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2018年長崎マンホール修行の旅 長崎ランタンフェスティバル④観音堂
次にやって来たのは観音堂です元の建物は1737年に建立されました現在の建物は1917年(大正6年)に華商・鄭永超が改築したものだそう観世音菩薩と関帝が祀られていますこちらにも蝋燭をお供えしましたにほんブログ村にほんブログ村...
2018年長崎マンホール修行の旅 長崎ランタンフェスティバル⑤福建会館
四堂巡りの最後は福建会館です階段を上がった先にあります【福建会館】1968年(明治元年)に『八閩(はちびん)会館』として正式に発足しましたその後1897年(明治30年)に建物を全面的に改築し、福建会館と改称しました会館本館(会議所)の建物は原爆により倒壊したため、現存するのは正門と天后堂などになります天后(媽祖)の絵が飾られていました最後の1本の蝋燭をお供えしましたこれにて四堂巡りは終了です(^0^)長崎新地中華...
昼食の後、次の目的地に向かって歩く私たちすると行く手に大きな赤い門が見えてきました北門です北門はかつての台北府城を囲んでいた城壁の門のひとつです台北城には全部で5つの門がありましたが、昔のままの姿を留めているのはこの北門だけです2016年に北門高架橋が撤去され、門そのものがきれいに見えるようになりました以前の姿はこちらの写真をご覧ください現在北門の周辺は北門広場として整備されていますにほんブログ村...
北門は台湾の国家一級古蹟に指定されていますが、そのご近所にも古蹟があるんですよ~【台北北門郵局】北門の後方に見える建物です国家三級古蹟に指定されています1930年竣工設計:栗山俊一RC造3階建て(4階部分は第二次大戦後に増築)【旧台湾総督府交通局鉄道部庁舎】国家三級古蹟に指定されています1918年竣工設計:森山松之助現在は台湾博物館の管轄で公開されているこの建物ですが、私たちが初めて訪れた時はかなりの廃墟っぷ...
2018年長崎マンホール修行の旅 三菱重工長崎造船所史料館を見学①
というわけで、やって来たのは三菱重工長崎造船所史料館です✨この資料館は1985年に開設されましたが、使用されている建物は1898年(明治31年)に三菱合資会社三菱造船所の鋳物工場に併設の「木型場」として建設されたものなんですって世界遺産「明治日本の産業革命遺産」のひとつに認定されています実際に目にすると本当にでっかい赤レンガ建造物です(´⊙ω⊙`)120年以上も前の建物ですが、とてもきれいに保存されていますね~敷地内...
2018年長崎マンホール修行の旅 三菱重工長崎造船所史料館を見学②
さてさて、資料館の中に入ってみましょう(*^-^*)中には所狭しと展示品が並んでいます天井には立派な木製の梁が【泳気鐘】 泳気鐘とは1834年(天保5年)長崎に到着したイギリス製の潜水用具で、空気は上部の穴、光は上部のガラス丸窓から取り入れるようになっていて、人が中に入ってそこから海底を眺めるようになっていたそうです【竪削盤】 1857年(安政4年)に長崎製鉄所建設のために幕府がオランダから購入したものだ...
シャトルバスで長崎駅前に戻って来ました 駅の電停乗り場から路面電車に乗って向かったのは…… 社会科や歴史の授業でもお馴染みの『出島』で~す\(^o^)/長崎旅行に来て、ここに寄らずに帰るわけにはいきませんよね~これは出島水門の前の道路を撮影したものなんですが、ちょっと色が違っている箇所があるのがお判りでしょうか?現在の出島周辺は埋め立てられているのですが、この色が変わっている部分が元の出島の形なの...
中に入ると、通りに沿って左右に建物が並んでいます【一番船船頭部屋】船長さんの宿舎で、2階の西側の部屋に船長の一人が滞在し、東側の部屋を紹介の事務員が使用したそうです1階は主に倉庫として使われていました【ヘトル部屋】オランダ商館の商館長次席(ヘトル)の宿舎でした【一番蔵】 輸入品の砂糖が収められていました出島内の倉庫は大家のために土蔵だったそうです一番船船頭部屋の模型の展示 発掘調査で見つかっ...
【カピタン部屋】オランダ商館長(カピタン)の事務所や住居として使われ、出島の中で一番大きな建物です日本の賓客が出島を訪れた際の接待の場所でもあったそうです2階から通りを眺めた図1階には船の模型や大砲の展示がありました【乙名部屋】日本側の貿易事務や管理を担当していた役人、出島乙名(おとな)の詰め所となっていた建物です【拝礼筆者蘭人部屋】この建物の2階にオランダ人の首席事務員が住んでいたそうです出島整備...
【旧長崎内外クラブ】1903(明治36)年竣工木造2階建復元が多い出島の中で、ここは昔から建っている建築物になりますグラバー園の回でご紹介した旧リンガー住宅の主、フレデリック・リンガー(ホーム・リンガー商会を設立)が建てたもので、長崎に在留する外国人と日本人の親交の場として利用されました【旧出島神学校】1878年(明治11年)に建てられた、現存する日本最古のキリスト教(プロテスタント)の神学校です【表門】平成...
【陶製の門柱】1954(昭和29)年に移築されたものだそうです柱にはペトゥルス・レグゥー窯のマークが刻まれているため、当時出島にあった店舗に使用されていたと思われます【居留地時代の地番境石】1859(安政6)年に出島のオランダ商館が廃止され、領事館が設置されますその後1866(慶応2)年に外国人居留地に編入されましたこの石柱は居留地時代の出島の地番を示したものだそうです【ミニ出島】川原慶賀(シーボルトの専属絵師だ...
保安宮にお参りした後、また自転車に乗って移動します距離にして2.3km、15分くらい走ったと思います途中でバイクの波に遭遇したり洪易さん(カラフルな動物パブリックアートを手掛ける彫刻家)の動物アートを見かけたり林安泰古厝にやって来ましたそれでは中に入ってみましょう清の乾隆19年(1754年)、福建省安溪出身の林欽明は家人を率いて台湾に渡って来ましたその第4子の林志能は艋舺に栄泰行という店を開き商売を始め、一財産...
座標マンホール蓋を撮影できたので、次の場所へと向かいますアエル栄町通りの商店街の中に、とっても趣のある鰻屋さんがあったのでパチリ☆鰻屋さんから少し歩いたところに、素敵な銀行建築があります旧十八銀行諫早支店(旧諫早銀行本店)1931年(昭和6年)竣工設計・施工:清水組鉄筋コンクリート2階建てもう本当にいかにもって感じの銀行建築ですね~重厚感があってとても素敵です植物の装飾が施されていますこちらの銀行、私た...
この時点で予定よりも時間が余ったので、マンホールカードに描かれていた諫早眼鏡橋を見に行ってみることに商工会館から歩くこと約8分で到着しました日本で最初に国の重要文化財に指定された石橋なのだそうです元は本明川に架かっていましたが、諫早水害の後にこちらの公園に移設されましたにほんブログ村にほんブログ村...
諫早市には赤煉瓦ファンには堪らない建造物がありますそれがこちら↓旧長崎刑務所正門1907(明治40年)竣工設計 : 山下啓次郎千葉、金沢、奈良、鹿児島の監獄とあわせて五大監獄と呼ばれていたそうです 1992年に刑務所が別の場所に移転した後に廃墟化していましたが、2007年に正門部分のみを残して解体されてしまいました 裏側から見たところ 正門のすぐ裏手はショッピングセンターになっていて、その対比...