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クロッキーから ストーリー性のある、魅力的なポーズをとってくれるモデルさんで、 こちらが5分、10分、持つのか心配して声をかけたりもしました。 その分難しいポーズが多かったのですが、 皆苦労しな
グラフィックデザインはインターフェイスなのでそれのみでは意味内容を持ちません。そこでデザインはわかりやすい対象を写真やイラストレーションから引用します。イラストレーションは作者の対象に対する視点を表現しています。時代性や個人的執着、好悪の感情を媒介させて
イラストレーションは対象を図示したものです。コトバは対象の言語表現ですが、イラストレーションは視覚的な対象表現です。対象を特定し、対象を視覚的に形容します。グラフィックデザインは知覚の機能だけなので、意味や具体的な対象が決められていません。グラフィックデ
抽象絵画が既存の具象絵画へのアンチテーゼとして出てきた事情はわかるのですが、進化論の形を取るとまるで具象絵画が発展して抽象へと進化したと勘違いしそうです。抽象絵画は広義のグラフィックデザインであって、グラフィックデザインを内包しない絵画はありません。具象
20世紀の本当の絵画はイラストレーションとグラフィックデザインです。それが20世紀の絵画美術の姿です。過去の時代の美術を語るときに持ち出されるのはその時代に享受された美術作品です。ギリシャ・ローマ時代は神像や室内装飾でしたし、ルネッサンス時代には王宮や教会
絵画の透視図法的な古典主義は16世紀の近代的な知性の産物です。美術が大衆に向けて開かれる時、すべての人に認められる合理性のことを知性と感じたのでしょう。すべての人が理解できる説明が合理性です。美術の豪奢をその人の人生において経験したことのない人に伝えるのは
通説の美術史はどこか意図的で強引な進化論的妄想の産物と思っています。美術について語るのに、それぞれの画家や時代を特定する見出しとしては便利に分類されている一般の美術史の名称を利用しますが、各用語の美術史の一般論を解説しようとは思いませんし、その知識もあり
今回は、手元にあった雑誌に色を塗ったものと 抽象作品を掲載しました。 雑誌に色を塗ったものに関しては、古本屋などで 安く手に入れたものを使って、思いつくまま・・・ 手あたり次第に色を塗っていた時のものです。 抽象画に関しては、テクスチャーとの兼ね合いも 多少意識しながら 着彩しています。
好きなアーティスト、その2 G・グールドです。 演奏するときの彼の独特の姿勢は、 ピアノを弾き始めた時、小さかったので母親の膝の上に座って 弾いていて、その時の姿勢のまま大人になっても演奏していると
ドラマや映画に出てくる画家の姿は現在一般に絵画や画家と思われているものを暗に示しているのでしょう。専門家の主張はどうあれ、画家はモデルにポーズを付け、画架を据えて、一筆、一筆モデルを観察しながら絵を描いてゆくと思われています。確かに画家はモデルをみてスケ
ラシーヌなどの古典主義演劇の理論に「三一致の法則』というのがあります。「時の単一」「場の単一」「筋の単一」の3つの要素を入れた舞台を古典主義演劇といいます。ラシーヌのような厳密な理論家になると、「時の単一」ではパフォーマンスの経過する実際の時間と、演劇が進
美術の社会的な役割が大きく変化したのが20世紀です。美術以外の多くのメディアが生まれ、美術が担っていた役割の多くを代行するようになります。写真の登場、それに続く写真ジャーナリズムの成立、映像の登場、放送、テレビの普及、雑誌と様々な視覚的なメディアが現れます
今回掲載した作品は、私がクロッキーを描く上で、 大きな転機となったモデルさんの作品です。 このモデルさんについては、過去に何度も描かせて もらいましたが、私が今まで見てきたモデルさんの中では 群を抜いて優秀なモデルさんでした。 私の場合について言えば、クロッキー会だけでなく、 個人クロッキーでも大変お世話になり、今でも この方を 描いた時のことは鮮明に覚えています。 以下、掲載し…
今回は着彩クロッキーと抽象画を掲載しました。 2点とも最近作ったものですが、まあまあいい感じに 仕上がってくれたと思います。 最近は、コラージュ風の作品なども制作しています。
人物を描いてきた二人展は26日まで、今は、スケッチに出かける心の余裕がない。アップする題材もない。ちょうどいいタイミングで地元美術会のデッサン会があった。モデルは、着物が似合う会員さん。ちょっと遅れて行ったので、これは数分で時間
一昨日 クロッキーを描くのは疲れると書きましたが、考えてみると モデルさんはそれ以上ですね。同じポーズを続けるのがたいへんなのはもちろんですが、それ以上につら…
裸婦 クロッキー篇です。 クロッキーとはご存知の通りモデルさんが短時間で次々とポーズを変え、それを素早く描写するというもので、デッサンと違って短い時間で形を…
今回は、抽象画作品を2点アップしました。 ( 2点とも最近になって製作したものです) 製作当初は少し苦労していましたが、最終的には なんとか合格点を付けれるレベルには持ってこれた と思っています。
20世紀は矛盾に誰もが気づかないふりをする不思議な時代でした。バウハウス、シュプレマティズム、ミニマリズム、抽象絵画が根拠とした造形主義は絵画の造形的な価値を追求しようとしたものであったはずが、いつの間にか歴史的な価値に置き換えられてしまいました。20世紀
美術品とパトロンの関係を歴史を読み解く資料と位置付けると、美術品の造形的価値すなわち普遍的価値から目をそらすようになります。美術作品の鑑賞が歴史学の資料的な関心を生み、更にそのような鑑賞、すなわちこの歴史学的価値を評価する受容者によって歴史観の投影が作品
教会や王侯をパトロンとした絵では描かれる人物は自ら光り輝く存在として描かれます。市民をパトロンとした絵では窓から射し入る光が人々を照らします。作品が受容者によって支えられていると考えると作品の持つ性質と受容者の持つ性質に類似があると考えることができるかも
