今回は、戦後に着物の色柄が洋服ファッションの流行に合わせて一気に地味になったことと、洋服でモノトーンと黒の洗礼を受けた世代を中心に、呉服の世界で「地味なもの=上品」「シックなものこそ正統派の高級呉服らしい色柄だ」という思想を流布している可能性があるというお話です。 戦後生まれの呉服関係者さんを見ていると、「洋服感覚の着物を~」「洋服の中で浮かない色柄を~」「都会のコンクリートジャングルになじむシ...
当ブログは、近年着物に興味を持つようになった着物初心者さんや若い世代向けに書いているブログです。 着物の知識・情報のメモ&お買い物&着物ファッションをアルバム風にまとめてみました。
芭蕉布は格が低い×→上布の芭蕉布は上流階級の礼装だった〇 ~昭和後期のおかしな言説~
今回は、麻の着物の話に続き、芭蕉布の着物の格についてです。(画像参照元:芭蕉布 - Wikipedia) 戦後の呉服の世界では、芭蕉布は帯も着物もカジュアル着着として知られ、とても高価で希少性の高い商品となっていますが、琉球王国時代は古くから王家の夏の礼装として用いられ、戦前でもフォーマル着として着られていたようです。 『図説琉球の染めと織り』によると、琉球王朝では古くから芭蕉布が存在し、王族から庶民に至る...
麻は格が低い×→戦前までは麻の礼装があった〇。上質なものは上流階級の礼装や日常着、質の劣るものは庶民の日常着だった。~昭和後期のおかしな言説~
今回は、戦前までは麻の紋付礼装があったというお話です。 結論から先に述べると、麻についても、昔は紋付の礼装があり、夏場はフォーマルで着られていましたし、同じ麻でも上質なものは上流階級の礼装や日常着として着られ、質の劣るものは庶民が日常着・労働着として着ていたということがわかりました。 戦後の着付け教室の教本や着物雑誌を読むと、「麻は素材からして格が低い」「麻は農家が自家用に作る自然布が起源で格が...
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今回は、戦後に着物の色柄が洋服ファッションの流行に合わせて一気に地味になったことと、洋服でモノトーンと黒の洗礼を受けた世代を中心に、呉服の世界で「地味なもの=上品」「シックなものこそ正統派の高級呉服らしい色柄だ」という思想を流布している可能性があるというお話です。 戦後生まれの呉服関係者さんを見ていると、「洋服感覚の着物を~」「洋服の中で浮かない色柄を~」「都会のコンクリートジャングルになじむシ...
(前回からの続き)私:「和裁士さんによると、昭和後期の着物の世界では、黄八丈は町娘が着る若向きのイメージがあるから年配は着れないとか、格子は若づくりだという説が流布されていたらしいです。 Fさんは(本場)黄八丈にどんなイメージがありますか?」 Fさん:「黄八丈は年配世代が着るものというイメージだし、黄色が若い人しか着れないという話も聞いたことない。 誰がそんなこと言ってるのかしらね?? ...
今回は、Fさんのお話シリーズの第一回です。 (過去に一度公開した記事ですが、差し障りがある箇所があったため非公開にしており、今回再掲させていただきました。) ご実家が明治初期からの呉服屋だったというFさんに、大島紬の話や戦前の宮崎県の庶民の衣生活の話を聞かせていただきました。 Fさん(2018年現在で78歳)のご実家は、お父方が江戸時代に大名の馬廻り役だった武家のご家系で、明治以降は商家に鞍替えし、...
今回は、帯締めの話に続き、帯揚げについて調べてみました。 帯揚げは、お太鼓結びが生まれた後に、帯回りの付属品・装飾品として生まれたものの、帯締めのように組紐の文化や伝統技術などの背景があるわけではないためか、帯揚げを専門的に調べた本はほとんどないようです。 時代考証家の山田順子さんによると、「文化年間(1804~1818)にお太鼓結びが考案されると、帯がずり落ちないように、帯締めだけでなく、背中の折山に...
(前記事で、「組紐の帯締めの普及は、月印という帯締めの問屋が仕掛けた」という説を載せ忘れたので追記しました。よろしければご覧ください。) 今回は、夏用の帯締め・帯揚げのお話です。 戦後の呉服の世界では、季節柄や衣更えをうるさく言っていたので、「夏には夏用の帯揚げ・帯締めにしないといけない」と思う方がおられるかもしれませんが、夏用の帯締めは衣更えのしきたりでも何でもなく、戦後の昭和後期に商業的に作ら...
