ塀に小さな扉が付けられていましたにほんブログ村にほんブログ村...
旧杠葉病院別館(旧レスナー邸)から少し歩いたところに、レンガ造りの大きな建物が建っています1898年竣工設計:マリア会修道士センネツ煉瓦造3階建女子修道会と児童養護施設が併設されていました2017年に買収され、富裕層向けのホテルに改装する計画があるそうですが、現在ホテルが開業しているとの話は見かけませんにほんブログ村にほんブログ村...
2018年長崎マンホール修行の旅 寶製綱(旧バンザイ炭酸水工場)
ドンドン坂を降りて、小曽根乾堂通り→海岸通りに出てきましたこの通りの一角に古いレンガ建ての工場があります1902年竣工設計:R.F.ウォーカーレンガ造り二階建設計者名でピンときた方もいらっしゃるかもしれませんがこちらはグラバー園にあった旧ウォーカー住宅の主ロバート・ウォーカー・ジュニアの父、ロバート・N・ウオーカーが設立した旧ウオーカー商会が建てた、清涼飲料水を製造する工場でした現在は寶製綱(株)が建物を引...
2018年長崎マンホール修行の旅 須加五々道美術館(南山手乙9番館)
寶製綱のレンガ工場のお隣にも歴史建築があります寶製綱の脇に建物へと続く階段があります明治中期に建設木造2階建て現在は須加五々道画伯の作品を収蔵、展示する須加五々道美術館として使用されています下から見上げた図にほんブログ村にほんブログ村...
2019年台湾金門島風獅爺の旅 大溪老街をぶら散歩⑧李騰芳古宅
老街からはかなり離れた場所になるのですが、古蹟があると聞いたので行ってみることにしました(ちなみに、私たちはYouBikeで移動しています)煉瓦造りの立派な門ですね~ここは李騰芳古宅(1864年竣工)といって、国定古蹟に指定されているんですって正門です両脇にある建物もレンガ造り廰堂(祖先を祭ってある場所)奎壁聯輝書房李騰芳さんはこちらで読書をされていたようですにほんブログ村...
2019年台湾金門島風獅爺の旅 大溪老街をぶら散歩⑦建成商行
新南老街を歩くことしばし、ついに素敵建物とご対面です補強のための鉄骨に囲まれていますが、確かに模型で見たあの建物です!1921年竣工日本統治時代に大溪で樟脳業と炭坑行を営んでいた簡阿牛さんの住所兼事務所として建てられましたドーム型の屋根が特徴的です屋根部分には「簡」の文字と建成商行、そして「KEN SEI SHO CO]と日本語の発音のローマ字が並んでいます立派な装飾が施されています入り口側は騎樓になっています入り...
2019年台湾風獅爺の旅 大溪老街をぶら散歩⑥もう一つの老街 新南老街
というわけで素敵な建物を探しに、新南老街にやって来ました新南老街は和平老街から少し離れたところにある中山路一帯の老街です観光客でにぎやかな和平老街と比べると人通りが少なく、落ち着いて建物を鑑賞することができましたただし路駐が多かったですけどね~(¯∇¯٥)ほんじゃまいきます、新南老街山牆コレクション! にほんブログ村...
今回は日本統治時代の建物その3をご紹介します1937~1940年竣工四連棟は4軒の日式家屋が連なった長屋形式の建物です現在は大溪の街の歴史を展示する場所になっています当時はこんな区割りで住まわれていたようです家の中には昔の大溪の街の模型がたくさん展示してありました通議第城門の模型老街の建物の模型あのバロック式の建物って、こんなうなぎの寝床状態になってるんですね~(´⊙ω⊙‘)建成商行こんな素敵な建物があったんだな...
2019年台湾風獅爺の旅 大溪老街をぶら散歩④武徳殿&附属建築
日本統治時代の建物その2です【武徳殿】以前は見学できたようなのですが、老朽化のためか現在は立ち入り禁止になっていました1935年竣工戦前の日本は台湾の各都市に武徳殿を建設したそうです武徳殿は警察署に属し、警察官及び青少年が柔道と剣道を修練する武道館として使用されました【武徳殿附属建築】1935年に武徳殿と同時期に建築された日本式建築です以前は渡り廊下で武徳殿とつながっていて、宴会や会議などの行事が行われて...
2018年長崎マンホール修行の旅 長崎市A001マンホールカードGETだぜ!
大浦天主堂はがっかりでしたが、気を取り直して次の場所に向かいますはい、やって来ました! 南山手地区町並み保存センターです1883(明治中期)頃に竣工英国人ウィルソン・ウォーカーが建てた住宅です 1・2階とも正面に中央部が突出したベランダが設けられています ベランダに面した居室の側面には、ベイ・ウィンドーを用いています中の様子 洋室部分和室もありました階段の装飾も素敵です マンホールカードは入...
