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 着物ファッションと買い物のアルバム日記 part2 http://arimatunarumi.blog.fc2.com/

当ブログは、近年着物に興味を持つようになった着物初心者さんや若い世代向けに書いているブログです。 着物の知識・情報のメモ&お買い物&着物ファッションをアルバム風にまとめてみました。

有松なるみ
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2021/10/13

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  • 洋服で1985~90年代に流行したモノトーンと黒の洗礼を受けた世代① ~戦後に地味な着物が礼賛された原因と考察~

    今回は、戦後に着物の色柄が洋服ファッションの流行に合わせて一気に地味になったことと、洋服でモノトーンと黒の洗礼を受けた世代を中心に、呉服の世界で「地味なもの=上品」「シックなものこそ正統派の高級呉服らしい色柄だ」という思想を流布している可能性があるというお話です。 戦後生まれの呉服関係者さんを見ていると、「洋服感覚の着物を~」「洋服の中で浮かない色柄を~」「都会のコンクリートジャングルになじむシ...

  • 明治時代からの呉服屋の娘だったFさんのお話 お百姓さんの木綿着物の買い方、黄八丈のイメージ、etc.

     (前回からの続き)私:「和裁士さんによると、昭和後期の着物の世界では、黄八丈は町娘が着る若向きのイメージがあるから年配は着れないとか、格子は若づくりだという説が流布されていたらしいです。 Fさんは(本場)黄八丈にどんなイメージがありますか?」 Fさん:「黄八丈は年配世代が着るものというイメージだし、黄色が若い人しか着れないという話も聞いたことない。 誰がそんなこと言ってるのかしらね?? ...

  • 明治時代からの呉服屋の娘だったFさんのお話 大島紬の織元、小作人・従業員・お手伝いさんの話、嫁入り支度の話、etc

    今回は、Fさんのお話シリーズの第一回です。 (過去に一度公開した記事ですが、差し障りがある箇所があったため非公開にしており、今回再掲させていただきました。) ご実家が明治初期からの呉服屋だったというFさんに、大島紬の話や戦前の宮崎県の庶民の衣生活の話を聞かせていただきました。 Fさん(2018年現在で78歳)のご実家は、お父方が江戸時代に大名の馬廻り役だった武家のご家系で、明治以降は商家に鞍替えし、...

  • 帯揚げは明治10年頃に広まり、商品化されたのは明治40年頃? ~着物に伝統のあるものは少ない~

    今回は、帯締めの話に続き、帯揚げについて調べてみました。 帯揚げは、お太鼓結びが生まれた後に、帯回りの付属品・装飾品として生まれたものの、帯締めのように組紐の文化や伝統技術などの背景があるわけではないためか、帯揚げを専門的に調べた本はほとんどないようです。 時代考証家の山田順子さんによると、「文化年間(1804~1818)にお太鼓結びが考案されると、帯がずり落ちないように、帯締めだけでなく、背中の折山に...

  • 夏用のレースの帯締めは1970年代に商業的に作られたもの ~着物に伝統のあるものは少ない~

    (前記事で、「組紐の帯締めの普及は、月印という帯締めの問屋が仕掛けた」という説を載せ忘れたので追記しました。よろしければご覧ください。) 今回は、夏用の帯締め・帯揚げのお話です。 戦後の呉服の世界では、季節柄や衣更えをうるさく言っていたので、「夏には夏用の帯揚げ・帯締めにしないといけない」と思う方がおられるかもしれませんが、夏用の帯締めは衣更えのしきたりでも何でもなく、戦後の昭和後期に商業的に作ら...

  • 帯締めは江戸後期に考案され、明治以降に一般化した。組紐の帯締めは大正中期~昭和初期に広まった。~着物に伝統のあるものは少ない~

    🎍新年のご挨拶申し上げます🎍 今年は元旦から地震・事故・事件など様々なことがありました。 被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。 当ブログの新年の抱負は、昨年は更新が少し滞っていたので、今年は着物の理論のほうに力を入れ、もっと多くの記事を投稿できる一年にしたいと思います📒🖋~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 今年の初記事は、特にお正月らしくもないのですが、帯締めと...

  • 芭蕉布は格が低い×→上布の芭蕉布は上流階級の礼装だった〇 ~昭和後期のおかしな言説~

    今回は、麻の着物の話に続き、芭蕉布の着物の格についてです。(画像参照元:芭蕉布 - Wikipedia) 戦後の呉服の世界では、芭蕉布は帯も着物もカジュアル着着として知られ、とても高価で希少性の高い商品となっていますが、琉球王国時代は古くから王家の夏の礼装として用いられ、戦前でもフォーマル着として着られていたようです。 『図説琉球の染めと織り』によると、琉球王朝では古くから芭蕉布が存在し、王族から庶民に至る...

  • 麻は格が低い×→戦前までは麻の礼装があった〇。上質なものは上流階級の礼装や日常着、質の劣るものは庶民の日常着だった。~昭和後期のおかしな言説~

    今回は、戦前までは麻の紋付礼装があったというお話です。 結論から先に述べると、麻についても、昔は紋付の礼装があり、夏場はフォーマルで着られていましたし、同じ麻でも上質なものは上流階級の礼装や日常着として着られ、質の劣るものは庶民が日常着・労働着として着ていたということがわかりました。 戦後の着付け教室の教本や着物雑誌を読むと、「麻は素材からして格が低い」「麻は農家が自家用に作る自然布が起源で格が...

  • 紬や木綿は格が低い×→高級品は別格に扱われていた〇 花織や首里絣は王族貴族の礼装だった ~昭和後期のおかしな言説~

    今回も前回に続き、紬や木綿は格が低いという言説についてです。 結論から先に述べると、「紬はとにかく格が低い」というような言説は、戦後の昭和後期に高級紬ブームになった時に、高級紬のライバルであった友禅の産地が紬を下げるような言説を流布したのが原因という説があったり、歴史的には高級紬は別格に扱われていて、地域によっては正式な礼装として着られていたという事実があるようです。 紬については色々な種類があ...

  • 紬は素材からして格が低い×→戦前は紬の礼装があった〇(=着物の格は素材よりも紋の有無と色柄で判断していた)~昭和後期のおかしな言説~

    今回は、前回の木綿友禅の話に続き、「紬は紬というだけで格が低い」という言説は誤解であり、戦前までは紬の礼装があり、着物の格は素材よりも紋の有無と色柄で判断していたというお話です。 戦後の呉服の世界では、「紬はどこまでいっても格の低い着物(カジュアル着)だ。」「紬の訪問着は戦後に作られるようになった邪道の商品だ。紬の訪問着をフォーマルな席で着るのはおかしい。」「紬はいくら高級品でも格の低い着物だか...

  • 木綿は素材からして格が低い×→大正時代までは木綿友禅の礼装があった○ ~昭和後期のおかしな言説~

    今回は、「木綿は木綿というだけで格が低い」というのは誤解であり、大正時代までは木綿の礼装が作られていたし、着物の格は紋の有無と柄ゆき(裾模様・絵羽)で判断していたというお話です。 戦後の呉服の世界では、「木綿着物は着物の中でも最も格が低い」「木綿の着物はカジュアルな格だから部屋着として着たり、働く時に着るものだ」「隣人や極親しい人と会う時、近場の買い物で着る」「木綿の着物は格が低いからマフラーや...

  • 羽織のお買いもの@大阪 リメイク用、絵羽織、小紋の羽織、紬の羽織、黒羽織、etc.

    続いて羽織のお買い物の話です。 ↑小紋の羽織、中古品、324円。 こちらは、和裁士さんが小物作り(つるし飾り)用に買ったもの。 茶色でこういう小さな柄は、雀などの小鳥の素材に使えるのだそう。↑バティック調の型染めで、羽裏もアジアンテイストです。 羽裏の下の表生地の折り返しが多いので、羽織にしては生地がたくさん取れたそう。 ↑小紋の羽織、中古品、324円。 こちらも和裁士さんがリメイク用に購入。 羽織紐が...