🎍新年のご挨拶申し上げます🎍 今年は元旦から地震・事故・事件など様々なことがありました。 被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。 当ブログの新年の抱負は、昨年は更新が少し滞っていたので、今年は着物の理論のほうに力を入れ、もっと多くの記事を投稿できる一年にしたいと思います📒🖋~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 今年の初記事は、特にお正月らしくもないのですが、帯締めと...
今回は、麻の着物の話に続き、芭蕉布の着物の格についてです。(画像参照元:芭蕉布 - Wikipedia) 戦後の呉服の世界では、芭蕉布は帯も着物もカジュアル着着として知られ、とても高価で希少性の高い商品となっていますが、琉球王国時代は古くから王家の夏の礼装として用いられ、戦前でもフォーマル着として着られていたようです。 『図説琉球の染めと織り』によると、琉球王朝では古くから芭蕉布が存在し、王族から庶民に至る...
今回は、戦前までは麻の紋付礼装があったというお話です。 結論から先に述べると、麻についても、昔は紋付の礼装があり、夏場はフォーマルで着られていましたし、同じ麻でも上質なものは上流階級の礼装や日常着として着られ、質の劣るものは庶民が日常着・労働着として着ていたということがわかりました。 戦後の着付け教室の教本や着物雑誌を読むと、「麻は素材からして格が低い」「麻は農家が自家用に作る自然布が起源で格が...
今回も前回に続き、紬や木綿は格が低いという言説についてです。 結論から先に述べると、「紬はとにかく格が低い」というような言説は、戦後の昭和後期に高級紬ブームになった時に、高級紬のライバルであった友禅の産地が紬を下げるような言説を流布したのが原因という説があったり、歴史的には高級紬は別格に扱われていて、地域によっては正式な礼装として着られていたという事実があるようです。 紬については色々な種類があ...
今回は、前回の木綿友禅の話に続き、「紬は紬というだけで格が低い」という言説は誤解であり、戦前までは紬の礼装があり、着物の格は素材よりも紋の有無と色柄で判断していたというお話です。 戦後の呉服の世界では、「紬はどこまでいっても格の低い着物(カジュアル着)だ。」「紬の訪問着は戦後に作られるようになった邪道の商品だ。紬の訪問着をフォーマルな席で着るのはおかしい。」「紬はいくら高級品でも格の低い着物だか...
今回は、「木綿は木綿というだけで格が低い」というのは誤解であり、大正時代までは木綿の礼装が作られていたし、着物の格は紋の有無と柄ゆき(裾模様・絵羽)で判断していたというお話です。 戦後の呉服の世界では、「木綿着物は着物の中でも最も格が低い」「木綿の着物はカジュアルな格だから部屋着として着たり、働く時に着るものだ」「隣人や極親しい人と会う時、近場の買い物で着る」「木綿の着物は格が低いからマフラーや...
続いて羽織のお買い物の話です。 ↑小紋の羽織、中古品、324円。 こちらは、和裁士さんが小物作り(つるし飾り)用に買ったもの。 茶色でこういう小さな柄は、雀などの小鳥の素材に使えるのだそう。↑バティック調の型染めで、羽裏もアジアンテイストです。 羽裏の下の表生地の折り返しが多いので、羽織にしては生地がたくさん取れたそう。 ↑小紋の羽織、中古品、324円。 こちらも和裁士さんがリメイク用に購入。 羽織紐が...
前回に続き、羽織のお買い物の話です。↑寿光織の絵羽織、未使用品、仕付け糸付き、108円。 こちらは知人のNさんが買ったもの。寿光織でこの価格はびっくりです😧 上品な糸菊が描かれていて、絵羽なので、関西の感覚だと、紬の着物ではなく、格のまあまあ高い垂れ物に合わせるべきものなのかも? 金糸・銀糸と白糸で立体的な糸菊が抽象的に表現されています。 「大小あられ」のような地紋があり、光の加減で浮き立ってオシャレ...
今回は、羽織のお買い物の話です。 今は長羽織が流行なので、昭和の短い羽織は流行遅れになりがちですが、とはいえ昔のものは良いものが多いので、そこまで短くなければ今着ても恥ずかしいわけではないと思いますし、生地や加工が良いのでリメイクにもオススメです。(過去記事→今の流行と昭和の着物のイメージあれこれ② ~着物を着るうちにわかってきたこと~)↑刺繍入りの絵羽織、未使用品、仕付け糸付き、108円。 手刺繍と...
