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絵画の透視図法的な古典主義は16世紀の近代的な知性の産物です。美術が大衆に向けて開かれる時、すべての人に認められる合理性のことを知性と感じたのでしょう。すべての人が理解できる説明が合理性です。美術の豪奢をその人の人生において経験したことのない人に伝えるのは
土曜日、実家にバイクDio110で帰省しながら今日も何事も無く終わり、ブログに書くことが無いなぁとか思いながら帰ってたら、香川県警がネタを提供してくれましたわ。 わたくしのバイクにはドライブレコーダーが付いてないので証拠はありませんが、実話です。 片道2車線の右側、つまり追い越し車線をパトカーがパトランプ回しながら時速40kmで走ってました。そこの制限速度は50kmです。地味に左車線から60kmギリギリで抜いていったり距離が開いていく車を尻目にパトカーの後ろをずっと付いて走りました。 左車線から抜いても良いものか、しばらくすると右折せねばならず、我慢して右側を走ってました。バイクはこの場合どの…
近代合理主義の幕開けは、ルネ・デカルトが唱えた懐疑主義に始まるとされています。とりわけキリスト教が支配したヨーロッパにあっては、『旧約聖書』であれ、『新約聖書』であれ、聖書に記述されていることを疑いますと、最悪の場合には異端審問によって火あぶりの刑に処せられる程の罪でしたので、近代における懐疑主義は、人々が理性に照らして疑問を持つことに肯定的な意味を与え、思想の面からも近代科学の発展の基礎を築いたとも言えましょう。学ぶことが、覚えるだけの単なる暗記であったり、テストの成績を競うのであれば、しばしばそれは苦行ともなりますが、‘何故だろう?’という疑問から始まる学びは、謎を解いてゆくプロセスの楽しさや無我夢中になれるものとの出会いに加え、その理由や仕組みが分かったときには喜びと幸福感に満たされるのです。その発...懐疑主義の復興を-疑う自由の意義