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「江〜姫たちの戦国〜」が放映された2011年「お江の眠る寺」として、増上寺の徳川墓所の公開に出かけて来ました。徳川墓所は、法要など年7回の無料公開などに限り、一般には非公開としていましたが、大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」の放映にあたり人々の関心に考慮したものだそうです。通年で一般公開するのは初めてのことなのだそう。この年の大河の主役・お江のお墓があるということで、この日も朝から大勢の人が詰めかけてい...
NHKドラマ10『大奥Season2』第9話(第19話)・幕末編◆和宮(岸井ゆきの)らのクセが強い!!
『大奥Season2』第9話(第19話)・幕末編家定亡き後、14代将軍となった家茂は、徳川に向けられた諸侯たちの反感を抑えるため、井伊が推し進めていた公武合体で和宮を迎え入れた。しかし、朝廷から降嫁してきた和宮は偽物で、しかも女性だったこと
夏の長野と街歩きの旅part2~中津川宿、街歩きなう~ (「なう」って言葉、まだ死語にはなっとらんよな?) 旅行初日、午後4時過ぎ。 岐阜県中津川…
皇大神宮(こうだいじんぐう→神奈川県藤沢市鵠沼神明2丁目)は、勧請年代は不明ながら、平安時代前期の832(天長9)年、平安時代中期の1055(天喜3)年、鎌倉時代後期の1322(元亨2)年、安土桃山時代の1585(天正13)年、昭和時代末期の1985(昭和60)年に社殿の造営記録が残る古社です。社殿によると、平安時代中期の天喜年間(→1053年~1058年)には、後三年合戦に赴く源義家(みなもとのよしいえ)が戦勝祈願を行い、平安時代末期の1184(寿永3)...
公武合体 開国派と攘夷派で揺れる日本 楽しい日本史 -近代国家への道-
桜田門外の変で大老・井伊直弼が暗殺されると、幕府は復権のために朝廷との絆をふかめようと「公武合体」政策を行う。
小説家島崎藤村(1872−1943)は、第一次世界大戦前後の混沌としたフランスに3年間滞在する。藤村はすでに『家』などの自伝作家として評価を得ていた。社会の偏見に苦しみつつ目覚めてゆく個人の内面を凝視する求道的作風で知られていた。しかし、「家」は家父長という旧弊に取りつかれた人の悲劇を描いたものであり、家を包む大きな時代状況を描く視座はまだ獲得できないでいた。また、藤村は実生活において姪との不倫の恋に悩んでいた。葛藤を抱え、壁に取り囲まれるような思いにとらわれ、深い危機に陥っていた。私生活に関わるスキャンダルから逃れるようにして、藤村は42歳の時に神戸港からフランスに向けて旅立つ。華やかな門出…
1853年、アメリカ東インド艦隊司令官マシュー・ペリー率いる黒船4隻が、浦賀沖に姿を現しました。黒船来航・・・それは、2世紀半続いた江戸幕府の終焉の始まり・・・外圧に、攘夷を叫ぶ声、幕府の権威は低下していきました。そんな時代に幕府をしょって立つことになったのが
9 徳川家茂 (いえもち) (1846 ~ 1866)3uwl1b~開国と攘夷の狭間で犠牲になった幕末の若き将軍~ 13歳で将軍。現在でいえば中学校の1年生ですね。一国のリーダーになれということ自体無理があります。14代将軍徳川家茂は、鼻筋の通った現代的な顔つきであり、妻とは相思相愛でした。彼が亡くなったときは、誰もが死を惜しむような人柄だったと伝えられています。多くの人々から親しまれ、幕末のむずかしい...
【将軍継承問題】前編 みなさんこんにちは。いよいよ、本格的に幕末について書いていこうと思います。まずは将軍後継問題から始めてみます。 1858年(安政6年)13歳の若さで家茂が14代将軍に就任。後の15代将軍一橋慶喜を将軍後見職に迎えます。将軍後見職とは、公家で言えば摂政で...
今年も、1月に縁切榎に行って来ました。もはやコロナ渦で、願いが叶ったかどうかもわかりませんが、私にとって、縁切榎へ行かないと一年が始まらない気がします。悪...
Kami-Toyooka Chaya-honjin、上豊岡の茶屋本陣
“ Honjin” were hotels for daimyo lords, nobles and so on. There were also chaya(teahouse)-honjin which were resting places for them; the...