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嘉数高地から普天間基地・オスプレイを望む@嘉数高台、宜野湾市(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/沖縄本島戦跡編08完)
嘉数高地から普天間基地・オスプレイを望む@嘉数高台、宜野湾市(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/沖縄本島戦跡編08完)さて、最後に、嘉数高地から普天間基地・オスプレイを望む@嘉数高台、宜野湾市。北のほうから南進してくるアメリカ軍を、ここ嘉数、更に南の前田、首里で食い止める算段を旧日本軍は持っていたのですが、やる前から負け戦確定ということで、どこまで粘れるかというだけだった沖縄戦。日本...
トーチカ@嘉数高台、宜野湾市(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/沖縄本島戦跡編07)
トーチカ@嘉数高台、宜野湾市(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/沖縄本島戦跡編07)首里から南部に撤退し、摩文仁やらひめゆりの塔やら、南部が第二次世界大戦の沖縄戦の主戦場のような言い方をされるのが一般ですが、首里以南では、日本軍は単なる敗走・民間人が犠牲になった、であり、「戦い」としては、ある意味、この嘉数での日米のバトルが、メインの一つといえます。その激戦ぶりは、このトーチカ@嘉数...
海軍平得飛行場弾薬庫跡(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/石垣島戦跡編)
海軍平得飛行場弾薬庫跡(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/石垣島戦跡編)石垣島を含めた八重山はかなりのところを既に回ってますが、灯台下暗し的に回りそこなっていた、海軍平得飛行場弾薬庫跡一本勝負@石垣島です。この海軍平得飛行場弾薬庫跡、実は一回、レンタカーで訪問しかけたことがあったのですが、道に迷って断念した苦い経験があり、今回は、東バスで訪問です。今回は、ほぼ場所の特定ができており...
東岸の各種壕@伊良部島(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編14完おまけ)
東岸の各種壕@伊良部島(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編14完おまけ)さて、陸上からアプローチした戦跡をこれまで紹介したのですが、最後っ屁ということで、伊良部島東側を海上から視認できる、どう見ても人工の壕の穴としか思えないものを紹介しておきます。どういう由来かは未確認ですが、伊良部は、牧山展望台のところから陣地壕が伸びており、また、平良に敵が上陸といった場合、背後からぶっ...
チフサアブ(千人ガマ)@来間島(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編14完)
チフサアブ(千人ガマ)@来間島(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編14完)2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編の最後は、チフサアブ(千人ガマ)@来間島。住民の避難壕とされていたようです。看板。位置的には港からですと、来間ガーの奥です。壕。ちなみに、その昔、上から来間ガーや千人ガマにアクセス容易だった石段があります。井の石段(ガーの石段)というやつで...
野原岳周辺の戦跡(大嶽城跡西側壕群)(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編10)
野原岳周辺の戦跡(大嶽城跡西側壕群)(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編10)さて、レンタカーの返却時間が迫ってきましたので、航空自衛隊基地周辺を最後に巡ります。陸自の基地近くにあるものは、次回回しです。野原岳周辺の戦跡ですが、結構あるものの、基地内だったり、空自の基地があるのでアプローチができなかったり、で見れるものは限られ、大嶽城跡西側壕群くらいです。宮古島の高地とい...
タカシカバーの機関銃壕(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編09)
タカシカバーの機関銃壕(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編09)ドイツ村の海岸沿いの遊歩道にあるのが、タカシカバーの機関銃壕。この海岸線も、壕が結構残ってます。ちなみにドイツ村、ハコモノの中に入らなければ、タダです。無料駐車場も完備です。シギラリゾートの近くでもあります。この周辺は基本的に海岸埋め立てをやっておらず、海岸線の位置が変わってないので、海沿いに位置してます。に...
来間島(山砲陣地跡等)は断念・次回へ(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編08)
来間島(山砲陣地跡等)は断念・次回へ(2023年末石垣・宮古アイランドホッピングダイブツアー/宮古島戦跡編08)ということで、伊良部島終了後、来間島の山砲陣地跡等を巡る計画でしたが、安レンタカーのナビがポンコツで、、、来間大橋やら来間島の新しい道路が正確に表示されない、、、、ということで大幅な時間ロス。一部の壕は見つけましたが、目的地にたどり着けず(自動車では不向きな立地にあることは確認)。サイトしーイン...
先日、地元新聞社の方からオイラの過去記事にある「粟石」について教えて欲しいと連絡がありました。そこには海岸の岩を切り出した跡を粟石の切り出した跡と書いているのですが、もしかしたらビーチロックを切り出した跡なんじゃないか?とも思っていて、以前から何度か現場に見に行ってるんですが、どうもビーチロックとは岩肌と言うか岩質が違います。だからその記事はあえてそのままにしておきました(今回少し訂正済み)。今回は新聞社の人にも、もしかしたらあれはビーチロックかも知れないと伝へ、話を終えました。では自信をもって「これは粟石を切り出し跡だよ!」と言える場所はまだ石垣島に残っているんでしょうか?以前から古い写真で石切場の画像を見てはいたんですが、それはどこなのか?今回改めて調べて見ました。モノクロの画像2点は、GeologyofI...石垣島の粟石
シダやツル植物で覆われた石灰岩の斜面を見ていると、妙に人工的なコンクリートと銀の扉が見えます。秘密基地?!。コンクリートの壁には電気検診メーターも取り付けてあって、こんな所に誰か住んでいるんでしょうか?実はこれ、かつて旧日本軍が壕として使っていた洞窟で、今ではその穴を利用して地震計が設置されているそうです。この並びには戦時中の通信室の壕や、戦闘機を隠す掩体壕も幾つかあり、白保の飛行場で離着陸がある度にここまで人力で押して来て隠していたそうです。石垣島には地震計が何か所かあり、オイラの住む名蔵からチョッと行った斜面にもやはり同じような銀の扉で、その中に計測機器が設置されています。雨続きの石垣の冬が終わり、そろそろまたカブに乗ってウロウロできる季節がやって来ました。啓蟄が過ぎた途端にムカデが家の中に入って来たり、藪...旧日本軍の壕も、