  • 羽織のお買いもの@大阪 絵羽織、小紋の羽織、黒羽織、総絞りの羽織、紬の羽織、リメイク用、etc.

    前回に続き、羽織のお買い物の話です。↑寿光織の絵羽織、未使用品、仕付け糸付き、108円。 こちらは知人のNさんが買ったもの。寿光織でこの価格はびっくりです😧 上品な糸菊が描かれていて、絵羽なので、関西の感覚だと、紬の着物ではなく、格のまあまあ高い垂れ物に合わせるべきものなのかも? 金糸・銀糸と白糸で立体的な糸菊が抽象的に表現されています。 「大小あられ」のような地紋があり、光の加減で浮き立ってオシャレ...

  • 羽織のお買いもの@大阪 黒絵羽、絵羽織、小紋の羽織

    今回は、羽織のお買い物の話です。 今は長羽織が流行なので、昭和の短い羽織は流行遅れになりがちですが、とはいえ昔のものは良いものが多いので、そこまで短くなければ今着ても恥ずかしいわけではないと思いますし、生地や加工が良いのでリメイクにもオススメです。(過去記事→今の流行と昭和の着物のイメージあれこれ② ~着物を着るうちにわかってきたこと~)↑刺繍入りの絵羽織、未使用品、仕付け糸付き、108円。 手刺繍と...

  • 地方の呉服屋に見られる昭和の売り手主導の販売方法と京都ブランドの利用 ~地方の呉服屋さんの問題点~

    今回は、地方の呉服屋さんでは、京都のネームバリューを都合のいい時だけ利用していたり、本当は田舎の趣味なのに、自店が京都のセンスであるかのように販売しているというお話です。 今まで呉服の世界を見ていて、着物で嫌な思いをしたり、着物離れが起きる大きな要因は、消費者と直接関わる販売現場が原因ではないか?とわかってきたため、今回は地方の呉服屋シリーズ第一弾として、愛知の田舎好みの呉服屋さんの話を例に挙げ...

  • 「はんなり」は京都人でもあまり使わない!?呉服の世界の京都ブランドの商業利用

    今回は、はんなりという言葉は京都人でもあまり使わないという話と、地方の呉服関係者さんの中には、はんなりの意味を誤解していたり、江戸好みの着付けや趣味なのにそれが京好みだと勘違いしている人がいるのではないか?というお話です。 和裁士さんと話していて気が付いたのですが、和裁士さんが習った着付け教室では、「うちの教室でははんなりした着付けを目標にしている」と言っていたり、和裁士さんのお店の社長が、...

  • 浴衣は藍染が伝統で正当派だ×→戦前から木綿・スフ・モスリンの友禅調のカラフルな浴衣が人気だった〇 ~昭和後期のおかしな言説~(後編)

    (前回からの続き) 呉服の世界では、伝統工芸の藍染めの浴衣だけをホンモノとし、他の安価な浴衣をニセモノとする風潮があるようですが、アパレルの世界では、藍染めの浴衣は、品揃えやカテゴリーとしては単に「紺色の浴衣」として分類されるということをもっと理解する必要があると思います。 紺色の浴衣は、伝統工芸の高級品だろうが、プリント印刷の安価なものだろうが、色柄のカテゴリーとしては単に「紺色の浴衣」に分...

  • 浴衣は藍染が伝統で正当派だ×→戦前から木綿・スフ・モスリンの友禅調のカラフルな浴衣が人気だった〇 ~昭和後期のおかしな言説~(前編)

    今回は、前回の話の続きで、藍染めの浴衣に関するお話です。 昭和後期の呉服の世界では、「浴衣は藍染めが正統派で正しい浴衣で、日本人なら藍染めの浴衣を良いものだと思うべきだ」「藍染めの浴衣こそ伝統的な本物の浴衣だ」「昔ながらの紺地や白地の藍染めの浴衣こそ日本人らしい趣味だ」というような価値観が流布されていたようです。 現在でも、呉服関係者さんの発言やテレビ番組の日本の浴衣文化の紹介を見ていると、さり...

  • 浴衣は湯上りに着る格の低いものだ、絵羽の浴衣は邪道だ×→明治時代に絵羽の浴衣が流行し、浴衣は外出着になっていた〇 ~昭和後期のおかしな言説~

    今回は、昭和後期のおかしな言説シリーズで、浴衣の格と絵羽柄についてのお話です。  浴衣についてよく耳にする話として、昭和後期の着物世界では、「絵羽の浴衣は近年作られるようになったもので、いくら絵羽でも格は低い。(=絵羽の浴衣は邪道だ)」」「浴衣を長襦袢と足袋で夏着物として着るのはいかがなものか。」「浴衣は湯上りに着るバスローブだから、昼間から着るのはおかしい。」「浴衣はオシャレ着や外出着には...

  • 男性の喪服の羽織紐・鼻緒は黒×→男性の和装は結婚式も葬式も同じ格好○ ~昭和後期のおかしな言説~

    今回は、男性の和装は今でも慶事と弔事が同じ格好になるというお話です。 男性の和装の喪服について、「慶事では羽織紐と草履の鼻緒は白、弔事では黒にする。(中には半衿も足袋も黒にするという説もあり)」という言説が昭和後期に流布されていたようですが、これについても昭和後期のおかしな言説の一つのようです。 結論から先に述べると、和装では戦前までは慶事も弔事も同じ格好で、男性は白喪服の場合と黒紋付羽織袴が混...

  • 藤娘きぬたやの絞りとお買いもの@大阪 振袖、帯、羽織

    今回は、きぬたやの絞りのお買い物の話です。 過去記事で少し触れましたが、和裁士さんによると、藤娘きぬたやの絞りはこの工房しかできない独特の絞りで知られていて、バブル時代は成人式の振袖の憧れの商品の一つだったそう。 当時は「きぬたや」と呼んでいて、四角くて尖っている京鹿の子絞りとは違い、ドーム状に丸く膨らんだ独特な絞りと友禅を組み合わせた技術がここの工房しかできないということで、名古屋を代表する高...

  • こはぜ付き足袋のお買いもの@大阪

    今回は、久しぶりにお買い物の話です。 正式な足袋である「こはぜ付き足袋」も、大阪やお祭りの出店などでお値打ちに買おうと思えば買えます♪(お買い物データは数年前の話になりますが、今でも中古市場はだいたい同じような価格で買えます) ↑こはぜ付き足袋、新古品、各200円。 船場センタービルの和装小物の安い問屋さんのワゴンセールで見つけました。 サイズが限られていますが、友達へのプレゼント用です🎁 長期在庫...

  • 田舎の色彩感覚が地味なのは、江戸時代に赤と紫を禁じられ、藍染めの労働着が中心になったから? ~20に80着物と田舎好み~

    今回は、現代でも田舎の色彩感覚が地味なのは、江戸時代の奢侈禁止令で百姓は赤と紫を使うのを禁じられ、木綿や麻など藍染めの労働着が中心になったことが関係しているのではないか?というお話です。(前記事からの続きですが、カテゴリーは「20に80着物と田舎好み」にしたいと思います。) 過去記事で、江戸時代は奢侈禁止令で百姓・町人以下は本紅(=赤)と本紫(=紫)を禁止されていた件について書きましたが、同じ奢侈禁...

  • 赤の意味と歴史⑤ 紅花染めの代替の赤「甚三紅」、遊郭の赤、鮮やかな赤を染められるのは先進国の証

    (前回からの続き) 今回は、日本の赤の染色文化に戻り、代替の赤と遊郭の赤についてです。 代替品の赤の染料については、過去記事の資料に載っていたものの書き切れなかったので、この機会に書くことにしました。↑過去記事より再掲。『色のルーツを探して』城一夫、パイインターナショナル(2017)より。 奢侈禁止令で百姓・町人に紅花染めの赤(本紅)が禁止されると、承応年間(1652~55)に、京都の長者町の住人の桔梗屋甚...

