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着物警察はなぜ生まれたのか?初心者向けの安全パイ基準を絶対基準と勘違いしてしまった?
今回は、着物警察はなぜ生まれたのかシリーズで、着物警察が初心者向けの安全パイ基準を絶対的な正義だと勘違いしている可能性についてです。 着物のことを調べるうちにわかってきたことは、今の着物の格とTPOのルールは1970年代以降に商業的に作られたものであり、初心者向けに許容範囲を狭くして作られた「安全パイ基準」とも言うべきものだということ。 例えば、昭和後期のおかしな言説にあるような、「紬の着物には金糸の...
呉服屋の話は伝言ゲームで成り立っている?④ 師匠の話を絶対視してしまうことについて
前回からの続きで、今回は、「学術的には誤った知識であっても、師匠の話を盲目的に信じてしまう」という件について書きたいと思います。 私が呉服の世界を見ていて気になったのは、学術的にも明らかに誤った言説なのに、その証拠や裏付けを見せられても信じられず、師匠からの口伝のほうを信じてしまう人が多いこと。 未来記事で詳述するので今回は簡潔に書きますが、例えば、和裁士さんは、振袖の帯結びの中では「ふくら雀」...
呉服の世界には男尊女卑と封建制が色濃く残っている?①-1 ~色と年齢の話もその一部?~
今回は、呉服の世界には男尊女卑と封建制が色濃く残っており、色と年齢についてもその類の話ではないのか?というお話です。 私が色と年齢についてきちんと調べてみようと思ったきっかけは、Mさんに言われたことがきっかけでした。 Mさん曰く、「あなたは着物に興味を持ち始めたばかりなのに水を差すのは悪いけど、伝統芸能とかの世界を見ればわかるように、伝統的・古典的な世界は、女性の地位が低い時代の風習や価値観をそ...
呉服の世界には男尊女卑と封建制が色濃く残っている?①-2 ~色と年齢の話もその一部?~
(前回からの続き) 戦後生まれの女性は、まさか着物の世界が昭和後期でも江戸・明治の封建制の風習を踏襲しているとは知らないでしょうし、男尊女卑と封建制が色濃く残ってるとは知らずに着物の世界に参入してしまうと思いますが、実はこういう世界なのです。 今までも着物に興味を持って着物の世界に参入した人はいるでしょうが、何となく違和感を感じたり、何となく薄気味悪く感じるようになり、それに気付いた人から先に着物...
田舎好みと20に80着物③-1 帯の色と年齢 ~和裁士さんのお店の色彩感覚~
今回も、和裁士さんのお店の色彩感覚と帯の色と年齢です。○帯は赤やピンクや黄色などの暖色系がちょこんと入っているだけで若向き。 和裁士さんのお店では、帯の色に関しても基本的に20代までしか暖色系の帯を使ってはいけないと習ったそうです。 例えば、母と叔母の嫁入り道具のこの綴れ帯に関しても、和裁士さんのお店では、「赤やオレンジが17歳のお譲ちゃんが着る可愛らしい色だから、昔だったら20歳前後までしか着れな...
田舎好みと20に80着物②-2 17歳のお嬢ちゃんが着る色、可愛らしい色柄、パステルカラーについて
(前回からの続き)○「昔だったら17歳のお嬢ちゃんが着る色だった」という言葉遣い 和裁士さんの言葉遣いで、「昔だったら17歳のお嬢ちゃんの着る色だった~」という言葉遣いが気になったので、ここで書いておきたいと思います。 現代の通過儀礼や学校の進級制度では、17歳という年齢に特別な区切りがあるイメージはないと思うのですが、和裁士さんの店では17歳という年齢に特別な意味や区切りを感じているようで、いつも17歳・1...
田舎好みと20に80着物① 着物の世界には「田舎好み」なる第三軸が存在する?
今回は、田舎の呉服屋さんには田舎好みという趣味があり、嫁入り道具の色と年齢に「20に80着物」という基準を適用している場合があるというお話です。 着物について調べるうちにわかってきたことなのですが、着物の好みには「江戸好み」「京好み」だけでなく、「田舎好み」と呼ぶべき第三軸の好みがあるようなのです。 これは和裁士さんと出会わなければ知ることのできなかった情報であり、ネットにもあまり書かれておらず、当...
田舎好みと20に80着物③-1 暖色系は20代まで、赤を忌み嫌う ~和裁士さんのお店の色彩感覚~
今回も、和裁士さんのお店の色彩感覚についてです。 呉服の世界の色彩感覚は江戸時代の奢侈禁止令の風習を引きずっているため、現代日本人の色彩感覚とはズレていて、着物のことを知らない人には理解できないような色彩感覚が存在します。 和裁士さんの色彩感覚は、20に80着物の色彩感覚だけでなく、呉服の世界全般を通して存在する色彩感覚もありますが、とりあえず、和裁士さんのお店の20に80着物の感性を項目ごとにまとめて...
