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「風と遊ぶ白木蓮」 白木蓮の散るべく風のさからえる ( 中村 汀女 )和歌三首 精霊の乗りて遊びし白木蓮 ひとひらゆれて風の光れる 春彼岸朝焼けの野に座したれば アマテラスの歌天地に満ちたり 人の世に哀し嬉しと吾も酔う 祈りに開く春の花にも俳句七句 白木蓮は男神か路地灯す やわらかき風と遊びて白木蓮 そのかほり宇宙にとけて白木蓮 やわらかき春風に立ち君おもう 森の歌しず...
「形無き妙なる音楽」三月の東の朝の空には雲が踊るまっさらな蒼天は昇りゆく旭日に色彩を変じてゆき踊り続ける雲達はあるいは渦を結びあるいは千切れゆき日の出の輝きに燃え上がってゆく野辺に座しそれを眺める私は自分の感情の風通りの良さを発見して驚いていた鹿の角の先端を百会にあてがい仙骨から細く深く息を吐く鹿の角の先端を百会にあてがい光明真言を唱える万生の念弦は大気に滲みこの旭日の光線に歓喜している陽光の歓喜...
「春灯と黒き道」 春眠や大き国よりかへりきし ( 森 澄雄 )和歌三首 円覚寺の門前の池にひとひらの 梅の散りたる朝の静けさ 風やわしさねさし相模の朝空に 雲は舞いたり神代は明日かと 白き梅ちりそむる朝あゆみけり 出発も終焉も彼方にありしか俳句七句 春灯や黒き道こそ終わりけれ 観梅や空の海にも光りたり 春情や去りし友あり来たりし友あり 春の夢ねてもさめても色遊ぶ 春時雨...
「梅の枝の目白」 白梅や父に未完の日暮れあり ( 櫂 未知子 )和歌三首 彩雲の風に光りて春来たり 赤子笑みする街の真昼に 浄刹に父母の御心問いし夜に 北極星の真白く光れる 梅が枝を目白ゆらせば春の空 歌に満ちたる常世ありしか俳句七句 二月には梅に遊びし目白かな 梅の枝を目白ゆらせば風笑う 梅林に目白のはらから歌こぼる 風光る人法の世も透き通り 天法の降りて楽しや山笑う 彩...
「パイライトの見えざる火花」パイライトの金色の玉は見えざる火花を撒き散らし白金の五鈷杵は現界と幽界の七層の壁を貫いてほの白く灯る正月の藤沢の街遊行寺の境内カタチなき一者の流出は石段の内部に満ち溢れ満ち溢れ満ち溢れ万生の眠りの内側からこの世界を支え続けている阿弥陀如来の歓喜の掌よ正しき幸福と叫ばれる真白き欺瞞と歪真の心眼は陰から陰へと動いてゆくデジタルからデジタルへ人間の感情は情報の狂乱にやつれ朝露...
「盲なる巨大客船」不可解な熱気を帯びた見えざる嵐がこの冬枯れの野辺に音を滲ませる遠くの列車のリズムにも似て人の人の人の言語中枢に真っ黒いモノリスが置かれてゆく信用で食べてる銀行家たちはハラハラしながらポーカーゲームを続けているそれを眺めるこの河原乞食もまたこの明滅を繰り返す気象予報に夢中なのだ常なる事なきこの天地に未だ見たことのない朝焼けのその空には白鷺が一羽川上へ飛んで行くだろうか明日か 来月か...
「新年の謎」 新年の謎のかたちに自在鉤 ( 平井 照敏 )和歌三首 年立つや明日の謎を数えては 影なき昨日の息を吐ききる 真夜中のコンビニにタバコを買いたれば 艶本みつめる少年のあり 新年の街に太鼓がコダマする 神を忘れた人々の群れ俳句七句 カタチなき風に真向い玉の年 正月の街ぶるぶると太古の音 寒暁や九羽の白鷺北へ飛ぶ 吾は立つ黙して光る霜の朝 勾玉を胸に音聴く枯野かな ...
