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【横浜大空襲とは?】被害の全貌と歴史的背景をわかりやすく解説
横浜大空襲(よこはまだいくうしゅう)は、第二次世界大戦末期の1945年5月29日にアメリカ軍によって行われた大規模な空襲です。横浜市街地の大半が焼失し、多くの市民が命を落としました。この記事では、横浜大空襲の概要、被害の規模、歴史的背景、現...
後半の母島ツアーへ~そのままの戦争遺跡にビックリ! 昔、この辺りも、右側は海岸まで見渡せていたようです。海軍の探照灯基地がありました。 洞窟です。 これ…
早朝、アカガシラカラスバトを撮る!いよいよ母島へ~ 翌日は早朝から散策へ~やっと天気が回復してきました。大神山神社(おおかみやまじんじゃ)へ。 住民が移…
ガイドさんが迎えに来てツアーに出発します! 宿のすぐ前は砂浜です。 メジロは小笠原亜種ですが、内地と同じです。声が違う感じ、たくさんいました。 朝ご飯…
後半は父島で登れる最高峰中央山へ~ほぼクルマです・・ 中央山に登りました。 実際に登れる父島最高峰です。 ここに海軍電波探信儀(電探)(レーダー)があり…
大久野島に降り立ったら、すぐにウサギがわーっといっぱい群れているのかと思いきやさにあらず。船着き場から、休暇村と逆の、発電場跡側からすぐに尾根の方に上がってしまったせいで、相当歩いてからようやく一匹、木の根元にうずくまっているのを見かけた。砲台跡とかの戦争遺跡の方は、他の観光客とほとんど出会わず。日本一高い高圧鉄塔の根元まで行って海岸に降りたら、人とウサギをそこそこ見かけるようになった。何面ものテニスコートの廃墟もいとおかし。子ウサギも見かけたし、毒ガス資料館も見て満足。また乗れるかどうかソワソワするのが嫌なので、予定より一本早くフェリーで戻ることにした。にほんブログ村大久野島
田浦の旧海軍の倉庫群を見に行ったときに見つけた貨物線の跡。 見事に直交しているのが不思議です。 しかもそれが2か所もあるんですよね。 これはどういうこと? 直交している片方は海のほうへ伸び、も
名称(竣工時):国次高射砲陣地名称(その後):西淡路高射砲台跡(一部が工場・住宅に転用)所在地:大阪府大阪市東淀川区西淡路5-14滅失:2018-2019年 www.city.osaka.lg.jp hnnh3.exblog.jp hnnh3.exblog.jp
ここは自衛隊と倉庫会社の私有地だらけで、道路から撮るしかありません。諦めていたのが見えると知り行ってみます。 一飛倉庫(D倉庫)昭和9年 実は右隣りにも同じような形の倉庫(二飛倉庫)がありましたが火
前回、撮り忘れたのがこの建物です。 相模運輸倉庫 K倉庫(旧光学兵器倉庫)昭和3年築光学兵器というのは双眼鏡などのことだそうです。 ぱっと見、古臭い倉庫と言う感じですが… 壁面はレンガ積だったも
先日、戦争遺跡の町をふらついた時に、撮り忘れたものや撮り直しがしたいなぁと思ったので再び・・・ 前回にもアップした、相模運輸倉庫 E倉庫(旧兵器修理場) 「低温恒温倉庫」の文字が消えかかっていて、
田浦港町の続きです。 田浦港町は、そのほとんどが「無番地」です。あの「番外地」と同じ意味合いですね。 ツタに覆われたものすごいいでたちの倉庫。 旧第三水雷庫でトラスには「F」の文字があるようですが
三浦へ野菜を買い出しに行くついでに、いつも近くを通っていても、足を踏み入れたことの無い地区へ寄ってみました。 国道16号を南下すると長浦港の案内板が出ています。ここを左に入ると海上自衛隊と相模運輸倉
8月12日の朝、広島駅前は再開発工事が真っただ中。駅前大通に移設される路面電車の軌道も敷設されていました。 始発の呉線に乗車します。 広で乗り換えて、7:37着の忠海で下車しました。 磯の香りが漂うような静かな町を抜けて忠海港へ。 8:30のフェリーには、100人近い人が乗船しました。 15分ほどで大久野島に到着。 芸予諸島に浮かぶ大久野島は、周囲4.3kmの小さな島。 ほぼ全域が環境省所管の国有地で、近年は900羽以上のウサギが生息し「うさぎの島」として知られています。 島の南部には「国民休暇村大久野島」があって、リゾートという感じ。 フェリーの乗客の多くは、そのまま休暇村の送迎バスに吸い込…
⛰️ 加太砲台 🌳 弾廠跡 厠跡 🌲加太砲台 弾廠跡入れず... 仕方無いので ガラス越しに 📸 撮影加太砲台 厠跡加太砲台 弾廠跡 厠跡 暑い 🥵 から コ…
