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下曽我駅に到着するとまずは駅前でイケメンがお出迎えしてくれます。曽我兄弟のキャラクター化だそうです。近くには曽我兄弟にまつわる場所があるので詳しく知りたい方は歴史を学びに足を運んでみましょう。 ちなみにこちらは松田駅から取った桜と菜の花2月後半あたりが見頃でしょうか?今回はこちらへは寄りません。 松田で電車を待っていると、遠くの山はこの間降った雪でまだ白いままなので冬を感じられる景色になっ...
正直、アタシは「曽我兄弟の仇討ち」というのはよく知りませんでした。 日本三大仇討ちのひとつ。 昔は教科書に載っていたほどの話でしたが敗戦後GHQへの忖度もあって載らなくなったとか。 かつてはそれほど語り継がれるようなものでしたが隠されるようになります。 敗戦後、決闘とかカタキ討ちとか、殺伐としたものは避けられた。 占領国アメリカは復讐されるのを恐れたのです。 そして我が国日本をスポイル、腑抜けにし...
「曽我兄弟より熱を込めて」を読んで!日本三大仇討ちの一つを解説!
歴史小説興味あります。読んでみたいんだけど何だか難しそうな気がして。そんなことないですよ。今日ご紹介する本を読めば歴史小説の面白さにはまりますよ!歴史小説に興味ある方いませんかー?または一度読んでみたいなって思ってる方いてませんか?歴史小.
【感想あらすじ】『曽我兄弟より熱を込めて』坂口螢火|古典を楽しく学べる歴史小説
この記事は、古典「曾我物語」を講談調で楽しく学べる歴史小説『曽我兄弟より熱を込めて』坂口螢火 著(幻冬舎)のブックレビューです。
18.【曾我物語の史的研究】 評価:65点/作者:坂井孝一/ジャンル:歴史/出版:2014年 『曾我物語の史的研究』は、「赤穂事件」「鍵屋の辻の決闘」と並…
17.【曾我物語~物語の舞台を歩く】 評価:75点/作者:坂井孝一/ジャンル:歴史/出版:2005年 『曾我物語~物語の舞台を歩く』は、日本三大仇討、「赤…
神奈川県箱根神社・・・鎌倉幕府が厚く敬った神社です。ここに、一振りの太刀が残されています。源頼朝の命を狙ったとされる太刀・薄緑丸。曽我兄弟の敵討ちで知られる曽我五郎時致が手にしたとされています。その夜、兄弟は親の仇・工藤祐経の宿に忍び込み、見事に本懐をと
頼朝の富士の巻狩りと曽我兄弟仇討ち(1)頼朝の詠んだ白糸の滝
曽我物語は、建久4年(1193年)に源頼朝が富士の裾野で行った富士の巻狩りの際、富士宮市上井出の地で、兄・曽我十郎祐成と弟・五郎時致が父の仇である工藤祐経を討ち果たした伝説を基にしています。頼朝は、富士の巻狩りの際、「白糸の滝」を訪れたといいます。2013年の5月、白糸の滝から曽我兄弟の史跡巡りをしてみました。世界遺産登録に向けて、工事中で滝壺に降りることができなくなっていたため、こんな画像しか撮れませんで...
音止めの滝(おとどめのたき)は静岡県富士宮市にある滝で、すぐ近くの白糸の滝とともに日本の滝百選の一つに数えられています。白糸の滝とは違って、音止めの滝は、水量が多く、ダイナミックな滝です。音止めの滝高さ約二五メートル、幅五メートル水量は富士山への積雪、上流部への降水量等により大きく左右されます。この滝の名前の由来は、建人四年五月二十八日(約八百年前)曾我の五郎、十郎兄弟が父、河津三郎祐泰を工藤祐経...