今回は、地方の呉服屋さんでは、京都のネームバリューを都合のいい時だけ利用していたり、本当は田舎の趣味なのに、自店が京都のセンスであるかのように販売しているというお話です。 今まで呉服の世界を見ていて、着物で嫌な思いをしたり、着物離れが起きる大きな要因は、消費者と直接関わる販売現場が原因ではないか?とわかってきたため、今回は地方の呉服屋シリーズ第一弾として、愛知の田舎好みの呉服屋さんの話を例に挙げ...
今回は、はんなりという言葉は京都人でもあまり使わないという話と、地方の呉服関係者さんの中には、はんなりの意味を誤解していたり、江戸好みの着付けや趣味なのにそれが京好みだと勘違いしている人がいるのではないか?というお話です。 和裁士さんと話していて気が付いたのですが、和裁士さんが習った着付け教室では、「うちの教室でははんなりした着付けを目標にしている」と言っていたり、和裁士さんのお店の社長が、...
(前回からの続き) 呉服の世界では、伝統工芸の藍染めの浴衣だけをホンモノとし、他の安価な浴衣をニセモノとする風潮があるようですが、アパレルの世界では、藍染めの浴衣は、品揃えやカテゴリーとしては単に「紺色の浴衣」として分類されるということをもっと理解する必要があると思います。 紺色の浴衣は、伝統工芸の高級品だろうが、プリント印刷の安価なものだろうが、色柄のカテゴリーとしては単に「紺色の浴衣」に分...
今回は、前回の話の続きで、藍染めの浴衣に関するお話です。 昭和後期の呉服の世界では、「浴衣は藍染めが正統派で正しい浴衣で、日本人なら藍染めの浴衣を良いものだと思うべきだ」「藍染めの浴衣こそ伝統的な本物の浴衣だ」「昔ながらの紺地や白地の藍染めの浴衣こそ日本人らしい趣味だ」というような価値観が流布されていたようです。 現在でも、呉服関係者さんの発言やテレビ番組の日本の浴衣文化の紹介を見ていると、さり...
今回は、昭和後期のおかしな言説シリーズで、浴衣の格と絵羽柄についてのお話です。 浴衣についてよく耳にする話として、昭和後期の着物世界では、「絵羽の浴衣は近年作られるようになったもので、いくら絵羽でも格は低い。(=絵羽の浴衣は邪道だ)」」「浴衣を長襦袢と足袋で夏着物として着るのはいかがなものか。」「浴衣は湯上りに着るバスローブだから、昼間から着るのはおかしい。」「浴衣はオシャレ着や外出着には...
今回は、男性の和装は今でも慶事と弔事が同じ格好になるというお話です。 男性の和装の喪服について、「慶事では羽織紐と草履の鼻緒は白、弔事では黒にする。(中には半衿も足袋も黒にするという説もあり)」という言説が昭和後期に流布されていたようですが、これについても昭和後期のおかしな言説の一つのようです。 結論から先に述べると、和装では戦前までは慶事も弔事も同じ格好で、男性は白喪服の場合と黒紋付羽織袴が混...
今回は、「青=男性、赤=女性」というイメージは、東京オリンピック(1964年)以降に定着したというお話です。 呉服の世界では、「クール系の男顔やオバサン顔には寒色系の着物が似合う。可愛い系やフェミニンな顔立ちには暖色系が似合う。」という見立て方があるようですが、こうしたジェンダーイメージも、意外と明治以降に西洋文化が流入してからかもしれません。 以前、NHK「チコちゃんに𠮟られる」で、「なんで男は青、...
今回は、着物の真贋の見分け方と例外の話についてです。 着物も時代により作り方やテイストが変わっているので、真贋の見分け方についてもそれが絶対ではなく、「戦後には作られなくなったけれど、戦前~戦後しばらくはまだ作られていた」「『〇〇に△△はない』と言われているが、実は珍しい例外もチラホラ作られている」ということもあります。 それに、呉服関係者さんの実力も人により差がありますし、昔は色々な種類の着物が...
今回は、「お買い物関連の雑談」シリーズ第1回です。 今までのお買い物記事では横道に逸れるので書けなかった内容や、お買い物アドバイス的なことを書きたいと思います😊 着物の聖地といえば京都のイメージがあるかもしれませんが、京都は観光地値段で物価が高いですし、物流でいうと実は大阪こそ着物の集積地&薄利多売ができる聖地のようです。 旧ブログで勝手に作った私のキャッチフレーズは、「着物を着るのは京都、買う...
