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サイト振り返りの第10回。今日は提督繋がりで「火焔燃ゆ ~上村彦之丞と山本権兵衛」。上村も山本もメジャー過ぎてこれも本当にしんどい話でした。連載は大体しんどい。日露戦争の頃に活躍した提督では、上村彦之丞が好きです。いやあ…しかしまあ何と言うか、実際に自分の傍にいたら大変だろうなとは、思います。大変だろうとは、思うのよ。笑(山本権兵衛にも同じ感想を抱く)あの財部彪の縁談関係とか、若い頃の数々のエピソード...
海軍大臣・山本権兵衛(1852-1933年)が、連合艦隊司令長官に東郷平八郎 (1848-1934年)を任命したのは、日露戦争(1904-1905年)直前のことでした。 この時、明治天皇にその理由を尋ねられた山本はこう答えたそうです。 ~東郷は運の良い男でありますので~ 今...
1. 広瀬武夫、友人財部彪(たからべたけし)の結婚を反対する 広瀬武夫 広瀬武夫と財部彪は海軍兵学校の同期(15期)でもあり、互に認める友人でした。 その財部彪が山本権兵衛海相の娘を娶る事になりました。 広瀬はその報に接して驚き、 これはい
1. 父・五百助の厳しい訓育 山本権兵衛の父五百助盛珉は書画を能くして歌道に通じ、武芸でも特に槍術などは藩の中でも指折りの達人であった。そして、藩の右筆となって出仕、長い間藩主の書道指南を兼ね勤めた人である。 その父の躾はなかなか厳しかった
1. 山本権兵衛とは 山本権兵衛 山本権兵衛(ごんのひょうえ)は、1852年(嘉永5年)10月15日、鹿児島の加治屋町に生まれる。加治屋町といえば、西郷隆盛、大久保利通、大山巌、東郷平八郎などの出生地である。家柄は恒武平氏の出で、父五百助盛