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関東日帰り-千葉京成編(8) 総武本線 佐倉駅 ~佐倉散歩~
都賀駅から成田線直通列車に乗車しました。列車は四街道駅、物井駅と進み、物井~佐倉間では「モノサク」といわれる有名撮影スポットを抜けていきますが、乗車しているとあまりよくわかりません・・・。後ほど地図を確認したところ、付近に総武本線旧線跡や物井川橋梁亀崎橋台跡というスポットがあるのが気になりました。列車は佐倉駅に到着しました。次の目的地のユーカリが丘に行くのに、佐倉か酒々井か成田か・・・どこで京成に乗換える...
1. 児玉源太郎の水浴び 児玉大将産湯之井戸 児玉源太郎は幼年7歳の時から水浴びを始めます。以来、日露戦争の始まるまでの50年間は毎日欠かさず水浴びを続けたといいます。井戸に往き、頭からザブッと浴び、寒中といえども決して欠かすことはなかった
1. 墓が立派になっていい 日露戦争開戦前の1898年(明治31年)に児玉源太郎は台湾総督に任命されます。1900年(明治33年)には台湾総督のまま陸軍大臣を兼任。そして1903年(明治36年)には内務大臣も兼任します。しかしこれだけの重任
川上操六、桂太郎とともに「明治陸軍の三傑」と呼ばれる児玉源太郎の人物像及び人物評をご紹介いたします。 1. 児玉源太郎とは 児玉源太郎 1852年(嘉永5年)2月25日、周防国徳山藩士の子として生れる。父代わりの義兄が藩内旧主派に暗殺され一
日露戦争の立役者であり、台湾の近代化に尽力した「児玉源太郎」 今回は、山口県周南市の英傑、「児玉源太郎」をお届けします。 実は、地元なのに児玉源太郎が陸軍大将で203高地の戦いで有名な人、くらいの認識でした。
【日露戦役】 みなさんこんにちは。今日は日露戦争について、簡単に説明をしていくことにします。 <日露戦争> 日清戦争開戦の10年後、1904年(明治37年)から1905年にかけ、日本とロシア帝国の間で起こった戦争。朝鮮半島と満州の権益を巡る戦いで、主な戦場は満州南部と遼東半...