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安来市広瀬町に鎮座する嘉羅久利神社は出雲国風土記に佐久多社と記載され、御祭神に素盞嗚尊と韓国五十猛命をお祀りする古社で、 嘉羅久利神社の「カラクリ」という名称は、機械の古語「カラクリ」の語源になったとも言われています。
池辺杉山神社(→神奈川県横浜市都筑区池辺町)は、創建年代等の詳細は不明ですが、中世の頃より池辺村の鎮守であったと伝わります。神仏習合の頃は八所権現を本地仏とする木像の不動立像と神体として祀っていたと記されます。権現(ごんげん)とは神仏習合の頃に「仏や菩薩が日本の神々という仮(=権・ごん)に姿を変えて現れる」という考え方で、これを本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)、または仏本神迹説(ぶっぽんしんじゃくせつ)と...
佐江戸杉山神社(→神奈川県横浜市都筑区佐江戸町)は、勧請年代は不詳ですが、江戸時代前期の1613(慶長18)年再興の棟札に、代官小泉久弥・小代官石川次郎右衛門の名が記され、仏法山 般若院 東漸寺(→神奈川県横浜市佐江戸町)が別当寺であると記されており、戦国時代に小机衆で佐江戸城主の猿渡氏が鎮護のために勧請したと伝わります。境内には御嶽三柱大神の碑があり、武蔵御嶽神社(→東京都青梅市御岳山)のおいぬ(オオカミ)を信仰す...
有馬神明神社(→神奈川県川崎市宮前区有馬5丁目)は、創建年代等の詳細は不明ですが、江戸時代後期の1845(弘化2)年12月の再建とあり、同年12月の「有馬村明細帳」によれば、当時村内には神明社2社と杉山社の計3社があったといい、これらが明治時代後期の1910(明治43)年に国の一村一社政策を受けて合祀し、有馬神明神社になったと記されます。もとの神明社2社は、江戸時代には旗本の遠山政之助(とおやままさのすけ)と曾根主税(そねち...
久末天照大神社(ひさすえてんしょうだいじんじゃ→神奈川県川崎市高津区久末)は創建年代等は不詳ですが、江戸時代に天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭神とする神明社と天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を祭神とする杉山社などを前身とする旧久末村の鎮守です。天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)は、神仏習合の頃は下総千葉氏が信仰したことで知られる妙見菩薩が本地仏とされました。神明社は江戸時代には南林山 普門院 ...
西八朔杉山神社(→神奈川県横浜市緑区西八朔町)は、創建年代等は不詳ですが、平安時代前期の927(延長5)年に作成された『延喜式神名帳』(えんぎしきじんみょうちょう→朝廷より官社に指定された全国の神社一覧)に「都筑郡一座杉山名神」と記載され、武蔵国六宮になっていた杉山神社に比定される神社の1つ(→論社)です。現在地には江戸時代前期の延宝年間(→1673年~1681年)に移転したらしく、それ以前は西北300ⅿほどの山麓にあったとい...
『出雲国風土記』に掲載されている神社は三百九十九社! その全てを五十代の中年親父が参拝してみようと思い、覚書としてブログを始めてみました!
『出雲国風土記』に掲載されている神社は三百九十九社! その全てを五十代の中年親父が参拝してみようと思い、覚書としてブログを始めてみました!
島根県松江市来待町に鎮座する来待神社は出雲国風土記で「支麻知社」の比定されています。 本殿が三棟あり、御祭神はそれぞれ中ノ社が大物主命、左ノ社が事代主命、右ノ社が五十猛命をお祀りしています。
末長杉山神社(→神奈川県川崎市高津区末長2丁目)は、創建年代などは不詳ですが、江戸時代には隣接する天台宗寺院・松林山 安楽院 明鏡寺(→神奈川県川崎市高津区末長)が別当寺として祭祀を司っていました。傾斜地にあるため末長杉山神社の境内から明鏡寺の本殿や三重塔を眼下に収めることができます。神仏習合の頃には約30cmの木の立像(→仏像)が神体だったようです。現在の社殿は2007(平成19)年に改築され、同年11月29日に入魂祭なる...
みたけ台杉山神社(→神奈川県横浜市青葉区みたけ台)は、創建年代は不詳ですが社伝では戦国時代中期の天文年間(1532年~1555年)に創建されたと伝わります。他にも鎌倉幕府初代将軍の源頼朝が崇敬したという伝承も残りますが、これは後世の創作と思われます。江戸時代にはこの地の地頭(→領主)の渡辺氏が年初穂米1俵を寄進し、造営・修理などのたびに特別扶持米を奉納しています。また、医王山 薬王院 東光寺(→現在は廃寺、医薬神社の...
大棚杉山神社(→神奈川県横浜市都筑区中川6丁目)は創建年代は不詳ですが、別当寺(→神仏習合の時代に神社の祭祀を司った寺院)の大杉山 龍福寺(→神奈川県横浜市都筑区大棚町)の近くにあった社殿を昭和時代後期の1983(昭和58)年の土地区画整理事業にともない現在地へ移されました。『神奈川県神社誌』によると、この場所にはもとは吾妻山吾妻社という神社があり、明治時代後期の一村一社政策により八幡社・神明社・吾妻社の3社が合祀さ...
茅ヶ崎杉山神社(→神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎中央)は延喜式神名帳に記載された式内社(→武蔵国都築郡杉山社)と比定される神社の1つで、明治時代末期の1910(明治43)年に国の一村一社政策により村内の神明社・天王社が合祀されました。境内社に稲荷神社があります。〖主祭神〗・五十猛命(いそのたけるのみこと)〖合祀祭神〗・神明社→天照大神(あまてらすおおみかみ)・天王社→素戔嗚命(すさのおのみこと)・稲荷社→稲倉魂命(いな...
市ヶ尾杉山神社(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)は、江戸時代初期の創建された五十猛命(いそのたけるのみこと)を祭神として祀る旧市ヶ尾村の総鎮守で、社殿の隣には境内社として稲荷社が祀られています。江戸時代までは杉山社と呼ばれ、近くにある真言宗豊山派寺院の初割山 東福寺(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)が別当寺として祭祀を司っていました。東福寺については後日ご紹介いたします。〖杉山神社(市ヶ尾)〗祭神: 五十猛...
島根県出雲市斐川町に鎮座する立虫神社は、出雲国風土記に立虫社と記載された古社で、五十猛命・大屋津姫命・抓津姫命を主祭神に大名牟遅命・伊弉冊大神を配祀神としてお祀りする神社です。 境内には、神々の宴と旅立ちの社として有名な万九千神社も鎮座します。
福岡市西区金武にご鎮座する妙見神社です。住宅街の細い道を通って行きます。御祭神は五十猛大神、須佐之男大神。一の鳥居の神額には「五十猛神社」と表記されています。二の鳥居の神額には妙見神社と表記されていました。三の鳥居の神額には「妙見宮」と表記されていました
福岡市西区飯盛に御鎮座する飯盛神社中宮社です。飯盛神社から徒歩で十五分ほど。車やバイクでも行けそうですが道が狭いのですれ違う時とか大変そうです(徒歩でもちょっとキツかったので)。とても大きい立派な鳥居。禊をして参拝させていただきます。御祭神は五十猛尊。ス
糟屋郡久山町久原に御鎮座する白山宮です。猪野篠栗線と呼ばれる県道547号線沿いの道中に参道を発見。久山町のコミュニティバス「イコバス」の白山神社前バス停の目の前に駐車場があるのでそこに自転車を失敬させていただきました。車二台分ほどなら停められるスペースが