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投稿者:ハンJ太郎1 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2024/04/18(木) 19:46:26.25 ID:SHrnJxXv0.net
No.95 故 杵屋栄二氏の古い写真14 【 ソウル市電 322 】
写真箱を開けてみたら・・・・・ ちょっと古い写真が出てきたので新しい書庫をこさえました。ずいぶん前 大阪交通科学館に行きました。関西在住の友達から貰った小冊子から杵屋英二氏が戦前撮影した貴重な鉄道風景を紹介します。日本統治下の京城 ソウル市電322。元町行き先が表示され、後方ドアには女性車掌の姿が写っている。周囲には日本語表記の看板や広告が見られ、京城駅前と思われる。にほんブログ村よろしければ”ポチ“...
『上海モダンの伝説』は戦前に「老上海」と呼ばれた「魔都」に魅せられた日本人たちを取り上げています。 幕末から昭和初期まで種々雑多な日本人が上海を訪れています。革命家、諜報機関、宗教家、作家や芸術家など、職業も身分も異なる人が上海へ集まるので
実家に眠るお宝を探そう!国産時計の王道と言えば、SEIKO(セイコー)になりますが、歴史的の長さはROLEXと変わらないです。【左側 : グランドセイコー 2…
昭和29年『ゴジラ』という前人未到のSF映画が完成するまで、日本映画はどのようにしてSFの表現を模索してきたか。稚拙なトリック映画から、ロボットとチャンバラをかけ合わせたB級映画、はたまたアマチュアの自主制作まで、さまざまなフィルム・資料を調査し、日本のSF映画のルーツに迫るドキュメントです。
戦前の映画の殆どが行方不明です。そうした貴重なフィルムを探すコレクターたちを追った『映画を追え フィルムコレクター歴訪の旅 』以前読んだ『映画探偵: 失われた戦前日本映画を捜して』は、失われた戦前映画のフィルムを探しだすドキュメンタリーでし
監督 伏水修出演 原節子出演 江波和子原作 丹羽文雄 女だからバカにされるんですわあたしもセールスマンになってやろうかしらだってセールスマンだったら男だと…
宮部みゆきさんといえばいろいろなジャンルの本を執筆されていますが、この記事では日本SF大賞を受賞した「蒲生邸事
豊見城中で戦前に戦死した軍人を慰霊するために作られた石碑「忠魂碑」が発見された。 市の歴史民俗資料展示室で公開されているという。[NHK]...
若大将シリーズのモデルになったなかなか面白い映画です。主人公は、その頃の大学の花形スポーツである慶応の元日本代表ラガーマンをそのまま映画の中で等身大に描いています。若大将シリーズとの共通点は スポーツ万能の大学生、イケメン(女性にもてる)、(裕福な)商人の息子、厳しい頑固な父...
92歳のお婆さんの話 戦前は振袖を未婚・既婚で分けなかった。振袖は上流階級しか着ないものだった。(前編)
今回は、92歳のお婆さんのお話シリーズで、戦前は振袖は未婚・既婚で分けていなかったし、庶民は振袖のことはよく知らなかったというお話です。私:「戦前は振袖にどんなイメージがありましたか?振袖は何歳まで着るイメージありますか?」 お婆さん:「戦前は垂れ物を着れる人自体が少なかったけど、まして振袖は、垂れ物を着れる家の中でもさらに少なくて、相当な名門の家でないと振袖は着れなかったと思うよ。 振袖なんて普...
92歳のお婆さんの話 戦前は男物で木綿や紬や銘仙の礼装があった。庶民のお葬式は野良着で参列、結婚式の礼装は庄屋が貸していた、etc.(前編)
今回は、92歳のお婆さんのお話シリーズで、戦前は木綿や紬や銘仙の礼装があったという話や、庶民は葬式の参列も普段着の藍染めの木綿着物だったというお話です。私:「以前、お婆さんのお話で、戦前の結婚式では、貸衣装屋がなかった田舎では大庄屋さんが貸していたというお話がありましたが、結婚式の参加者みんなの分を貸していたのですか?数は足りたのですか?」 お婆さん:「結婚式の参加者全員分はいらないよ。新郎新婦と...
