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明治7年、台湾征討という明治政府としては初めての海外出兵があった。この時の水筒に付いて記す。 発端となったのは明治4年10月に年貢を輸送していた琉球御用船が台風の為に遭難し3人が溺死、69人が台湾南東部に漂着し救助を求めたが、原住民により54人が殺害されるという事件である。清国や欧米との協議など途中経過は略すが、明治7年4月政府は大隈重信参議を台湾蛮地事務局長、西郷従道陸軍中将を台湾蛮地事務都督に任命し出兵準備に入った。 4月7日、海軍の軍艦孟春艦、雲揚艦、歩兵第一小隊、海軍砲二門と陸軍から熊本鎮台所轄歩兵一大隊砲兵一小隊の出兵が命じられ、5月6日には台湾南部に上陸し、間もなく戦闘を交えて占領…