頼朝の富士の巻狩りと曽我兄弟仇討ち(3)曽我の隠れ岩と工藤佑経の墓
忠臣蔵、伊賀越えの仇討ちと共に、日本三大仇討ちに数えられる「 曾我兄弟の仇討ち」ゆかりの史跡「曽我の隠れ岩」が、音止の滝の東側にあります。「武勇見立十二支 曽我五郎 午」 歌川国芳画曽我の隠れ岩の由来曽我兄弟(兄十郎祐成、弟五郎時 致)の父河津三郎祐泰は、領地争い により伊豆で工藤祐経に暗殺されま した。兄弟は、武士道の面目にかけ 仇討ちを念願し、建久4年(1193年)富 士の巻狩に参加していた工藤祐経を ついに...
頼朝の富士の巻狩りと曽我兄弟仇討ち(4)曽我八幡宮(上井出)
富士宮市上井出に鎮座する曽我八幡宮は、 曽我兄弟を祭った神社です。社殿は、珍しいピンク色をしています。 社伝は、源頼朝が曽我兄弟の孝心に感じ、兄弟の英魂を祭るよう畠山重忠を遣わし、建久8年(1197)に上原の住人渡辺主水に祭らせたと伝えている。この地は、新田四郎忠常の陣所の近く、十郎祐成が討たれた所だと言い伝えられている。 主神は応神天皇で、兄弟はその相殿として祭られている。主神の応神天皇の尊像は...
曽我八幡宮の東側、この階段をのぼったところに曽我兄弟の墓があります。この近くに新田四郎忠常の陣所が置かれ、その辺りで兄の十郎祐成が討たれたといわれています。建久四年一一九三年右大将源頼朝富士之巻狩 を行いし時幕臣仁田四郎忠常の陣屋の所在地 にして曽我兄弟が怨敵工藤祐経を討ち果した る後餘勢を馳りて寄せ手を斬り払いつゝ拾町 余を走りしに終に精魂に盡きて祐成が仁田の為に討たれた所なりと伝ふ。後人二孤が孝烈...
曽我兄弟の史跡は、曾我兄弟の仇討ちの舞台の地である県内各地に点在し、厚原にも曽我八幡宮があります。こちらは2010年に改修工事が行われたそうです。 曽我兄弟の父が、工藤祐経に討たれたときは、兄は5歳、弟は3歳だったといいます。境内には、幼い兄弟がいつか親の仇をとろうと誓い合う像が立っています。幼い兄弟の像が愛らしいだけに、悲しみを誘います。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろし...
富士市厚原に鎮座する玉渡神社。曽我兄弟の兄の曽我十郎の恋人、虎御前が、兄弟の供養のため、終焉の地・井出の里に向かう途中、この祠で休んでいたところ、夜中にふと目をさますと、曽我寺の辺りから、二つの火の玉が飛んできて、虎御前の前まで来ると消えてしまいました。それが、兄弟の魂だと確信した彼女は、その夜から七日七晩、この祠で念仏を唱え、兄弟の冥福を祈りました。そのけなげな姿を見た地元の人々が、虎御前の死後...
建久4年(1193)源頼朝が、富士の巻狩りを催した折、曽我兄弟は、頼朝の寵臣になっていた父の仇である工藤祐経を討ち取りました。兄の十郎はその場で討たれてしまいましたが、弟の五郎は、頼朝の宿所にめざしましたが、頼朝の側近に捕えられました。翌日尋問が行われます。頼朝は五郎が勇気ある武士だということで助命を考えましたが、祐経の遺児の嘆願により処刑されました。一説には、単なる仇討ではなく、背後には北条時政など...
5月28日(土)晴れ☀️ 去年、大磯高麗山に登る際あまり気に留めていなかった曽我兄弟、虎御前のゆかりの場所を改めてちゃんと巡りたく、旦那が今回のハイキングを思いついた。 話を聞いているうち私も曽我兄弟、虎御前のストーリーに関心を持つようになった。 秦野駅南口から二宮行きのバスに乗り、二宮駅のひとつ前「元町」で下車。 元町バス停からが今回のハイキングスタートとなる。 このバス停に降りたのは知足寺に近いから。 知足寺は数年前の1月、吾妻山の菜の花の時期に合わせて吊るし雛を見に来たことがあった。 曽我兄弟の駒止石 曽我兄弟の墓 浩宮殿下お成り記念の石碑もある 門前に多数の石仏が並び圧倒される 鎌倉殿…