92歳のお婆さんの話 戦前は男物で木綿や紬や銘仙の礼装があった。庶民のお葬式は野良着で参列、結婚式の礼装は庄屋が貸していた、etc.(後編)
(前記事からの続き)私:「男性で自前の羽織袴を持っていたのは、どういう立場の人ですか?」お婆さん:「正絹の羽織袴は地域の名士で町内のお役(氏子総代、お祭り、学校の行事)があったり、村長や町長を任されるような男性が着るもので、ほとんどの人は自前の羽織袴は持っていないよ。 都会なら自前の羽織袴を持っている人の割合はもう少し多いかもしれないけど、それでも正絹の羽織袴は地域の名士の人じゃないと必要ないんじ...
先日、新聞で某作家の記事が目に入りました。‟いま 本当は「戦前」かもしれない” オイオイオイ! ちょっと待てよぉぉ~ 今回は多事多論的にボヤくとするか・・…
こんにちは! リサモリです(^∀^) 今日は2022年にゲットした 戦前の編み物豆知識的な本を ご紹介しまーす🧶✨ 毛糸の再生方法 昭和14年発行 婦人倶楽部10月号付録 毛糸の再生法と編み物の洗い方、染め方、繕い方 昔は小さくなったり飽きてしまったデザインの ニットを解いて、編み直していた と話には聞いていましたが その詳しい方法を紹介している冊子を 見つけました(^∀^)! この本には、 最近は毛糸が少なくなってきた と書いてあるので この頃は毛糸の生産量が少なかったようです。 雑誌で毛糸の通販はできたみたいです(^∀^) ※第二次世界大戦が始まったのが 昭和14年9月で この冊子は昭和1…
着物警察はなぜ生まれたのか?初心者向けの安全パイ基準を絶対基準と勘違いしてしまった?
今回は、着物警察はなぜ生まれたのかシリーズで、着物警察が初心者向けの安全パイ基準を絶対的な正義だと勘違いしている可能性についてです。 着物のことを調べるうちにわかってきたことは、今の着物の格とTPOのルールは1970年代以降に商業的に作られたものであり、初心者向けに許容範囲を狭くして作られた「安全パイ基準」とも言うべきものだということ。 例えば、昭和後期のおかしな言説にあるような、「紬の着物には金糸の...
92歳のお婆さんの話 庶民は戦前の高級呉服の色柄は知らない、戦時中の苦労話
今回は、92歳のご近所のお婆さんのお話です。 色々調べる中で、戦後生まれの呉服関係者さんの中には、戦前の着物の色柄をよく知らずに、戦後の着物の色柄だけが正当派の高級呉服の色柄だと思い込んでいる人が多いようだということがわかってきました。 また、戦前生まれであっても、今の80代~90代前半の世代は、戦争の贅沢禁止令と混乱の中で地味な色彩の中で育ったため、戦前の着物が最も華やかだった時代の色柄を知らない人...
92歳のお婆さんの話 「紬は格が低い」などと庶民が言えるようなものではない。
今回は、92歳のご近所のお婆さんのお話シリーズで、戦前の大島紬・結城紬のイメージについてです。私:「大島紬や結城紬については、昭和後期の呉服の世界では、空前の紬ブームと言われて高級紬が飛ぶように売れていた一方で、『紬はいくら高価でも格の低いものだ』『大島紬はあくまでカジュアル着だから、下駄を合わせてもいいくらいだ』『紬は元々は農家がクズ繭で作って着ていた庶民的で野卑なものだ」「紬は庶民的なカジュアル...
92歳のお婆さんの話 黄八丈に若向きのイメージはない。戦前は裕福な年配世代の着るものだった。
今回は、92歳のお婆さんのお話シリーズで、戦前の黄八丈と格子の着物のイメージについて聞いてみました。私:「和裁士さんの価値観を見ていると、昭和後期の呉服の世界では、『黄八丈は町娘の着るイメージがある』『黄八丈は(黄色だから)若向きだ。(=年配は着れない)』という説が流布されていたそうです。 戦前に、黄八丈にどういうイメージがありましたか?」 ↑『演目別歌舞伎の衣裳』丸山伸彦、東京美術(2014)より...
