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2020年 (198-2) 寂光院/門前のしば漬け翠月/酒処さつき24Oct22
*** 紅葉前の静けさ *** 寂光院 - 大原観光保勝会【寂光院(じゃっこういん)Jyakko-in Temple】聖徳太子が推古2年に建立された古…
さてさて…安産・子授けの神さま、水天宮のことを書いたけれど…水天宮の主祭新神は天之御中主神…天地開闢の時に最初に現れたとされる神さまで… 脇祭神は…安徳天皇と…
下関の赤間神宮境内に、安徳天皇を祀った安徳天皇阿弥陀寺陵があります。壇ノ浦の戦いの1年後、安徳天皇の怨霊を鎮めるため源頼朝の命により阿弥陀寺御影堂が建てられた。御影堂(天皇殿)が安徳天皇社であり、京都方面を向いた東向きで造立された。『玉葉』によると、後鳥羽天皇の時代に長門国に安徳天皇の怨霊鎮慰のため、一堂が建立されている。阿弥陀寺は天皇怨霊鎮慰のため、まず木彫の等身大尊像が刻まれ、本殿の中心に厨子...
下関市伊崎町に赤間神宮小門御旅所があります。寿永4年(1185)3月24日、伊崎の中島組という漁業団が網を張って小門(おど)海峡で漁をしていた時、壇ノ浦で入水した安徳天皇のご遺体がいわし網にかかり、中島家がご遺体を陸上に引き揚げて安置した場所が「御旅所」であり、紅石山の麓に手厚く葬ったのが現在の安徳天皇阿弥陀寺陵であると伝えられています。 「先帝祭上臈参拝」の翌日(5月4日)、赤間神宮を出発してこの小門の御...
水天宮(→東京都中央区日本橋)は、江戸時代後期の1818(文政元)年に久留米(→福岡県久留米市)藩主有馬頼徳(よりのり)が、三田赤羽(→東京都港区)の久留米藩上屋敷に久留米水天宮を勧請したのが始まりです。1872(明治5)年に現在地に移りました。安産・水難除けの神として崇敬され、都市型の免震構造のコンクリートの箱の上に社殿が建つという首都東京ならではの神社です。祭神には平安時代末期の1185(寿永4)年3月24日の壇ノ浦合戦で入水...
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 今日の夢中は、平清盛の娘にして安徳帝の母、建礼門院徳子ゆかりの地へ。建礼門院徳子が平家滅亡後に隠棲した場所、京都大原「寂光院」です。 ■建礼門院徳