  • 赤の意味と歴史④ 古代の西洋の貝紫は赤~赤紫色。18世紀に西洋茜で木綿を赤く染める技術を確立していた。

    (前回からの続き) 今回も西洋の染色と赤に関する話の続きです。 西洋の染色の歴史を見ていて気が付いたのは、西洋では貝紫染め=赤系統の色であり、貝紫が貴重であるため赤や赤紫が上流階級の着る禁色とされ、後に代替としてのケルメスやコチニールの赤が上流階級の着る色となっていったいう流れがあるようだということ。 西洋では、日本では紫やピンクとして認識されている色も赤として認識しており、古代の西洋では赤と紫の...

  • 赤の歴史と意味③ 西洋の赤の天然染料は西洋茜・ケルメス・コチニール・アクキガイ。赤は高価で上流階級の色。

    (前回からの続き) 今回は、西洋の赤の天然染料の話と社会的イメージについてのお話です。 西洋の天然染料と染色技術の本はあまり出版されてないようで、図書館では見つけられませんでしたが、西洋の伝統色に関する本に少し書かれていたので、そちらをご紹介します。(西洋は今でも天然染色を続けている人・作品がほとんどないというのがあるかもしれません。) 結論から先に述べると、天然染料しかなかった時代は、東洋も西洋...

  • 赤の意味と歴史② 紅花染めが好まれた理由、千年経っても色褪せない茜染、バサラの猩々緋とケルメス

    (前回からの続き) 今回は、国産の赤の天然染料である茜と蘇芳と紅花の違いと、西洋のコチニールとケルメスの赤についてのお話です。 前記事で、蘇芳も茜も同じく高価なのに、紅花染めだけが特別扱いされているが気になるという話をしましたが、昔の人に直接インタビューしないと本当のところはわからないものの、どうやら紅花染めの鮮やかな深紅が好まれたからではないか?ということがわかってきました😮 染色関連の本を総合...

  • 赤の意味と歴史① 古代の色名は4分類、アカ=夜が明けて空が赤い状態、禁色としての赤、呪術としての赤

    今回は、着物の世界でとりわけ特別な色として扱われている赤に着目し、赤の歴史と染料、意味と社会的イメージについて調べてみました。 田舎好みと20に80着物のシリーズでも触れましたが、着物の世界を見ていて気付いたのが、現代の洋服ファッションの感覚とは違い、赤を驚くほど特別扱いしているようだということ。 現代は化学染料により色の値段が等価になり、庶民に色彩が解放されているので、現代の洋服ファッションしか知...

  • 歌舞伎の衣裳でわかる身分と立場② 鶸色はコミカル役、身分により帯結びが違う、白い家紋は身をやつしている、武家のお婆さんは灰色のetc.

     (前回からの続き) 前回は緑系の着物が田舎娘を表すというお話がありましたが、同じ緑系の着物でも、黄緑色に近い鶸色(ひわいろ)の着物は、歌舞伎ではコミカル役を表すそうです。↑『歌舞伎のかわいい衣裳』君野倫子、市川染五郎、小学館(2008)より。【中古】 歌舞伎のかわいい衣裳図鑑/君野倫子【著】,市川染五郎【監修】 【中古】afb価格:385円(2023/7/12 04:29時点)↑今回も、歌舞伎の衣裳の鶸色は現代の色見本とは...

  • 歌舞伎の衣裳は身分と立場が一目でわかる① 上流階級の着る赤と赤姫、田舎娘と都会娘の違い

    今回は、歌舞伎の衣裳の登場人物の身分・立場の見方と、赤い着物は上級武家・公家の着る色で、赤い着物のお姫様を「赤姫」と呼ぶというお話です。 江戸時代は、封建制により身分・職業・立場で着るものが決まっており、一目でどのような人物なのかわかるように着ていましたから、昔の様式を残している歌舞伎や文楽の衣裳を知ることで、江戸時代の着物の色柄と社会的イメージがわかります。↑『日本の色のルーツを探して』城一夫...

  • 今は着物の季節柄はうるさく言わなくなっている? ~着物を着るうちにわかってきたこと~

    今回は、前記事を受けて、今の呉服の世界の風潮はどうなっているのか、京阪の呉服関係者さんに質問してみたお話です。 一店目は、大阪の新興呉服屋さんで、加賀友禅の写実的な桜柄の着物を見せてもらった際に聞いてみました。 ↑写実的な加賀友禅の桜柄。画像はネットショップ等より拝借しました。店員さん:「今は季節柄はそんなに気にせず着ている方が多いですよ。私は、そこまで気にせずに着ていただいたほうがいいと思い...

  • 着物の季節柄の概念は明治後期に商業的に作られたもの③ 女性のファッションが伝統行事の手伝いのように見えてしまう?

    (前回からの続き) 今回は、商業的に作られたものには歴史や裏付けがないため、戦後の季節柄の概念まで着物の伝統や型にしてしまうと、女性のファッションでイベント行事の手伝いをしているように見えてしまったり、思考停止に陥り、ファッションの芸術性・創造性の自由度が低くなってしまうのではないか?というお話です。↑パリのバレンタインの様子。欧米では恋人や夫婦の日。画像はネット上より拝借しました。 商業的に作ら...

  • 着物の季節柄の概念は明治後期に商業的に作られたもの②~着物に伝統のあるものは少ない~

    (前回からの続き) 今回は、商業的に作られた季節柄には歴史や裏付けがないために矛盾が生じやすく、戦後の1970年代に作られた決まりごとを基準に考えてしまうと、季節柄の判断がおかしくなったり、着物の模様の意味が正しく読み取れなくなってしまうというお話です。 例えば、こちらの紗の生紬の訪問着は、虫かごの絵があるため、昭和後期の呉服教育を受けた和裁士さんは、「虫かごが秋を感じさせるから、7月に着るのはまだ...

  • 着物の季節柄の概念は明治後期に商業的に作られたもの① ~着物に伝統のあるものは少ない~

    今回は、着物の季節柄にはあまり伝統はなく、明治後期に商業的に作られた可能性があるというお話です。 結論から先に述べると、着物の季節柄の概念は、明治後期に百貨店により商業的に作られたものであり、大正時代にやっと一般にまで広がったという歴史の浅い概念のようですし、戦後の昭和後期に季節柄の教養が着物の大事なしきたりやマナーのようなものになっていたことについては、昭和後期のおかしな言説の一つと言えそうで...

  • 琉球紅型は王族・貴族しか着れなかった。赤やカラフルな色柄は上流階級のもの、etc.。

    今回は、琉球紅型は王族・貴族しか着れなかったというお話です。 琉球では南国の風土と中国との交流により独自の文化を発展させていて、着物の色彩感覚やしきたりは本州とは少し違う部分もありますが、基本的な部分は本州と共通するものが多いです。 (沖縄では「本土」=自分が居住して生活している島、「内地」=島以外の日本列島・本州のことを指すようです)↑『図説琉球の染めと織り』兒玉絵里子、河出書房新社(2005)よ...

  • 戦前の庶民は気軽にお茶を飲めなかった。京のぶぶ漬けは白湯だった!? ~92歳のお婆さんの話~

      今回は、92歳のお婆さんのお話シリーズで、戦前までは庶民は気軽に緑茶を飲めなかったというお話です。 ↑戦前の茶園のイメージ。お婆さんの家とは関係ありません。画像はネット上より拝借しました。お婆さん:「戦前の田舎では、庶民が緑茶を飲むということはとても贅沢なことだったの。 士族の家なら緑茶も普通だったけど、普通の家の人は白湯を飲むものだった。 うちは、製糸工場や呉服屋やよろず屋を経営していた父...