「ザザザザーン」秋の海風はかわいている伊豆の城ヶ崎の断崖絶壁岩礁を洗う大海の呼吸青い海と青い空そして無窮の水平線ゴジラよりも生々しく眼前に屹立する巨岩響いているのだ とぎれることなく唯に唯に岩礁を洗う潮騒だけがザザーンドッパーンザザザザーンおおわだつみの雄叫びか全てを呑み込み浄化する大海に毅然と立ち尽くす巨岩は万陣の風と共に響き続けている黒曜石を運ぶ縄文の船もこの巨岩は見下ろしたのか無数の朝陽と無...
「稲架と岩礁」 整然と神話の国の稲架の列 ( 川崎 慶子 )和歌三首 ちはやぶる龍宮窟の天窓の ちぎれて哀し雲の光れる 天高し稲架の影にて仰ぎなば 天地開闢明日にあるらし 今ここに未来も過去も握りしは 吾が手なりしか神の手なりしか俳句七句 吾が血にも稲架を見つめる祖霊の眼 新涼や少女の瞳の奥の謎 晩秋の生死一瞬の波濤かな 岩礁に素風を遊ぶ秋の潮 石廊崎の擬宝珠が仰ぐ秋の...
「名月と聖石と私」(2024年中秋の名月)中秋の名月の夜ベランダに大きな鏡を寝かせてその上にパワーストーンをならべた聖石達に月光浴をしていただくのだヘマタイト ラヴラドライト クリスタル極彩色の感情の内側から私もしばらく満月を仰ぐのだがそれでは月の心は分からない流れゆく九月の夜の薄雲に月光は自らの歌をのせながら色彩を与えてゆく中秋の夜の涼気と虫の声皓皓たる月光に聖石たちをあずけて自室のソファーにも...
「エメラルドの淡き光」はずした念珠のエメラルドの淡き光夜のしじまに透き通るティンシャの音色覚醒を待ちわびるDNAサマディーはこの骨盤に用意されているのに未だ 私は それを使えない唯々 無限の虚空をブラックコーヒーとともに呑み込んでいる街をゆく乙女たちの声色は細くなったその理由が分からない観音の千の掌は千の香りを自在に操り人々の正直さを導いている道具たちは首座を降りたのだ心は中心を思い出しその出生地へ...
「とめどなく岩清水」 まだ逃げるつもりの土用鰻かな ( 伊藤 伊那男 )和歌三首 山笑う丹沢山の奥沢に せせらぎの音かなでたる歌 ちはやぶる神遊びたる石清水 吾身ひたせば生死こえたり 夢さめて又夢なるか現世に 君の歌いし人の心よ俳句七句 夕暮れの土用鰻の男気よ 人神も羅(うすもの)まといて街をゆく 夏服の後輩汗する遊行寺か 滴りも人を抱きし山静か 音の神の歌とめどなく石...
最近、藤原直哉氏の動画を観ます。氏は 文明 の循環を言います。 まず、1)科学者たちによって科学が発達します。次いで、2)資本家たちは、科学を利用して産業を興し文化が発達します。文化は成熟し腐敗します。やがて世界は、混乱 … 続きを読む →
「河鹿笛の歌いしモノ」 冷房車大地の底へ濡れて入る ( 和田 悟朗 )和歌三首 たまきわる夏のいのちの長くなり 太陽の音はらに満ちたり 我儘は詩人の務めと覚えけり 群れの外へと走る鉄馬よ 老鶯の朝陽の森にうたひなば なぜに無尽の喜びありしか俳句七句 サングラス昨日を探せど見つからず 早乙女の死の無き国か泉殿 扇風機まだ見ぬ明日も回りしか 波音に忘我の息の磯涼み 母の...
「白銀の波ひとつ」観ずる者によって観ぜられる者が出現し観ずる者と観ぜられる者との等距離から両者を等価に観ずる者が出現するこの三者は太陽と月と地球であるアマテラスとツクヨミとスサノオであり三尊は廻り廻り廻り廻り続けて発光と受光とその観測の三つの作用を重層的に共有してゆく音に満ちた漆黒大宇宙の見えざる軸喜びと悲しみと両者を同等に眺める真我ワタシと云うミクロコスモスアナタというマクロコスモス真理は常に神...
