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素掘りトンネルから一旦離れて、JR外房線を挟んで東側にある『茂原海軍飛行隊基地跡』に残る『掩体壕』を回る。『掩体壕(えんたいごう)』とは、爆撃などから航空機材を守るためにつくられた偽装格納庫である。茂原海軍飛行隊基地後には10基の掩体壕が残されている。市
暑い🥵暑すぎる🥵湿度高すぎる鼻風邪引いて🤧治りかけ小6生から、先々週学校の研修で掩体壕(えんたいごう)✈️の見学に行った話を聞きました。その後インフルエンザで学級閉鎖🔐ようやくみんな揃ったものの、まだ食欲が湧かず、今日は給食が大余りだったとか🍉💔お互い風邪っぴき後のゆるゆる楽しいレッスンでした😅目まぐるしい空模様に文字通りundertheweather🌧😷体調崩す⤵️⤵️◾️今日の必需品◾️ティッシュ🤧補充ランキングに参加しています。ポチっと応援よろしくね💖にほんブログ村松山市ランキング夏風邪やだねェ〜🤧
7月31日少し病気をしていたので、7月中に一度も自転車に触っていない。軽い運動のつもりで走り出したが、思ったより日差しがキツイ。 車の少ないそうな道を適当に走…
東京都には羽田空港以外にも飛行場があります。調布市にある東京都営の調布飛行場です。 (東京都営の飛行場) 調布飛行場は、1973年(昭和48年)3月に米軍から全面返還され、1979年(昭和54年)に調布ー新島間の不定期便の東京都営の飛行場として運用を開始しました。 現在、調布飛行場は、大島や新島など伊豆諸島への小型機の定期便が発着するコミューター空港です。 伊豆諸島(大島、新島、神津島、三宅島)へのドルニエ228が発着しています。 調布〜大島は25分、三宅島までは50分のフライトです。 (ターミナルから歩いて搭乗) 飛行場の面積は39ha。滑走路は、全長800m、幅30mで搭乗には、ターミナル…
壁に、おびただしい数の穴が開いています。痛々しい姿の鉄筋コンクリート造り2階建ての建物。壁も一部、はがれ落ちています。 これはアジア太平洋戦争の時に、米軍機による機銃掃射や、投下された爆弾がさく裂した時にできた「戦争の傷跡」。いまも建物は残っているんです。 毎週日曜日と水曜日に無料で一般公開しているというんで、見てきました。 目次 モノ言わぬ歴史の語り部 勤労動員学徒15人を含む死者111人 空襲は3回あった 壁一面に生々しく残る弾痕 東大和市が「史跡」に指定 ふるさと納税の寄付金も「修理」に活用 モノ言わぬ歴史の語り部 旧日立航空機㈱変電所(2022年9月4日撮影) 壁が穴ぼこの建物は、旧日…
戦争と平和~「B29」に体当たりした調布飛行場の戦闘機「飛燕」と「掩体壕」の記憶
武蔵野の森公園で保存されている「掩体壕(えんたいごう)」 目次 陸軍の飛行場だった調布飛行場 陸軍戦闘機「飛燕」が配備された 掩体壕はいつ造ったの? 「B29」に東京上空で体当たりした! 「体当たり機」は滑走路横の掩体壕に配置した 「体当たり」を市民は見ていた 住民避難の「不発弾」は体当たりされたB29の持ち物だった 掩体壕も文化財 調布飛行場(東京都調布市)の隣の「武蔵野の森公園」に、かまぼこ型のコンクリートの塊が2つ、残っています。これは何でしょう? 米軍の爆撃機「Bー29」による空襲で、日本の戦闘機が破壊されるのを防ぐために造ったほら穴なんです。掩体壕(えんたいごう)と呼んでいます。 こ…