  • 有松絞りまつりに行ってきました

    今回は、有松絞りまつりの様子とお買い物レポートです🎤 有松絞りまつりは、年に一度の絞りの祭典で、絞りの浴衣や洋服・小物がお値打ちに買える日として知られます。(私は小さい頃に行ったことあるらしいのですが覚えておらず、大人になってからは初めてです。 母は尾張一宮の繊維問屋さんで有松絞りの洋服生地をお値打ちに買っていましたし、私も浴衣はあまり興味なかったので…。)<その他参考記事>本物は違う! 有松絞り...

  • 帯を自分で染め替えてみました ~セルフ染色、着物のやりくり~

    今回は、使いにくい色の帯を好きな色に染め替える話です。 過去記事で、家庭用染色剤の「みやこ染」で好きな色の帯揚げを自作した話を書きましたが、帯もモノによっては自分で染め替えることができます。(過去記事はこちら→胴裏を染めて帯揚げを作る 無地&絞り編 ~着物のやりくり~/胴裏を染めて帯揚げを作る② 無地・絞り編 ~着物のやりくり~)↑母の嫁入り道具の紗の袋帯をピンク系に染めたところ。実物はこれより落ち着...

  • 古代の日本的色彩感覚は祈りに基づくものだった② 染師が神聖な仕事だった日本と染師が蔑視されていた西洋

    (前回からの続き) 前記事では、「古代の人は色の中にある霊(たま)に祈る」「染師は草木に宿る霊力を見抜き、霊的な祈りを込めて染色している」というお話を書きました。 今回は、その続きで、『染色の口伝』に書かれているスピリチュアルな思想と、日本と西洋の染師の社会的地位の違いについてです。 前田雨城『日本古代の色彩と染』によると、古代の人は、染色に対してご神事のような意識で臨んでいました。 例えば、「染...

  • 古代の日本的色彩感覚は祈りに基づくものだった① 本当の日本的色彩感覚は鎌倉時代以降に衰退してしまった!?

    今回は、古代からの本当の日本的色彩感覚は、祈りや呪術に基づいたものであり、今の呉服の世界で流布されているような言説とは違うというお話です。 戦後の呉服の世界では、「草木染めの地味で渋い色調こそ日本的色彩感覚だ。」「草木染めの渋い色を好むのが日本的色彩感覚であり日本人特有の色彩感覚だ。」「色と年齢の色彩感覚は日本人が長い間受け継いできた色彩感覚だ(他の国にはない日本人だけのものだ)」「草木染めの渋...

  • 道行のお買いもの@大阪 被布、江戸小紋、ふくれ織、ロウケツ染め、京好み、友禅、スワトウ刺繍、大島紬、真綿紬

    今回は、小紋系のその他の道行のお買い物の話です。↑被布の道行、中古品、864円。 被布は珍しいですし、美品で丈もまあまあ長めだったので迷わず買いました。 昭和後期は「被布は若向き」というおかしな言説が流布されていたようですが、戦前までは上流階級の年配世代が着るものというイメージがあったようです。 今回買ったものも、色柄的に年配向けのものと思われます。 (過去記事はこちら→昭和後期のおかしな言説 被布は...

  • 道中着の話とお買いもの@大阪 組織り、横双、間道、etc.

    今回は、道中着のお買い物の話です。 道中着は道行ほど多くないようですが、大阪の中古市場には素敵な道行がたくさんあります。↑組織りの道中着、中古品、9800円。 このお店のいつもの相場ならもう少し安く買えたかもしれませんが、組織りの道中着は珍しいと思ったので即決しました。 ほとんど着てないような美品ですし、丈が長いので今着てもおかしくないからです。 私は組織りの帯(組帯)は持っていますが、組織りの道...

  • 絵羽の道行のお買いもの@大阪

      今回は、絵羽コートのお買い物の話です。 絵羽の道行は、訪問着のように絵羽の状態に一度仮縫いしてから反物に戻して加工するので、贅沢なものだそう。<参考記事>「絵羽もの」について / 古典でなく洋風過ぎずの絵羽の道行を選ぶ 朝香沙都子オフィシャルブログ「着物ブログ きものカンタービレ♪」Powered by Ameba (ameblo.jp) 絵羽の道行については、戦前からあるにはあったようですが、オシャレ着の絵羽織と同じで...

  • 道行・道中着の話とお買いもの@大阪 無地系や量産品、昭和後期に流行した赤系

    今回は、季節外れになってしまいますが、無地のコート類のお買い物の話です。 着物のことをよく知らない頃は、赤系のコート類は時代がわかるので安くなっているというのを知らず、適当に買っていたため赤系ばかりになってました(笑)(赤系の道行のイメージについてはこちら→着物を着るうちにわかってきたこと 今の流行と昭和の着物のイメージあれこれ①) ↑無地の道行、未使用品、しつけ糸付き、108円。 消費税が8%の...

  • 昭和40~50年代に、帯に布用絵具で絵を描くのが流行した

      今回は、昭和後期に帯に自分でペイントするのが流行したというお話です。 以前、大阪のお店で白地の斜子織りの帯地があり、何も加工していないので店員さんに聞いてみたところ、「戦後に自分で帯に絵を描くのが流行したんですよ。こちらは川島織物の無地の良いモノですから、ご自分で描いてみたらいかがですか?」と教えてくださいました。↑帯の白生地のイメージ。画像はネット上より拝借しました。 正絹の着物や帯は、...

  • 「青=男性、赤=女性」というジェンダーイメージは1964年以降に定着した。西洋でも歴史的にイメージは二転三転している!?

    今回は、「青=男性、赤=女性」というイメージは、東京オリンピック(1964年)以降に定着したというお話です。 呉服の世界では、「クール系の男顔やオバサン顔には寒色系の着物が似合う。可愛い系やフェミニンな顔立ちには暖色系が似合う。」という見立て方があるようですが、こうしたジェンダーイメージも、意外と明治以降に西洋文化が流入してからかもしれません。 以前、NHK「チコちゃんに𠮟られる」で、「なんで男は青、...

  • 真贋の見分け方は参考程度に。例外もたくさんあります。本場黄八丈と加賀友禅の話 ~着物のお買い物雑談~

    今回は、着物の真贋の見分け方と例外の話についてです。 着物も時代により作り方やテイストが変わっているので、真贋の見分け方についてもそれが絶対ではなく、「戦後には作られなくなったけれど、戦前~戦後しばらくはまだ作られていた」「『〇〇に△△はない』と言われているが、実は珍しい例外もチラホラ作られている」ということもあります。 それに、呉服関係者さんの実力も人により差がありますし、昔は色々な種類の着物が...

  • 着物を買うなら大阪♪相場の話とお得な買い方の話。

    今回は、「お買い物関連の雑談」シリーズ第1回です。 今までのお買い物記事では横道に逸れるので書けなかった内容や、お買い物アドバイス的なことを書きたいと思います😊 着物の聖地といえば京都のイメージがあるかもしれませんが、京都は観光地値段で物価が高いですし、物流でいうと実は大阪こそ着物の集積地&薄利多売ができる聖地のようです。 旧ブログで勝手に作った私のキャッチフレーズは、「着物を着るのは京都、買う...

  • 白喪服の意味は、死と再生の儀式と色直し ~白喪服の話⑤~

    今回は、白喪服の意味は、人生の通過儀礼であり、死と再生の儀式と色直しの意味があるというお話です。 結論から先に述べると、白喪服の意味は、人の一生のうち、産着や百日祝いや結婚式や葬式などで何度か経験する死と再生の通過儀礼の一つであり、白い着物に着替えるのは生と死を承認・確認する意味があり、白い着物はお色直しの一枚目という位置づけだったようです。 お色直しとの関連は意味がわかりにくいかもしれませんが...

  • 上流階級の葬礼では、南北朝時代~江戸前期まで遺族が喪服を左前で着ていた!?

    今回は、上流階級の遺族の装束において、南北朝時代~江戸前期まで、喪服や服喪期間の衣服を左前に着ていた時期があるというお話です。 現代では、「遺体に着せる死装束は、普段と違う左前に着せる」「左前は死装束」というイメージがありますが、南北朝時代~江戸前期までは、死者ではなく遺族が葬儀や服喪期間中に左前に着物を着ていたという興味深い情報がありました。 逆に言うと、お葬式では、遺族の喪服は、古来からしば...