「草の詩の泉」あたり前の日常あたり前の真昼あたり前の風の匂い心は第三隔壁から風景を眺め深奥の我には何も届かない窓は閉じられたことはないというのにこの地球に生まれた目的を私は歌うしかし誰の作った歌だろうか私は本当に森を見ているのだろうか私は本当に貴方を見ているのだろうか手続きと交換と消費そして創作約束があるかのように昨日は今日になり明日が生まれるその影のような法則は本当の意味を握っているのか空は本当...
「千年のアヤメの色」 さみだれや船路にちかき遊女町 ( 几 薫 )和歌三首 夏の夜に吾が心琴を見つめいる 荒き音と細き音のその背中 花アヤメの色の理由をおもへども 覚え届かぬ神世ありしか 詩にぎり砂漠の街を歩むれば 温き手を持つ友の笑みする俳句七句 わたつみの眠りあたたむ五月雨か 朝焼けの川辺に座してタバコのむ 円月と踊る女神か皐月波 見つめても見つめてもアヤメの...
「迷妄の動く城」その悲しみは悲しみによって救われた。この世間は云わば迷妄の動く城金色の73本の足を律動なく運び草の声も知らず風の色も知らずメディアの号令に心を汚しながら自らの狂気も知らずに不滅の巨大な生命の森を進んでゆくその悲しみは悲しみによって救われた戦の向こうに天国があると富の向こうに至福があるとこの迷妄の動く城は金色の73本の足を律動なく運び自覚なき群衆を無責任に操作してメディアの音楽に汚さ...
国際的には、アメリカは世界中で年間60億ドルもの軍事費を負担し、東南アジアでは不名誉な敗北を喫し、多極化する世界の中で単なる一国に戻ることなくヨーロッパその他の地域から撤退することはできなかった。アメリカの巨大な農業力は、衰えた輸送システムによって制約を受け、世界のあらゆる地域との輸出契約を破棄し、アメリカが効果的に適用してきたのと同様の農業保護主義を背景に農業投資を促進することによって、必要不可欠な食糧の自給自足を求めるように促した。このような反応は、1945年とその間の数年間、アメリカの経済計画者たちが必死に食い止めようとしてきたことであった。アメリカの国際収支が根本的に改善する見込みは薄…
エネルギー協定の資金調達は、ソ連が7億ドルを現金で拠出し、外国為替銀行が15億ドルを6%の金利で貸し出し、さらに15億ドルを15年物の民間債権として7%の金利で保証することになっていた。アメリカは、シベリア油田開発への37億ドルの投資を上回る、1隻1億3,000万ドルの石油タンカー20隻の建造(総額26億ドル)に合意した。このプロジェクトに関連する建設は、242,600人年のアメリカ国内雇用を生み出すと見積もられた。1973年1月12日、ゼネラル・エレクトリック社がソ連と技術交換協定を締結。4月、オクシデンタル石油は、アンモニア、尿素、カリの納入と引き換えに、ソ連の肥料コンプレックスを建設する…
アメリカが実際に、ソ連や中国に有利な産業供給国になるという保証はなかった。ソ連が世界中で信用を買いあさったように、ソ連は日本やヨーロッパからより良い条件を引き出すためのテコとして、原材料開発への投資というアメリカの申し出を利用した。1972年11月、ソ連は日本と2億ドルの石油・ガスプロジェクトで暫定合意に達し、他の分野でも交渉が進められていた。こうしてアメリカは、他の資本主義国に対して不利な条件を突きつけられる危険にさらされることになった。ソ連が輸入資金を調達するために中長期的な信用を欲していることは明らかであり、アメリカ以外の国々はそうした信用を供与するのに有利な収支状況にあった。最後の舞台…
ルーズベルトは、1943年8月25日に提出した「レンドリース作戦に関する第11回報告書」を議会に送付する書簡の中で、自由主義的解決の条件を定義した: 「議会は、レンドリース法を可決・延長するにあたり、来るべき平和を危うくするような新たな戦争債務を米国が望んでいないことを明確にした。勝利と安全な平和こそが、われわれが返済できる唯一の貨幣である」。しかし、9月7日、彼はこの気持ちを否定し、実際にはこの書簡を見たことはなく、当時ケベックにいたこと、間違った書簡がレンドリース報告書と一緒に提出されたことを主張した。「書簡の)言葉には真実があったが、誤解を招きかねない真実を凝縮したものだった。それは真実…
