社会契約説から見る国連の危険性
社会契約説の論理は、社会にあって個々人の安全を護るためには、個々人を超える強力な統治権力を要することをも説明しています。確かに、自らよりも物理的な力に優る他者から侵害や攻撃を受けた場合、被害を受けた人は、より弱い力しか持たない故に、正当防衛権を行使して闘ったり、全力で抵抗したとしても、結局は無駄な努力に終わります。個人では抗えない不当な侵害に対処するためには、如何なる侵害者よりも強力なる公権力、並びに、それに付随する‘正義の力’の行使を要するのです。ここでは‘正義の力’と表現しましたが、力は、暴力を押さえ込み、不正な侵害行為を排除し、悪しき侵害者を罰してこそ、正義の力となり得ます。そして、力の行使に際して正義を‘担保’するものこそ、社会の構成員である人々の安全保障の合意としての社会契約なのです(論理的には...社会契約説から見る国連の危険性
2025/05/02 10:33