  • 喪服の色は古代は白、平安~鎌倉時代は黒(上流のみ)、室町~江戸時代は白、明治以降は西洋化で黒。~白喪服の話④~

    今回は喪服の歴史と変遷についてまとめてみました。 今は喪服=黒のイメージですが、日本の歴史においては喪服=白の時代のほうが長く、葬礼で白を基本とするのは中国やベトナムやトルコなどの他のアジア圏とも類似した文化があったようです。 <参考記事>ベトナムの喪服は白色,日本の喪服も江戸時代までは白色 住んで旅してAsianLife (aoba.net)白い時もあった喪服。喪服が黒い理由とは?|知っておきたい葬儀の知識|ご...

  • 白喪服の話③ 資料で見る各地の白喪服の様子。江戸時代もレンタルがあった。素材は正絹、木綿、麻など。

    今回は、江戸時代の白喪服の様子や戦前までの各地の白喪服の風習についてです。 江戸時代の白喪服については、歌舞伎や文楽がその姿を留めているので参考になります。 男性は白い着物に白い裃、女性は白無垢に帯の結び方は色々あるようです。↑文楽では花嫁衣裳のように綿帽子を被る姿や帯をお太鼓で前で結んでいる姿などがありました。 ↑歌舞伎では女性は綿帽子は被らず、帯は白い帯を結ばずに巻き付けたような着付けの時...

  • 白喪服の話② 葬送行列の写真と92歳のお婆さんの話、寝棺と座棺、白無垢に文庫結び?

    今回は、92歳のご近所のお婆さんに白喪服の写真を見ていただいて、お話を伺いました。 私:「曾祖母のタンスから白喪服が出てきて、曾祖母の父の葬儀で白喪服を着ている写真も見つけました。 昔は喪服は白かったそうです。白喪服について何かご存じでしたら教えてください。」↑前記事より再掲。お婆さん:「まぁ、あなたのひいおばあちゃんは白喪服まで持ってお嫁に行かれたの。それはすごいわね。 明治生まれの人で自前の白...

  • 白喪服の話① 曾祖母の白喪服について本家の人と大阪の店員さんに聞いてみた話、網元のお嫁さんの話

    今回は、白喪服シリーズ第一弾で、曾祖母の白喪服についてです。 曾祖母のタンスに白い着物があり、何なのかわかりませんでしたが、和裁士さんや大阪のいつもの店員さんに聞いてみたところ、白喪服だということがわかりました。 曾祖母は夏の白喪服と袷の白喪服と両方持っていて、夏の白喪服は絽の白い色無地、袷の白喪服は繻子の着物に繻子の丸帯でした。(夏の白喪服は黄ばみや汚れが酷くて見苦しいため、写真は控えさせて...

  • 藍染めの発酵は、藍還元菌や6種以上の乳酸菌などの微生物によるもの

    今回は、藍染めで活躍する微生物のお話です。 日本の藍染めでは、手間暇かけて発酵させて蒅(すくも)が作られているのが特徴ということで、蒅や藍甕の中で発酵に活躍する微生物はどういう菌なのか、個人的に気になっていました。「日本人は菌を家畜化している」といわれるように、日本人は毒性のあるカビ菌から無毒の麹菌を選択的に利用したり、味噌や日本酒やぬか漬けなど様々な発酵食品を発展させていることで知られます。<...

  • 藍染めは日本だけのものではない③ アフリカの絞りと日本の絞りの関係性、青の民族トゥアレグ族、etc.

    (前回からの続き) 今回は、アフリカ大陸の藍染めの話と、アフリカの絞りと日本の絞りが16世紀から交流があったというお話です。 まず、1960~70年代のアフリカ大陸の藍染めの様子です。↑北アフリカの藍染め。↑カメルーンとイエメンの藍染め。『藍染めの歴史と科学』より。 『藍染めの歴史と科学』は1992年出版ですが、写真は1974年出版の『天半藍色』からの参照なので、50年近く前の写真です。 近年出版の本では、アフリカの...

  • 藍染めは日本だけのものではない② 年中藍染めができるようにしたのは室町時代の青屋四郎兵衛、中国の藍染めについて、etc

    (前回からの続き) 染色の専門家の本を読んでいると、日本でジャパンブルーという言葉が独り歩きしていて、藍染めが日本固有の文化や特殊技術のようなイメージが広がっているのを訂正していることが多いです。 私も初心者の頃、着物本で商業的な藍染めの宣伝を呼んでいるうちに、無意識に「藍染め=日本的なもの」という印象を持ってしまっていたので、染色の専門家さんは一般にこのようなイメージが広がっている問題をご存じで...

  • 藍染めは日本だけのものではない①「藍を建てる」という言葉は明治以降に全国に広まった?

    今回は、藍染めと藍を建てるという言葉や天然藍と合成藍についてのお話です。 着物本だけを読んでいると、「ジャパンブル―」「サムライブルー」と書かれていたり、藍染めの伝統的・文化的側面の話が多いため、「藍染め=日本特有の文化、日本だけの特殊技術」のように勘違いする人が出てきてしまうような気がします。 でも、藍染めは古来から世界中で行われていた染色で、日本に限ったことではありません。 そこで、藍...

  • 着物でお花見に行ってきました。

    近場の公園や神社の桜を見てきました🌸↑公園や神社のソメイヨシノやシダレ桜です。 着物と桜の写真は、他の方が大勢写ってしまうので控えさせていただきます💦 ↑母は白大島に蝶々と花の染め帯。 ↑私は白大島(色大島?)に博多の斜子織。 ↑この日は横双の大島紬に真綿紬の帯。 ↑母は泥大島の横双に市松の博多?の半幅帯。この日は親子で横双にしてみました。 母は運転のため半幅帯にしたのですが、お腹のせい...

  • 西洋の大青の「パステルブルー」と日本の藍の「甕覗き(かめのぞき)」

    今回は、西洋の天然染料のパステル(大青:たいせい)と、日本の藍染めの色調のお話です。 NHK『世界ふれあい街歩き』のフランスのトゥールーズの回(2017/10/17放送)で、天然染料のパステルが、中世~フランス革命まで一大産業だったという話がありました。<参考記事>NHK 世界ふれあい街歩き これまでの街歩き フランス南西部の中心都市、トゥールーズは、赤レンガで統一された街並みが「バラ色の街」と呼ばれ、旧市...

  • 縞の着物×縞の帯のコーディネートは江戸時代からあった?

    今回は、縞×縞のコーデの話と、江戸時代は帯合わせの格とTPOが今とは違っていた話についてです。 この江戸小紋の単衣の縞の着物と帯のセットですが、買ったはいいものの、実際にセットで着てみるとなんだか合わない感じがしたので、別々に着ていました💦 ↑子持ち縞の単衣の江戸小紋。↑帯は斜め縞です。↑着物と帯のセット。(過去記事はこちら→江戸小紋の話とお買いもの@大阪/ ②縞の着物と帯、内田秀一、関正三郎、鈴木秋治、単...

  • 海外のミシン仕立てと手縫いの国内仕立てについて ~和裁士さんのお話~

    今回は、和裁士さんのお話シリーズで、ミシン仕立てと手縫い仕立てについてです。 着物のお誂えでは、海外のミシン仕立てとハイテクミシン仕立て、国内のハイテクミシン仕立てと国内の和裁士による手縫い仕立て等、色々な選択肢があり、それぞれメリットとデメリットがあるようです。<参考記事>1604.お仕立て - きものカルチャー研究所 (kimonoculture.com)形骸化を容認できるか(1) 和裁職人存亡の危機(前編)形骸化を...