田舎好みと20に80着物④ 帯揚げ・帯締めの色と年齢 和裁士さんのお店の色彩感覚
今回も、和裁士さんのお店の色と年齢の話で、帯揚げ・帯締めについてです。○年配になったら、帯締め・帯揚げまで全て寒色系にしないといけない。 和裁士さんのお店では、30歳過ぎたら年配世代は帯揚げ・帯締めは寒色系にしないといけないと習ったそうです。 例えば、帯揚げや帯締めには、ピンクや赤がちょこんとでも入ったものは年配になったら使わないし、寒色系でも鮮やかな色や淡い色はダメで渋い色にするというのが...
田舎好みと20に80着物⑤ 八掛の色と年齢 和裁士さんのお店の色彩感覚
今回も、和裁士さんのお店の八掛の色と年齢と色彩感覚についてです。 ○八掛の色も年配は寒色系にしないといけない。 八掛の色についても、和裁士さんのお店では、30歳過ぎたら基本は暖色系の八掛は派手だからダメで、年配になったら必ず寒色系にしないといけないと習ったそうです。 ↑左から、型染め小紋、江戸小紋 和裁士さんのお店では、こういう暖色系の八掛(赤・ピンク・黄色)が使われているものは、いくら表...
呉服屋の話は伝言ゲームで成り立っている?① 自分までその時代を生きていたかのように話す慣習について
今回は、「昭和後期のおかしな言説」シリーズや「着物警察はなぜ生まれたのか」シリーズを今後展開していくにあたり、その導入編として、私が着物の世界を覗くうちに気付いたことや、着物初心者さんが先に知っておいたほうがいいことを書いておきたいと思います。 私が見ていて感じたのは、呉服の世界の価値観として、「昔の知識を持っている年寄りほど偉い。」「伝統的で保守的な着こなしをするほど立派だ。先例を守ることが...
呉服屋の話は、師匠からの伝言ゲームで成り立っている?② 自分までその時代を見てきたかのように話す慣習について
(前回からの続き) 次に、一般人でも、着物の話となると聞きかじりの話に尾ひれ羽ひれつけてしまったり、想像や思い込みで話をしてしまう傾向があるという件について。 例えば、Mさん(60代後半)に着物の話を聞いた時、ご自分の小さい頃の記憶やお母様(90代前半)の話を参考に、「戦前は、昔の田舎の嫁入り道具は喪服と黒絵羽くらいしなくて、余裕のある人はそれに訪問着を足すくらいだった。田舎は冠婚葬祭の時にしか着物な...
呉服屋の話は、師匠からの伝言ゲームで成り立っている?③ 師匠や職人の話をそのまま受け売りする慣習について
前回からの続きで、今回は、「師匠や産地の職人から聞いた話を、裏付けを取らずにそのまま受け売りする」という慣習について。 過去記事で書きましたが、着物のウンチクやモノの良し悪しの評価については、呉服関係者によっては評価が真逆になることもあり、師匠の個人的な趣味や店の商業的な都合により、着物の理論が歪められてしまうことがあります。(過去記事→呉服の理論は商業的な都合で歪められていることがある!?自店...
被布は若向き×→上流階級の隠居した男性・女性が着るものだった○(後編)
(前編・中編に続き、今回は最後の後編になります。) 次に、国立民族学博物館の身装文化データベース(回顧編)を見てみます。====================================○http://htq2.minpaku.ac.jp/infolib/meta_pub/CsvSearch.cgi 私(1879~1941)の娘時代(1899c)は羽織はコート代用で寒い時に家の中で着る位で、目上の人の前ではあまり着なかった。堅気の家の娘や女中はみな家の中では着な...
飛び絞りの帯揚げは小紋・紬だけ×→戦前は留袖~紬まで幅広く合わせていた〇 ~昭和後期のおかしな言説~
今回は、昭和後期のおかしな言説シリーズで、飛び絞りの帯揚げは、戦前までは留袖~紬までは幅広く合わせていたというお話です。 戦後の昭和後期~平成に出版された着物本には、飛び絞り(輪出し)の帯揚げについて、小紋・紬にしか合わせられないかのように書かれている本が多く、昭和後期の呉服教育を受けた人の中には、「飛び絞りの帯揚げはカジュアル用だ。小紋か紬にしか合わせてはいけない。」と思っている人が多いと思い...
