メインカテゴリーを選択しなおす
目次基本情報御由緒御朱印御朱印境内案内参拝を終えて地図基本情報神社名:飛木稲荷神社御祭神:宇迦之御霊神社格等:村社鎮座地:東京都墨田区2-39-6最寄駅:曳…
1945年(昭和20年)4月7日(土)昼、東京都の調布上空でB29に陸軍の戦闘機・飛燕が体当たりし撃墜しました。 (当時の首都東京の防空体制:空の要・陸軍航空隊) 太平洋戦争も1944年(昭和19年)後半になると米軍による日本本土の空襲が本格化し、首都東京(当時は帝都)も空襲に襲われます。 この帝都の空を守ったのが、調布にあった陸軍飛行場から出撃する航空部隊でした。 下の写真が陸軍調布飛行場、現在は東京都の調布飛行場です。長い滑走路があるのがわかると思います。 現在の調布飛行場は滑走路が南北に1本だけですが、戦時中はこのほか東西にもう1本あり、敵機が襲来すると飛行第244戦隊の三式戦闘機・飛燕…
前回の90歳で亡くなられた女性の戦争体験談後半です。 東京大空襲の記憶~後半~ 長女の私が弟と妹の手をしっかり握って逃げることになりました。弟と妹は『恐い、…
昨日の記事の続きです。 90歳で地上の生涯を終えられた教会員だった女性は、東京大空襲を体験し、その記憶を小学校などでお話されていました。 戦争を知らない世代の…
1月22日、新年2回目の家族ドライブ御朱印収集は、奇しくも昨年暮れに自転車で回った栃木県。娘のリクエストは下野市の『下野大師』と足利市の『織姫神社』。グーグルマップとナビを頼りにいざ出発。【下野大師】北関東自動車道壬生ICを下りて、石橋駅方面に向かう。ロ
年男 昭和38年生まれの卯年。2023年に還暦を迎える年男。父が還暦の頃をよく覚えている。その時の父と自分を比べるとまだまだその域に達していないことを痛感する。父は裸一貫、0から始めて長男にかわって家族を養い自分の夢を諦めて仕事と信仰に精進
仙台中心部のアーケード通りにある「仙台空襲・爆撃中心点」を示す地面のプレート
このあいだ、仙台中心部のアーケード通りにある「仙台空襲 爆撃中心点」を示すプレートというのを見てきました。昨年12月に市民有志の方たちによって設置されたものだそうです。場所をもう少し細かく言うと、仙台市青葉区中央2丁目で、クリスロード商店街にある桜井薬局ビルの入口。ビルの入口に、“1945.7.10 仙台空襲 爆撃中心点” と記された円形のプレートがありました。 直径45cmだそうです。プレートのすぐそばの壁面には、2020年7月に設置された「仙台空襲を記憶する場」というプレートもあります。
戦争と平和~「B29」に体当たりした調布飛行場の戦闘機「飛燕」と「掩体壕」の記憶
武蔵野の森公園で保存されている「掩体壕(えんたいごう)」 目次 陸軍の飛行場だった調布飛行場 陸軍戦闘機「飛燕」が配備された 掩体壕はいつ造ったの? 「B29」に東京上空で体当たりした! 「体当たり機」は滑走路横の掩体壕に配置した 「体当たり」を市民は見ていた 住民避難の「不発弾」は体当たりされたB29の持ち物だった 掩体壕も文化財 調布飛行場(東京都調布市)の隣の「武蔵野の森公園」に、かまぼこ型のコンクリートの塊が2つ、残っています。これは何でしょう? 米軍の爆撃機「Bー29」による空襲で、日本の戦闘機が破壊されるのを防ぐために造ったほら穴なんです。掩体壕(えんたいごう)と呼んでいます。 こ…
2022年(令和4年)8月7日:体当たりでB29から北九州の街を守った体当たり勇士の慰霊祭に参加
★今回の撮影および資料提供に関して、大膳自治会の皆様にご協力を頂きました。 皆様、本当にありがとうございました。 爆撃で街が破壊されることを阻止するために敵機に体当り!自らの命と引き換えに故郷の街を守ってくれた兵士に対し、地元の方々が毎年開催している慰霊祭があります。その慰霊祭に参加させていただきました。 (体当たりで街を守る) 1944年(昭和19年)8月20日早朝、中国四川省成都を発進したB29重爆撃機が、北九州の八幡製鉄所などの軍需工業を攻撃目標として飛来します。「敵機襲来」の情報を受け、北九州の防空を担当していた山口県の下関にある小月基地では戦闘機が迎撃に発進します。午後5時、B29編…
隣町にあるパン屋さんに出かけた帰り、飛行場の近くを走っていたのですが、上空、かなり低い頭上を緊急不時着かと思うほどの低さで横切って行く飛行機が。ギュィーー...