  • 着物の時は内股にするのがマナーだ×→大正時代は政府が内股を直す改善運動をしていた。戦前・戦後すぐの雑誌でも外股で颯爽と歩くのを推奨していた〇。(後編)~昭和後期のおかしな言説~

    (前回からの続き) 次に、大正時代に政府が内股を不健康・不格好であるということで、改善運動をしていたという話ついて。 日本は明治維新以降、洋装の推進と欧米列強へ追い付こうとしていた時期であり、大正時代には国家的に女性の運動能力・基礎体力向上を目指した政策を行い、内股についても改善しようと啓発していたことがわかってきました。 まず、国立民族学博物館の身装電子年表を見ていきます。参考URL:近代日本の身...

  • 着物の時は内股にするのがマナー×→戦前は玄人さんのイメージもあった、昔の風俗画は内股をしていない○(前編)~昭和後期のおかしな言説~

    今回は、昭和後期のおかしな言説シリーズで、戦前は着物の時に内股をするのがマナーではなかったのではないか?という考察です。 前記事でも触れましたが、呉服の世界では、「せっかく着物を着ても、内股歩きができないようでは着物が着こなせない」「内股で楚々と歩けないようでは着物が似合わない」「着物を着る時には内股で歩くのがマナーだ。素人を教育していかないといけない。」という着物警察的な考えを持っている人が...

  • 92歳のお婆さんの話 内股は垂れ物を着る時だけで、マナーでもなかった。

    今回は、92歳のお婆さんのお話シリーズで、戦前は内股はマナーのようなものではなかったというお話です。私:「今の着物本では、『着物の時には内股をするのがマナーだ』と書かれていますが、戦前の女性は、内股歩きを常にしていたのですか?マナーのようなものでしたか?」↑『着物のマナーお手本帖』五藤禮子、成実堂出版(2008)より。お婆さん:「着物の時の立ち居振る舞いだとかは母親から習うものだったけど、母の話では、...

  • 中国人の色彩感覚も戦後に大きく変化している。中国人=赤い服が好きというイメージは1990年代以降?

    今回は、中国人の色彩感覚も戦後に大きく変化しており、中国人=赤い服が好きというイメージができたのは1990年代以降ではないか?というお話です。 和裁士さんの話を聞いていて気付いたのですが、呉服関係者さんの中には、鮮やかな赤い服や鮮やかな緑(黄緑)やショッキングピンクの服を着ている人を見た時に、「赤い服を着るなんて中国人みたいだ。」「鮮やかな黄緑やショッキングピンクの服を着るなんて韓国人みたいなセンス...

  • 着物の色彩感覚に縛られるとパーソナルカラーの似合う・似合わないの判断ができない?~パーソナルカラーと似合う色の話⑥~

    (前回からの続き) 今回は、呉服の色彩感覚で縛られてしまうと、心にブレーキがかかってしまい、パーソナルカラーでいう似合う・似合わないの判断ができなくなったり、色を使いこなせなくなってしまうのではないか?というお話です。 和裁士さんばかりを事例に挙げて申し訳ないのですが、和裁士さんは呉服の色彩感覚を習ったために、パーソナルカラー理論でいう似合う・似合わないの判断ができなくなっているのではないかと思う...

  • 着物の伝統色とイエベ秋について ~パーソナルカラーと似合う色の話⑤~

    (前回からの続き) 和裁士さんを見ていると、呉服の世界では、「草木染めの渋い色こそ日本的な色彩感覚であり、日本人に似合う色だ」「日本人なら洋服の色彩も着物の色と年齢の日本的色彩感覚で着るべきだ」という価値観を持っている人がいるようです。 しかし、『新はじめてのパーソナルカラー』によると、着物の伝統色のような渋い色は、パーソナルカラーではイエベ秋の人に似合う色であり、シックでオシャレな色彩ですし、イ...

  • 呉服の世界の見立てとパーソナルカラー理論の違い、淡い色とブルべ夏について ~パーソナルカラーと似合う色の話④~

    (前回からの続き) 今回は、淡い色とブルべ夏についての呉服の見立てとパーソナルカラー理論の違いについて書きたいと思います。 前記事では戦前で時が止まっていると書いてしまいましたが、近年の着物雑誌は、呉服の世界もパーソナルカラー理論でアドバイスする方向へシフトしているようです。(昭和後期~平成にかけて、売り手主導で買うものを決めつけたり、色と年齢をうるさく言ったことで着物が売れなくなり、反省したのか...

  • 呉服の世界の見立て方は戦前の価値観で止まっている!?小麦肌ブームについて ~パーソナルカラーと似合う色の話③~

    (前回からの続き) 前記事で触れましたが、洋服ファッションの世界では、昭和後期~平成にかけて何度か小麦肌ブームがあったという話について書きたいと思います。 城一夫教授の『日本の色彩百科』によれば、1960年代以降、高度経済成長によって生活にゆとりが生まれ女性の社会進出が進むと、スポーツや娯楽などでアウトドアを楽しむ活発な女性が増えてきて、「色白は七難隠す」というの日本人美意識を根底から覆す小麦肌信仰...

  • 呉服の世界の見立て方は戦前の社会的価値観で止まっている?色白至上主義と赤やピンクについて ~パーソナルカラーと似合う色の話②~

    (前回からの続き) 今回は、呉服の世界の色白至上主義について、パーソナルカラーとの比較で考察したいと思います。 前記事に書いたように、呉服の世界では、「色白さんはピンクが似合うけど、色黒さんはピンクは似合わない。」「色白さんは透明感のある淡い色(パステルカラー)が似合うけど、色黒さんは似合わない」という特殊なモノの見え方があり、これは和裁士さんだけでなく他の呉服関係者さんの発言にも見られることで...

  • パーソナルカラーと似合う色の話① 人種・文化・時代に関係なく適用できる理由

    今回は、着物の見立て方とパーソナルカラー理論の違いのお話です。近年、洋服ファッションやヘアメイクの世界では、パーソナルカラーで判断することが流行っていますね。<参考記事>若者の買い物動向を変える「パーソナルカラー」はなぜ人気なのか?|ニュースイッチ by 日刊工業新聞社 (newswitch.jp)パーソナルカラーとは?【春夏秋冬4シーズンの分類と特徴】 (sachiel-chan.net)  2000年代前半にファッション誌でパーソナ...

  • モンゴルの民族衣装はイベントやお祝いで気軽に着る ~モンゴル人の友達の話~

    (前回からの続き) 私:「モンゴルの伝統服はいつ頃まで日常的に着られていたの?」友人H:「モンゴルで伝統服を毎日着ていたのは1930年代くらいまでで、そこで一度途切れているの。 旧ソ連の支配下に置かれてからは、政治的な影響があって、1950年代からはほとんどのモンゴル人は冠婚葬祭でもデールを着るのを一切やめて、全て洋服を着るようになったらしい。 ネットによると、国家的・政治的な影響で、1950年代以降はモンゴ...

  • モンゴルの民族衣装にも着物と同じ色と年齢があった。~モンゴル人の友達の話~

    今回は、昔はモンゴルにも着物と同じ色と年齢の色彩感覚があったというお話です。 大学時代の同級生のモンゴル人の友達に、モンゴルの伝統服について聞いてみました。私:「着物には色と年齢というのがあって、若い時は赤やピンクや黄色などの明るい色を着て、年齢を重ねるごとに地味にしていき、高齢になると灰色や茶色や紫色を着るという風習があったらしい。 大阪の中古着物屋さんの話では、そういう色彩感覚を自然に持って...

  • 草木染めには伝統がある×→草木染めという言葉は昭和7年に作られた○ ~昭和後期のおかしな言説~

    今回は、草木染めという言葉は昭和7年に作られたというお話です。 和裁士さんを通して呉服の世界を見ていると、昭和後期は、「草木染めの地味で渋い色調こそ日本的な色彩感覚だ。日本人なら草木染めの渋い色を美しいと思うべきだ。」「色と年齢の色彩感覚は草木染めの色彩感覚であり日本特有のものだ。」「草木染めの淡い色や渋い色は上品な色だけど、化学染料の鮮やかでカラフルな色は下品で悪い色だ。」「草木染めなら高級品...

