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小野神社(→東京都府中市住吉町3丁目)は、平安時代前期の927(延長5)年に作成された『延喜式神名帳』(えんぎしきじんじょうちょう→朝廷より官社に指定された全国の神社一覧)に記載された武蔵国多磨郡八座のうちの1つと比定される小野神社です。なお、多摩市内にも式内社に比定される有力な小野神社(→東京都多摩市一ノ宮1丁目)があり、二社は多摩川を挟んで1.6㎞ほどの距離にあるため伝承も混同しているようです。〖祭神〗・瀬織津比...
西八朔杉山神社(→神奈川県横浜市緑区西八朔町)は、創建年代等は不詳ですが、平安時代前期の927(延長5)年に作成された『延喜式神名帳』(えんぎしきじんみょうちょう→朝廷より官社に指定された全国の神社一覧)に「都筑郡一座杉山名神」と記載され、武蔵国六宮になっていた杉山神社に比定される神社の1つ(→論社)です。現在地には江戸時代前期の延宝年間(→1673年~1681年)に移転したらしく、それ以前は西北300ⅿほどの山麓にあったとい...
小野神社(→東京都多摩市一ノ宮1丁目)は、平安時代前期の927(延長5)年に作成された『延喜式神名帳』(えんぎしきじんじょうちょう→朝廷より官社に指定された全国の神社一覧)に記載された武蔵国多磨郡八座のうちの「小野神社」に比定される神社の1つです。東京都府中市にも小野神社がありますが、多摩川の氾濫にともない移転を繰り返した結果2社に分かれたとも、どちらかが本社でもう片方が分社であるとも言われています。鎌倉時代に...
大庭神社(おおばじんじゃ→神奈川県藤沢市稲荷)は、平安時代の927(延長5)年に作成された『延喜式神名帳』(えんぎしきじんみょうちょう→朝廷より官社に指定された全国の神社一覧)に「高座郡大庭神社」と記載された相模国の式内社13社の1つと比定されます。ただし、江戸時代以前の記録は失われており、創建の詳細は不明です。境内には神仏習合の名残りとして、江戸時代中期の1716(享保2)年に鋳造されたと記される洪鐘(おおかね→梵鐘)...
↑紀元前六百六十年の創建(凄い!)とも伝わる、神奈川県伊勢原市下糟屋2202番地に鎮座する「高部屋神社」を訪問しました。↑最寄駅は、小田急 小田原線「伊勢原」駅です。駅から神社まで、徒歩20分くらいでしょうか。髙部屋神社を訪問した理由は・・・↑太田道灌公の菩提寺、大慈寺(探訪記は、このリンクから御覧いただけます)を訪問した際、大慈寺の管理責任者の方から「由緒ある神社なので、訪問してみては?」と勧められた...
穴澤天神社(→東京都稲城市矢野口)は、東京神社庁によると紀元前423(孝安天皇4)年の創建としていますが、これは大和地方に大王(→現在の天皇)が王権を確立していない弥生時代中期(→紀元前5世紀)にあたり、もちろん孝安天皇は実在の人物ではないため縁起の信憑性は薄く、創建年代不詳というのが実態です。しかし、穴澤天神社は平安時代前期の927(延長5)年に編纂された『延喜式神名帳』に記載されている多磨郡8座のうちの1社と比定され...
青渭神社(あおいじんじゃ→東京都調布市深大寺元町5丁目)は、平安時代中期の927(延長5)年に編纂された『延喜式神名帳』(えんぎしき じんみょうちょう)に記された武蔵国多磨郡八座の1つで、創建は900(昌泰3)年以前と言われています。境内掲示によると、この地を開拓した民衆や渡来人が生活に欠かせない水を尊び、祠を建て水神を祀ったのが興りで、祭神は水神の水波能売大神(みずはのめおおかみ)と青渭押比売命(あおいおしひめのみこ...
布田天神社(ふだてんじんしゃ→東京都調布市布ヶ丘1丁目)は、平安時代前期の927(延長5)年に制定された『延喜式』神明帳に名を連ねる武蔵国多磨郡八座の1つに数えられる多摩地方有数の古社です。社伝では11代垂仁天皇(→死亡した西暦70年は弥生時代にあたるため実在性はかなり低い)の時代に創建されたと伝わりますが、木簡などの記録から平安時代前期の900年には少彦名命(すくなひこなのみこと)を祭神とする社(やしろ)が創建されてい...
茅ヶ崎杉山神社(→神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎中央)は延喜式神名帳に記載された式内社(→武蔵国都築郡杉山社)と比定される神社の1つで、明治時代末期の1910(明治43)年に国の一村一社政策により村内の神明社・天王社が合祀されました。境内社に稲荷神社があります。〖主祭神〗・五十猛命(いそのたけるのみこと)〖合祀祭神〗・神明社→天照大神(あまてらすおおみかみ)・天王社→素戔嗚命(すさのおのみこと)・稲荷社→稲倉魂命(いな...