今回は、白喪服の意味は、人生の通過儀礼であり、死と再生の儀式と色直しの意味があるというお話です。 結論から先に述べると、白喪服の意味は、人の一生のうち、産着や百日祝いや結婚式や葬式などで何度か経験する死と再生の通過儀礼の一つであり、白い着物に着替えるのは生と死を承認・確認する意味があり、白い着物はお色直しの一枚目という位置づけだったようです。 お色直しとの関連は意味がわかりにくいかもしれませんが...
今回は、上流階級の遺族の装束において、南北朝時代~江戸前期まで、喪服や服喪期間の衣服を左前に着ていた時期があるというお話です。 現代では、「遺体に着せる死装束は、普段と違う左前に着せる」「左前は死装束」というイメージがありますが、南北朝時代~江戸前期までは、死者ではなく遺族が葬儀や服喪期間中に左前に着物を着ていたという興味深い情報がありました。 逆に言うと、お葬式では、遺族の喪服は、古来からしば...
今回は喪服の歴史と変遷についてまとめてみました。 今は喪服=黒のイメージですが、日本の歴史においては喪服=白の時代のほうが長く、葬礼で白を基本とするのは中国やベトナムやトルコなどの他のアジア圏とも類似した文化があったようです。 <参考記事>ベトナムの喪服は白色,日本の喪服も江戸時代までは白色 住んで旅してAsianLife (aoba.net)白い時もあった喪服。喪服が黒い理由とは?|知っておきたい葬儀の知識|ご...
今回は、江戸時代の白喪服の様子や戦前までの各地の白喪服の風習についてです。 江戸時代の白喪服については、歌舞伎や文楽がその姿を留めているので参考になります。 男性は白い着物に白い裃、女性は白無垢に帯の結び方は色々あるようです。↑文楽では花嫁衣裳のように綿帽子を被る姿や帯をお太鼓で前で結んでいる姿などがありました。 ↑歌舞伎では女性は綿帽子は被らず、帯は白い帯を結ばずに巻き付けたような着付けの時...
今回は、92歳のご近所のお婆さんに白喪服の写真を見ていただいて、お話を伺いました。 私:「曾祖母のタンスから白喪服が出てきて、曾祖母の父の葬儀で白喪服を着ている写真も見つけました。 昔は喪服は白かったそうです。白喪服について何かご存じでしたら教えてください。」↑前記事より再掲。お婆さん:「まぁ、あなたのひいおばあちゃんは白喪服まで持ってお嫁に行かれたの。それはすごいわね。 明治生まれの人で自前の白...
今回は、白喪服シリーズ第一弾で、曾祖母の白喪服についてです。 曾祖母のタンスに白い着物があり、何なのかわかりませんでしたが、和裁士さんや大阪のいつもの店員さんに聞いてみたところ、白喪服だということがわかりました。 曾祖母は夏の白喪服と袷の白喪服と両方持っていて、夏の白喪服は絽の白い色無地、袷の白喪服は繻子の着物に繻子の丸帯でした。(夏の白喪服は黄ばみや汚れが酷くて見苦しいため、写真は控えさせて...
今回は、藍染めで活躍する微生物のお話です。 日本の藍染めでは、手間暇かけて発酵させて蒅(すくも)が作られているのが特徴ということで、蒅や藍甕の中で発酵に活躍する微生物はどういう菌なのか、個人的に気になっていました。「日本人は菌を家畜化している」といわれるように、日本人は毒性のあるカビ菌から無毒の麹菌を選択的に利用したり、味噌や日本酒やぬか漬けなど様々な発酵食品を発展させていることで知られます。<...
(前回からの続き) 今回は、アフリカ大陸の藍染めの話と、アフリカの絞りと日本の絞りが16世紀から交流があったというお話です。 まず、1960~70年代のアフリカ大陸の藍染めの様子です。↑北アフリカの藍染め。↑カメルーンとイエメンの藍染め。『藍染めの歴史と科学』より。 『藍染めの歴史と科学』は1992年出版ですが、写真は1974年出版の『天半藍色』からの参照なので、50年近く前の写真です。 近年出版の本では、アフリカの...