昭和後期のおかしな言説 被布は若向き×→上流階級の隠居した男性・女性が着るものだった○。(前編)
今回は、昭和後期のおかしな言説シリーズで、被布のコートについてです。↑被布コート。画像はネット上より拝借しました。 和裁士さんの価値観や昭和後期の着物本を見ていて気が付いたのですが、昭和後期の呉服の世界では、「被布は若向きだ(=若い女性しか着てはいけない)」「いい年して被布のコートを着るのは若造りになる」という言説が流布されていたようです。 結論から先に述べると、これについても昭和後期のおかし...
着物を趣味にする前に知っておきたいこと①ー2 今の着物のルールは、戦後1970年代以降に作られたもの(其の二)
上手に買えばユニクロ価格で素敵な着物が買える♪ 着物と買い物のおバカ日記。
着物を趣味にする前に知っておきたいこと① 今の着物のルールは、戦後1970年代以降に作られたもの
上手に買えばユニクロ価格で素敵な着物が買える♪ 着物と買い物のおバカ日記。
田舎好みと20に80着物 田舎の90代の方の中には、今でも色と年齢の色彩感覚を持っている人がいる?
今回は、田舎にはまだ色と年齢の色彩感覚をお持ちの方がいるのか、聞き取り調査してみました。 母が通う趣味の洋裁教室の先生のご協力で、赤やピンクに対して特別な感情を持つ人がいないか調べていただいたところ、山間部出身の90代の方の中に、着物の色彩感覚をお持ちの方がまだおられるということがわかりました。 1人目は、岐阜県の山間部の農家出身の96歳(2018年現在)のお爺さんで、そのお爺さんは、お嫁さんや奥さん...
明治・大正時代に衣更えは政策的に緩和され、戦前の庶民は単衣を3シーズン着ていた。(後編)
(前回からの続き) 次に、明治以降の衣更えの様子を見てみました。 国立民族学博物館の身装文化データベース(身装電子年表)によれば、明治時代になると江戸時代のしきたりを守る感覚が薄れ、庶民の衣更えの感覚は気温に合わせてイージーになっていたことがわかりました。 参考資料:近代日本の身装電子年表 (minpaku.ac.jp)↑「東京にて袷を着る時節は誠に不規則にて、昔なら『端午の帷子・重九の袷』などと気候の寒暖に構...
戦前の庶民は高級呉服の衣更えは知らなかった。明治・大正時代に衣更えは政策的に緩和され、戦前の庶民は単衣を3シーズン着たりしていた。(前編)
今回は、「昭和後期のおかしな言説」シリーズで、戦前までは高級呉服の衣更え(衣替え)は庶民は知らなかったというお話です。 和裁士さんを見ていて気付いたのですが、昭和後期の呉服の世界では、「衣更えは厳格なしきたりであり、守らなければならない日本文化であり、着物のマナーだ」「衣更えを守らない人は非難されても仕方ない(=他人が堂々と非難してもよい)」「衣更えのしきたりを知らないのは物知らずと思われるし...
92歳のお婆さんの話 衣更えの話は高級呉服を着る極一部の裕福な人の話であり、庶民は関係なかった。
今回は、ご近所の92歳のお婆さんのお話シリーズです。 戦前の着物の衣更え(衣替え)のしきたりはどのような雰囲気だったか聞いてみました。(※当ブログでは、登場人物の年齢は2018年現在で固定しています。) 私:「呉服の世界では、衣更えのしきたりを遵守するかどうかで論争となったり、着物警察が生まれる原因となっているようです。 戦後の着物本には、衣更えの決まりごとについて、帯や着物や和装小物に至るまで、何...
着物警察はなぜ生まれたのか?昭和後期の呉服教育によって大量に輩出され、着物の衰退とともに取り残されてしまった!?
今回は、「着物警察はなぜ生まれたのか?」シリーズの第二回目です。 前記事を前置きに、着物警察が昭和後期に大量に製造され、着物の衰退とともに取り残されてしまった可能性について考察してみました。 結論から先に述べると、戦後は、1970年代に今の着物のルールが作られ、商業的に着物の決まりごとや着付けを複雑化させた時期であり、かつ、その時期に呉服教育を受けた人たちが大量に輩出され、その後に着物が衰退する中で...
着物警察はなぜ生まれたのか?着物警察は昭和後期の呉服教育により作られた?私が出会った着物警察の話
今回は、「着物警察はなぜ生まれたのか」シリーズの第1回目です。 着物の世界には「着物警察」という言葉があり、着物を着ている人の着付け・着こなしを注意したり、安価な着物を悪く言ったり、着物のあり方や方向性などの思想を押し付けたりする等、警察のごとく取り締まりしてしまう人がいるようです。↑『マツコの知らない世界』の池田重子さんの回。画像はネット上より拝借しました。 着物警察に関するわかりやすい記事が...