呉服屋の話は伝言ゲームで成り立っている?① 自分までその時代を生きていたかのように話す慣習について
今回は、「昭和後期のおかしな言説」シリーズや「着物警察はなぜ生まれたのか」シリーズを今後展開していくにあたり、その導入編として、私が着物の世界を覗くうちに気付いたことや、着物初心者さんが先に知っておいたほうがいいことを書いておきたいと思います。 私が見ていて感じたのは、呉服の世界の価値観として、「昔の知識を持っている年寄りほど偉い。」「伝統的で保守的な着こなしをするほど立派だ。先例を守ることが...
呉服屋の話は、師匠からの伝言ゲームで成り立っている?② 自分までその時代を見てきたかのように話す慣習について
(前回からの続き) 次に、一般人でも、着物の話となると聞きかじりの話に尾ひれ羽ひれつけてしまったり、想像や思い込みで話をしてしまう傾向があるという件について。 例えば、Mさん(60代後半)に着物の話を聞いた時、ご自分の小さい頃の記憶やお母様(90代前半)の話を参考に、「戦前は、昔の田舎の嫁入り道具は喪服と黒絵羽くらいしなくて、余裕のある人はそれに訪問着を足すくらいだった。田舎は冠婚葬祭の時にしか着物な...
被布は若向き×→上流階級の隠居した男性・女性が着るものだった○(後編)
(前編・中編に続き、今回は最後の後編になります。) 次に、国立民族学博物館の身装文化データベース(回顧編)を見てみます。====================================○http://htq2.minpaku.ac.jp/infolib/meta_pub/CsvSearch.cgi 私(1879~1941)の娘時代(1899c)は羽織はコート代用で寒い時に家の中で着る位で、目上の人の前ではあまり着なかった。堅気の家の娘や女中はみな家の中では着な...
昭和後期のおかしな言説 被布は若向き×→上流階級の隠居した男性・女性が着るものだった○。(前編)
今回は、昭和後期のおかしな言説シリーズで、被布のコートについてです。↑被布コート。画像はネット上より拝借しました。 和裁士さんの価値観や昭和後期の着物本を見ていて気が付いたのですが、昭和後期の呉服の世界では、「被布は若向きだ(=若い女性しか着てはいけない)」「いい年して被布のコートを着るのは若造りになる」という言説が流布されていたようです。 結論から先に述べると、これについても昭和後期のおかし...
着物を趣味にする前に知っておきたいこと①ー2 今の着物のルールは、戦後1970年代以降に作られたもの(其の二)
上手に買えばユニクロ価格で素敵な着物が買える♪ 着物と買い物のおバカ日記。
着物を趣味にする前に知っておきたいこと① 今の着物のルールは、戦後1970年代以降に作られたもの
上手に買えばユニクロ価格で素敵な着物が買える♪ 着物と買い物のおバカ日記。
92歳のお婆さんの話 戦前の農村は浴衣に半幅帯、戦争が始まると盆踊りも自粛ムードに
今回は、前回の話に続いて、92歳のご近所のお婆さんのお話シリーズで、戦前の浴衣の着方や盆踊りについてです。私:「浴衣についての質問です。呉服の世界では、『昔は浴衣は湯上りに着るバスローブのようなもので、昼間の外出着にはならなかった。今はお祭りの日に昼間から着るけど、どこまで行っても浴衣は格が低いものだ。』という言い方をする人がいます。 でも、実際に浴衣の歴史を調べてみると、湯上りのバスローブとして...