南山手地区町並み保存センターから大浦海岸通まで下りてきましたこの通り沿いに二軒歴史建築が建っていますが、今回はそのうちのひとつ、旧香港上海銀行長崎支店をご紹介します1904(明治37)年竣工設計:下田菊太郎施工:矢田鉄三国指定の重要文化財です1931年に長崎支店が閉鎖された後は、梅香崎警察署・大浦警察署・長崎市歴史民俗資料館として利用されたそうです現在は長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館として使用されていま...
2018年長崎マンホール修行の旅 長崎市べっ甲工芸館(旧長崎税関下り松派出所)
大浦海岸通り沿いの歴史建築の2軒目は長崎市べっ甲工芸館(旧長崎税関下り松派出所)です1898(明治31)年国指定の重要文化財です平成2年3月に国の重要文化財に指定され、保存修理工事を経て平成14年に長崎市べっ甲工芸館として公開されました真横から見た図屋根にはドーマー窓がありました素敵な装飾ですね~屋根の淵にアカンサスの装飾にほんブログ村にほんブログ村...
大浦海岸通りから松ヶ枝通りに入っていきますグラバー通りを過ぎて少し歩いたところ、マンションに挟まれた形で赤レンガの建築が建っていました旧城田邸明治後期の竣工かつてホーム・リンガー商会が茶の倉庫に使っていたそうです残念ながら、私たちが訪れた後に解体されてしまったようですにほんブログ村にほんブログ村...
旧城田邸から歩いて数分の所に長崎孔子廟がありますランタン祭の装飾でにぎやかになっていますね~観光に訪れる人がたくさんいましたが、私たちの目的はここではなく……こちらの御宅が目的だったりします池上家住宅1887-1896年木造2階建 瓦葺国登録有形文化財に指定されています元はイギリスの貿易商の住宅として建築されたそうですコロニアル風のベランダが設けられています鬼瓦にほんブログ村にほんブログ村...
2018年長崎マンホール修行の旅 長崎ランタンフェスティバル③天后堂
土神堂から歩いて数分のところにあるのが天后堂(いわゆる媽祖廟)です1736年に南京出身の人々が航海の安全を祈願して建立したのだそうです赤レンガ建ての建物です天后聖母(媽祖)が祀られていて、航海安全の御利益がありますにほんブログ村にほんブログ村...
2018年長崎マンホール修行の旅 長崎ランタンフェスティバル②土神堂
カラフルなランタンを観ながら歩きます途中で長崎新地中華街会場がありましたが、ここの見学は一旦置いておいて目指す場所に向かいますはい、やって来たのは唐人屋敷会場です【唐人屋敷跡】中国から日本に貿易にやって来た唐人(中国人)は当初は長崎市中に滞在していましたが、密貿易が増加したため幕府が唐人達を収容する唐人屋敷を建設したのだそうですこの会場では「ランタン祈願四堂巡り」が行えるんですというわけでまず一堂...
大溪の街中には日本統治時代に建てられた建物がたくさんあります今回ご紹介する壱號館もそのひとつです1920年頃竣工大溪國小の校長先生の宿舎として建てられました日本統治時代に造られ、当初は日本籍の校長のみが住めたそうで、戦後は8人の校長が住んだそうです1949~2001年までは大溪初級中学(現在の大溪國中)の英語教師の陳茂林一家が住んでいました2007年に「歴史建築」に登録されています現在は大溪の情報センターとして使...
2019年台湾風獅爺の旅 大溪老街をぶら散歩①和平路のバロック風看板建築
最終日は朝ご飯を食べる場所以外はノープランご飯を食べながら、これからの予定をどうするか考えていましたその結果、ちょっとだけ遠出をしてみようということにMRTで永寧駅まで行き、そこから710路のバスに小一時間乗って、新街尾のバス停で下車しましたバス停からすぐの所に大溪老街(和平路)があります老街と言っても入口辺りは普通の建物が並んでいるのですが……ちょっと歩くとバロック風の建物が見えてきます迪化街などにも同...
三井記憶倉庫からちょ~っと自転車で移動してやって来たのは後火車站懷舊廣場です後火車站というのは、台北駅の裏側といった感じでしょうかここの近くに後火車站商圈というショッピングエリアがあって、手芸用品や雑貨、カバン等がお手頃価格で買えるというので来てみました昔の電車の車両が展示されていましたここにも立派な看板建築がありました~買い物にも行ってみましたが、たしかにお安かったです~写真は撮ってないのですが...
以前から台北に旅行に行く度、北門の近くにある建物が気になっていました2015年撮影屋根にある屋号らしきものから、三井物産関連の建物だったんだろうなぁなんて思っていたのですがその後、道路拡張工事の関係でいったん解体され、現在の場所に建て直されました2018年に台北記憶倉庫として一般に公開されたというニュースを見て、是非とも行ってみたいと思っていたのでした立派な赤レンガの倉庫です記憶していたものより大きく感じ...