しかし、米国は実際に譲歩を得ようとしていたし、戦争が終わった後も譲歩を続けるだろう。英国の目的は明らかに、世界における1938年の地位を回復することであったが、まさにその逆が起こった。1943年のレンドリース協定更新最初のレンドリース法は2年間の期限付きで議会で可決され、1943年3月に失効することになっていた。米国は戦争状態にあり、同盟国への全面的な供与に移行する選択肢が開かれていた。ヘンリー・L・スティムソン陸軍長官は、英国がその長い歴史の中で、「同盟国に融資という形で財政援助を行ったことはなく、常に補助金という形で行ってきた」と議会に念を押した。ルーズベルト大統領は、レンドリース作戦に関…
レンドリースが議会を通過するまでの2ヵ月間、アメリカの交渉官たちはイギリスへの締め付けを強めた。レンドリースが成立した3月11日、ケインズは外交官仲間に、モーゲンソーは次のように不満を述べた。 「モルゲンソーの狙いは、おそらく議会の反対をなだめるためであり、また将来的に自分の意志をわれわれに押し付けることにつながるのだが、レンドリース法案が発効する前に、われわれの流動資産を可能な限り剥奪し、レンドリース法案ではカバーしきれない数多くの債務を、戦争の残りの期間中に満たすための最低限の手元に残しておくことだった」。彼は、英国の金準備をゼロにし、「バルカン半島で最も貧しく、最も責任感のない国を扱うの…
1941年1月に提出されたH.R.1776は、「米国の防衛を促進するための法律」と題された。いかなる国も、「その防衛が米国の防衛に不可欠であると大統領がみなす国」であれば、レンドリース援助を受ける資格があった。これらのレンドリース供与の見返りとして米国が受ける利益は、「現物または財産による支払いまたは返済、あるいは大統領が満足のいくものとみなすその他の直接的または間接的利益 」である。ステティニウスによれば、「この規定は意図的に広範なものだった」。『スターリング・ドル外交』のリチャード・ガードナーは、「当初から、レンドリース資金を計上する際の議会の協力の代償は、大統領がレンドリースの見返りとし…
そのような解決策は現代にはない。だからこそルーズベルトは、農家の借金やその他の負債を帳消しにするのではなく、アメリカ経済をインフレにすることだけが唯一の政策だと考えたのである。その結果、アメリカ経済もヨーロッパ経済も、単に借金を帳消しにするのではなく、金融政策に走った。ケインズを除いて、ルーズベルトがロンドン経済会議を頓挫させたことを、国内の債務者の利益を支援する政策の一環であると理解できたヨーロッパ人はほとんどいなかった。ヨーロッパの人々は、ルーズベルトが国内の債務者の利益を支援する政策をとることを期待していた。ヨーロッパの人々は、債務者は債権者の要求が何であれ、それを受け入れることを期待し…
銀行から100ドル借りても払えない人は困る。しかし、銀行から1000万ドルの借金をした場合、困るのは銀行である。アメリカの政府間金融バランスが世界の債権者から債務者の立場に移行するにつれ、アメリカの戦略家たちは、債務者が十分な額の債務を負っている場合、その力は、債務不履行によって債権者を崩壊させ、システムを脅かす能力にあることに気づいた。この破壊力が債権者に認識され、恐れられると、債務者はその行動規範を押し付けることができる。アメリカは1971年以来、この戦略を使ってきた。ヨーロッパ諸国は、1930年代にはこの潜在的な力を知る由もなかった。自分たちだけではアメリカの支払能力を脅かすには小さすぎ…