2024年3月31日の続き。金沢八景から、平潟湾を越えて、野島町まで歩いてきました。 このあたりは3本の橋で結ばれた平潟湾の中に浮かぶ住宅街。 そして、北側の野島山の周辺には野島公園という大きな公園があります。 この日は、日差しがあたたかな春の陽気。園内にはバーベキューや潮干狩りの家族がいっぱい。 そんな家族の姿から背を向けると、野島山の腹に巨大な穴を見つけることができます。 これは、野島山を貫通する巨大な掩体壕。掩体壕は軍用機をはじめとする軍事物資を攻撃から守る横穴上の施設を言います。 「野島の掩体壕」とよばれるこの掩体壕は、野島山を東西に貫通するひときわ巨大なもの。現存する掩体壕の中で最大…
【父が娘に伝える大日本帝国の物語】<R003>鹿島海軍航空隊基地跡を訪ねて
【父が娘に伝える大日本帝国の物語】<R003>本稿は、鹿島海軍航空隊基地跡訪問に纏わる物語です。 歴史は人の手を介して伝えられるものであるから、そこには取捨選択が有り、伝えられる側も人であるが故に感情が添えられる。置かれた立場により大義が何通りも存在するから、起こった事実とそれぞれの事情を多面的に捉えようといった意識がいつも肝要だ。我が国の歴史の物語に触れることが、自分の生まれた国に対する興味と愛着、自身のルーツに対する敬意、自分の頭で考える未来に繋がれば嬉しいと思う。
明治維新後の金沢は、第3師団歩兵第6旅団、その後第9師団がおかれた「軍都」でした。 特に第9師団は日露戦争で旅順包囲戦に参戦した精鋭で、上海事変後は中国各地を転戦しました。 太平洋戦争後半には第32軍の下に入り、沖縄防衛の中核を担っていましたが、沖縄戦直前に台湾に転出しそのまま終戦を迎えました。 陸軍内でも精鋭として知られましたが、結果として太平洋戦争では一度も戦闘を経験しなかったことになります。 軍都でありながら金沢は大規模な空襲を受けなかったので、市内には当時の名残があります。 そんな名残を、金沢城周辺で探してみました。 まずは、第6旅団司令部です。金沢城内二の丸にあります。 メインルート…
8月15日で終戦の日なので関連する日記でも書きますかね。 と言っても今までのように博物館などではなく 戦争遺跡としてそのままブツが残っている場所でございます。 タイトルの時点でネタバレもくそもないけど 千葉県南房総市の富浦駅から徒歩で50分ほど…車で行け 大房岬自然公園 taibusa-misaki.jp 今は自然公園としてキャンプ場や運動広場などを始めとして親しまれております。 ちなみに読み方は「たいぶさみさき自然公園」で「だいぼうみさき」ではありません。 「だ」じゃなくて「た」なのがまたややこしい。 ギリギリ南房総市のちょっぴり突き出た岬です。 チーバくんでいうと脛のあたりといえば正しいか…
【今年読んだ本ベスト10入り確実】戦争とバスタオル [ 安田 浩一 、金井 真紀]
内容紹介(出版社より)タイ、沖縄、韓国、寒川(神奈川)、大久野島(広島)--あの戦争で「加害」と「被害」の交差点となった温泉や銭湯を各地に訪ねた二人旅。 ジャングルのせせらぎ露天風呂にお寺の寸胴風呂、沖縄最後の銭湯にチムジルバンや無人島の大浴場……。至福の時間が流れる癒しのむこう側には、しかし、かつて日本が遺した戦争の爪痕と多くの人が苦しんだ過酷な歴史が横たわっていた。 ■タイ…………ジャングル風呂と旧泰緬鉄道■沖縄…………日本最南端の「ユーフルヤー」■韓国…………沐浴湯とアカスリ、ふたつの国を生きた人■寒川…………引揚者たちの銭湯と秘密の工場■大久野島……「うさぎの島」の毒ガス兵器 嗚呼、風…
2010年8月11日、中国・ハルビンにある「侵華日軍第七三一部隊遺址」を見学した時の記録です。その際、森村誠一氏の「悪魔の飽食」を持参しました。
ダラダラ続いたGWの話も最後です。 角牟礼城から豊後森駅に戻って14:04発の特急ゆふ3号で大分へ。 小倉で乗り継いで下関で宿泊しました。 翌5月3日。ホテル前からバスに乗って御裳川へ。 関門海峡を徒歩で渡ることができる人道トンネルの下関側出入口が至近です。 この日最初の目的地は火の山公園です。 ロープウェイがありますが、始発が10:00のためまだ動いていません。ちなみにこの時点で8:00前です。 仕方ないので、登山道を登ります。 20分ほどで到着しました。 火の山公園は、関門海峡を望む景色が有名。 ちなみに夜景も有名です。ただ、肝心のロープウェイは夜間運行は限定された数日のみで、通常は17:…
