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前回(上古の時代の系図の作成 - 上古への情熱)自作の『記紀等準拠系図』を紹介したが、この系図を眺めると、親子継承の間隔や婚姻関係など、いろいろ無理があることに気づく。 〇親子継承が大きく伸びている部分として、①ワチツミ、②物部十市根、③武内宿禰が挙げられる。②③は伊香色女、伊香色男の世代が3世代ずれている。①については、ハエイロネ姉妹の世代が3世代、ワチツミが1〜2世代ずれている。 〇3代から6代までの天皇は、磯城県主ハエの子の世代の娘を妃としており、この間の天皇を直系で繋ぐのは無理がある。 〇同世代で活躍したとされる四道将軍の四人の世代がバラついていて、同時期に活躍していたとするのは無理が…
神武天皇から持統天皇までの記紀が扱う時代について系図を作成してみた。 この時代の神武天皇からはじまる系図では、通常は男系の単調な系図となっていて、神武天皇から成務天皇までは父子継承であることから、系図は一直線になっている。 ところが、本来の記紀には多彩な母系も記述されており、決して一直線の単調な系図で表されるようなものではなく、また、"神武"のような漢風諡号も使われていない。 漢風諡号を用いた単調な系図は、そもそもの記紀の世界観からは大きく異なったイメージを与えて、あまり適切ではないのではないか? 漢風諡号を用いず、母系も意識した系図を作成すると、どのようになるのか? そのような観点から、記紀…
系図:倭根子王家・吉備氏② - 上古への情熱からの続き。 倭根子王家・吉備氏系図※系図作成上の基本的な考え方は「上古の時代の系図の作成 - 上古への情熱」及び「世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱」を参照。 吉備氏と葛城氏の誕生 神武天皇にはじまる耳王家と、耳王家に妃を出した弟磯城にはじまる磯城県主家の血は、孝霊天皇にはじまる倭根子王家に引き継がれた。(系図:倭根子王家・吉備氏② - 上古への情熱) 景行天皇は倭根子王家の血を継ぐ播磨イナビ大郎女・若郎女姉妹を娶り、倭根子王家の後継の地位を手に入れて、倭根子王家は断絶する。(解説:景行・成務天皇の不可思議 - 上古への情熱) 播磨イ…
崇神天皇の時代の『彦坐王』以来、代々「王」を称する家系について。 概要 ミマツ彦カエシネ(第五代孝昭天皇)の子で倭足彦(第六代孝安天皇)の兄である天足彦から派生する和珥氏から出た皇族は、彦坐王以来、代々「王」を称する家系となっている 最終的には、継体天皇を出し、敏達天皇を経由して、舒明皇極、天智天武に繋がり、現代へ続く天皇家として勝ち残る。 以下に天足彦、彦坐王から皇極天皇に至る系図を示す。(なお黒帯の数字は「世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱」の系図と同じく誕生年を示す。) 神功皇后までの経緯 彦坐王は大和盆地北部を拠点としていたが、子の佐保彦王は垂仁天皇に滅ぼされる。 ただ佐…