  • 92歳のお婆さんの話 戦前の庶民の履物は千日草履やワラ草履やあさぶら。草履は一つのものを訪問着や紬まで様々な着物に合わせた。

    今回は、92歳のお婆さんのお話シリーズで、戦前の庶民の履物事情と草履の格とTPOの感覚のお話です。私:「戦前の草履の種類と合わせる着物の格はどのようなものでしたか?留袖用、訪問着用、紬用と細かく分かれていましたか? 草履の格とTPOについて調べてみると、戦後に今の着物の決まりごとを作る中で、着物の格ごとに使える草履を限定し、訪問着用・小紋用・紬用…と商品ラインをたくさん作って販売促進していたということが...

  • 筒状に織られた本袋帯の話

      今回は、袋帯の中には、筒状に織られた「本袋帯」があるというお話です。 服部織物の帯を見ていた時、両端の縫い代がなく、軽くて薄手でしなやかなで不思議だなと思って見ていたら、店員さんが、「これは本袋帯という筒状に織られた帯で、こういう帯は良いものが多いですよ。(本袋帯は特別な技術だから、安物は作らない)」と教えてくださいました。 ネット情報によると、一般的な袋帯は表生地と裏生地の2枚を縫い合わ...

  • 洋服に年齢はない④ 洋服売り場やブランドは、年齢を重ねるごとにステップアップしないといけないわけではない

    (前回からの続き) 今回は、洋服売り場のディスプレイやコンセプトの話題の続きとして、消費者は、洋服の売り場やブランドを年齢ごとにステップアップしていかないといけないわけではないというお話です。 もしかすると、呉服関係者さんの中には、「安い商品=若い世代が買うもの」「収入が増えれば年齢ごとに相応しいブランドにランクアップしていくべきだ」「洋服は年齢ごとに買う店を変えていくものだ」という考えの人がいる...

  • 厄年に七色のものを身に付ける風習と七色の和装小物の話

    前回からの続きを書きたいところですが、まだ書けないので、今回は別のお話にしたいと思います。 京都・大阪の着物上級者さんのブログで知ったのですが、関西は厄年に七色のものを身に付ける風習があり、着物では七色の和装小物が知られているのだそう。<参考記事>ひぐちゃんのお遊びBlog 七色仮面参上 (fc2.com)ひぐちゃんのお遊びBlog ワンコーデでイルミネーション見学ツアー (fc2.com) 船場センタービルの和装小物のお店...

  • 洋服に年齢はない③ 呉服的価値観と洋服的価値観の違い、最高峰のファッション誌に年齢はない

    (前回からの続き) 前記事でも書いた、呉服の世界にある、「女性は年齢を表すために衣服を着ないといけないから、集団で階段を上るように、同年代はみんな似たような着こなしをしないといけない」「自分が年を取って先輩世代と同じ世代になったら、自分も型や様式を引き継ぎ、先輩世代と同じ格好をしないといけない」「着物は10代、20代、30代、40代、50代、60代…と、年齢ごとに相応しい色柄が固定されていて、あたかも中身の人...

  • 洋服に年齢はない② 日本の百貨店がフロアを年齢・立場で分けていたのは呉服屋が前身だったから?/ヨウジヤマモトの片腕だった斎藤統さんの西洋の洋服文化の話。

    (前回からの続き) 和裁士さんの話を聞くうちにわかってきたことは、呉服の世界には、「女性は年齢ごとに着こなしが定められており、それを守らないといけない(=年齢相応の格好をすべきだ)」「女性は年齢を表すために衣服を着ているから、集団で階段を上るように、同年代はみんな似たような着こなしをするものだ」「着物は年齢に相応しい色柄や着こなしが予め決まっていて、外的な基準に従い、機械的に着こなしを変えていかな...

  • 洋服文化をよく知らずに議論している人がいる?洋服に年齢はない① 西洋では18世紀まで子供服の概念がなかった。子供服は大人服をミニチュア化したものだった。

      今回は、呉服の世界には年齢ごとに形態・色柄・着こなしを変えるという考え方がありますが、洋服文化には年齢階梯性はないというお話です。  呉服関係者・着物愛好家さんの中には、洋服文化のことをよく知らない人が着物と洋服を比較して説明していたり、本場の洋服文化をよく知らない人が女性の着こなしを批評していたり、漠然としたイメージや思い込みで、女性の服装のあり方・望ましさについての勝手な持論を展開...

  • 92歳のお婆さんの話 戦前は男物で木綿や紬や銘仙の礼装があった。庶民のお葬式は野良着で参列、結婚式の礼装は庄屋が貸していた、etc.(後編)

    (前記事からの続き)私:「男性で自前の羽織袴を持っていたのは、どういう立場の人ですか?」お婆さん:「正絹の羽織袴は地域の名士で町内のお役(氏子総代、お祭り、学校の行事)があったり、村長や町長を任されるような男性が着るもので、ほとんどの人は自前の羽織袴は持っていないよ。 都会なら自前の羽織袴を持っている人の割合はもう少し多いかもしれないけど、それでも正絹の羽織袴は地域の名士の人じゃないと必要ないんじ...

  • 92歳のお婆さんの話 戦前は男物で木綿や紬や銘仙の礼装があった。庶民のお葬式は野良着で参列、結婚式の礼装は庄屋が貸していた、etc.(前編)

    今回は、92歳のお婆さんのお話シリーズで、戦前は木綿や紬や銘仙の礼装があったという話や、庶民は葬式の参列も普段着の藍染めの木綿着物だったというお話です。私:「以前、お婆さんのお話で、戦前の結婚式では、貸衣装屋がなかった田舎では大庄屋さんが貸していたというお話がありましたが、結婚式の参加者みんなの分を貸していたのですか?数は足りたのですか?」 お婆さん:「結婚式の参加者全員分はいらないよ。新郎新婦と...

  • 洋服生地から半幅帯を作る話 ~世界の伝統工芸の生地から素敵な半幅帯が作れる♪~

    今回は、伝統工芸の洋服生地から半幅帯を作れば、素敵な半幅帯が作れるというお話です。 フランス貴族で芸術家のバルテュスさんと国際結婚し、海外で着物ライフを過ごしていらっしゃる節子・クロソフスカさんの本に、アジアやインドやチュニジアの伝統工芸の布で着物や帯を作ったというお話がありました。 節子クロソフスカさんは、外国で着物で過ごす日本人として知られており、その著書が着物愛好家さんの中でも人気です。<...

  • 92歳のお婆さんの話 戦前は振袖を未婚・既婚で分けなかった。振袖は上流階級しか着ないものだった。(後編)

    (前回からの続き) 私:「では、本振袖と留袖を両方持っている人は、どう着分けたのですか?」 お婆さん:「基本はその家で好きに決めるね。 垂れ物の話は、垂れ物を着るような階層の人しか知らないことだから、普通の家の人は知らなくていいことなんだよ。 垂れ物を着る家の人だけが親から子へ口伝で着方を教えるものだし、垂れ物を着るようなお金持ちのお嬢様・奥様たちは自分の好きに着るものだよ。 振袖を着る年齢につい...

  • 92歳のお婆さんの話 戦前は振袖を未婚・既婚で分けなかった。振袖は上流階級しか着ないものだった。(前編)

    今回は、92歳のお婆さんのお話シリーズで、戦前は振袖は未婚・既婚で分けていなかったし、庶民は振袖のことはよく知らなかったというお話です。私:「戦前は振袖にどんなイメージがありましたか?振袖は何歳まで着るイメージありますか?」 お婆さん:「戦前は垂れ物を着れる人自体が少なかったけど、まして振袖は、垂れ物を着れる家の中でもさらに少なくて、相当な名門の家でないと振袖は着れなかったと思うよ。 振袖なんて普...

