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今回掲載した作品は、クロッキーを始めた初期の頃の作品です。 この時は10分ぐらいのポーズ時間だったと思いますが、 モデルさんの雰囲気をうまく掴めていて、自分の中では 気に入っている作品の一つです。
ファミリーマートの「クロッキー(チョコクリーム)」を、いただきました クッキー生地がかぶせられたクロワッサン生地の中に・・・ チョコクリームが包まれていま…
絵画は虚構です。ここにないものをあるように描いてみせます。ここに実際にあるのは絵画の画面を構成する材料です。物質的にはここにはないものがここにあると表現できるのが絵です。こうした議論は実に馬鹿げています。人の姿を見て、体重何キロでそのうち水分が何%、脂肪
表現主義では「表現」の重要さを主張します。人生で「行動」の重要さを説くのに似ています。「表現」の内容よりも「表現」する行為を促しています。「まずは表現しろ」というのです。受け取る方は「表現してる」と受けとることになります。ゴッホにしてもムンクにしても表現
2025年3月裸婦デッサン会に久々の参加。 四切画用紙 / 鉛筆 昨日の恵比寿でのスケッチは曇り、最高気温7℃ということで参加せず。今日はうってかわってま…
今回は古本雑誌に色を塗った作品を掲載しました。 実験的にさまざまな色を使いながら、 思いつくままに色を塗ってみました。 自分の中では、新しい発見もあり 楽しく色を塗ることができました。
幼児期、成長期は人生において貴重な時期です。子供の時期にはあらゆるものが新鮮で魅惑に満ちていました。虫であれ、花であれ、犬や猫であれ、路端の石や雑草でもその内部には多くの謎や秘密、科学や物語が潜んでいました。空には星が満ち、夕暮れの哀しみを含んだ美しさに
クロッキー(チョコクリーム) - ファミリーマートから2025年2月25日に新発売。チョコクリームを包み、クロワッサン生地の上にクッキー生地を絞って焼き上げています。
幼い人たちの絵を見て、子供らしい発想や心境を読み取って良いだの面白いだの言っているのは誰なのでしょう。他人の児童画を鑑賞する子どもたちを見たこともないし、画集のように観賞用としてまとめられたものも知りません。技術はなくても表現したい意欲があれば良い表現だ
2025年2月人物デッサン会に参加。 まずはポーズ決め 多数決で無難に⓶で決定 四切画用紙・鉛筆 場所を変えて、もう一枚 時間が余った…
絵画は文化の中で多面的な存在です。絵画は美術という芸術分野で代表的な作品群ですし、絵本やお絵かきなど子供の頃から親しんできたエンターテインメントですし、各時代を体験できる歴史史料としても蘊蓄を傾け興味深いものです。「絵が好き」「趣味は絵画鑑賞です」と絵を
人々が怪訝な顔をして作品の前を通り過ぎると、突然、これは素晴らしい、これは斬新だ、アイロニーに満ちてシニカルだと称賛する者が現れます。いち早く作品の意味を理解したのだと宣言します。それに乗り遅れまいと数人が理解を共有します。アートの誕生です。世の中の固定
今回は抽象作品を掲載しました。 この作品は、 以前に一度 色を塗ったまま 放置していた作品ですが、今回再び色を塗り直し 大幅な加筆修正を行いました。 最初に色を塗っていたものとは かなり違った印象の作品になりましたが、 自分の中では けっこう気に入っています。
心に浮かんだ形や色を表出するのが抽象ですが、抽象だけでは絵画ではありません。絵画は対象を持ちますが、その対象とは現実の世界に存在するものです。一角獣のように想像の動物が絵には現れますが、角や面は既存の形体から取られ組み合わされたものです。姿は女性で体はラ
絵画にはかたちがあります。絵画は何らかのもののかたちについての絵なのです。ものの仮象性が絵画と他の造形物とを分けています。しかし、その仮象性は表面的な視覚の描写から観念的な形まで含まれます。太陽は円で描かれ、月は三日月、星は五角形で描かれるのは視覚である
遠くの丘が亀の形に見えたり、空の雲がラクダに見えたり、古い木の瘤が人の顔に見えたりするのを仮象性といいます。青い壁が海原に感じたり、青空に感じたりするのも色彩の仮象性です。実在しない対象をその場に表現できるのが仮象性です。絵画の面白さはこの仮象性に基づい
