メインカテゴリーを選択しなおす
#大渓
INポイントが発生します。あなたのブログに「#大渓」ハッシュタグのバナーを掲載しませんか ハッシュタグのバナーやリンクをINポイントランキングの対象にしたいメンバーの方は、ログインしてからリンクタグを取得してください ・バナーを変更したい場合は、必ず画像に「ハッシュタグ」または「タグ」の文字かバナーロゴを重ねてください
タグをコピーしました
2019年台湾風獅爺の旅 大溪老街をぶら散歩②大溪橋
和平路の老街を抜け、中正公園の方向に歩いて行くと大きな橋が見えてきます これは2001年に再建された大溪橋です全長330m、13個の橋脚を持つ鉄筋コンクリート製の橋です欄干部分は老街の山牆(妻壁)がデザインされていて、ベンチも設置されていますにほんブログ村...
2024/04/22 14:17
大渓
フォローできる上限に達しました。
新規登録/ログインすることでフォロー上限を増やすことができます。
フォローしました
リーダーで読む
2019年台湾風獅爺の旅 大溪老街をぶら散歩③壱號館
大溪の街中には日本統治時代に建てられた建物がたくさんあります今回ご紹介する壱號館もそのひとつです1920年頃竣工大溪國小の校長先生の宿舎として建てられました日本統治時代に造られ、当初は日本籍の校長のみが住めたそうで、戦後は8人の校長が住んだそうです1949~2001年までは大溪初級中学(現在の大溪國中)の英語教師の陳茂林一家が住んでいました2007年に「歴史建築」に登録されています現在は大溪の情報センターとして使...
2019年台湾風獅爺の旅 大溪老街をぶら散歩④武徳殿&附属建築
日本統治時代の建物その2です【武徳殿】以前は見学できたようなのですが、老朽化のためか現在は立ち入り禁止になっていました1935年竣工戦前の日本は台湾の各都市に武徳殿を建設したそうです武徳殿は警察署に属し、警察官及び青少年が柔道と剣道を修練する武道館として使用されました【武徳殿附属建築】1935年に武徳殿と同時期に建築された日本式建築です以前は渡り廊下で武徳殿とつながっていて、宴会や会議などの行事が行われて...
2019年台湾風獅爺の旅 大溪老街をぶら散歩⑤四連棟
今回は日本統治時代の建物その3をご紹介します1937~1940年竣工四連棟は4軒の日式家屋が連なった長屋形式の建物です現在は大溪の街の歴史を展示する場所になっています当時はこんな区割りで住まわれていたようです家の中には昔の大溪の街の模型がたくさん展示してありました通議第城門の模型老街の建物の模型あのバロック式の建物って、こんなうなぎの寝床状態になってるんですね~(´⊙ω⊙‘)建成商行こんな素敵な建物があったんだな...
2019年台湾金門島風獅爺の旅 大溪老街をぶら散歩⑨街中で見たもの
今回は大溪の街中で見かけたものに着いて書こうと思います【大溪相撲場】大渓中正公園の中になんと土俵がありましたここは大渓相撲場といって、日本統治時代に土俵があった跡地に約70年ぶりに復元されたものなんだそうです土俵の中にいるのは「大金宝宝」といって、ダイキン工業の台湾でのPRキャラクターなんですなんでも土俵の復元に当たって、ダイキン工業さんも参加されているんだそうで【壱號館の裏手にあったベンチ】壱號館...
2024/04/22 14:16