昭和後期のおかしな言説 浴衣には半幅帯が正当派だ×→戦前は浴衣に帯締め&お太鼓結びが正当派だった○
今回は、昭和後期のおかしな言説シリーズで、浴衣に合わせる帯についてです。 浴衣の着方について、昭和後期の呉服教育を受けた人を中心に、「浴衣は半幅帯を合わせるのが正当派の着方だ」「浴衣に長襦袢を着ずにお太鼓結びをするのは玄人さんの着方だ」「浴衣を夏着物として(長襦袢+足袋)着るのならいいけど、そうじゃないのに名古屋帯を合わせるのは間違いだ」と考えている人がいるようです。 ところが、上記の話につい...
明治・大正時代に衣更えは政策的に緩和され、戦前の庶民は単衣を3シーズン着ていた。(後編)
(前回からの続き) 次に、明治以降の衣更えの様子を見てみました。 国立民族学博物館の身装文化データベース(身装電子年表)によれば、明治時代になると江戸時代のしきたりを守る感覚が薄れ、庶民の衣更えの感覚は気温に合わせてイージーになっていたことがわかりました。 参考資料:近代日本の身装電子年表 (minpaku.ac.jp)↑「東京にて袷を着る時節は誠に不規則にて、昔なら『端午の帷子・重九の袷』などと気候の寒暖に構...
戦前の庶民は高級呉服の衣更えは知らなかった。明治・大正時代に衣更えは政策的に緩和され、戦前の庶民は単衣を3シーズン着たりしていた。(前編)
今回は、「昭和後期のおかしな言説」シリーズで、戦前までは高級呉服の衣更え(衣替え)は庶民は知らなかったというお話です。 和裁士さんを見ていて気付いたのですが、昭和後期の呉服の世界では、「衣更えは厳格なしきたりであり、守らなければならない日本文化であり、着物のマナーだ」「衣更えを守らない人は非難されても仕方ない(=他人が堂々と非難してもよい)」「衣更えのしきたりを知らないのは物知らずと思われるし...
田舎好みと20に80着物 田舎の90代の方の中には、今でも色と年齢の色彩感覚を持っている人がいる?
今回は、田舎にはまだ色と年齢の色彩感覚をお持ちの方がいるのか、聞き取り調査してみました。 母が通う趣味の洋裁教室の先生のご協力で、赤やピンクに対して特別な感情を持つ人がいないか調べていただいたところ、山間部出身の90代の方の中に、着物の色彩感覚をお持ちの方がまだおられるということがわかりました。 1人目は、岐阜県の山間部の農家出身の96歳(2018年現在)のお爺さんで、そのお爺さんは、お嫁さんや奥さん...
ヘチマで帯枕を作る話。軽くて涼しくて、夏だけでなく年中使えます。
今回は、ヘチマの帯枕を作る話です。 着物雑誌で、京都の芸舞妓さんはヘチマの帯枕を使っているという話を知り、私もヘチマの帯枕を作ってみました。 作り方は、YouTubeを参考にさせていただきました。 ご近所の92歳のお婆さんによると、戦前は帯枕は自分で作るのが普通で、ヘチマは昔から使われていたそうです。 既存の和装用品にも、夏用のへちまの帯枕があるのですが、和装用品あるあるで、けっこう割高…。帯枕 涼感 へ...
92歳のお婆さんの話 衣更えの話は高級呉服を着る極一部の裕福な人の話であり、庶民は関係なかった。
今回は、ご近所の92歳のお婆さんのお話シリーズです。 戦前の着物の衣更え(衣替え)のしきたりはどのような雰囲気だったか聞いてみました。(※当ブログでは、登場人物の年齢は2018年現在で固定しています。) 私:「呉服の世界では、衣更えのしきたりを遵守するかどうかで論争となったり、着物警察が生まれる原因となっているようです。 戦後の着物本には、衣更えの決まりごとについて、帯や着物や和装小物に至るまで、何...
昭和後期のおかしな言説 紬に金糸の帯を合わるのは一切ダメ×→戦前は高級紬に金糸の帯も合わせていた○(後編)
(前回からの続き) 前回の具体例から、戦後に作られた今の着物の決まりごとしか知らない新興呉服屋さんと、戦前からの知識を持っている呉服屋さんとでは、帯合わせの基準にこんなに差があるというのがおわかりいただけたと思います。 和裁士さんのお店では、基本的に、大島紬・結城紬に合わせる帯については、「紬にはカジュアルな帯を合わせるべきだ」という狭い許容範囲に徹底し、博多帯、真綿紬の帯、塩瀬の染帯など、ツヤも...