みなさんこんにちは!今年初めのスケッチは、京都市動物園に行きました。スケッチというよりは、写真を撮影したり動物クロッキーを行う取材です。京都に着くと吹雪で⛄辺りは真っ白。視界は遠景が見えないくらい。平安神宮も雪景色。これはまた絵にしたい。白川沿い。もっと
モネの絵を見る度に絵画の究極の要素を感じます。色彩と形体が仮象としてあること、もしくは何らかの対象物を感じさせる色彩と形体でであることに収斂してゆくのです。モンドリアンは追求の結果、対象性から逸脱して抽象絵画に行きましたが、モネは対象性に踏みとどまり絵画
今回はクロッキーに色を塗った作品を掲載しました。 自分の中では、クロッキーそのもの(線質)も 色彩表現についても、とても気に入っている作品の一つです。 …
新年の事始め、展覧会鑑賞でもうすぐに終わりそうな「モネ展」に行ってきました。毎年、どこかで大々的な「モネ展」をやっていて、行くたびに感動するのですが、今回も色彩の美しさに感動です。あのコバルトヴァイオレットの輝きは印刷では感じることのできないときめきを与
新年明けましておめでとうございます。今年の初日の出は穏やかに煌々と輝いていました。クロード・ロランのように古典的で平穏な年明けでした。太陽を拝みたくなる気持ちが自然と湧いてきます。海に面した溶岩台地で潮騒を聞きながら水平線に現れる太陽を希望のように愛でる
絵画が技術の蓄積として人を楽しませるところは大いにあるでしょう。時計細工のように複雑なメカニズムが絵画という形態をとり、どう描いているのか分からない魅力的な謎として鑑賞者に受け取られる。それに対して芸術は精神を開放してくれるから肯定すると、規則や法則、技
今回は、クロッキー作品を掲載しました。 今回掲載した作品は、かなり前に描いた作品ですが、 この頃の私のクロッキーは、さまざまな技法や画材を試しながら 自分なりの表現というものを模索していた時代(時期)だった と思います。
イメージの広がりや覚醒といったアートの意義が本当だとすると、アートの作品そのものには価値があるのでしょうか。解説がない作品をアートとして鑑賞する感覚がある人はデュシャン流のアートにいたるところで出会い、見出すことができるでしょう。レディ・メイドの中にアー
アートを教養と考えている人にとっては、一般に知識ある人、知識人、センスの良い人達、商品として市場価値を常に監視している市場関係者、専門研究機関、大学や学会などで認められ、マスメディアが紹介するアートでないと正式でないと判断するのでしょう。自分には知識もな
時代には逆説的反映というのもあるでしょう。政治的混乱や戦禍の多い時代にそれに背を向けて花鳥風月に邁進し、秘密の花園を作り出して美を主張するといったものです。具体的、個別的に述べるのは控えますが、現実から目をそらせるような狂騒的メディアも現代の世相の反映な
クロッキー753 時代の反映美術の楽しみに「時代の反映」があります。ギリシャの彫刻を見てその時代の知的理想と人間性を感じます。またルネッサンスの作品に触れるとその時代の剛毅と豪華さに圧倒されます。19世紀の美術の多様さと個人の趣味の徹底ぶりに感服します。美術作
絵画は遊びの一種です。鳥の鳴き声を真似てみるとか動物の咆哮を真似てみるとかといったトリックの遊びです。二次元がどうのとか半立体がどうのとかいう議論は絵画が体制として成立していることへの反発で、絵画の楽しさ、面白さの問題ではありません。絵画とは2次元画面での
「抽象絵画」というと『絵画』を抽象しているのだと思っていました。「抽象」の意味を対象から本質を抽出して形に表すとして、絵画の本質だけを取り出した「純粋な絵画」の意味だと少年の頃に思っていたのです。そして何年もその動向を観察しても「絵画」は現れてきませんで
古典主義という考え方は古代ギリシャから始まっていますが、その美術的な力は今も生きています。ローマ期におけるギリシャ美術の退廃を指摘して古典主義の終了として一時代の様式のように捉える見方があるかもしれません。西欧の美術の歴史の中でローマがギリシャを手本とし
