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少弐頼尚は足利尊氏にとっては人生を救ってくれた大恩人の筈。 しかし尊氏は、頼尚の人の良さに付け込み利用するだけ利用して、恩を仇で返すが如き仕打ちを行った。 頼尚が、尊氏を救わず、後醍醐帝側に付いていたらもっと違う九州、もっと違う日本だった。
足利尊氏は、鎌倉幕府を倒すまでは英雄と言えたかもしれない。 しかし、西国の武将たちにとっては、けっして好ましい人物ではなかったかもしれない。 尊氏と後醍醐帝の争い、尊氏・直義の兄弟喧嘩などに振り回され、少弐氏などは破滅の道を歩む事になる。
日宋交易で巨万の富を得た博多の商人達は、元寇で多くを失った。 博多を復興させようとした鎌倉幕府だったが、武士たちの恩賞不満の声に応えられず九州で討幕の動きが活発化。 鎌倉幕府が倒れ、南北朝時代になって以降も博多近郊は戦場と化し荒廃した。
今朝は少し気温が下がったものの日中は暖かだった。昨日からの打ち合わせ通り、お握り弁当を持って相方と菊地市へ桜の花見に出発。途中で菊池川の河川敷の菜の花を見ていこうと寄り道したら大渋滞。あわてて逃げ出して元のコースへ。菊池市の城山公園付近もけっこうな人出だった。(城山公園前の菊池武光公像)菊地一族活躍のピークは南北朝時代。銅像の向こう側では、何やら催し物が・・・。通りかかりの犬をつれた女性に訊けば「ワン・にゃんフェスティバル」開催中なのだとか。取り敢えず桜のある公園へ移動。(少年野球大会)公園のソメイヨシノは当然まだだし、河津桜は葉桜になっているし、とうとう少年野球を見ながらお握りをパクパク。見知らぬ少年野球だが見ているとけっこう面白い。グラウンドの遙か彼方に少しピンクがかった色が微かに見えたので、パクパク...菊池市の桜と菜の花
青空の良い天気で、皆既月食も期待できそうな朝だった。午後から県北の菊池市で開催中の菊祭りに出掛けた。この時期になると毎年のことで、目新しくはないのだが恒例になってしまった。(会場入り口と菊池武光公像)菊池市で菊祭りから菊池氏まで、菊池づくめの語呂合わせだが、南北朝時代に活躍した菊池一族は外せない。ここまで仕立てるのには、大変だったであろうことが想像できる。(盆栽風の造り)(額縁入り)(菊人形:袖ヶ浦の別れ)人形もシーンも恒例のもの・・。私も相方も生まれが菊池地方で、結婚式も菊池神社で執り行った。菊の香に包まれて、ノンビリしたいところだが、後の予定もあるので引き上げた。陽も落ちて、雲の無い空は自然な夕焼けに・・・。後1時間もすると、本日のお約束の天体ショーが始まる。夕食もそこそこに、一応観覧席に移動する必要...菊祭りと天体ショー