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戦争であれ、政治腐敗であれ、貧困化であれ、世の中で何か良からぬ出来事が発生した際には、常々、その原因を当事者個人に求める見解とその出来事が起きた外部環境を問題にする見解とに分かれがちです。もちろん、原因が複合的であるケースも少なくないのですが、特に何らの罪もない人々が被害者となってしまう場合には、後者、すなわち、制度や仕組みに何らかの欠陥があるケースの方が多いように思います。ところが、制度設計の善し悪しがこの世の不幸の大方の原因となっているにも拘わらず、善き制度や組織の在り方が真剣に探求されてきたわけではありません。政治の世界では、むしろ、現状に対する人々の不満は、平等を掲げる共産主義といったイデオロギーが吸い寄せてきましたし、その反対に、国家主義や民族主義の高揚によって解消させようとする傾向もありました...最善の制度設計を求めて
今般のウクライナ紛争に関しては、ロシアのプーチン大統領のメンタリティーがその主要な要因として指摘されることも少なくありません。‘プーチン大統領は、もとより理性を失った狂人である’、あるいは、‘プーチン大統領は進行がんあるいはパーキンソン病の治療が影響して精神に異常をきたしている’といった説も報じられています。同大統領に限らず、過去にあっても第二次世界大戦時のアドルフ・ヒトラーなども、狂人の一人としてしばしば名が上がります。しかしながら、戦争、とりわけ、世界大戦の原因を時の指導者個人に帰すのには無理があるように思えます。過去の二度の凄惨を極めた二度の世界大戦の経験にも拘わらず、今日、人類は、第三次世界大戦の危機に直面しています。指導者主因説では、プーチン大統領の戦争責任が問われることとなるのですが、現在のウ...第三次世界大戦の危機は国際社会の構造に由来する?
近代合理主義の幕開けは、ルネ・デカルトが唱えた懐疑主義に始まるとされています。とりわけキリスト教が支配したヨーロッパにあっては、『旧約聖書』であれ、『新約聖書』であれ、聖書に記述されていることを疑いますと、最悪の場合には異端審問によって火あぶりの刑に処せられる程の罪でしたので、近代における懐疑主義は、人々が理性に照らして疑問を持つことに肯定的な意味を与え、思想の面からも近代科学の発展の基礎を築いたとも言えましょう。学ぶことが、覚えるだけの単なる暗記であったり、テストの成績を競うのであれば、しばしばそれは苦行ともなりますが、‘何故だろう?’という疑問から始まる学びは、謎を解いてゆくプロセスの楽しさや無我夢中になれるものとの出会いに加え、その理由や仕組みが分かったときには喜びと幸福感に満たされるのです。その発...懐疑主義の復興を-疑う自由の意義