同様のパラグラフは、1970年代の残りの期間中、国家諮問委員会の年次報告書を締めくくった。新たな提案はなされず、債務は未返済のままである。アメリカが第二次世界大戦に突入すると、経済戦略はより長期的なものに拡大し、自国の利益のために国際機関を創設することに基盤を置くようになった。圧倒的な債権国であったアメリカは、国際通貨基金(IMF)と世界銀行の支配権を主張することができ、朝鮮戦争以降、国際収支が深刻な赤字に陥り、1951年以降、世界最大の債務国となったが、農産物などの輸出利益と投資利益のために利用された。1971年まで、アメリカはヨーロッパとアジアに余剰ドルを現金化するよう迫り、ジレンマを突き…
皮肉なことに、1933年の金融破たんの最終的な効果は、まさにヨーロッパでの戦争への動きを誘発することによって、アメリカ政府の国際金融資産の蓄積を増加させることであった。1934年のドル切り下げは、金価格を1オンス20ドルから35ドルに引き上げ、アメリカの金ストックの公示価値を高め、さらなる金流入を引き寄せた。アメリカの金在庫は74億ドルまで増加し、当時の世界の通貨建て金準備の約3分の1を占めた。1937年末までに、ヨーロッパに戦争が迫る中、アメリカの金保有高は113億ドルに増加し、世界の通貨準備高の半分以上となった。この増加は、貿易黒字や投資黒字によるものでも、その他の通常の経済状況によるもの…
第二次世界大戦が勃発したのは、民間の金融資本が作り出したひずみからではなく、政府間の金融債権が主要な役割を果たした世界破産が原因だった。債務と賠償のもつれは、ナショナリズムを最も抵抗の少ない道とし、汎ヨーロッパの国際主義を不可能にした。ヨーロッパは闘争することなく、世界権力のアメリカへの移行に適応しようとした。しかし、国際金融システムを安定させる役割をイギリスから奪うことや、輸入品の形で支払いを受けることを拒否する限り、アメリカの債権者としての影響力は何の役にも立たないことが証明された。世界の主要な政府、とりわけアメリカの協力なしには、ビジネスは「通常通り」には運営できなかった。民間の国際貿易…
ヨーロッパ諸国は、アメリカの銀行・通貨システムに対して金を借りていたのではなく、当時金を必要としていなかったアメリカ政府に対して金を借りていた。そのため、自由放任主義は時代錯誤となった。政府は今後、「自由な」市場を経由するのではなく、全体的な協定や制度を取り決めることによって、国際貿易と支払いのバランスをとる責任を負わなければならなくなった。第二次世界大戦では、軍事的な目的のためにビジネスと政府の計画が融合し、先進諸国はこの認識を恒久的かつ不可逆的に確立した。第二次世界大戦以前、アメリカは国際主義を敬遠した。それは、国際間の戦争債務に対するアメリカの請求権を帳消しにすることを意味した。1970…
代替案を生み出せなかったヨーロッパほとんどのヨーロッパ人にとって、そしてアメリカの経済史家にとっても、アメリカは世界のリーダーとしての役割を拒否していた。ルーズベルトはその試練を投げ捨てたのだ。一世代の間、ヨーロッパは復興への希望を抱いていた。しかしルーズベルトのメッセージは、ヨーロッパの復興への希望を打ち砕くものであった。しかしルーズベルトには、それは単にアメリカが自国の経済回復をどのように進めているかの発表にしか見えなかった。ルーズベルトは、自国の国内需要に基づく孤立主義政策を追求し、国際情勢は後に解決される残滓として、一方的に行動した。しかし、ヨーロッパの硬直性を前にして、このアメリカの…
1933年の平均54%から1940年には36%まで関税が引き下げられたことで、特定の分野ではアメリカの輸入が増加したが、アメリカの関税引き下げは1933年の農業調整法によって無効となった。農業調整法は、アメリカの農産物の輸入に割当制限を課すことで、アメリカの農家に絶対的な保護主義を与えた。1929年以来減少していたアメリカの貿易黒字は、外国がアメリカの保護主義を模倣したことが主な原因であったが、1933年の2億2,500万ドルから1940年には14億ドルに増加した。交渉による関税引き下げ戦略は、決して外国輸出業者にアメリカ市場を開放するものではなく、また外国輸出業者がアメリカへの負債を返済する…