絵画作品の個体としての価値は古典古代の作品やルネサンスの作品と現代の作品では比べようもないぐらい貧弱になっています。その貧弱な現代の作品を高く評価する理由は文化に時代性をよみとっているからです。時代性を離れて作品を比べたら一目瞭然、ほとんど無価値とも言え
絵画は読み方を知らないと面白さを鑑賞することが難しい分野です。文化には現在何が問題で、それがどのように解決されてゆくかが問題なのですが、絵の解説となると画題の物語の解説や作者の奮闘ぶりなどを伝えるものが中心で、文化を読むという姿勢が希薄です。文化を自然な
”消えた絵の具""Disappeared my paints"
21 cm x 14 cm, Copy paper. 皆さん~シド二-は、国際線ターミナルよりおはようございます~!。大ショックです、消えてしまった私の水彩絵の具、今どこに???の一枚です、今に感謝、有り難うございます。 追伸::日々の絵を販売しております、お問い合わせは、yukotaus@gmail.com まで宜しくお願いします。ご覧いただき有難うございます。 Good morning everyone from International Airport in Sydney~!, where my water color paints set~!! it disappeared~ !,anyway thank you Nature for now... i P.S : Daily painting is for sale and please contact me yukotaus@gmail.com if you have an inquiries , thank you for visiting。
今回はクロッキー作品を掲載しました。 (3枚とも だいたい5~10分程度で描いています) なるべく異なる画材・表現のものを選んで 掲載しました。
今回は クロッキー(着彩作品)と抽象画を掲載しました。 2点とも比較的最近になって製作したものです。 (クロッキー着彩作品については、直近に加筆修正しました) 自分の中では、なんとか合格点レベルには 仕上がってくれたと思っています。
裸婦クロッキー&デッサン会どんな感じで描いているか、レポート・後編です。 この会は月4回(たまに3回)開催されていて、2・3・4週目は固定ポーズ、デッサン専門…
前回 裸婦スケッチ会にふれて思い出しました。 ついついアップするのを忘れてしまいますが裸婦のクロッキー&デッサン会にも相変わらず参加しています。どんな感じで描…
裸体画について世間の反応を考えると、黒田清輝の『朝粧』が腰を布で覆って展示された明治時代と現代も大差がありません。今でも覚えているのですが、1981年NHK主催で『アングル展』が西洋美術館で開催されました。主催のNHKの本社入り口に等身大のアングルの『泉』が掲げら
いつも裸を描いているのですが、作品にするとなると時代の裸忌避の圧力が気になり出します。現代は自由で人間性が発展して開放されていると宣伝され、信じ込まされていますが、『裸』に関してはルネッサンス以前の中世のような感じがします。行政やメディアの上で『裸』即『
女王の死去に伴う葬儀や居城などの有様を見ていると美術の果たしている役割がよく見えてきます。19世紀美術の大半は新興ブルジョワジーの虚飾だ、キッチュだ、頽廃だと宣伝され、多くは美術の世界から排除されましたが、女王の周辺を見る限りそれらは虚飾ではなく、女王とし
芸術と技術は別の事柄です。芸術は信仰と同じで個人のものですが、技術は社会の文明文化に属するものです。創造性と言っても、個人における創造性と社会における創造性では異なります。個人にはその人個人の歴史があり、社会には社会全体の歴史があります。個人が社会の進歩
芸術には精神を刺激し精神を高める目的と慰謝とがあります。何が芸術で重要か、すなわち芸術のプライオリティを考えるとアイデンティティの保護だと思われます。個人は社会的集団の一員であると同時に家族の中でさえ誰とも違う一個人でもあります。集団のアイデンティティと
各自異なる文化を持っている地域で統一した文化行政をするために、政治が既存の文化を失わせて統一的で健全な文化を導入する必要があった場合、文化を否定する概念を文化の上位に置けば実現できます。文化は個人のものですが、文化の上に権威としての芸術を置いて、文化を卑
自己の判断より社会の判断が優先するならば、教養主義的にならざるを得ないでしょう。自分の判断は間違えるかもしれない。正しい判断をしなければこの社会から排除されるかもしれない。それは社会に深く組み込まれた者には恐怖でしょう。もしくは、社会に深く組み込まれてい
描いた絵が顔に見るか見えないかを問題にすると、上手い下手というのは関係なくなります。囲まれた範囲に同じぐらいの点が2つあればそれだけで顔に見えてしまいます。4つ、5つの点となるとかき消されてしまいますが、2つでは確実に顔に見えます。多分、人間として生まれて
北方ルネッサンスのメムリンクやクラナッハの絵では顔が大きくディフォルメされています。何の不思議もなく、絵は受け入れられます。イタリアルネッサンスでは、特にミケランジェロやティントレットらの絵では顔は極端に小さく描かれていますが、これも問題とはされません。
リアリズムは一つの精神状態です。主観をことさら排除して、普遍妥当性を示そうとします。写真が登場すれば、主観からは距離があるとみなされる機械的過程で生まれる画像をリアルと同等に扱います。写真のメカニズムが捉えるのは対象の物理的な外観です。主観を排して客観に
一昨日、グリッドを使った下書きのご紹介をしましたが、もう少し簡単に描く方法を追記します。 「最近絵を描き始めた」という人に参考になればと思いプロセスをアップし…