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足利尊氏は、鎌倉幕府を倒すまでは英雄と言えたかもしれない。 しかし、西国の武将たちにとっては、けっして好ましい人物ではなかったかもしれない。 尊氏と後醍醐帝の争い、尊氏・直義の兄弟喧嘩などに振り回され、少弐氏などは破滅の道を歩む事になる。
豊臣秀吉と徳川家康。この二人に微妙に絡む松下之綱。この3人の関係性を知るには、鎌倉時代まで遡らなければならない。 歴史は単純じゃない。血脈を知らないと理解出来ないことがたくさんある。 全ての事象に歴史的な意味がある。人の縁は実に不思議だ。
東京都町田市に所在する東京都指定旧跡、井出の沢古戦場(いでのさわ・こせんじょう)を探訪しました。↑写真は、現地に建つ「史蹟 井出の澤」の碑です。井出の沢古戦場は、鎌倉奪還を目指す鎌倉幕府14代執権、相模入道北条高時の遺児、北条時行を奉じた軍勢と、足利直義(足利尊氏の弟)率いる軍勢が激突した場所と伝わるようです。↑吉川英治「私本太平記(全8巻)」第6巻には以下の記述があり、井手の沢古戦場は以前から訪問した...
卓球台はなぜ青い?~平賀源内プロデュースの聖地巡礼 to LOVE神社
武蔵新田('23.6.18) 「池上へ、ゲームのヒット祈願に向かう」「池上本門寺へ行ってきました」「ナムコの聖地・矢口渡と、蒲田の屋上観覧車」「東急多摩川線…
武蔵新田('23.6.18) 「池上へ、ゲームのヒット祈願に向かう」「池上本門寺へ行ってきました」「ナムコの聖地・矢口渡と、蒲田の屋上観覧車」「東急多摩川線…
武蔵新田('23.6.18) 「池上へ、ゲームのヒット祈願に向かう」「池上本門寺へ行ってきました」「ナムコの聖地・矢口渡と、蒲田の屋上観覧車」の続きです。東…
中国の歴史 唐による東アジア世界の確立 楽しい世界史 -中国と東アジアの歴史-
隋が369年ぶりに中国統一をするが、2代で滅亡し、版図を広げて東アジアに君臨した唐王朝。 その唐について、「王
【清和源氏】編『新田一族』章「山名氏」節 03. 続・山名時氏
山名時氏は、出雲国へ進攻し、6月には、南朝方の楠木正儀等と共に足利義詮を追って、京を占領するが、7月には、奪還される。 時氏は、領国に撤退後、尊氏の庶子で、…
山名氏の祖、義範が、御門葉に連なるほどの身分であったが、山名義範以降の山名氏の鎌倉時代の事績は、全く、不明である。 義範の家督を継承した、山名重国が、義範の…
鬼滅の刃『刀鍛冶の里編』も始まって甘露寺蜜璃さんも大活躍するので便乗して紹介しておきますね! 私も気合をいれて甘露寺さんっぽいカラーの… ピンクの着物(というかワインレッド)、黄緑の袴(というか深緑)で臨みましたよ。全然違えじゃねえか 男物でピンクの和服は…無理☆ さてこの度ご紹介したいのが、静岡県の端っこ小山町にある 甘露寺 www4.tokai.or.jp 甘露寺蜜璃さんの実家ではございません。 大都会の栃木県小山市でもありません、静岡県です。 JR御殿場線の駿河小山駅から徒歩40分ほどで行けます!車で行けよ まずは参道より失礼します、この階段を上がった右に 甘 露 寺 山門 少し前なら見…
(撮影:2016年5月) 茨城県つくば市にある小田城跡は国指定の史跡であり、鎌倉時代から戦国時代まで常陸国(茨城県)南部に勢力を広めた小田氏の居城跡です。現在は小田城跡を体感できる歴史広場として復元整備されています。 小田氏と小田城の歴史
【清和源氏】編『新田一族』章「里見氏」節 02.里見氏の系譜
