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運慶作 大日如来像を模写してみた2023年11月以来、身体的諸事情のため1年と半年と描いていなかった。2023年11月以来、身体的諸事情のため1年と半年と描いていなかった。図書館から運慶・快慶の美術書を借りてきたのですが、運慶20代の大日如来像に目を奪われ ついぞ模写してみました。ペンタブの使い方を思い出すのにちょい迷い時間もかかってしまった。運慶作の大日如来像 (智拳印)運慶・快慶の仏像彫刻は好きです...
高野山に行ってきた(2025年4月13・14日)目的は金剛峯寺 霊宝館の快慶作 四天王立像をこの目で直に見たかった。本館放光閣の扉を開けた瞬間 鳥肌が立った。 大日如来坐像・阿弥陀如来坐像・釈迦如来坐像の拝観に始まり、西廊・本館隅廊の阿弥陀如来坐像などなど拝観し、南廊の小型木製五輪塔など傍らにすぎると本館紫雲殿に入ります。巨大な曼荼羅のタペストリーを仰ぎ、ただ感嘆新館前室に入ると銅鐘のお迎え。新館第一室...
(69) PC/タブレットで描く 毘沙門天(墨絵・山水・木炭)
(69) PC/タブレットで描く (墨絵・山水・木炭) 毘沙門天(運慶作) 静岡県伊豆の国市にある願成就院(がんじょうじゅいん)の30代の若き運慶作の「毘沙門天」を描いた時の動画を2分30秒と短くしたものです。...
持国天(じこくてん) 快慶作 (54)和歌山県 高野山 金剛峯寺 霊宝館 四天王立像より(鎌倉時代)四天王は、仏教の聖地・須弥山上に住んでいる帝釈天の輩下として、この山の四方の中腹にある門を 守護している神とされています。 甲冑に身を固めて岩座や邪鬼を踏んて 四方を恐ろしい姿で護っています。 「持国天」は東方を、「増長天」は南方を、「広目天」は西を、「多聞天」は北をそれぞれ護っているとされています。 ...
増長天(ぞうちょうてん) 快慶作 (54) 高野山 金剛峯寺 (こんごうぶじ)霊宝館の四天王 快慶作 鎌倉時代仏教の守り神である「四天王」で南」の方角を守る。 増長という言葉には「大きく成長する」、作物を豊かに実らせ五穀豊穣をもたらすとされています。...
13年ぶりのブログ再開だ!(52)広目天立像(西) 快慶作 を描いてみました。(高野山 金剛峯寺 霊宝館の四天王 鎌倉時代 重要文化財)仏教がインドで成立する以前に現地で行われていたバラモン教などの既成信仰の中の神々を、 仏教は巧みに取り入れて、仏教を護る護法神としている。天部である。 中でも四天王は須弥山 (しゅみせん) の中腹に住して、 頂上にある帝釈天 (たいしゃくてん) の喜見城を守る天部の四人の天...
13年ぶりのブログ再開だ!(51) 深沙大将(じんじゃだいしょう) 快慶作
13年ぶりのブログ再開だ!(51)深娑大将(じんじゃだいしょう) 快慶作を描いてみました(鎌倉時代 高野山、霊宝館、重要文化財)「西遊記」に出てくる玄奘三蔵(602~664・インドに経典を求めて旅をした僧)が、旅の途中、一滴の水を得ることができず、息絶えようとしているとき、流砂の中より現れて守ったのがこの天部神「深娑大将」(じんじゃだいしょう)と言われています。(物語、西遊記ではカッパ姿の沙悟浄として登場) 深...