絵画展で時折、絵画作品以外に画家が使用していたパレットなどが展示されることがあります。遺跡や遺品の価値はそれを遺した文明や故人に思いをはせる人には非常に価値があります。その画業やその人の人生、その時代の象徴としてそのオブジェが存在しているからです。そのオ
今回は抽象画を掲載しました。 制作当初考えていたイメージとは異なる 結果(作品)となりましたが、自分としては いい感じに仕上がってくれたと思っています。
絵画作品は単なる描写ではなくて表現だというので、表現こそ藝術だと叫んだ人がいます。表現と言っても様々です。役者が役を表現するというのと役者が自己を表現するというのでは意味が大部違います。物語のドラマの表現、物語に接した受手の感情の表現、調和や美と思われる
絵画の世界は虚構です。装飾は実質です。絵画の世界はそこにないものを示し、装飾は直接感覚に訴えます。虚構の世界を現実の世界に居場所をつくるのが絵画です。そこで絵画は装飾を装い虚構を滑り込ませます。表面は壁に掛けられた装飾品ですが、そこには別の世界が開けてい
絵画は伝説や神話などの物語を語り伝える手段として発展してきました。誰が、何時、何処で、何をしたのかを伝えようとしたのです。そのために必要な表現方法が工夫され、踏襲され、改革され、発展してきました。はじめは基本関係が図示されただけでしたが、次第に具体的な場
絵は言葉の文化と同じように単語が生まれ、文法が生じ、語法、論法が発展して様々な事情が表現されます。文化は蓄積してゆくものです。そこには歴史があります。15世紀から19世紀にかけてヨーロッパで展開されたものが三次元空間の有り様を二次元の平面画面上に表現すると
まず、裸婦デッサン といっても、暫く裸婦デッサンや屋外スケッチが野暮用やら雨で参加できずネタ切れになってきたので、家で描いた髙塚省吾氏の作品模写です。 B4ス…
今回はクロッキー着彩作品を掲載しました。 この作品は、けっこう前に一度 色を塗りましたが、 最近になって大幅に加筆修正(色の塗り直し) をしたものです。 自分の中では、けっこういい感じに仕上がってくれた と思っています。
お誘いを受けて着衣のデッサン会に初参加。 最初にモデルさんの名前が紹介されると小さなどよめきが。その名前とは、なっ、何と、村田彩さん。 といっても、ほとんどの…
絵画作品を画家の創作行為の痕跡と位置づけて、作品の価値を構図や描写や3次元性から切り離して再定義したのが1940年代、50年代のアメリカ現代美術でした。抽象表現主義と名付けられましたが、絵画の様相を著しく歪めました。絵画という枠組みを解体して、作品は行為の痕跡と
絵画には画家の痕跡があらわれます。絵画に限らず、手仕事には制作者の痕跡があらわれます。しかし、多くの手仕事のもの、家具とか什器とかケーキとか被服といったものは極力痕跡を残さないように作られます。絵画ももともとは痕跡を消すように制作されましたが、それでも筆
断片は常に美しい。目的も、用途も、善悪も不明な断片は常に美しいのです。人の手の入らない自然が常に美しいようにです。抽象的な美しさもこの断片の美に似ています。絵画のストーリーを離れて、目的も、用途も、善悪もなく制作された作品は第二の自然のように美しいので
古くなった絵や、描きかけで断念した画面などを破棄するために裁断していると、美しい断片がしばしば現れます。色の混ざり合いや明暗の配分などが意図したときよりも美しく感じられます。意図的な配置を離れて、無意識の領域には美しさがしばしば現れます。何らかの対象を意
<映画レビュー追加> 今日は裸婦デッサン ブロ智さんからのコメントがきっかけで描き始めた髙塚省吾氏の裸婦模写、原画があまりにも魅力的で、すいすい描けてストレス…
絵画から物語的な要素を取り去り、純粋な造形的な要素だけで感覚を満たすのが絵画の本来の姿だと主張する人たちに反して、絵を鑑賞するには物語が必要となることに最も気づいたのがシュールレアリズムの人たちでしょう。謎の物語を通してその謎の世界に身を置いてみようとす
生まれつき人間に備わっている行動は文化の中にも組み入れられていますが、それだけでは文化ではありません。食事や排泄、睡眠や休息など生まれつきの行動は文化ではありません。しかし、食事の仕方は手で食べる人たち、フォークとナイフの人たち、箸を使う人達、更にディナ