92歳のお婆さんの話 都会と田舎の色彩感覚と派手・地味の感覚の違い
しばらく間が空いてしまいましたが、今回は、92歳のお婆さんに戦前の銘仙のイメージと、田舎と都会の色彩感覚の違いについて聞いてみました。(前回の話はこちら→92歳のお婆さんの話 庶民は戦前の高級呉服の色柄は知らない、戦時中の苦労話) お婆さんには、Мさんのお母様のエピソード、田舎の20に80着物の話をしました。(過去記事→田舎好みと20に80着物 ~Mさんのお母様のエピソード~田舎好みと20に80着物/ Mさんのお母様...
92歳のお婆さんの話 戦前の銘仙は良家の奥様・お嬢様が着るものだった
(前回からの続き)私:「戦前の銘仙は、裕福な人しか着れなかったのですか? 着物本を読んでいると、銘仙やモスリンなら比較的安価なものという説明が多く、都会の普通の家の人が日常着で着ていたかのように思えてしまいます。 都会の現金収入のある人なら、本に載っているようなカラフルな銘仙を、みんな気軽に着ていたのかと思っていました。」 ===================================↑『...
(前回からの続き)私:「田舎と都会では銘仙についても色柄や趣味が違ったと思うのですが、どうでしたか? 田舎ではオシャレする場所も必要性もないというのもあり、戦前の写真を見ていてもお出かけのオシャレ着の写真があまり残っていないですし、田舎の労働着や日常着と都会の人が百貨店や銀座に行く時のオシャレ着を比較するのは不公平ですから、都会も田舎も休日の自由なオシャレ着の格好で比較したいです。」お婆さん:「以...
朝鮮総督府 中央試験所 南大門 韓国 漆種子 大正時代 岩手ビンテージ 郵便物送付書
岩手から漆の種を送った郵便送付書になります 南大門ですから今で言うソウルに送付しています 前にも朝鮮に幅広く岩手県北の代表工芸品である漆を送付した領収証を掲載しました。 ほんと韓国のいろんなところに送付してるんですねえ。 国立公文書館 アジ歴グロッサリーより 中央試験所は、工業に関する試験、分析及び鑑定を行う機関。1912年3月27日、「朝鮮総督府中央試験所官制」(勅令第三六号)にもとづき設置された。職員は、所長、技師3名(奏任)、書記・技手6名(判任)だった。1920年1月の事務分担表によれば、歳入歳出・庶務物品会計を担う庶務係、鉱物分析・有機分析を担う分析試験部、製紙..
~~引用ここから~~安倍元首相死去容疑者宗教団体から襲撃対象を変更か【速報】 NHK【NHK】安倍元総理大臣が演説中に銃で撃たれ死亡した事件で、逮捕された容疑者が警察の調べに対し「特定の宗教団体に恨みがあり、安倍元…NHKニュース安倍元総理大臣が演説中に銃で撃たれ死亡した事件で、逮捕された容疑者が警察の調べに対し「特定の宗教団体に恨みがあり、安倍元総理がこの団体と近しい関係にあると思い狙った」「もともとは特定の宗教団体の幹部を殺害しようとしたが、できなかったので、元総理を銃で撃つことにした」と供述していることが捜査関係者への取材で分かりました。警察は、宗教団体への恨みがきっかけとなり、その後、近しい関係にあると思い込んだ安倍元総理大臣に襲撃対象を変更したとみて詳しいいきさつを調べています。(略)8日、奈良...1930年代との類似
[新刊]『戦前日本の自動車レース史―1922(大正11年)-1925(大正14年)』
4/26、三樹書房より、『戦前日本の自動車レース史―1922(大正11年)-1925(大正14年) 藤本軍次とスピードに魅せられた男たち』が発売されました。 …