天孫降臨の地・宮崎の空の玄関口・宮崎空港。 現在宮崎空港があるこの場所は、太平洋戦争中は海軍の赤江飛行場がありました。 この周辺には今も当時使用した関連施設が残っていて見ることができます。 そこで今回は 赤江にある海軍飛行場関連施設を紹介します。 (弾薬庫??) 太平洋戦争末期には海軍赤江飛行場は、沖縄戦の特攻隊出撃基地になり、ここから多くのパイロットが出撃しました。 現在は宮崎空港に隣接する畑になっていますが、ここにコンクリートでできた 建物が2つ、ポツンとあります。 案内板には弾薬庫と説明されています。 この2つのコンクリートでできた建物を見てみましょう。 下の写真の右奥と左手前の2つある…
天孫降臨の地・宮崎の空の玄関口・宮崎空港。 現在宮崎空港があるこの場所は、太平洋戦争中は海軍の赤江飛行場がありました。 この周辺には今も当時使用した掩体壕(中攻用・小型機用)およびその関連施設が残っていて見ることができます。 赤江飛行場のように、1つの地域に大小の掩体壕が数多く集まって残っているのは 全国的に珍しいそうです。 そこで今回は 現存する小型機用の掩体壕を紹介します。 (3基残る小型機用掩体壕) 赤江飛行場で使用し、今も残っている小型機用の掩体壕は3基あり、近くに固まって いました。 撮影した時が逆行だったので見にくくて恐縮ですが、下が現地に掲げられていた案内板です。 では現地にあっ…
海軍赤江飛行場に残る戦争遺跡③・本郷地区掩体壕:中攻用掩体壕(宮崎市)
天孫降臨の地・宮崎の空の玄関口・宮崎空港。 現在宮崎空港があるこの場所は、太平洋戦争中は海軍の赤江飛行場がありました。 この周辺には今も当時使用した掩体壕(中攻用・小型機用)およびその関連施設が 残っていて見ることができます。 赤江飛行場のように、1つの地域に大小の掩体壕が数多く集まって残っているのは 全国的に珍しいそうです。 そこで今回は 本郷地区にある中攻用の掩体壕を紹介します。 本郷地区には下の写真のように住宅地の中に4か所中攻用の掩体壕が点在しています。宮崎県の資料を基に、 写真右の壕から、1号基と番号を付けています。 (1基は一般公開開始) 本郷地区にある4基の中攻用掩体壕は、まず、…
戦争遺跡~③館山海軍航空隊の掩体壕・「戦闘指揮所」地下壕など
NPO法人安房文化遺産フォーラム代表の愛沢伸雄さんに、 館山海軍航空隊赤山地下壕(あかやまちかごう)を案内していただいたのは、 1998年10月10日でした。 当時、愛沢さんは千葉県立安房南高校の社会科(世界史)担当教諭。房総半島南部の戦争遺跡の調査研究に取り組み、文化財として保存する方向で動いていました。 愛沢さんからは赤山地下壕以外の戦跡も案内していただきました。今回はその紹介です。 目次; ★掩体壕(えんたいごう) 館山海軍航空隊の掩体壕 茂原(もばら)海軍航空隊の掩体壕 ★128高地 地下壕 戦闘指揮所 作戦室 「龍」の彫り物 山積みのセメントの袋 128高地地下壕は立入禁止 ★従軍慰…
戦時中に造られた、戦闘機などを守る格納庫・掩体壕。宮崎県新富町には、陸軍の新田原(にゅうたばる)飛行場があり、周囲には掩体壕が 4体現存しています。 現存する掩体壕は、頑丈な分厚いコンクリートで造られた屋根がある有蓋掩体壕です。 4基のうち3基を見てきました。 まずはこれ。 基地のすぐ隣にある畑の中にポツンとあります。 そこから少し離れた場所にある別の掩体壕。 畑の中にあるためか農機具が置かれていました。 コンクリートが分厚いのが印象です。 戦争中に作られたので80年ほど前に作られたものですが、つくりは頑丈です。 こちらは掩体壕の後ろ。。 さらに離れたところにもう1基 こうして太平洋戦争当時の…