(前回からの続き) 染色の専門家の本を読んでいると、日本でジャパンブルーという言葉が独り歩きしていて、藍染めが日本固有の文化や特殊技術のようなイメージが広がっているのを訂正していることが多いです。 私も初心者の頃、着物本で商業的な藍染めの宣伝を呼んでいるうちに、無意識に「藍染め=日本的なもの」という印象を持ってしまっていたので、染色の専門家さんは一般にこのようなイメージが広がっている問題をご存じで...
今回は、藍染めと藍を建てるという言葉や天然藍と合成藍についてのお話です。 着物本だけを読んでいると、「ジャパンブル―」「サムライブルー」と書かれていたり、藍染めの伝統的・文化的側面の話が多いため、「藍染め=日本特有の文化、日本だけの特殊技術」のように勘違いする人が出てきてしまうような気がします。 でも、藍染めは古来から世界中で行われていた染色で、日本に限ったことではありません。 そこで、藍...
近場の公園や神社の桜を見てきました🌸↑公園や神社のソメイヨシノやシダレ桜です。 着物と桜の写真は、他の方が大勢写ってしまうので控えさせていただきます💦 ↑母は白大島に蝶々と花の染め帯。 ↑私は白大島(色大島?)に博多の斜子織。 ↑この日は横双の大島紬に真綿紬の帯。 ↑母は泥大島の横双に市松の博多?の半幅帯。この日は親子で横双にしてみました。 母は運転のため半幅帯にしたのですが、お腹のせい...
今回は、西洋の天然染料のパステル(大青:たいせい)と、日本の藍染めの色調のお話です。 NHK『世界ふれあい街歩き』のフランスのトゥールーズの回(2017/10/17放送)で、天然染料のパステルが、中世~フランス革命まで一大産業だったという話がありました。<参考記事>NHK 世界ふれあい街歩き これまでの街歩き フランス南西部の中心都市、トゥールーズは、赤レンガで統一された街並みが「バラ色の街」と呼ばれ、旧市...
今回は、縞×縞のコーデの話と、江戸時代は帯合わせの格とTPOが今とは違っていた話についてです。 この江戸小紋の単衣の縞の着物と帯のセットですが、買ったはいいものの、実際にセットで着てみるとなんだか合わない感じがしたので、別々に着ていました💦 ↑子持ち縞の単衣の江戸小紋。↑帯は斜め縞です。↑着物と帯のセット。(過去記事はこちら→江戸小紋の話とお買いもの@大阪/ ②縞の着物と帯、内田秀一、関正三郎、鈴木秋治、単...
今回は、和裁士さんのお話シリーズで、ミシン仕立てと手縫い仕立てについてです。 着物のお誂えでは、海外のミシン仕立てとハイテクミシン仕立て、国内のハイテクミシン仕立てと国内の和裁士による手縫い仕立て等、色々な選択肢があり、それぞれメリットとデメリットがあるようです。<参考記事>1604.お仕立て - きものカルチャー研究所 (kimonoculture.com)形骸化を容認できるか(1) 和裁職人存亡の危機(前編)形骸化を...
(前回からの続き) 次に、大正時代に政府が内股を不健康・不格好であるということで、改善運動をしていたという話ついて。 日本は明治維新以降、洋装の推進と欧米列強へ追い付こうとしていた時期であり、大正時代には国家的に女性の運動能力・基礎体力向上を目指した政策を行い、内股についても改善しようと啓発していたことがわかってきました。 まず、国立民族学博物館の身装電子年表を見ていきます。参考URL:近代日本の身...
今回は、昭和後期のおかしな言説シリーズで、戦前は着物の時に内股をするのがマナーではなかったのではないか?という考察です。 前記事でも触れましたが、呉服の世界では、「せっかく着物を着ても、内股歩きができないようでは着物が着こなせない」「内股で楚々と歩けないようでは着物が似合わない」「着物を着る時には内股で歩くのがマナーだ。素人を教育していかないといけない。」という着物警察的な考えを持っている人が...
今回は、92歳のお婆さんのお話シリーズで、戦前は内股はマナーのようなものではなかったというお話です。私:「今の着物本では、『着物の時には内股をするのがマナーだ』と書かれていますが、戦前の女性は、内股歩きを常にしていたのですか?マナーのようなものでしたか?」↑『着物のマナーお手本帖』五藤禮子、成実堂出版(2008)より。お婆さん:「着物の時の立ち居振る舞いだとかは母親から習うものだったけど、母の話では、...