  • 着物をリメイクして半幅帯にする話 ~本物志向の着物をリメイクすれば素敵な半幅帯が作れる♪~

    今回は、着物をリメイクして半幅帯を作るお話です。 半幅帯はお太鼓結びより楽ですし、旅行や気軽なお出かけに便利ということに気付いたのですが、半幅帯は浴衣用が中心で品数が少ないですし、伝統工芸の良いものは中古市場でも少ないです。 そこで、着物をリメイクして自分で作ることにしました。結果としては、素敵な半幅帯ができて大満足です 大阪で本物志向の小紋がこんなにお値打ちに買えるのに、何で今まで気付かなかっ...

  • 平安時代の色と年齢の話③ 年齢に関係ない襲色目

    今回は、年齢制限のない襲色目についてです。 染色研究家の吉岡幸雄さんの『王朝のかさね色辞典』によれば、平安時代の王朝人は、自然の移ろいを感じ、草木の配色に注目していたため、色については配色と季節感の表現に注目していたそうです。王朝のかさね色辞典 紫紅社刊【電子書籍】[ 吉岡幸雄 ]価格:3,850円(2023/1/15 23:40時点)感想(0件) 例えば、「枯色の襲」は、着物の色と年齢では年配向きの色とされますが、王...

  • 平安時代の色と年齢の話② 色と年齢に言及している襲色目(かさねいろめ)

    (前回からの続き) 装束の世界では、色と年齢について言及しているものと、年齢制限のないものとがあり、今回は色と年齢に言及している襲色目(かさねいろめ)についてご紹介します。 結論から先に述べると、王朝文化にも色と年齢やしきたりはありますが、全体的には年齢はあまり関係なく、四季に合わせて草木や風景などの自然の色彩を色の組み合わせで表現するのが基本であり、色と年齢があるものについても、江戸時代とは色彩...

  • 平安時代の色と年齢の話① 赤に情熱の意味や若向きのイメージはなかった。

    今回は、平安時代の色彩感覚と色に対するイメージについてのお話です。 呉服の世界では、「色と年齢の色彩感覚は日本人が代々昔から受け継いできた色彩感覚だ(=伝統があるんだから守るべきだ)」「イマドキの日本人にも色と年齢の色彩感覚を身に付けさせないといけない。(日本人としてのマナーだ。)」「草木染めの渋い色こそ日本的色彩感覚だから、そういう色を美しいと思える人間にならねばならない。」という価値観を持つ...

  • 戦前までは帯揚げのことを「帯上げ(オビアゲ)」、帯枕のことを「帯揚げ(オビアゲ)」と呼んでいた!?

    前記事に続き、今回は、戦前までは帯揚げを「帯上げ」と書いたり、帯枕のことを「帯揚げ」と呼んでいた件について書きたいと思います。 私がこのことに気が付いたのは、帯締め=帯止めについて調べていた時に、戦前の着物本の中で、かなりの頻度で帯揚げ・帯締め・帯枕の名称が今と違う使われ方をしていて、読んだ時に混乱したからです。 まず、国立国会図書館の無料公開デジタルコレクションで見てみると、『春夏秋冬に配した...

  • 戦前は帯締めのことをオビドメ(帯留/帯止)と呼んでいた!?帯留め(装飾)と帯止め(紐)は混同されていた!?

    「ファッションは西欧社会で生まれた概念?」の後編についてですが、もう少し調べたいことがあるので後に回し、今回は別の記事にさせていただきます。 今回は、戦前までは「帯締め」のことを「帯留め、帯止め(=帯を安定させる紐)」と呼んでおり、まだ漢字や名称が統一されていなかったというお話です。 ↑一般的に、帯留めは帯の前部分に付ける装飾品。画像はネット上より拝借しました。↑一般的に帯締めといえばコレ。画像...

  • 謹賀新年 母と振袖を着ました

    🎍明けましておめでとうございます🎍 旧年中はご愛読いただきありがとうございました。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 早速ですが、お正月に、まだ着れていなかった振袖を母と着ました📷↑私は総絞りの振袖に唐織の袋帯、母は京紅型の小振袖に龍村の袋帯。 龍村は自分で「みやこ染め」で淡いピンクに染めたものです。 ピンク地の袋帯は合わせにくいかと思いきや、意外と淡い色の礼装に使えました(笑)↑私は藤娘きぬ...

  • ファッションは西洋社会で生まれた概念?江戸時代の小袖が西洋に先駆けてモードを作っていたのは本当か?(中編)

    (前回からの続き) 丸山伸彦教授は、17世紀後半以降の江戸時代において、世界に先駆けて小袖雛形本というモード誌が市民階級の不特定多数の人まで広がっていたことに注目し、西洋よりも100年早くモードが成立していたと分析しておられるのですが、個人的には、識字率の高さや読書文化が大衆に広まっていたことと、高級呉服のモードの広がりとはまた別の話のような気もしています。 確かに、江戸時代の日本は同時期の外国と比べ...

  • ファッションは西欧社会で生まれた概念?江戸時代の小袖が西洋に先駆けてモードを発展させていたのは本当か?(前編)

    今回は、前々記事の丸山伸彦教授の「江戸時代の小袖は西洋より100年早くモード(ファッション)を発展させていた」という説を受けて、従来はファッションが西洋社会特有の産物だったと考えられているという話について書きたいと思います。 丸山伸彦教授がこの説を研究発表されたのは、ご著書の『江戸モードの誕生』にその経緯が書かれており、ある出版社の方から、「小袖を中心とした江戸モードを見直すという視点から、構成を...

  • 呉服の世界では着物のことをファッションだと認識していない?ファッションという言葉の定義の誤解(後編)

    (前回からの続き) 続いて、呉服の世界で勘違いが生まれた理由の③と④になります。【再掲】①ファッションという言葉の定義を呉服の世界だけが誤解・曲解して使用している②戦後になっても江戸時代の封建制と衣服規制から卒業できず、着物が自己表現としてのファッションになれなかった③歴史的に日本では高級呉服を着れる階層でも着物をファッションにまで高められる人が少なかった④戦後は着物離れが進み、着物が衣服・ファッション...

  • 呉服の世界では着物のことをファッションだと認識していない?ファッションという言葉の定義の誤解(中編)

    (前回からの続き) さらにファッションという言葉の定義について続けます。 『洋服を着る近代』には、衣服と衣装とファッションの違いについて、「ファッションとは上流階層で見られる装い」とあります。↑『洋服を着る近代』ロバート・ロス著、平田雅博(訳)、法政大学出版局(2016)より。洋服を着る近代 帝国の思惑と民族の選択 (サピエンティア) [ ロバート・ロス ]価格:3,960円(2022/12/14 14:11時点)感想(0件) これに...

  • 呉服の世界では着物のことをファッションだと認識していない?ファッションという言葉の定義の誤解(前編)

    今回は、「呉服の世界では着物のことをファッションだと認識していない?」シリーズの第一弾です。 私が呉服の世界を見ていてわかったことの一つとして、どうやら呉服の世界では、着物のことをファッションだと認識していなかったようなのです。これは本当に驚きでした😱。 呉服の世界では、「着物=嫁入り道具」「着物=和のマナー、お稽古事、花嫁修業」「着物=伝統を守るために着るもの」「呉服屋=通過儀礼の指導者、文...

  • 良い染め帯は絵柄に伸びがある。京好みのお太鼓結びにも最適?!

    今回は、良い染め帯にはお太鼓柄でも絵柄面積が大きいものが多いというお話です。 石川あきさんの『昔のきものに教えられたこと』で知ったのですが、良い染め帯は「絵柄に伸びある」と言われ、隠れてしまう部分にも絵柄が広がっているものが多いそうです。↑『昔のきものに教えられたこと』石川あき、草思社(2006)【中古】 昔のきものに教えられたこと /石川あき(著者) 【中古】afb価格:1,045円(2022/12/11 03:06時点)感...

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