新田義重は、治承・寿永の乱の勃発前、平賀盛義の息子の義澄、その義澄の息子の義重、源義光の孫の義隆等を猶子に迎えると、広域的に勢力範囲を広げていた。 平賀盛義…
【清和源氏】編『新田一族』章「新田氏」節 08.新田本宗家の滅亡
新田義貞の入城後、金ケ崎城は、足利軍の攻撃を受けた。 新田義貞は、一度は、足利軍を迎撃したが、1337年(延元2年)1月18日、足利軍は、再度、金ヶ崎を兵糧…
【清和源氏】編『新田一族』章「新田氏」節 07.新田義貞・五
新田義貞の軍勢は、足利尊氏の軍勢に敗北し、楠木正成と共に尊氏を挟撃しようとする。 1336年(/建武三年)5月24日、新田義貞は、楠木正成と合流して、酒を酌…
【清和源氏】編『新田一族』章「新田氏」節 06.新田義貞・四
足利尊氏は、後醍醐天皇の勅状を得ないまま、討伐に向かい、中先代の乱の鎮圧後は、鎌倉に本拠を置いた。 足利尊氏は、新田一族とその与党の所領を、北条時行の撃退に…
【清和源氏】編『新田一族』章「新田氏」節 03.新田義貞・参
新田義貞は、鎌倉を陥落させると戦後処理に奔走した。 各々の武将が、義貞へ軍忠状、着到状を提出し、義貞は、それに対して、証判を書いた。 しかし、7月に入ると、…
【清和源氏】編『新田一族』章「新田氏」節 03.新田義貞・弐
新田義貞は、碓氷川を渡って、八幡荘に到着すると、越後の後陣、甲斐源氏・信濃源氏の一派等の各地から参集した、五千騎と合流して、新田義貞軍は、九千に膨れ上がった…
【清和源氏】編『新田一族』章「新田氏」節 03.新田義貞・壱
新田政義の死後、息子の新田政氏が、新田本宗家の五代当主となったが、前述の通り、新田氏の「惣領」の座は、世良田義季と岩松時兼に分割相続されていた。 政氏の死後…
方向方角を示す場合、一般的には「東西南北」を基準にするようです。 まあ、少なくともチョイ前まではそうだった気がします。 ところが、話は多少逸れますが、筆者なぞは実際にこんな光景を目撃したことが ありましたから、最近ではそうでもないのかもしれません。 それは、どうやら待ち合わ...
楽しい日本史 -武士による支配- 16.南北朝のはじまりと足利尊氏の大立回り
皇位継承をめぐる争いから鎌倉幕府が滅亡し、南北朝の争いの中から室町幕府が開かれる改めてわかったのが、足利尊氏の
↑南北朝時代に北朝方に付いた、千葉胤貞(ちば たねさだ)の別邸「千葉屋敷」跡に建つ日蓮宗の寺院、神奈川県鎌倉市の妙隆寺(みょうりゅうじ)を訪問しました。千葉胤貞は、今回の訪問で知った人物です。Wikipedia情報の一部を引用させて頂き、お勉強しました。千葉 胤貞は、鎌倉幕府末期から南北朝時代の武将。千葉氏の第9代当主 千葉宗胤の長男。 正応元年(1288)父が異国警固番役として赴任していた肥前国小城郡で生まれたと...
【高市郡明日香村小山】小山氏一族の鎮守 社殿のない『杵築神社』
今回で明日香村編は一旦完結になります。国道124号線沿いを自転車で走っていると道を逸れたところに小さな神社を見つけました。『杵築神社』という神社のようです。何と読むのかは分かりませんでした。明日香村の小山という地域に鎮座していますが、南北朝時代に栄えた小山氏
今回は近隣【尾張国】にある 新居城 の紹介です。 自宅から比較的近隣でもある尾張旭市にあるお城で、またの名を旭城とも言うそうです。 城は南北朝時代のもので、地場のもの(※水野氏)が築城したと
【天皇家に関する話】 とにかく、これから書く記事は、基本的に源氏と平氏の争いが原因であることに注目して書いていきますので、登場する人物がどちらなのかも考えながら読んで頂けたらと考えています(^^)/ 南北朝時代とは、鎌倉時代と室町時代に挟まれる期間を指すのですが、足利尊氏(...