世界恐慌が拡大するにつれ、各国は関税、輸入割当、輸出禁止、二国間清算システム、物々交換取引など、さまざまな貿易規制によって自国通貨を支えた。カール・ポランニーはこの時期についてこう述べている: 「対外貿易媒体としての通貨の対外的価値を守ろうとする必死の努力は、国民の意思に反して、国民を自国経済へと駆り立てた。伝統的な経済学から根本的に逸脱した制限的な措置の数々は、実際には保守的な自由貿易を目的とした結果であった。ヨーロッパ諸国は、国内消費よりもむしろ海外消費を支えるために、より多くの商品を輸出し、国内経済を犠牲にしながらも通貨を安定させようと、自国がコミットした国際債務を返済するために行ってき…
会議は7月27日に閉会した。ウィリアム・ブラウン教授によれば、会議は「4つの大きなマイナス要因によって分裂した。」新しい保護を適用する国々は、通貨の安定が保証されない限り、貿易制限のシステムを修正することを拒否した。金本位制の国々は、その多くが通貨インフレの苦い経験を持っており、経済再建の主要な手段として物価引き上げ政策を受け入れることを拒否した。イギリスは、物価上昇には好意的であったが、それを達成するために財政のバランスを崩すことや、そのための大規模な公共事業計画に着手することを拒否した。アメリカは、通貨安定化によって自国の物価引き上げと公共事業計画が妨げられることを拒否した。ルーズベルトが…
「クラリッジでこのメッセージを読んだ私たちが衝撃を受けたのは、その内容よりも好戦的なトーンだった」とモーリーは回想する。ヨーロッパ人が求めていたのは、単にアメリカからの協力だった。代わりに彼らが得たのは、失せろと言われることだった。ルーズベルトはアメリカの物価水準を引き上げたいと考えており、ドルの為替レート下落に対する外国からの不満に邪魔されるつもりはなかった。世界の主要債権国であり、最大の経済大国であるアメリカは、誰の言うことも聞く必要はなかったのだ。リップマンは、連合国間債務に関して偏狭な立場をとることによってアメリカ自身が引き起こした金融のもつれからアメリカ政府を救い出す手助けはしないと…
しかし、ルーズベルトはまさにこの時期を休暇に選んでいた。彼はカンポベッロ島におり、電話もつながらない。バーナード・バルーク、ディーン・アチソン、ニューヨーク連邦準備銀行のジョージ・L・ハリソンが病床にあった。彼らはまだ草案を受け取っておらず、通信の両端で暗号化されるという手間のかかるプロセスを経ていた。モーリーとジェネラル・エレクトリック社のジェラード・スウォープ社長は電話をかけ直し、その草案が「金を出荷する義務を負わせることはできない」と断言した。アメリカの物価が着実に上昇しているのは、その上昇が健全な事業再生に基づくものである限り、それを阻止することはできないだろう。せいぜい、アメリカ物価…
マイケル・ハドソン「独立した世界を創り出す」:負債、戦争のスポンサー、米ドルとBRICSの未来
youtu.be Michael Hudson michael-hudson.com 2023年8月15日AK: 皆さん、こんにちは。 私のチャンネルへようこそ。というのも、今日は素晴らしいゲスト、マイケル・ハドソン氏をお招きしているからです。アンドレ・マルシアーノ氏が「アニア、ハドソン氏と話すべきだ」と推薦してくださったので、お招きしました。 ハドソン氏はミズーリ大学カンザスシティ校の経済学教授であり、政治コンサルタント、コメンテーター、ジャーナリストです。 また、ウォール街の金融アナリストでもあり、長期経済研究所の所長でもあります。私のチャンネルにようこそ、ハドソンさん。 マイケルと呼んで…
最も影響力のあることが判明したモーリーは、会議がすでに進行しているときにロンドンに派遣された。「私はこの会議の見通しをあまりよく思っていなかった。この国にとって実質的に価値のあるものが得られるとは思えなかった」と回想録に記している。彼はほとんど、「海外よりも(むしろ)国内のことにしか」関心がなかったのである。途中の兆候は、米欧間の協定にとって好ましいものではなかった。ルーズベルトは、最終的には関税引き下げ交渉の権限を与える1934年互恵貿易協定法となる法案を検討していたが、「大西洋を横断する途中で、ハルは大統領から、関税に影響する新法の通過を議会に求めないことに決めたと聞いた。ハルは、そうしな…