5月1日の話。 朝の飛行機で長崎へ。バスに乗り換えて、10時過ぎに新地中華街に到着しました。 すぐ路面電車に乗って、市役所で下車。 目の前に山肌にへばりつく家々がせまり、壁のよう。 長屋風の建物は長崎歴史文化博物館。この日は休館日でした。 博物館の裏手が最初の目的地、長崎県防空本部跡(立山防空壕)です。 終戦近い1945年ころ掘られ、空襲時には長崎県庁が避難し、消防や救護の拠点として機能したとのことです。 戦後は打ち捨てられていたようですが、2005年に補強、再整備の上一般公開されました。 壕内は補強の手が入っているものの、当時の雰囲気がよく残ります。 8月9日の原爆投下時は、爆心地からは山の…
春の陽気に誘われて以前より気になっていた淡路島の生石公園へバイクツーリング生石公園へ行く前にGoogleMapで見つけた公園「時のしらべ」でサンドイッチとコーヒーで昼食南淡路水仙ラインのわき道に入りちょっとした未舗装道を越えて訪れた公園には誰もいなかったトイレや水場も無い割には荒れてないし、BBQ跡が有ったりするので案外利用者が居てるかも「時のしらべ」のシンボルとして日時計が設置されていてプレートには阪神淡路大震災の瓦礫処分場跡地を整備した公園と記されていた海岸へもアクセスできるが遊歩道が崩れていた熊田海岸はゴロゴロとした石の海岸は漂着物が多くてあまり居心地は良くない生石公園には戦時中に紀淡海峡に侵入する敵国の艦船を攻めるため旧日本陸軍が防衛拠点として由良要塞が築かれていた。結局使われる事無く終戦を迎えた...春のアワイチバイクツーリング
【戦争遺跡】弾薬輸送線跡をたどる(福間駅~福津市上西郷地区)
戦時中、福津市内を短い専用線が通っていました。上西郷地区に建設された弾薬庫向けに、弾薬を輸送するための軍用線です。戦争が終わると用途を失い、その跡は住宅地や農地に変わっていきましたが、廃線から65年を過ぎた今でも、その痕跡はわずかに残っています。今回はJR福間駅を起点に、軍用線の跡を辿ってみました。なお、建設のきっかけになった弾薬庫は、今も倉庫として活用されています。こちらもついでに見ておくことに。福...
【那覇近郊の絶景ポイント】浦添グスク&ようどれを歩く(沖縄県浦添市)
沖縄本島中央部を俯瞰できる場所があると聞いて、浦添市にやってきました。ゆいレール浦添前田駅から歩いて10分の場所に、史跡・戦跡で知られる「浦添グスク」があります。ここがどんな場所か、そしてどんな風景が見られるのか、時間をかけて散策したいと思います。まずはグスクに入るため、散策路の入口にやってきました。急な坂道を進むと、やがて足元が石畳に変わります。なんでも、発掘された古い石畳を修復の上、保存している...
知覧町護国神社の御朱印情報|知覧平和公園に鎮座|(鹿児島県南九州市)
所在地鹿児島県南九州市知覧町郡17974祭 神戊辰戦争から太平洋戦争までの知覧町出身の戦没者由 緒知覧町の知覧平和公園の中に鎮座している神社です。1869年、戊辰戦争の戦没者を祀ったのが始りで、後に西南戦争から太平洋戦争までの戦没者を順次合
高知1泊運だめしの旅~雲海はすぐ見れんのとちゃうんかい~ というわけで、 ゴールデンウイークも明けたことなので、車中泊旅を再開することに。まずは近場からとい…
地元の某病院に、個性的な建造物があります。長年遠方から眺めるだけでしたが身内がその病院で検査を受けることになりついに足元から見上げてきました。「給水塔」で検索…
シダやツル植物で覆われた石灰岩の斜面を見ていると、妙に人工的なコンクリートと銀の扉が見えます。秘密基地?!。コンクリートの壁には電気検診メーターも取り付けてあって、こんな所に誰か住んでいるんでしょうか?実はこれ、かつて旧日本軍が壕として使っていた洞窟で、今ではその穴を利用して地震計が設置されているそうです。この並びには戦時中の通信室の壕や、戦闘機を隠す掩体壕も幾つかあり、白保の飛行場で離着陸がある度にここまで人力で押して来て隠していたそうです。石垣島には地震計が何か所かあり、オイラの住む名蔵からチョッと行った斜面にもやはり同じような銀の扉で、その中に計測機器が設置されています。雨続きの石垣の冬が終わり、そろそろまたカブに乗ってウロウロできる季節がやって来ました。啓蟄が過ぎた途端にムカデが家の中に入って来たり、藪...旧日本軍の壕も、
【散歩先には事欠かない!】旧東京砲兵工廠…後楽園遊園地から礫川公園!
これまでの戦争遺跡巡りはブログにアップ(17回)しています。東京砲兵工廠は健在の後楽園遊園地と小石川後楽園あたりに存在したとウィキにありました。工廠が建設されたのは明治4年(1871年)。その後関東大震災の影響もあり昭和10年(1935年)に地方に移転しています。5年前にも散歩していますが、改めて歩いてみました。① 後楽園遊園地にある旧東京砲兵工廠の基礎煉瓦を見て、② 春日駅そばにある礫川公園内にある...