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↑神奈川県鎌倉市浄明寺に鎮座する、鎌足稲荷神社(かまたりいなりじんじゃ)を探訪しました。この鎌足稲荷神社は・・・↑鎌倉五山第五位の古刹、浄妙寺(探訪記は、このリンクから)の鎮守社で、浄妙寺東側の稲荷山の中腹に鎮座しています。浄妙寺は鎌倉における足利氏菩提寺で、開基は足利宗家2代当主の足利義兼(妻は北条政子の妹)、中興開基は、足利宗家7代当主の足利貞氏(尊氏・直義兄弟の父)で、寺号は足利貞氏の法号「浄...
鎌倉における足利氏菩提寺で鎌倉五山第五位の古刹、神奈川県鎌倉市浄明寺に所在する臨済宗建長寺派の、稲荷山浄妙寺(とうかざん・じょうみょうじ)を探訪しました。※以下「浄妙寺」と、寺号のみに省略させて頂きました。 開基は、足利宗家2代当主足利義兼(妻は北条政子の妹)、中興開基は、足利宗家7代当主足利貞氏(尊氏・直義の父)で、寺号は足利貞氏の法号「浄妙寺殿義観」に由来するようです。↑見どころは、足利貞氏と・...
神奈川県鎌倉市扇ガ谷(おうぎがやつ)に所在する真言宗泉涌寺派の寺院、泉谷山浄光明寺(せんこくざん・じょうこうみょうじ)を探訪しました。※以下「浄光明寺」と寺号のみに省略させて頂きました。浄光明寺は、鎌倉幕府第6代執権の北条長時を祖とする赤橋流北条氏の菩提寺で↑足利尊氏正室の赤橋登子が建立した、登子の兄で鎌倉幕府最後(16代)の執権、赤橋守時の墓がありました。※浄光明寺は、2015年放送「ブラタモリ 」の「鎌...
国宝「伝源頼朝像」(京都神護寺所蔵)が頼朝ではなかったという衝撃
40代以上の世代では、小学校の教科書から記載されていたであろう国宝「伝源頼朝像」。源頼朝の肖像画として紹介されており、その容姿端麗な様に惹かれて、小学校高学年時の家庭科の授業で作ったエプロンのデザインに採用し、その絵姿を裁縫したということも有り、筆者の思い出として強く刻印されている。しかし、この肖像画の人物が実は源頼朝ではなかった、という論争が勃発して真実味を帯びるているという。鎌倉幕府の成立年の定説が、1192年(いい国作ろう鎌倉幕府)から1185年に変わったりしているが、筆者としてはそれ以上の衝撃を受けている。
女子水泳選手の「今井月」選手が、名前テロップ入りのTVコマーシャルに登場して いましたが、名に当たる「月」の部分のルビは、なんと「るな」。 スポーツ音痴の筆者は、名の「月」はてっきり、そのまま「ツキ」と読むものと ばかり思い込んでいたので、ちょっとビックリ。 ~ルナ/るな/...
東京都町田市に所在する東京都指定旧跡、井出の沢古戦場(いでのさわ・こせんじょう)を探訪しました。↑写真は、現地に建つ「史蹟 井出の澤」の碑です。井出の沢古戦場は、鎌倉奪還を目指す鎌倉幕府14代執権、相模入道北条高時の遺児、北条時行を奉じた軍勢と、足利直義(足利尊氏の弟)率いる軍勢が激突した場所と伝わるようです。↑吉川英治「私本太平記(全8巻)」第6巻には以下の記述があり、井手の沢古戦場は以前から訪問した...
稲荷山 成就院(→神奈川県藤沢市大庭)は、南北朝時代に守護大名の山名時氏(→足利尊氏の母上杉清子の従兄弟)、或いはその子山名師義(やまなもろよし)が創建したと伝わる高野山真言宗寺院です。山名時氏は足利尊氏に従い室町幕府創設に尽力しましたが、尊氏・直義(ただよし→尊氏の同母弟)兄弟が争った観応の擾乱(→1350年~1352年)では足利直義方につき、直義死後は南朝に帰順して幕府軍を破っています。しかし、1363(正平18/貞治2)年...
鎌倉宮(→神奈川県鎌倉市二階堂)は、後醍醐天皇の皇子である護良親王(もりよししんのう)を祭神とする、1869(明治2)年6月に明治天皇の命で創建された旧官幣中社です。護良親王は、元弘の乱(→鎌倉幕府討幕戦)の功績から建武の新政で征夷大将軍に任じられましたが、父の後醍醐と不和になり、1334(建武元)年冬に鎌倉の足利直義(ただよし→尊氏の実弟)の元に幽閉され、1335(建武2)年7月の中先代の乱に際し、直義の命を受けた淵辺義博(ふち...