アメリカ代表団がロンドンに向けて出航する直前の5月20日、モーリーはスピーチを行い、会議の国際代表団に対し、「結局のところ、世界貿易はアメリカの貿易に占める割合がわずかであることを認識せよ」と促した。「つまり、わが国の国内政策が最も重要なのです。」それはまた、アメリカがやりたい放題の立場にあることを意味していた。ロンドン会議が6月12日月曜日に開催されるまでに、ドルはゴールド圏の通貨に対して20%下落していた。諸外国は、自国通貨の安定化を求める一方で、アメリカは「あまりに早い時期の安定化は、それまでの2ヶ月間に得た利益を危うくすると考えていた」ことを認識しつつあった。債務問題に次いで、通貨安定…
実際、フーバー政権から引き継いだ国務省の経済アドバイザー、ハーバート・ファイスはこう述べている: 「債務不履行によって、ルーズベルトは、フランに対して固定レートの国際金本位制に戻そうとするフランスの努力に対する寛容さの残滓を洗い流され、イギリスに有利になるかもしれないポンドとドルの相対的価値に関する合意について、イギリス当局の安易な介入を許さない決意を固めたのだろう。」フランスとの交渉はさらに不愉快なものだった。フランスは6月分の支払いを延期すると通告し、「フランスは決して『一方的に締結した約束を破棄するつもりはない 』というおどけた表現を付け加えた。」アメリカからのそっけない返事は、フランス…
Michael Hudson michael-hudson.com July 19, 2023マイケル・ハドソン:労働者に対する階級闘争としてのポスト工業化社会という哲学を覆さない限り、アメリカは再工業化できない。その両方を手に入れることはできない。労働者に対する階級闘争と、それに伴う労働組合化を伴う再工業化はありえない。寡頭政治を発展させた国は、結局、自国の経済を陳腐化させ、一種の暗黒時代に追いやることになる。それが政策であり、何よりも民主党政権の政策なのだ。[00:01:35] ジェフ・ギンター: さて、黙示録を完全に回避できるかどうか見てみよう。それでは、ホスト、スティーブ・グランバイン…
Michael Hudson michael-hudson.com 2023年7月12日ラディカ・デサイ:皆さん、こんにちは。2週間に1度、現代の政治・地政学的経済についてお送りするこの番組、「ジオポリティカル・エコノミー・アワー」の第13回目へようこそ。私はラディカ・デサイです。マイケル・ハドソンです。ラディカ・デサイ:そして今日も前回同様、アン・ペティフォーと一緒に、現代の緊急課題である第三世界の債務危機について議論します。前回も申し上げましたが、この番組にこれほど権威あるゲストはいません。アンについてはほとんど紹介する必要はないでしょうが、特に債務問題に関して、また彼女の幅広い貢献につい…
変動為替のドル(つまり沈むドル)がどれほど不安定なものになるかは、まだ明らかではなかった。ウイリアム・ウッディン財務長官、ルイス・ダグラス予算局長、ジェームズ・ウォーバーグをはじめとする保守的な専門家の多くは、「ドルは、放っておいても18~20%以上は沈まないだろう」と考えていた。ポンドの下落は激しく、このシナリオではアメリカの切り下げはその差の半分も埋められないだろう。しかし、5月20日には、ドル安が急速に進み、ポンドは4ドル台を回復するかに見えた。アメリカ政府高官は、ドルの急落は大口の投機筋のせいだと非難したが、経済の「ファンダメンタルズ」がやがて下落を是正するだろうと説明し、何もしなかっ…
レイス=ロスは、交渉の決裂を避けるために、イギリスは支払いを控えるかもしれないが、それはデフォルトではなく、「中断」と呼ぶべきかと尋ねた。「我々はそうは考えなかった」とモーリーは書き、こう付け加えた: 「ハル長官は、フランクリン・ルーズベルトの明確な命令により、この件について何も知らなかった。」ハルはルーズベルトに「英国と会議を『救う』」ことを望んだ。しかし、ルーズベルトにとってアメリカを救うことは、イギリスや他のヨーロッパの債務国を失望させることを意味した。彼はアメリカ国内の債務を軽減することには大賛成だったが、アメリカに対して負っている対外債務の負担を軽減することには賛成しなかった。ロンド…
「地政学アワー 2023年8月4日」:NATOをアジアに拡大しようとする戦争タカ派の動きは、西側軍事同盟を破壊するかもしれない Michael Hudson michael-hudson.com 2023年8月7日ラディカ・デサイ:皆さんこんにちは。現代の政治・地政学的経済について議論する番組、「第15回地政学エコノミー・アワー」へようこそ。ラディカ・デサイです。マイケル・ハドソン:マイケル・ハドソンです。ラディカ・デサイ:そして今日もまた、特別巡回レポーターのペペ・エスコバル氏をお迎えしました。ようこそ、ペペ。ペペ・エスコバル:ありがとうございます。また皆さんとご一緒できて大変光栄です。ラデ…
第4章 アメリカのニューディール政策は自国経済が第一:1933-1940年ロンドン会議の準備のため、イギリス政府の経済顧問に任命されたばかりのフレデリック・ウィリアム・リース-ロスは、5月初旬にワシントンに残るよう要請された。「バニー」に直面したとき、彼は貧困を叫び、こう説明した: イギリスの経済的、政治的な状況からして、6月中の支払いは不可能に近い。政治的には、イギリスが全額支払うことは不可能であり、またそうすべきでもないという強い世論を政府が無視することは危険である。それにもかかわらず、イギリス人は債務不履行という考えを好まなかった。その言葉そのものが、彼らの道徳的感覚を傷つけるものだった…
ウィーラー=ベネットは、マクドナルド、ヘリオット、その他の政治家がルーズベルトと話をするとき、ルーズベルトは首をかしげ、「いいよ」と答えることがあり、彼らはそれを同意の意思表示と受け取った。彼はまた、何十年にもわたってアメリカの交渉政策の典型となる戦術を採用した。「合意が不快になったとき、彼は逃げ道を作ることに長けており、それが失敗したときは、単にそれを否定するだけだった。」しかし、当面の間、ルーズベルトは、ヨーロッパ人だけでなく、多くのアメリカ人にも国際主義者として映り、世界経済におけるアメリカの支配的な役割を考慮すれば、ロンドン会議の首席スポンサーとしてさえ映った。多くの人々は、ルーズベル…
それでもマクドナルド首相は、この紛争が国際的な中断なしに解決されることを望み、ロンドン経済会議へのアメリカの参加を求めるためにワシントンを訪問する予定だった。内閣はマクドナルド首相に、「6月15日の債務支払いを延期できるという事前保証がない限り、この訪問は行わないように」と警告した。そうでなければ、イギリスの主要な経済的関心事となっていたことが失敗に終わり、恥をかくことになるからだ。アメリカはそのような事前確約を拒否したが、マクドナルドはフレデリック・リース・ロス英国政府首席経済顧問とロバート・ヴァンシタート外務次官を伴って訪米した。ルーズベルトは、ヘリオット元首相がフランスに12月分の債務を…
ドルの価値の下落については、アメリカの繁栄を回復するような「自然な」水準になることを望んでいると断言した。それは、ドルの対金為替レートを大幅に引き下げることを意味する。過剰に、つまり既存の貿易パターンを有利に変えるほどでない限り、切り下げる理由はほとんどない。ドルの下落は、既存の為替レートで自国通貨を金本位制に維持している国々から輸出貿易を獲得することを目的としていた。ルーズベルトはそれにもかかわらず、ヨーロッパ諸国を説得し、彼がこの問題の解決に熱心であることを伝え、彼らはロンドン経済会議で最終的な解決に達するだろうという印象を抱いてワシントンを後にした。しかし、彼らは主にその期待を読んでいた…